魔人兄妹とトカゲの魔物

 魔物とは、体内に魔晶を持っている生物の総称である。魔力が高密度に凝縮されて結晶化した魔晶を保有することで身体能力や知能が他の生物より高くなっており、またその大半は有り余る魔力のために好戦的な性質を有している。


 魔物は自然界においては、【星脈せいみゃく】の周囲で多く発生する。更にそれらとは別に、魔王によって既存の生物が後天的に変化させられたモノも存在する。それらは自然発生する魔物と比較すると特に人間に対する攻撃性が高い傾向にあり、また【将軍級】と称される一部個体は人間と遜色ない知能と言語能力、そして他の魔物とは一線を画する高い戦闘能力を持っていた。


 兄妹の目の前にいるトカゲの魔物は、場所が場所だけに魔王の影響を受けたものである可能性は低いだろうが、それでも決して油断出来る相手ではない。同種の生物を超える身体スペックもそうだが、彼ら魔物は有り余る魔力を操り、人間のような理論や技術関係無しに本能で魔法を使うことが出来るのだから。


「シギャアアアアア!!!!」


 そして、トカゲが顎をいっぱいに開いて咆哮すると同時に、早速魔法が行使されたらしい。トカゲの周囲の空間が陽炎のように揺らめき、そこから次々に同種のトカゲが姿を現す。


 それを見たイロハは驚愕に目を見開き、クロは忌々しげに顔をしかめた。


「うそ……空間転移!?」


「冗談にしても限度というものがあるだろう……」


 全体的に難度の高い魔法が揃う空間操作系統の魔法。その中でも特に行使困難な魔法がこの“空間転移”である。術者自身あるいは魔法の対象が存在する空間の座標を書き換えることで一瞬の内に離れた場所へと移動するという、言葉にすれば単純な効果の魔法だが、要求される魔力量、精密操作、イメージの強固さが尋常ではない。


 最低限実戦レベルで行使できる魔法使いが全世界に200人足らず、大陸間移動を可能とする程の使い手ともなると片手の指で事足りるとさえ言われている。クロも試したことはあるが、残念ながら上級攻撃魔法レベルの魔力を消費する割に最大転移距離は5メートルが限界という、実用性皆無な代物だった。


 そんな超高等魔法を駆使して一気に10数匹が援軍に駆け付け、通路があっという間に暗緑色の色彩で染め上げられていく。


「まずは逃げの一手……!」


「はい、にぃ様!先導するわ!」


 数的不利に陥った兄妹は迷わず逃走を選択した。身体強化魔法【加速アクセル】を使用し、長い通路を駆け抜ける。トカゲたちは耳障りな鳴き声を発しながら、加速した2人とほとんど同じスピードで追走する。その数は、尚も増え続けていた。


【風読み】に全神経を集中したイロハが次々と障害の少ないルートを選択し、クロは後ろ手でトカゲの先頭集団へと適宜【速射クイックドロウ】を撃ち込んで牽制する。2人とトカゲたちの距離は、少しずつだが着実に開いていった。


「不思議ね……転移魔法なんて便利なものが使えるのに、先回りしようとするのが1匹もいないなんて」


 突き当たったT字路で兄を右方向に誘導しながら、イロハが疑問を発した。


「奴らの転移魔法は、案外自由度の高いものではないのかもな」


 先頭のトカゲを【速射クイックドロウ】で弾き飛ばしながら、クロが答える。衝撃波の弾丸を顎先に受けたトカゲは白い腹をさらしながら集団の後方に突っ込み、後続のトカゲにもみくちゃにされていた。


「さっきから見ている限りでは、置いていかれそうになった後方のトカゲがちょくちょく転移魔法を使っているんだが、先頭集団との距離を詰め直すばかりで俺達の方へ直接飛んでくる気配がない」


 任意の地点へ一瞬で移動出来るのであれば、わざわざ足を使って兄妹を追い掛ける意味はない。先回りして進路を塞ぐなり、2人の至近に転移して奇襲するなり他に効率的なやり方はいくらでもあった。それらを考えられるだけの知能は、魔物であるあのトカゲたちなら持ち合わせているはずであった。


「多分奴らは、“仲間の付近”にしか転移することが出来ないんだろう。外敵を見つけた仲間の叫びで位置を把握して駆け付け、集団で襲い掛かるのが基本戦術。それを実現するために“仲間の元へと一刻も早く駆け付ける”というイメージがあの転移魔法の根幹を成しているんだ」


 再びクロが放った衝撃波の弾丸を食らい、突出していたトカゲが打ち上げられる。しかしトカゲは器用に空中で受け身を取り、転移魔法を発動して先頭集団の中へ舞い戻ってしまった。


「あの転移魔法は、仲間の周囲にしか転移出来ないというデメリットの代わりに、魔力消費や行使難度が抑えられているんだろう。実際、奴らは結構な割合で連発出来ているみたいだしな」


「確かに……」


 イロハが納得したように頷いた所で、クロは【瞬間救援ヘルパーリープ】とでも呼ぶべきか、と話を締めくくった。


 その口元が笑みの形に歪むのを、並走するイロハはしっかりと確認した。兄がまた悪巧みをしていることを察して、イロハは胸にわくわくする気持ちがこみ上げて来るのを感じる。


 しかし今はそれよりも、クロに伝えなければならないことがあった。


「にぃ様、そろそろ『網』に突き当たるわ。迂回する?」


「いや、このままで良い。タイミングを合わせて飛び越えるぞ」


「わかったわ」


 示し合わせる2人の前方に、床や壁が不自然なまでに白く染まった地点が近付いて来る。


「3、2、1――」


 迫るトカゲとの距離感を確認し、クロはカウントを開始する。イロハも白塗りになった目標地点を見据え、その時に備える。


「――今ッ!」


 クロの合図で2人は同時に踏み切り、床を飛び越えた。【加速アクセル】を解除し、2人は靴の裏を石の床に擦り付けるようにしながら着地する。


「これでどうだ?」


 振り向いた2人が見たのは、粘着性のある糸に絡まってもがいているトカゲたちと、


 そのトカゲたちの頭上から円形に並んだ鋭い牙を剥き出しにして襲いかかる、毒々しい色合いをした巨大なワーム状生物の姿だった。

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