魔人兄妹は同盟を結ぶ

 クロの言葉に、イロハは絶句し、メフィストフェレスも愕然とした様子で辺りを見回した。


 浜辺を埋めつくしかねない程に立ち並ぶ極彩色のオブジェ。当初は奇妙としか思えなかったそれらも、しかし正体が人間となれば見方も変わって来る。


「……一応申し上げておきますが、仮にわたくしが“木”の配役を――まずあり得ませんが――割り当てたとしても、せいぜい、劇の終幕フィナーレまで直立不動となるだけでございます。このような変化はまず起こり得ません」


 メフィストフェレスがオブジェと管理板を見比べながら難しい表情をする。“人間のオブジェ化”は、彼に取っても想定外の事態だったらしい。


「どうもおっしゃる通り、わたくしの魔法とこの島を形成する魔法がぶつかり合った結果の産物のようですねぇ……」


「元には……戻せないの?」


 イロハが心配そうに眉根を寄せながら、オブジェの1つを撫で下ろす。仄かな暖かさが、イロハの小さな手のひらから伝わって来た。今はもう、はっきりとこの温もりが体温だと理解出来る。


「戻すことは可能でしょう。彼らがこのような姿になっているのは、“木”の役割ロールを与えられてしまっていることが大きな要因でしょうからね。わたくしの魔法を解除してしまえば、彼らは木を演じる必要が無くなります」


 ただ……と、メフィストフェレスは難しい顔をして考え込む。


「わたくしが【一夜限りの舞台オペラ・ザ・演劇よ、世界を欺けワルプルギス】を解除した場合の影響が予測出来ないことと、あとはこの島の環境を鑑みて、やはり彼らを解放するのは見送るべきでしょうね」


「環境……そういえば、あんたは魔力が回復するまで暫く彷徨っていたと言っていたな?」


「ええ、ええ。何しろ他にやることもありませんでしたし?砂浜を歩いたり森に入ったりしておりましたとも」


 メフィストフェレスが森の方へ身体を向けた。陽光が届いていないのか、不自然な程に濃い闇を抱えた森は、大きく開かれた巨大な怪物の口のようにも思えた。


「浜辺は特に変わった所はありませんが、森は違います。入って真っ直ぐ歩き続けた場合でもいつの間にか進入地点に戻って来てしまいますし、何より、ひとたび足を踏み入れれば、“一見犬のように見えますが犬ではないナニか”が木々の合間から無数に現れてこちらを排撃しに来ます。……初めて襲われた時は生きた心地がしませんでしたよ」


「犬ではないナニか……?」


 イロハは復唱しながら風で森の中を精査したが、犬どころか動く物の気配すらない。


「何もいないわ?」


「ムササビのように罠に徹するタイプとは思えないが……」


 クロの脳裏に、壁と見紛う程の薄い身体と保護色を以て、一度は兄妹を出し抜いた生きた罠シビレコケモドキの姿がちらつく。仮にあの暗い森の中が敵対的な擬態生物だらけだとするとうかつに踏みいることは出来ない。


 しかし、メフィストフェレスが言うには、その“犬ではないナニか”らは木々の合間からわざわざ姿を現したそうなので、単なる擬態生物にしては妙だという感想をクロは抱いていた。隠れ潜むことの優位性を自ら捨て去るような行動だったからだ。


「ちなみにあんたはどうしたんだ?」


「わたくしですか?当然一目散に逃げましたとも、ええ。あちこち噛みつかれながらでしたがね、なんとか浜辺まで戻って来られましたよ。そうしたら、彼らはそれ以上追っては来ませんでした」


「森から追い出すのが目的……ってことかな」


「そうなんだろうな……」


 イロハの推測に、クロは大きく頷いて見せた。


 空間異常により侵入者を惑わす森と、そこに潜む、侵入者の排除を目的に行動する敵性体。“森に人を立ち入らせたくない”という何者かの意思がありありと感じられた。


(いや、あるいは……)


 クロは目を細めて、黒い森の先を見据える。イロハにも予測が出来ないという凄まじい気流の変化により、色とりどりの細かい光を散らしながら渦を巻く雲のせいで観測することは出来ないものの、そこには、この異常な島の中心点と目される例の高台があるはずだった。


 かの高台はイロハの精査によると、周囲を森に完全に囲まれており、地上から向かうにはどうあってもこの森を通らなければならない。


 つまり“森への侵入を妨害する”、とは、“高台への到達を妨害する”ということも同じであり――


 クロは微笑を浮かべた。


(この島を作った誰かは、どうやら余程高台あそこへ人を近付けたくないらしい)


 これはどうあっても、森を越えて高台へと向かわなければならない。


「メフィストフェレス。提案がある」


「はい、何でしょう?」


 クロは振り返り様に、メフィストフェレスへ声をかけた。その表情には微笑が張り付いたままとなっており、イロハは一目で、兄が悪巧みをしていることを読み取った。


「情報料の代わりと言っては何だが……あんたとの共闘を申し出る。乗らないか?」


「はい……はい?」


 メフィストフェレスが目を丸くする。クロの提案は、彼にとっても想定外のものだった。


「え、ええと……どういうことです?」


「難しい話じゃない。あんたの望みはこの島からの脱出だろう?それは俺たちも同じだ。協力し合えると思うんだが」


「確かにそれはそうですが……よろしいのですか?わたくし、クソ雑魚とはいえ魔物でございますよ?」


 物書きの悪魔は、神妙に声のトーンを落とした。魔物らしく高い闘争欲求はしっかりと持ち合わせているのだと、いつあなたたちに襲いかかってもおかしくはないのだと、言外に込めて。


 しかし、


「だが、あんたはそれを律することが出来ている。そうでなければ、とても劇作家なんか務まらないだろう?」


 これまでのやり取りで、クロは確信を抱いていた。


 目の前の悪魔は確かに魔物ではある。しかし、それ以上に彼は劇作家であり、舞台監督なのだと。良い作品を作るためにはあちこちで社会に紛れ取材を行う必要があり、それには闘争欲求や攻撃性などは不要な物でしかない。メフィストフェレスはその魔物としての本能を完全にコントロールし、芸術家として振る舞うことが出来ているのだと。


 完全に怪しさをぬぐい切れた訳ではない。しかし同じ目的に向かって共に闘うことは可能だと、クロはそう踏んだ。


「だから問題はない。あんたもせっかくの大作がこんなことになってフラストレーションが貯まってるんじゃないか?」


 クロはメフィストフェレスに歩み寄って右手を伸ばした。脳裏に浮かぶのは、この悪魔が先程見せた落胆の表情。そして「この舞台は死んでいます」という言葉。そこに含まれた無念が、クロには感じ取れた。


「この手を取れよ。あんたが抱えてる無念、やるせなさ、徒労感その他諸々、俺たちの苛立ちも上乗せして代わりに黒幕へ叩き込んでやる」


「……」


 メフィストフェレスはしばしの間クロの顔と差し出された右手とを見比べていたが、やがて口角を吊り上げると、


「良いでしょう」


 憑き物が落ちたような表情でそっと、クロの手を取った。


「実を言うと今回の作品は自信作だったので、わたくしも思う所はあったのですよ。その思い、あなた方に託させて下さい。わたくしも出来る範囲でのサポートをさせて頂きます。共にここから脱出いたしましょう」


「感謝する」


 幻想の島からの脱出を目指す、奇妙な同盟がここに成立した。

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