魔人兄妹は注目を集める

 持てる限りの精神力を搾り出し、兄妹は何とか道中の誘惑の数々を振り切った。最後の信号待ちをしながら、2人は目的地であるその建造物を見上げる。


 狩人たちの集う酒場にして、彼らの仕事を斡旋する窓口。


 ハンターズギルド。


「なんだか、変わった匂いが漂ってくるわ……」


「匂い?」


 建物の方向からの空気を読んだイロハが少し顔をしかめる。彼女にとっては、嗅いでいてあまり良い気分のしない香りだった。なんとなく、施設の研究室を思い出してしまうからだ。


「うーん……ベースは果物なんだろうけど、ちょっと薬臭さが混じっている……ような」


「ああ……多分、酒という飲み物の匂いだろうな。教官が休息日前などに飲んでいるのを見かけたことがある。なんでも思考能力を低下させる効能があるらしいが……」


「……何の意味があるの?それ」


「わからん。まあ、教官にも難しいことを考えたくない時があるんだろうさ」


 そう言うクロはおそらく自分はその“難しいこと”を作る側にいるのであろうという気はしていたが、別に反省する気は無かった。


 信号が変わる。馬車の往来がストップし、歩き出す群衆に交ざって兄妹も道を渡る。


「ともあれ、あそこにはそういう思考能力の低下した輩がたむろしている可能性が高いってことだな……変に絡まれなければいいが」


「認識阻害を強める?」


「いや、戦いを生業にしている連中が多い中に認識阻害を展開したまま飛び込むのは止めた方がいいだろう。見破れる奴がいた時に怪しまれてしまうからな。普通に入ろう」


 話している内に、兄妹はギルドの入り口までたどり着いた。認識阻害を解き、クロは躊躇なく教会のものに勝るとも劣らない大きな両開きの木戸を開く。


 瞬間、むせ返るような果実酒の芳香が2人の鼻腔を刺激した。また同時に、教会の礼拝堂よりも広いスペースを埋め尽くす4人掛けの円卓の群れから無数の視線が突き刺さるのも感じる。


(……に、にぃ様)


(大丈夫、堂々としていろ。心配ならくっついていていい)


 小声でイロハにそう告げながら、クロは無詠唱で【小さき勇者にライジング、希望あれ・ホープ】を使う。心に満ちる暖かい光が、兄妹の不安感を拭い去って行く。


 同時に、イロハには周囲の喧騒がはっきりと聞き取れるようになった。


「……なんだ?見ない顔だな」「こりゃまたすげぇビジュアルの奴らが来たもんだ……」「あのドレス可愛い……どっかのブランド物かな?」「うっ、何だ……見ていたらちょっと寒気が」――


 そこでイロハは観測を打ち切る。この数秒感の間にかなりの注目を集めてしまったらしいが、クロは気付いているのかいないのか、それらを意に介した様子もなくフロアの奥に進んで行く。3つあるカウンターの内、ミラから聞いていたのは一番左奥のものだった。黄緑色の制服と羽根つきの帽子を着こなす担当の受付嬢は年若いが、どことなくベテランの雰囲気を醸し出していた。


「ようこそ、ハンターズギルドへ。こちらは総合受付カウンターです。ご用件をお伺いします」


「ハンターの登録をしたい。こちらの窓口であっているか?」


「はい、新規登録はこちらで承っております。2名様でよろしいですか?」


「ああ」


 クロが返すと、受付嬢は手元の引き出しから紙を二枚と筆記用具を取り出して見せる。そこでクロもまた、ミラから渡されていたものをカウンターに出した。


「それと、紹介状を預かっているんだが……」


「紹介状ですか?拝見致しますね……えっ」


 それに書かれている名前を見た途端、受付嬢の顔色が変わった。


「ミ……ミラ。ミラ・エドワイズ様から……ですか?」


 思わず口に出されたその名前が、ホール中にどよめきを運んで行く。


「……おい待て、ベアちゃん今なんつった?」「ミラ……って、シスターミラのことか?」「あの勇者パーティーの!?」「マジかよ、マジかよマジかよ……!!」


「……え、え、何?」


「……?」


 ざわつき始めた周囲に困惑の視線を向ける兄妹。そんな彼らの近くで、熊のような巨体がのそりと席から立ち上がった。


「なあ、あんたら。ミラの嬢ちゃんからの紹介状ってのはマジな話なのか……?」


 惜しげもなくさらけ出された筋骨隆々の肉体に閃光を放つ頭頂部。傍らには重厚な戦槌ウォーハンマーに空になった大量のジョッキ。教官ガイオスすら超えかねない巨漢がそこにいた。


