魔人兄妹と街のルール
王都メダリアは、一言で言えば“石と水の都”だった。
石畳の大通りを挟むようにレンガや石造りの住居や店舗が立ち並び、そこかしこに用水路が走っている。運河も多く、橋の欄干から下を覗けば、客を乗せたゴンドラがのんびりと行き交っている様子が見えた。
ほとんど初めて見るものしかない、という状態の兄妹は何かある度に足を止めていた。教会を出てから既に1時間は経過しているが、まだハンターズギルドまでの道のりの半分も歩いていない。
(まずいな。このままではギルドに着く前に日が暮れかねない)
そうは思っても、クロは溢れる好奇心を押さえ込むことが出来ずにいた。そして『風読み』によりクロ以上の情報を絶えず取得し続けているイロハの興奮ぶりはそれ以上だった。等級の高い紅玉のような瞳が、様々な色の光を跳ね返して輝いている。
それを見たクロは、断腸の思いで湧き出す己の好奇心に蓋をした。自分のそれがただの湧き水ならイロハのそれは絶賛噴出中の間欠泉だ。最早一刻の猶予もない。
「イロハ……色々と目移りする気持ちはよく分かる。非常に、よく、分かる。だが残念ながら、街で暮らすにはどうしても“お金”というものが必要だ。これがない限りは俺たちの好奇心を半分も満たすことは出来まい」
兄妹は一文無しだ。無論クロは施設を脱出する前にお金も
2人の目前で、赤い光が灯った。
「という訳で、今はぐっと堪えて先を急ごう。あの光が青くなってから、だが……」
イロハを諭しながら、クロはげんなりと正面を見据える。2人の前には大きな交差点があり、人々が足を止めて馬車の群れが通り過ぎるのを待っていた。道路は馬車用の広い車線と通行人用の歩道に分かれており、歩道の端の、先端に赤い光を湛えた柱が印象的だった。『柱の光が赤い場合は通行人は馬車道を渡ってはならない』という制約があるらしく、兄妹も周りに倣って色が変わるのを待っている。
「新手の拷問だわ……」
気持ちが逸るイロハは落ち着かない様子で足踏みを繰り返している。
「煩わしいのは分かるが、“ルール”だからな……業腹だが従うしかあるまい」
「にぃ様が縛られることを良しとするなんて、珍しいね」
イロハは心底意外だと言った様子で、傍らに立つ兄の顔を見上げた。クロの“自由”に対する執念と渇望は並み大抵のレベルではない。“あらゆる束縛を拒絶する”などという凄まじい能力を備えた防具が成立し得たのはひとえにその執念故だ。そんな兄がルールという、“人を縛る物”を是としたことに、イロハは驚きを隠せなかった。
「そうだな。だがルールというものは、ある意味では人の自由を守る物でもある」
「……どういうこと?」
首を傾げるイロハに対し、クロは例えば、と、目の前の車道を指差した。馬車の数は減ったが、まだまだ人が通れる様子ではない。
「ある通行人が、己の自由を優先してあの赤い光を無視したとしよう。するとどうなるか。馬車の移動が確実に阻害され、自由であるべきだった馬車の自由は奪われてしまうことになる。不当だろう?」
「確かに……」
「それにだ。もしその通行人が馬車と接触してしまえば大怪我は避けられない。自由を優先したはずが己の自由を失ってしまう結果になるわけだな」
赤い光が青い光へと変わり、目の前を横切っていた馬車の群れが止まった。動き出す通行人に混ざり、兄妹も車道を渡り始めた。
「だが、ルールに従いこうして待っていれば、自分の自由を失うことも、誰かの自由を奪うこともなく道を渡ることが出来る。つまり“ルール”とは、自由に制限を設ける代わりに、より多くの人々が不自由になることを防ぐためのものということだな。これでは、頭ごなしに否定することは出来んだろう?」
「そうね……」
イロハは、ルールのない世界を少し想像してみた。全ての人々が、己の自由を優先して行動する世界を。きっとその世界は、誰かが誰かの自由を奪い合う、地獄と化してしまうことだろう。
「1人1人に“個”というものがある以上、全ての人々の自由を平等に守ることは出来ない。“ルール”というものは、それでも可能な限り多くの人々の自由を守ろうとした先人たちが苦心の末に作り上げたものなのだろうさ。俺は敬意さえ評したい」
何しろ、たった2人分の自由を得ることさえやっとなんだからな……と、クロは自重気味に笑う。
「……いつもありがとう。にぃ様」
イロハは、そんな兄の腕を優しく胸に抱いた。
ハンターズギルドのシルエットが、徐々に鮮明になって来た。
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