魔人兄妹は探索する

「――!」


 螺旋階段を下り、3層目の全景を【風読み】で精査したイロハが息を飲んだ。彼女はルビーのような目を見開いたままクロの顔を見上げ、


「……迷路」


 と、絞り出すように告げた。


「なるほど。ここからが本番、といった所か」


 クロは新たなレポートに【完全改稿オール・リライト】を使い紙上の空中にインクを球形にまとめ、そして少し思案した。


「迷路と言える程複雑な構造なら……こっちの方が早いだろう」


 そう言うとクロは、おもむろにイロハを向かい合わせて両肩へ手を置いた。


「……え?」


「少し額を借りるぞ……」


 戸惑う妹の前髪を掻き上げ、クロは身を屈めて額を触れ合わせる。彼はその状態で瞑目し、魔法を1つ唱えた。


「【共感幻像トレース・ビジョン】」


 瞬間、イロハは脳内から何かがゆっくりと吸い上げられていくような、奇妙な感覚を覚えた。しかし、兄の端正な顔が視界いっぱいに広がるという状況に心臓が早鐘を打っており、その不思議な感覚を味わっている余裕はなかった。


「……よし」


 額合わせの状態で1分程静止し、クロは目を開いた。続けて、レポートだった紙の上に浮かぶインクの玉に指先で軽く触れると、インク玉がその場で迷路の姿を描き出し、紙に落着して地図となった。


「び、びっくりしたわ……」


「うん、すまない、説明不足だった。今のは他者が見た光景を自分の脳に投影する魔法なんだが、精度を高めるためにああする必要があってな……」


 クロのオリジナル魔法【共感幻像トレース・ビジョン】。他者が見たり感じたりした光景を術者の脳内に映し取る魔法である。クロは今回イロハが【風読み】によって取得した階層の全景をまるごとこの魔法で読み取り、スムーズな地図の作成に利用した。


 しかし、より正確な読み取りを行うためには対象と額同士を接触させる必要があるため、余程親しい人物が相手でなければ使いにくいという欠点もあった。


「という訳でお前以外にはまともに使えない魔法となっている。お前が嫌ならばなんとか改良してみるが……」


「あ、ううん、大丈夫よ。問題はないわ」


「それならいいが」


 動揺はしたものの、実質的に『自分専用の特別なモノ』が増えたため、内心では嬉しく思うイロハであった。




◼️◼️◼️◼️◼️◼️




「……さて、イロハ。気付いたか?」


 迷路の外周に位置する通路をある程度進んだところで、クロが隣のイロハに問いかけた。


「壁のこと……よね、にぃ様?」


「その通り」


 2人は立ち止まると手近な壁に目を向けた。そこには上階で見られたような翼状のレリーフは無く、遠目には黄土色の土壁が広がっているだけのように見えた。しかし近付いてよく観察すると、それは壁一面に繁茂した苔の色だということが分かる。


「整備ゴーレムがいる以上、こういう苔やカビといったものは逐一取り除かれていそうなものだが、実際は見ての通り」


「その整備ゴーレムは5体いるけど、迷路の広さを考えると少なすぎる気もするし……これ、敢えて放置されているのかしら」


「だとすれば苔を生やすことに何かメリットがあるということになるわけだが……薬効でもあるのだろうか」


 クロはそう言って苔の一部を無造作にむしり取ると、ポケットから試験管を取り出して苔を入れ、再びしまい直した。


「でも薬草として栽培しているなら……流石に虫が付き過ぎだと思うわ」


「それは同感だな」


 イロハが怪訝な顔をしながら壁面を見やる。壁全体を覆い尽くす黄土色の苔の表面には、数え切れない程のコガネムシ形の甲虫が張り付いていた。苔とほとんど同一の色合いの甲殻を持ち、一心不乱に苔を食んでいる。もしこの苔が栽培されているものだとしたら、間違いなく“害虫”にカテゴリされて駆除すべき対象となっているはずだった。


 一応、壁面には他にも、苔を全身に纏い付かせて身を潜め、コガネムシを素早い動きで捕食するワーム状の生物もいるが、コガネムシを食い尽くす程の数ではない。


「んー……となるとこれはむしろこの虫を増やすための培地なのか?」


 首を捻っていたクロが、新たな推論を口にした。


「薬効があるのはこの虫かもってこと?」


「そう。あるいは、単純に……」


 そこでクロは、視線を壁から元来た道の方へ向ける。“それ”の接近には、イロハも気付いていた。


にするため、という可能性もあるな?」


 2人から、約30メートル。苔むした壁面に、“それ”はいた。


 天井からの光を反射する、つやつやとした暗緑色の鱗に、垂直な壁面にしっかりとしがみつくことを可能にする厚みのある爪。体長はおよそ1メートル強で、その半分程をヒレのようなものが並ぶ尾が占めている。


 壁に取り付いて、今正に複数のコガネムシを貪っていたそのトカゲ型の生物が、不意に顔を上げて兄妹の姿をその細い瞳孔で捉えた。大きく裂けた口を開き、卸がねのように並んだ牙を剥き出して威嚇の声を上げている。


 そして兄妹はこのトカゲの体内に、高密度の魔力の塊が存在していることを、明確に感じ取った。

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