魔人兄妹とまやかしの森

「さて、そうと決まれば……」


 握手を解いたクロは、暗闇の広がる森の入り口を見据えた。


「入ってみるの?」


「色々試してみてからな。イロハは森の中の空気の流れに集中してくれ」


「わかったわ」


 クロは足元から適当な小石を拾い上げると、【剛撃投射アサルト・スロー】を使ってそれを森の中へ投げ放った。小石は森の暗がりを切り裂いて、一直線に木々の奥深くへと消えて行く。


「え……?」


 すると、指示通りに風読みを使って気流のモニタリングをしていたイロハが、小首を傾げながら困惑の声を漏らした。


「どうされましたかな?」


 兄妹の様子を見守っていたメフィストフェレスが、イロハに声を掛けた。同盟を結んだことですっかりクロ達とは打ち解けた気になっているのか、溢れる好奇心を隠そうとする様子はない。メフィストフェレスからすれば、この兄妹はインスピレーションの宝庫だった。


(双方共に見目麗しく、更に人の身でありながら何故か宿しておられる魔晶は壮絶なバックボーンの存在を匂わせます……ああ!許されるなら是非ともこのお二方を題材に1作仕上げたい!!)


 そんな作家の悪魔の内心が、兄妹に伝わることはなかった。


「にぃ様が投げた石……何にもぶつからずに森の中程まで飛んでいったわ……」


「ふむ……?」


 メフィストフェレスは森の入り口へ目を向ける。木々が隙間無く並ぶそこは人が立ち入るのも困難に思えた。


「あの密度の中に小石を投じて一切衝突がないとは……妙ですな?」


「にぃ様が神憑り的な幸運を引き寄せて、たまたま一直線に並んでいた隙間を通したって可能性もあるけど……」


 そう言うイロハの前で、クロが2つ目の石を投じた。小石はあたかも障害物などないかのように、まっすぐ森の奥深くまで飛んでいった。


「偶然……じゃなさそうね、流石に」


 イロハはそう呟くと、2度の観測結果をクロに伝えた。すると、クロは想定外だったとばかりに目を丸くする。


「それは誤算だったな……だが、嬉しい方の、だ」


「と、申しますと?」


 今の投石は、例の“犬のようだが犬ではないナニか”を刺激してみようとして行ったものだった、と、クロは2人に語った。


「仮にその“犬ではないナニか”が、単なる擬態生物の一種なら、ムササビのように何らかのアクションを起こすかもしれないと思ってな。警戒して逃げるなり、逆上して襲って来るなり……」


 遺跡にいた、罠に徹するあのムササビでさえ、先制攻撃に対しては逃走するという選択肢を取った。彼らはあくまでも攻撃されないよう壁に扮しているだけであり、攻撃への防御能力を持っているわけではないからだ。


「だが奴らが動いた気配はなく、代わりに不可解な結果が得られた。確かに投擲は俺のメインウェポンのようなものだが、流石にこの密度を突破して森の奥まで石を届かせる自信はない」


 クロは2人を連れて森の入り口まで足を運んだ。森を形成している木は、全体的に黒ずんで見える以外は何処にでもある広葉樹のようだった。クロが木肌に触れると、ゴツゴツした感触が返って来る。


「普通の木……?」


「か、どうかをこれからはっきりさせよう」


 イロハにそう返したクロの右手には、いつの間にか牙のナイフが握られていた。ギョッとするメフィストフェレスを尻目に、クロは鋭く息を吐きながら木肌目掛けて勢い良くナイフを突き出した。


 反応は劇的だった。


「これはこれは……」


「…………」


 イロハとメフィストフェレスがまじまじと、クロがナイフを突き込んだ木の幹を見つめる。ナイフが刺さった部分が、黒い霧状の物質に変じていた。ナイフを引き戻すと、その部分は元の硬質な木肌に戻る。


「こいつも、どうやらまやかしみたいだ。普通に触れる分にはただの木と変わりないが、攻撃すると正体を隠しきれなくなるといった所か」


 次いでクロがまやかしの木にショルダータックルを仕掛けると、タックルを受けた部分の幹が丸々霧に変わり、クロの体をその先へ通した。先程の小石も同様に、幹を突き抜けて飛んでいったのだろう。


「つまり……ここは森ではない、ということですかな?」


「ああ、一見森に見えるが、その実は全くの別物だ。イロハさえ騙される程精巧な、質量と実体を持った幻影の群れ……全く、脱帽したくなるほど手が込んでいる」


 本来ならば様々な恵みをもたらすはずの、森。だがこの島では虚無の海同様豊穣をもたらすことはなく、ただただ立ち入る者を惑わすだけの舞台装置に過ぎない。メフィストフェレスの言う通り、この島は人が生きて行ける環境ではなかった。今オブジェ化を解除してもゆっくりと干上がって行く未来しか彼らには残されていない。


 つくづくメフィストフェレスが居てくれたのは僥倖だったと、クロは内心で冷や汗をかいていた。この悪魔の能力と、芸術家魂のどちらが欠けていても、囚われた人々の命運は尽きていたことだろう。


「森がこの有り様だと、例の犬モドキが尋常な生物である可能性が限りなく低くなるな。何しろ食物がないのだから」


「やはり魔物の一種……でしょうなぁ」


 メフィストフェレスは森を彷徨っていた当時を思い出すようにまやかしの森を見つめる。そんな彼を余所に、兄妹は戦闘準備を整えていた。


「本来この樹木密度では武器を振るスペースにも困りそうだが、全てまやかしなのであれば問題あるまい。思い切り暴れていいぞ、イロハ」


「はい、にぃ様。私も少し……発散したいもの」


 イロハは何処か据わった目で、木杖を素振りしていた。彼女を取り巻く気流が、心なしか荒れているように感じられる。


「……突入、するので?」


「ああ、ここまで来たら“何度も聞くより1度見てみよ”という奴だからな」


 ゴルディオールの偉人の名言を引用し、クロはナイフを手の中で回転させながらまやかしの森へ突入した。

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