魔人妹は継承する

 ジルヴァンは翠玉のような目を見開いたまま硬直していたが、暫くして衝撃から立ち直ると、ポツポツと話し始めた。


「なるほど……かの精霊崩しエレメンタルキラーを内包していたとは……兄君の技量もむべなるかなといった所か」


精霊エレメンタル……崩しキラー?」


 強烈なインパクトと凄まじい被害を帝国軍にもたらしたシャルロテの異名は数多い。最早代名詞と言える“魔術師殺し”の他に、戦場での暴威を表した“笑う狂飆ラフィン・テンペスト”やその神出鬼没さから名付けられた“意思持つ天災リビングディザスター”なども知名度の高い異名として挙げられる。座学の教官たちが皆示し合わせたかのようにバラバラの異名で呼んでいたためその大半は網羅していると思っていたイロハだったが、ジルヴァンが発したそれは聞き慣れない物であった。


「ああ、そなたが知らぬのも無理はない。何しろ一部の精霊種たちの間でのみ罷り通っている異名故な。奴は魔法――正確には魔力で編まれたものの構造を破綻させて崩壊させてしまう。それは我ら精霊種の身体さえ例外ではない」


「あ……」


 由来を理解したイロハは鋭く息を飲んだ。精霊種とはすなわち“命ある魔法”と言い換えることも出来る魔物である。そんな彼らにとって、魔法を破壊するシャルロテはまさしく天敵に他ならないのだと。


「“もし奴と敵対するようなことがあれば、そもそも勝負にさえならない、だから関わるな”……と、いう警告の意味を込めた異名である。……我は一度出会ってしまったことがあるが、その時は生きた心地がしなかった」


「そうだったのね……」


 因みにその際ジルヴァンはシャルロテから魔王軍への参加を持ち掛けられため、『再三に渡り加入を断ったせいで遂に魔王が圧力を掛けて来た』と思い、覚悟を決めたという(実際はシャルロテの気まぐれであり、特に何ともなかったのだが)。


「ところで、1つ考えたことがあるのだが」


「?」


「そなたの兄君は、魔晶の魔物が持つ魔力との相性が良く、相乗効果で極めて高い魔力制御能力を得た。ならば、そなたと我はどうなのだろうか、と」


「確かに……」


 魔人は、色々条件はあるが、基本的には魔晶と、融合対象となる受精卵あるいは胎児が適合することで初めて誕生する。適合するのには、それなりの理由があるはずだと考えられた。


「そなたの魔力は、我が有するものとほとんど同じと言っていい程酷似している。これで相性が良くないはずがなかろうよ」


「それじゃあ……!」


 イロハが、紅い瞳を輝かせた。


「もしかすると、我が習得して来た業を、そなたに継承することが可能かもしれぬ」


「1つ、見せてやろう」と、ジルヴァンはゆっくり腰を上げた。イロハが初めて見たその立ち姿は、威風堂々という言葉が形となったかのように思えた。腰にしがみつくよう促され、イロハはそれに従った。


「さて、ここでも使えるか否か……いざ」


 軽く脚を開き、ジルヴァンは右手のひらを高く天に翳す。


「『回れ、廻れ、巡れ、渦巻け』――」


 途端、足元から逆巻く風が吹き上がり、イロハは衣服の裾を抑えながら鎧をギュッと握りしめた。見上げれば、ジルヴァンの頭上の雲が螺旋を描くように渦を巻き、遥か天頂へ誘われていく。


「『汝全てを識る者、しかしてその欲は尽きず、その飢えを満たすこと、また能わじ』――」


 頭上の渦が激しさを増す。巻き込まれた雲は千々に裂かれて形を無くし、天球に台風の目のような雲の穴が穿たれた。


「『果てなき探求の徒よ、新たなる知の源を送り届けん』――」


 螺旋が天頂へ去って行くように、雲の通い路が吹き閉じた。


 そして――ジルヴァンは掲げた右手を振り下ろす。


「『いざ総てを浚いて味わいたまえ』――【飢嵐うえあらし】」





 天が、墜ちた。





 思わずそう錯覚してしまう程の激烈な下降気流ダウンバーストが、2人から1キロ程前方の草原に着弾した。そこから全方向に拡散した暴風が草の大海を蹂躙し、悉くを消し飛ばして行く。


「――――――――!!!!」


 悲鳴を上げることは出来なかった。その光景を網膜に焼き付けることも、地に脚を付けていることさえもかなわなかった。イロハはジルヴァンの腰に回した腕がほどかれないよう、必死にしがみつくことしか出来なかった。赦されなかった。


 やがて風が凪ぐと、青々としていたはずの平原は、見渡す限り土色に変じていた。そこにあった何もかもを、知に飢えた嵐が喰らい尽くしてしまっていた。


「大事はないか?」


「な、なんとか……」


 腕組みをしつつこちらを見下ろしたジルヴァンへ、イロハは様々なものが入り雑じった視線を向けた。畏れ、驚愕、衝撃、しかし何よりも――


「凄いわ――!!」


 高揚と、憧憬。それがイロハの胸を満たしていた。


「これを、教えてくれるの?」


「これだけと言わず、幾らでも教えようぞ。誰かに伝えることなど考えもしなかった業ではあるが……我が半身たるそなたが継いでくれるというのであれば、これ以上に、嬉しきことはない」


 怪物の貌が、満面の笑みを浮かべていた。

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