魔物たちは報告する
大陸の北の果て、止まぬ吹雪と連なる高峰に閉ざされた過酷な地に、その城はあった。
数多の魔物を従え、世界を混乱に陥れた究極の魔、すなわち魔王の居城である。
極寒の中でも凍てつかない紫黒の巨大なイバラが幾本も絡み付くその城の、最上階にある謁見の間。きらびやかな白銀の床が広がるその広間で、2体の魔物が玉座に向けて跪いていた。
片方は、巨大な
もう一方は、身体が黒い重油のような液状の物質で構成された巨人。“焦天”を冠する炎魔、エルフリード。
視線を磨き上げられた床に落としたまま、バルファースが口を開く。いつになく神妙な声色だった。
「バルファース、並びにエルフリード。調査任務より帰投致しました」
「ご苦労様。
降って来た涼やかな声にバルファースたちが顔を上げると、正面にある荘厳な佇まいの玉座に腰掛けた、華奢なシルエットが視界に映った。
スレンダーな身体のラインを浮き上がらせる、星をちりばめた夜空を織ったかのようなドレスを纏う少女の姿をした悪魔。優艶な微笑を湛えたその美貌は、瞳の色から角の形に至るまで、
彼女の名はエリザベル。
この城の主である魔王――その妃である。百魔将としての序列は第3位。『
艶やかな光沢のある唇を開き、王妃は言葉を続ける。
「……毎回思うけどこのやり取り面倒ね」
「台無しだよ王妃サマ」
厳粛な空気を吹き飛ばすその発言に、バルファースは思わず突っ込みを入れた。
エリザベルは長いスカートの下で脚を組むと前屈みになりながら、しなやかな指を組んで顎を乗せる。
「だってそうじゃない。こっちは早く報告を聞きたいのに、魔王様の意向とはいえいちいち堅苦しい挨拶から入るなんて……」
(そう言いつつも、魔王様の目が無かろうとしっかり形式を守るエリザベル様はやはり真面目なお方である)
エルフリードは内心そう思ったが、口には出さなかった。うっかり漏らせば照れ隠しで氷像にされる。
「……魔王としての威厳を示すため……でしたっけ?」
エリザベルが素に戻ったためバルファースもパフォーマンスをやめ、斧を手に立ち上がっていた。
「そ。そんなことしなくたって魔王様は十分威厳に溢れてらっしゃるというのに……まったく自己評価が低いんだから!」
エリザベルが盛大にため息を吐いた。実際、魔王軍の中でも百魔将に列せられる意思を持った強大な魔物たちはほとんど、魔王がその魔力を以て手ずから産み出した被造物であった。自然、彼らは創造主たる魔王に対しては本能的に畏敬の念を抱いてしまうものであり、わざわざ改めて威厳を示すための行動などする必要はないはずだった。
「して、魔王様は
エルフリードもまた立ち上がり、いつもの腕組みに仁王立ちの体勢になっていた。その巨体故に少々エリザベルを見下ろすような格好になってしまっているが、彼女は別段気に留めることはなかった。“頭が高いと無礼である”などという慣習は彼らにはない。
「魔王様は、あなた達に撤退命令を出して間もなく欠員の補充に向かったわ。今は百魔選抜闘技大会の最中かしら」
「マジか!」
「それはそれは……」
それは新たなる百魔将を任命するために行われる、大規模な戦闘能力試験であった。バルファースもかつてはそこで戦い抜き、46位という序列を手にしたのである。否応なしに、当時の興奮が掻き立てられていった。一方で、魔王のスカウトを受けて百魔将入りしたエルフリードにとっては、あまり馴染みのないものであった。
「だから、今は私が魔王様の代理ね。きっと疲労が貯まっておいででしょうから、戻っていらっしゃったら存分に癒して差し上げなくちゃ……!」
フフフフ、と笑うエリザベルの頬に、仄かに赤みが差す。“婚姻”という概念の薄い魔物たちに取っては『王妃』というのも単に極めて位の高い役職の1つであるという認識だったが、エリザベルが明らかにそれ以上の感情を魔王に対して抱いているということは周知の事実であった。
しかしわざわざそれを指摘する猛者は――今は亡き1名を除いて――いない。照れ隠しでもれなく灰塵に帰されるから。
「あ、話が脱線しちゃったわね。早く報告を聞きたいって言ったのは私なのに……」
