魔人兄妹は覗き込む
転移した先は、活気溢れる大通りからは少し離れた、運河沿いの堤防の一角。イロハたちの足元に、一辺が1.5メートル程の、正方形の鉄扉があった。
「これが……えっと、メンテナンスハッチ?」
「そうよ。ここから人が下水道に入って、
イロハに説明しながら、水道管理課から鍵を借りていたオリヴィアがメンテナンスハッチを開く。どこまでも続いていそうな梯子と、先の見えない深淵が口を開けていた。微かに水の流れる音が聞こえて来る。
それを左目で見たアリーシェが、途端に顔をしかめた。彼女はほとんど腹這いに近い格好になりつつ、ハッチの先を凝視する。
「これはいかんな……」
『ああ……非常に良くない』
その隣で
「“濃霧”とでも表現すべきか……いくらなんでも滞留している魔力が多すぎるぞ……?」
『あの島と同等……いや、それ以上の魔力量だ……魔将共の合作だとしてもよもやここまで……』
あの孤島に渦巻いていたのは魔法使い数十人分程だったが、この下水道を満たす魔力量は百人分は下らないだろうとクロは推測した。
「正直、これは今すぐどうこう出来そうな代物ではないな……」
「魔力感応紙があっという間に真っ黒になる時点でなんとなくそんな気はしてたよ……魔術師団に召集かけなきゃいけない感じ……?」
「ああ、この手の事態に慣れた連中を……そうだな……5、6人は引っ張って来た方が良さそうだ。折悪く、群発中の
あまりのタイミングの悪さに一同は言葉を失う。この下水道に対して何もしない訳にはいかないが、魔物が群れを成して暴走する
『それなら……俺も助力しよう』
沈黙を破ったのは、クロのそんな一言だった。
『術の解析と解体は得意でな』
「正直それは非常にありがたい。何しろ今のメダリアは病巣を抱え過ぎているからな……協力してくれる人材はいくらいても足りん」
それはアリーシェの言う通りだった。この下水道以外にも行方不明者関連の認識阻害、眠り続けるシスターマリーベル、誘拐魔法の端末となったコウモリ、潜伏中の通り魔や魔将たちと、問題のある場所が多すぎる。
「分担……した方がいいよね?」
イロハがおずおずと提案する。
「そうだね……とはいえこの下水道は私も手伝った方がいいのかもしれないけど……」
「いや、お前はフットワークが軽いからここに釘付けにしてしまうのはもったいない。クロくんが加勢してくれるなら人員が足りない分を補って余りあるだろうしな」
「それもそっか、なら……うーん、午後になるけど私はシスターマリーベルに付いてようかな。あそこなら連絡もしやすいだろうし。イロハちゃんはどうしたい?」
「私は通り魔を追いたいわ」
オリヴィアの問いかけに、イロハは即答した。
「うん、そうだよね。そう言うと思ってた」
『俺も異論はない。イロハなら奴の音波魔法にも耐性があるし、適任だろう』
何よりイロハには雪辱を果たして貰いたい、という気持ちがクロにはあった。倒すべき敵の情報を得て以降、妹の瞳にはいつか見たような核熱の輝きが宿っており、それを冷ますにはイロハがその手で通り魔――推定魔将ガンプを討ち果たすより他に方法はないだろうと思っていた。
「概ね決まりだな。では、私はここで別れるとしよう。ここを軽く調査してからだが、諸々王宮に報告しなければならないからな」
『なら、アリーシェ女史。簡易調査だけでも付き合わせては貰えないか?』
「もちろん構わない。むしろこちらからお願いしようと思っていた」
「じゃあ、クロくんともここで別行動だね……」
『すまないが、そうなるな……』
「気にしないでにぃ様。今はアリーシェさんの力になってあげて」
『ああ』
イロハと
残った2人は再びハッチの先を覗き込む。深淵は相も変わらず、僅かな水音を伝えて来るのみだった。
「すまないな……本来なら我々王都の者で対処すべき案件だろうに」
『巻き込まれることを選んだのは俺たちだ。それにこれだけの大規模魔法を解析するまたとない機会を、逃す手はない』
「キミ、根っこの部分はやはり私の同類だろう」
楽しげな様子を隠そうとしないクロに、アリーシェは苦笑しながら言った。クロも否定しなかった。
『そういう性なんだろうな。俺が第一に追うのは自由だが、同じくらい未知を明かすことにも心牽かれる。イロハもイロハで獲物と見定めた敵を逃すつもりはあるまいよ』
だから遠慮なく俺たちの力を使え、と、クロはアリーシェに告げた。
「ああ、大いに頼らせて貰おう――始めるぞ」
そうして、2人は深淵に向けて魔力干渉を開始した。
魔人兄妹の隠遁生活 月見夜 メル @kkymmeru
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