魔人兄は語らう

 食後。


 疲れが出たためか睡魔に身を委ねたイロハに膝を貸しながら、クロは食器を魔法で洗浄していた。


「仲が、よろしいのですね?」


 そんな様子を見て、ステッキの手入れをしていたメフィストフェレスがクロに声を掛ける。


「そう、だな……」


 食器をポケットにしまいながら、クロは静かに寝息を立てている妹の寝顔を見下ろした。すべすべの頬を指先で撫でると、イロハは微かに身動ぎをするが、起きる気配はない。


「およそ唯1人の血縁だからか……こいつに対しては、他の誰に向けるのとも違う……好意的な気持ちを抱くんだ」


 あの夜、イロハと初めて出会って抱いたその感情の正体は、幾つか候補こそあれど、クロにははっきりと分からなかった。


 しかしその解は、作家の悪魔によってあっさりと示される。


「それはですね……『愛』でございますよ」


「愛……?これが……」


 クロは、再びイロハの無垢な寝顔に視線を落とす。書物などで知識だけはあったものの、クロは己の内にその感情があるなどとは考えもしていなかった。


「ええ……何かに対して特別に好意的な感情を抱いたのであれば、それはそのものに愛の情を感じているということです」


 言われてクロは思い返す。


 最初は単なる好奇心だった。施設脱出後確実に敵対するであろう魔人1号の情報を探ろうと魔人たちのパーソナルデータが保管されている部屋に忍び込んだ際、自分と同じ生殖細胞の組み合わせで誕生した魔人のデータをたまたま目にしたのがきっかけだった。


 自分でも正体のわからない感情を抱いたのは、イロハの部屋を訪ねて彼女と交流を重ねている最中のことだった。“お菓子”という未知への反応、一緒に魔法を作った時のやりきった顔、物語を読み聞かせる際に垣間見た様々な表情、咄嗟に出たのだろう“にぃ様”という固有の呼び名――それらが積み重なり、その未知なる感情が自分の中に膨らんでいったのだ。そうでなければ、クロは共に逃げることなど考えもしなかっただろうと確信してさえいた。


 この感情が“愛”だと言うのならば、全てに説明がつく気がした。


「メフィストフェレス、感謝する。ようやく、この感情の正体を知ることが出来た」


 流石は作家だな、と、クロはイロハの絹のような髪を優しい手つきで撫でながらメフィストフェレスを称賛した。


「いえいえ、わたくしは何も。そもそも愛をテーマにした作品は不慣れでしてね……何しろウケが悪いので」


 両手を振って謙遜しながら、メフィストフェレスは少し遠い目になった。基本的に彼のターゲットは軍に所属している魔物たちであり、彼らが求めているのは血湧き肉踊る激しい闘争である。愛の物語など上演した日には只でさえ少ない観客が秒どころか“瞬”でいなくなるのは火を見るより明らかだった。


「魔物にも愛が存在しない訳ではございませんよ?友愛であれ親愛であれ、皆、無自覚的にでも持ち合わせているものです。流石に恋愛にまで昇華した方はそうそうおりませんがね……」


 確かに魔物が恋愛をしている所は想像し難いな、とクロは思った。


「魔王軍の魔物は確か、魔王が生物を材料にその魔力で創り上げたモノ、だったか」


「ええ、その通りです。良くご存じで」


 クロの魔物に関する知識は、“刷り込み”や施設の座学にて叩き込まれたものだった。自分たち魔人が相対する相手ということで、かなり念入りな教育が行われたのを覚えていた。


「人間を滅ぼす為に創られるものが愛を持っているとは、なかなか奇妙な話だと思いませんか?」


 メフィストフェレスが苦笑する。クロは「そうだな」、と返しながら、内心ではその言葉に自分たちを重ねていた。


(それなら、魔物を滅するために産み出されたにもかかわらず“愛”を持っていた我々も、奇妙な存在ということになるが)


 魔人が単純に魔物を殺すだけの兵器でしかないならば、余計な感情や行動――特に戦闘の妨げになるようなもの――の原因となり得る“愛”は必要ないはずだが、とクロは思った。


(軍として集団行動させるにはその方が都合が良かったということか?)


 もしくは殺傷行為への忌避感情を持たない魔人たちの刃が自軍や国民に向けられないようにするためのセーフティとして残されたか、など、推測の余地は色々あった。


(だがまあ、いずれにせよ今はこの幸運を喜ぼう。これからは自信を持って、こいつにこの感情を向けてやれるのだから)


 クロは膝の上で身動ぎするイロハに、優しい微笑みを向けた。




◼️◼️◼️◼️◼️◼️




 それからしばらくして、クロもまたイロハに膝を貸したまま微睡みに身を委ねてしまった。メフィストフェレスだけが、所在なさげに組んだ指を動かしている。彼は今、己の中で1つの葛藤に苛まれていた。


 すなわち――


(お二人の夢を覗くべきか、覗かざるべきか……それが問題にございます)


 メフィストフェレスは夢魔である。食事ということを抜きにしても、近くで寝ている人間が入ればそれがどのような夢を見ているのか気になってしまうのだった。勿論、この兄妹もそれは理解しており、その上で寝姿を見せていた。


 だが、兄妹はメフィストフェレスが先程夢にお邪魔したいと申し出た時、こんなことを言っていた。


“おすすめはしかねる”と。


 二つ返事で了承するでも、拒絶するでもなく、“忠告する”という反応。メフィストフェレスはそれが気にかかっていた。


(夢の内容は非常に気になります……しかし、わたくしの危機察知能力が警告を発しているのもまた事実。悩ましいですな)


 頭を抱えながら、メフィストフェレスはチラりと視線を巡らせる。付近には、クロの手によってイロハ型石人形ゴーレムたちが配備されており、全方位を警戒している。その内何体かはメフィストフェレスも視界に捉えているようではあるが、夢魔の能力である【夢渡り】は眠る動作によって起動するため、咎められることはないと思われた。


 そうしてしばらく唸った後、メフィストフェレスは遂に決断した。


「止めておきましょう」


 好奇心と危険回避が乗った天秤は、回避の方に傾いたらしい。


「危ない橋は渡らない。わたくしのような矮小な存在が生きるためには必要なことです」


 メフィストフェレスは既に兄妹にかなりの興味をそそられていたため内心では断腸の思いだったが、身の安全には変えられなかった。彼は今までもそうして来たし、これからもそのスタンスを貫くのだ、と自分を納得させる。


「ええ~?私的にはそれ、大減点なんですけどぉ?」


 その瞬間突然脳の奥で響いた甘ったるい声に、彼は反応することが出来なかった。

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