「あ、ああ、間違いない……」


 クロがその威容に面食らいながらも返すと、男はニヤリと白い歯を剥き出しにして笑い、ホールにいる他のハンターたちの方へ向き直った。


「おいお前ら!今日、俺たちは1つのデカイ話題の種を失った……そうだな!?」


 巨漢の言葉に、あちこちから「そうだぁ!」「ちくしょう騎士団め、よくもユウジの野郎を!!」などといった返答が挙がる。


「そう!最大の話題提供者になるはずだった男は権力という名前の波に浚われていってしまった……だが!」


 バッと、巨漢が大仰に両腕を開く。


「神は俺たちを見捨てちゃあいなかった!見ろ、久方ぶりの大型新人の到来だァ!!」


 ウオオォォォオオオ!!!!と沸き上がるホール内。未だ困惑したままの兄妹だけが展開に着いていけずに顔を見合せる。


 兄妹は知る由もないことだったが、ここに集っているハンターたちは皆、勇者ユウジの帰還を心待ちにしていた面々だった。ところがバカンスに行っていると聞いていた勇者は“行方不明になっていた人々を引き連れて帰って来る”という、誰にとっても寝耳に水の事態を引き起こしたため騎士団で事情聴取を受けることとなり、ハンターたちは勇者が解放されるまで悶々とし続ける羽目になっていた。何も知らない2人は、そのただ中に飛び込んでしまったのである。


 勇者パーティーの一員ミラ・エドワイズからの紹介状という、特大の爆弾を引っ提げて。


「故に!こいつらの試験官は俺が務める!!異議のある奴は前に出ろぉ!!!!」


 続く巨漢のセリフには多くの者が賛同した。あちらこちらから、この巨漢の名前らしい「ドールーガン!ドールーガン!!」というコールが放たれる。


 だが、


「ちょっと待った!!」


 バンッと、中央のテーブルが勢い良く叩かれ、乗っていた食器が跳ねる。ドルガンコールが一瞬にして収まる中、立ち上がったのは如何にも魔女然としたつば広の帽子に緋色のマントを羽織った少女。深い蒼を湛えた宝玉が先端に光る長杖を携えている。


「それが“仲間”からの紹介状だっていうなら……私が出ない道理はないわよね!!!!」


 再びホールが沸き立ち、今度は「オーリヴィア!オーリヴィア!!」という唱和が空間を席巻する。コールを受けた本人は周りに笑顔を振り撒きながら進み出た。


「新人さんは2人、立候補者も2人。タッグマッチってことでどう?」


「乗った!!よーしあんたら、後でツラ貸しな。待ってるからよ」


 一方的にそれだけ残して、ドルガンというらしい巨漢とオリヴィアというらしい少女は隅の階段から階下に降りて行ってしまった。


「申し訳ありません……ちょっと展開が急でしたよね。移動がてらご説明致しますので、どうぞ私に着いて来て下さい」


「あ、ああ……」


 混乱しながらも、兄妹は受付嬢を追って歩き出した。




◼️◼️◼️◼️◼️◼️




「思いの外、大事になってしまったな……」


 2人を案内したベアトリスという受付嬢に説明を受けることおよそ10数分、兄妹は地下の一室に待機していた。比較的使用頻度の高い部屋なのか整頓されており、埃臭さなどは感じられない。


 兄妹の前には、模擬戦用の武器が満載されたワゴンが置かれていた。これから闘技場に赴き、ドルガン&オリヴィアのコンビを相手に5分間の時間制限付きで戦うこと。その結果を以て合否の判断と初期ハンターランクの決定を行うとのことだった。


「どうする?にぃ様。かなり目立っちゃったけど……」


 イロハが木の杖を何本か見比べながら尋ねる。逃亡中の身である以上目立つことは避けたかったが、こうなってしまってはそれも望めそうにない。


「手を抜くのは簡単だが……」


 早々に武器を決めたクロは思案する。あの2人にあっさり倒されれば“期待外れ”としてそれ以上過度に注目されることは無くなるだろうが、おそらくそれでは今後、兄妹はずっと舐められたまま過ごすことになってしまう。それでは普段の生活にさえ支障を来しかねない。


 それに何より――


「あまりに不甲斐ない結果では……せっかく紹介状を書いてくれたシスターミラの顔を潰すことになる、か」


 そう呟くと、クロは口角を吊り上げた。最早注目を避けられないというのなら、徹底的にやってやろうじゃないかと腹を決めて。


「よしイロハ、出し惜しみはナシだ。……勝ちに行くぞ」


「はい、にぃ様!!」


 静かな控え室に、拳同士をコツンと打ち合わせる音が響いた。

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