「いや、問題ありませんよ」
エリザベルが姿勢を戻すのを待って、バルファースたちは施設襲撃の一部始終を報告した。
「――つまり、
「面目次第もない……」
「気にしないでエルフリード。むしろ深追いしなかったのは賢明な判断だったわ。バルファースならともかく、あなたはあの子相手だと即死する危険もあった訳だしね」
エルフリードも精霊の一種であるため、シャルロテによって身体その物を瓦解させられる危険があった。シャルロテを宿しているという人間の能力がどの程度なのかはまだわからないが、今は貴重な人員を失う危険を冒さずに済んだことを喜ぶべきだ、とエリザベルは考えていた。
「ただ……追う手掛かりがないまま逃げられたことが厄介だということも事実。私たちは居場所を特定出来ておらず、人間たちの枠組みからも外れてしまっている。そんな完全にフリーな状態の今のあの子が何を考えているのかは……正直な所、
単純な脅威度の話をするのなら、人間の軍に混ざっているのが魔王軍にとって一番危険な状態ではある。肉体のスペックこそ比べるべくもないが、その“魔法を封殺する”という能力だけで十分なプレッシャーとなり得るからだ。
だが、今のシャルロテはそれとは厄介さのベクトルが違う。
魔王の傘下でなら一応は魔王に勝利を運ぶだろう。人間の軍に属したならそれはそれで彼らに利をもたらすだろう。
しかしそれらの縛りから解き放たれてしまえば、彼女は本当に何をするかわからない。ただ自らの快楽欲求を満たすために、敵味方の区別なく暴れ狂って戦場を混沌の渦に叩き落とすだろう。
「何を考えているのか……って、あいつ、生きてるのか!?」
まるでシャルロテが生きているかのようなエリザベルの口振りに、バルファースがそう反応した。思わず慣れない敬語を繕うことも忘れていた。
「確実にね。あの子なら魂を魔晶に退避させて消滅を防ぐくらい訳ないわ。適切な器を用意出来ればまた復活も出来るでしょう」
「なんだそりゃ……」
冗談のような話に、不屈の悪魔は思わず視線だけで天を仰ぐ。しぶとさには自信があったが、思わぬ所で格の違いを見せつけられた気分だった。
「あれ、それじゃ……」
そこでふと、バルファースはある違和感に気付いた。
「どうしたの?」
「いやあいつ、見た限りだと肉体の主導権が宿主の人間の方にあるみたいだったんだが、何でそのままにしているんだろうかって思って。意識があるんだったら、精神を乗っ取る位楽勝なはずでしょう?たまに忘れそうになるけど、あいつ夢魔なんだし」
相対したクロが逃げの一手を打ったため、バルファースは直接会話をした訳ではないが、それが逆に違和感の原因となっていた。
何しろ、シャルロテがバルファースを見て声を掛けなかったことなど、これまでに一度だってなかったのだから。時も場所も状況も一切考慮することなく、ひとたびバルファースを見掛ければお気に入りのオモチャを見つけたかの如く満面の笑みを浮かべて近付いて来る(そして大抵酷い目に遭わされる)。クロがバルファースに対して反応を見せなかった時点で、シャルロテに主導権がないことは明白だと彼は考えていた。
「確かにそれは疑問ね。人間たちを欺くため……でもそれならあなたたちの前で取り繕う意味はないはずだし……本当に何を考えているのか……」
エリザベルは口元に指を寄せて考えるも、思考がどんどん深みにハマっていく。あらゆる可能性が、彼女の中に浮かんでは消えていった。
「いずれにせよ、シャルロテは早々に発見せねばなるまい」
そんな王妃を見かねてか、炎の巨人が口を挟んだ。
「それと、あの施設も放置するのは危険と判断する。その内、第2第3の晶竜擬きがあそこから湧出しかねん……」
「それ、想像するだけで嫌だわ……」
エリザベルは怪訝な顔をした後、上体を玉座の柔らかい背もたれに預ける。
(問題が山積みね……)
うんざりしたような心の声に反し、王妃の口元には蠱惑的な微笑が浮かんでいる。
それが
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