魔人兄妹は共闘する
虹色の奔流は、イロハの視界を5秒程度塗りつぶした後徐々に規模を縮小していき、やがて完全に消え去った。黒犬の海の中央部分が真っ二つに割れて地表が顔を出している。更には直線上にあった巨大な薔薇も消し飛ばされ、森の一角が更地と化している。
「全滅させることは出来なかった、か……しかも次々と後続が生産されると。厄介な……」
状況を上手く飲み込めずに呆けていたイロハの前に、1人の男が降り立った。虹のような刃の剣を持つ、見知らぬ背中。その剣の柄の部分が、奇妙な既視感を与えて来るのが気にかかった。
(あれは……)
しかしその既視感の正体を確かめる間もなく、
「イロハ!」
背後から、ずっと聞きたかった声がした。イロハが反射的に振り返れば、坂道を駆け降りて来る兄の姿があった。
「にぃ様……良かった」
安堵からか両脚から力が抜け、イロハはその場に崩れ落ちる。その背中が地に触れる寸前に、クロが滑り込んで抱き止めた。
「すまない。無理をさせてしまったな……」
「大丈夫。信じてたもの」
えへへ、と頬を緩めるイロハの身体にはあちこちに切り傷があり、ドレスにも赤い裂け目が目立っている。痛々しい姿ではあるが魔力で精査した所深い傷はなかったため、クロは胸を撫で下ろした。
「あの人は……?」
クロに治癒魔法をかけて貰いながら、イロハが首だけを傾けて戦場に目を向けた。虹の聖剣を正眼に構えた勇者を、黒犬の群れがジリジリと包囲しようとしていた。
「強力な助っ人だよ。聞いて驚け、ブロンザルトの勇者様だ」
イロハが驚愕に目を見開いた。
「えっ!……ど、どういうこと?」
「俺達が運んでいたアレが聖剣の柄だったらしくてな。頂上に立ってたオブジェに触れさせたらああして復活した」
「あの犬頭が閉じ込めてたの……勇者様だったんだ」
島に上陸してからわだかまっていた色んな疑問が、イロハの中で一気に氷解していく。フラウローズはメフィストフェレスの劇場魔法を利用して勇者を拉致封印し、それによって消耗した魔力を周囲から呼び込んだ生物を使って回復していた。
(そして、それに巻き込まれた私たちは、あの悪魔が勇者様から引き離した聖剣をそうとは知らずに運搬していた……ということね)
イロハはクロに渡された布で顔の血を拭いながら、勇者の背中を見つめる。
「あなたと戦うつもりはなかったんですがね……」
「お前に無くてもこっちにはあるんだよ」
苦虫を噛み潰したような表情で唸るフラウローズへ、勇者は聖剣の切っ先を突き付ける。
「街の人たちを解放しろ」
「それは出来ない相談です。そもそも、私がなんのために彼らまで拐って来たと思っているんですか」
「何……?」
疑問符を発する勇者へ、フラウローズは勝ち誇るように告げた。
「こうしてあなたが出てきてしまった時のための保険ですよ」
「人質ってことか……!」
「人聞きの悪いことを言わないで貰いたいですね。彼らはただの魔力タンクに過ぎませんよ」
信じられないものを見たという顔をする勇者を前に、悪魔はやれやれ、と呆れたように首を振る。
「あなたを拐うためのベースにした魔法。あれには役者として引き込んだ人間を、『効果時間中死なないようにする』なんていう副次的効果がありましてね。例え吸い上げ過ぎてイメージ力まで尽きようが衰弱しないので時間を置けば回復しますし、魔力を搾り放題という訳です。……故に!!」
バッ、と、フラウローズが両腕を開く。その顔には本日最高の嘲笑が浮かび、背後では勇者が消し飛ばした森の一角が急速に再生していた。
「我が軍勢は無尽なのですよ!」
「そんな……」
聞いていたイロハがうちひしがれたような表情になる。兄の邪魔をさせまいと、既に何百何千という黒犬を斬り捨ててしまった。フラウローズがそれを補充する度に、拉致された人々を苦しめる結果となっていたのではないか、と、自責の念がどんどん積み重なっていく。
「大丈夫」
その負の連鎖を断ち切ったのは、かざされた兄の大きな手のひらだった。【
「にぃ様……」
「大丈夫だ」
クロはイロハを横たえ、武装した
「どうしたのです?……動きが鈍っていますが」
向かう先では、勇者が黒犬の群れに纏わりつかれていた。直前までより明らかに動きがおかしい。襲い来る黒犬を斬り倒そうとはせず、振り払うに留めている。
「別にいいのですよ殺しても。苦しむのは私ではありませんしねぇ……!!」
「お前ぇ!!」
途端に、勇者の身体が爆発的な加速を見せた。黒犬の群れをはね飛ばしながら、一瞬でフラウローズの目前に到達する。間髪入れずに聖剣が横薙ぎに振るわれ、七色の輝きが悪魔の胴を捉えた。
『空間がずれている……か。大丈夫、それだけなら俺の聖剣でどうとでもなる』
接敵前、坂道を駆け降りながらフラウローズの情報を話したクロへ、ユウジはこう言った。担い手によって見た目や性質を変化させる聖剣だが、ユウジが扱う【
そしてそれは、空間のズレた相手だろうが同じこと。聖剣は狙い違わず、フラウローズの身体を両断する――はずだった。
「……!?」
振り抜いた聖剣はしかし、フラウローズの身体を透過してしまう。勇者は何とかバランスを整え、フラウローズを突き抜けつつ離れた位置で反転する。
その手応えに、ユウジは心当たりがあった。
「……用心深い奴だ。そもそもが
「あなたたちのことはリサーチ済みでしてね。霊体特効を付与できる
ユウジは歯噛みする。【
クロのダーツは霊体を穿つが空間の壁を越えられず、勇者の聖剣は空間の壁を物ともしないが霊体を傷付けられない、と惜しい所で噛み合わない。
「ククク……そうです、良い表情じゃありませんか!怒りに葛藤に絶望……それら負の感情に染まったその顔が見たかった!!」
同行者の姿を騙って見せたにもかかわらず満足の行く反応を引き出せなかった兄妹とは違い、勇者は思い通りに感情を変えて見せてくれる。フラウローズはそれが心地よくて仕方がないとばかりに、全身を歓喜で震わせた。
最早勇者など恐るるに足らず、と、悪魔は犬の群れを突撃させようとして、
「……盛り上がっている所悪いが、流石にベラベラと喋りすぎだな」
氷の塊のような、一切の情が削ぎ落とされた声を聞いた。犬の群れを【
1発。次いで2発。
計3つの炎は高空で弾け、何も破壊することなく消えた。
周囲へ重苦しい静寂が満ちる。
「忠告してやるよ、悪魔」
顔を上げたクロの灼瞳は、恒星を湛えているかのように煌々と輝いていた。それを見てたじろいだような悪魔に向けてクロは更に冷水のような言葉を投げかける。
「あまり他人を見下してると……足をすくわれるぞ。思わぬ奴に」
「……どういう……ッ!!」
その瞬間、
息が詰まるような不快感を悪魔が覚えると同時に、周囲を取り囲んでいる巨大な赤薔薇が、凄まじい勢いで枯れ始めた。
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