魔人兄のいない寝室にて
メフィストフェレスが気付いた時には、浜辺に設営されたキャンプ地だったはずの風景が、暴力的なショッキングピンクが支配する寝室へ変貌していた。絨毯の上には足の踏み場もない程大量のぬいぐるみが転がっており、その中身と思われる白い綿がフワフワと宙を舞っている。
そして、その部屋の主は、一際目を引く天蓋付きのベッドに腰掛け、体を左右に揺らしながら「る~るる~」と謎のメロディを口ずさんでいた。
「シャルちゃんの部屋へようこそ~。同じ夢魔のよしみで歓迎してあげるわ?」
「な、ななんなんなんなんなんなななななな…………!」
にっこりと、可愛らしい笑顔を向けるシャルロテに、対するメフィストフェレスは酸欠の魚のように口をパクパクとさせていた。一瞬で臨界手前に達した驚愕、衝撃、そして恐怖心によりまともな言葉を紡ぐことが出来ない。
何しろ、目の前にいるのは己より遥か高みにいる存在だ。種族こそ同じ夢魔であるが、序列、戦闘能力、中身の底知れなさなどあらゆる意味で格が違う。事実、今もこうして強制的に夢の中へと引きずり込まれてしまっていた。
メフィストフェレスはなんとか平常心を取り戻そうと無意識下で精神安定魔法を使い、深呼吸を1つしたのちようやく喋れる段階まで回復した。
「ご、ご機嫌麗しゅうございます、シャルロテ様。戦死なさったと風の噂で耳にしたのですが、そのご様子だとご無事だったのですね?大変喜ばしく――」
「うーん、無事かと言われると微妙なのよねぇ。私の身体、吹き飛ばされて跡形も無くなっちゃった訳だし」
恭しく貴族然とした一礼をするメフィストフェレスの言葉を遮り、シャルロテは口元に指を添えてそう言う。
「今は魂と魔晶だけの状態で、宿主くんの身体に居候させて貰ってなんとか生き長らえてる感じ。ま、ここは快適だし、別段現状に不満はないわ」
「さ、左様でございますか……」
さらりとクロの体内にあるのがシャルロテの魔晶であるということが明かされ、メフィストフェレスとしては如何なる経緯で魔王軍最強格の魔物の魔晶が人間の体内に収まるに至ったのか激しく気になる所ではあったが、とても尋ねる気分にはなれなかった。
「って、私の話はどうでもいいのよ。あなたに用があって呼んだんだから」
「わ、わたくしめに……でございますか?」
ビクリと、メフィストフェレスが身を震わせた。何かシャルロテの気に障るようなことがあっただろうか、と思わず己の言動を振り返るが、心当たりが見つからずに益々不安が募っていく。
「そう、あなたに。ちょっと聞きたいんだけど、あなたがこの島を作った訳じゃないのね?」
「ええ、わたくしではございません。先にクロ様へお話した通り、偶然の積み重ねによるものでございます」
質問の意図する所は良く分からなかったが、シャルロテの口振りから自分と兄妹とで交わされた会話の内容を把握しているらしいことは読み取れたため、メフィストフェレスはそう答えた。対するシャルロテは、高純度の紫水晶を想起させる瞳を鋭くして作家の悪魔の顔を見つめている。
やがて、破綻の悪魔は胸を押し上げるように腕を組みながら、悩ましいため息と共に天蓋を仰いだ。
「うーん、やっぱりウソはない、か……参ったわね」
メフィストフェレスはハンカチで冷や汗を拭いながら、
「え、えーと……何が、でございましょうか」
「いやぁ、ね?私、
シャルロテはバツが悪そうにメフィストフェレスから視線を反らしつつカミングアウトした。
「この島に宿主くんたちが上陸した時になーんか覚えのある魔力を感じたからさ。そういえば
言われて、メフィストフェレスは思い返す。以前、シャルロテに――間接的にではあるが――出会った時のことを。
それは、魔王城の謁見の間でのことだった。その日メフィストフェレスは、魔力で編み上げた自身の分身を経由させる形で、魔王の御前にて演劇の“ライブ中継”をしていた。ところが、劇がクライマックスに差し掛かろうかという時に、突然天井を突き破ったシャルロテが玉座の魔王に奇襲を仕掛けたのである。
というのも、魔王はシャルロテを制御するための方策の一環として、彼女に「退屈ならばいつでも我の首を獲りに来るが良い」と伝えていた。そのため、魔王城に常勤している魔物たちにとって『シャルロテの魔王襲撃』は一種のお祭り騒ぎという認識であり別段珍しいことでもなかった。しかし、そんなことをメフィストフェレスが知る由もない。あまりの出来事に呆然としている間に、分身体はシャルロテの振り回した鎌に巻き込まれあえなく構造を破綻させられ消滅してしまったのだった。
僅か数秒の邂逅ではあったものの、目の前の悪魔がメフィストフェレスの魔力を個人情報として記憶するには十分な時間だったらしい。それも、魔王との激しい攻防の片手間で行っていたという事実に、メフィストフェレスは改めて戦慄した。
「――だから、黒幕があなただということ前提で、宿主くんにアドバイスしちゃったのよね。遠回しに物理無効の変な奴だから泥仕合になるよ、って」
「わたくしそのようなトンでも夢魔ではございませんよ!?」
あなたさまとは違って!!という叫びを、メフィストフェレスはすんでの所で飲み込んだ。
どうやらシャルロテは、鎌で分身体を消滅させた際に、『メフィストフェレスには実体が存在しない』などという思い違いをしていたらしい。魔王との戦闘中では、流石に細かい能力の解析までは出来なかったようだ。
「そっかそっかぁ……つまりは私の早とちり、と。うーん……」
シャルロテは俯き気味に考えこむような仕草をしたが、
「まあ、いっか!!」
と、すぐさまケロリとした表情で顔を上げた。
「よ、よろしいのですか?訂正されたりは……」
「いらないわよそんなの。想定外の相手でも宿主くんなら自力でなんとかするでしょうし。対応しきれなくて苦戦するにしても、それはそれできっと楽しいわ?」
(か、快楽のためであれば命さえなげうつというのですか……この方は……!)
仮にも自分が魂を預けている相手に対してのものとは思えないその発言に、メフィストフェレスは思わず絶句する。そして同時に、シャルロテという夢魔は常軌を逸した快楽主義者であったのだということを思い出した。
「という訳で、この話はおしまい。それより、あなた劇作家なんでしょ?ここでなにか見せてくれない?」
一方的に話題を打ち切り、シャルロテは上目遣いでメフィストフェレスの顔を見つめる。常人が見れば一瞬で心を奪われてしまいそうな程の美貌には好奇心の色がありありと浮かんでいたが、同時にノーとは言わせない圧力を伴ってもいた。
「で、では僭越ながら……」
おずおずと、メフィストフェレスは床のぬいぐるみを拾い上げ、即興の人形劇を演じて見せた。
予定外の公演は、その後シャルロテが満足するまで続けられたのだった。
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