魔人兄妹の別行動

「別行動?」


 翌日、朝食後のを飲みながら、イロハはクロに別行動を申し出た。


「その……ちょっと、試してみたいことがあって……」


 縮こまりながら、イロハは視線を黄金の水面に落とす。本来は、兄が自由なる旅人の装束ワンダラーズ・クロスの性能を実地で披露してくれるはずだったために、この申し出をするのはかなり躊躇われた。


 それでも、イロハは魔晶の世界でジルヴァンから示された技の数々を、己の物とすることができるか確めなければならないと思っていた。それこそが、確実に兄の力になると信じていた。


「そうか、オーケー。俺は構わない」


 イロハにとっては永遠に続くかと思われた一瞬の後、クロはあっさり快諾した。


「……いいの?」


「お前に何か考えがあるのなら、俺はそれを尊重するさ。アルジェンティリアの先人も、『思い付いたならば、その日の内に実行すべし』と遺していることだし、な」


 クロはコートの懐にしまいかけていたイロハ用の弁当の包みをテーブルに戻しながら、


「という訳で、弁当は置いていこう。俺の方は1日がかりになりそうだからな。帰って来たら、お互いの成果を見せ合おうじゃないか」


「うん、ありがとうにぃ様」


「お前の思い付きが、上手く形になることを祈るよ」


 イロハの肩を軽く叩きながらそう残して、クロはコートの裾を翻しつつ食堂から退室した。イロハは残った苔茶を飲み干してカップを洗うと、部屋の中央に座り込んだ。


 立てた膝に額を押し当てながら、イロハは目を閉じてイメージに没入していく。


 魔晶の平原で聞いたジルヴァンの言葉が、ふと脳裏に蘇った。


『まず大前提として、我とそなたとでは、魔法の元となる“イメージ”に差違がある。故に、我が使う魔法をそのまま継承出来るという訳ではない』


 魔法の根底を為すのは、あくまで術者のイメージだ。イロハとジルヴァンは魔力的にはほとんど一心同体と言えるが、それでもその人格や精神、経験などは別々の物である。抱くイメージに違いが生まれるのも当然であった。


 例えば同じ“風”についても、


 イロハは、施設を脱出した際の解放感から、『本来はその躍動を何者にも阻まれない、自由の象徴』と捉えているのに対し、


 ジルヴァンは、長年の風との対話と、そうして受信して来た風の便りの数々から、『世界を果てから果てへ駆け巡る、知識の探求者』という印象を強く抱いていた。


 これでは、仮にジルヴァンがイロハに詠唱句を教えたとしても、魔法は上手く形にならない。イロハが実際に目の当たりにした【飢嵐うえあらし】でさえ、大幅に性能が劣化した状態で発動することになるだろう。


『そなたが継承するのは、主に我の業がどのような性質を持つのか、どのような効果をもたらすのか、という、謂わば終点の部分であるな。そこに至るまでのイメージ、過程を、そなたなりに整え、詠唱句として織り成し、磨き上げてみよ。さすれば、我が培って来た業の数々が、必ずやそなたや兄君の助けとなろう』


 だからジルヴァンは、イロハに魔法を使った“結果”だけを提示した。自身のコンディション確認とイロハへのパフォーマンスを兼ねて放った【飢嵐うえあらし】以外の魔法全てを無詠唱、かつ、過程を認識させない程の速度で行使した。イロハに、余計なイメージを植え付けないために。


 イロハがやるべきは、自分なりのイメージを以て、示された結果を形にすること。


「必ず、創り上げてみせるわ」


 決意を新たに、イロハは魔力を励起させた――




◼️◼️◼️◼️◼️◼️




 食堂を後にしたクロは、迷宮に接する壁を【解放の門リバティ・ゲート】で円形にくり貫いた。【温度識別】も併用しながら周囲を見回すが、付近には動くものも熱源もない。


 今回の探索はクロ1人で行う。そのため風読みなど、イロハの力に頼ることはできない。


(逆に言えば、否応なしに自由なる旅人の装束ワンダラーズ・クロスを全力稼働することを求められる、ということ。あいつがいない分をカバー出来るか、楽しみだな)


 逸る気持ちを抑え、クロはおもむろに足元から土をすくい取って手のひらで挟み込む。出発する前に、やっておくべきことがあったからだ。


「『土塊に魂あれ。求むるは研ぎ澄ます者。鋭き刃の製作者』――石人創成ゴーレム・バース


 地面に落着した土が瞬時に2人の小さなイロハの姿を取り、コートのポケット、そしてそこから繋がる拡張空間に飛び込んでいく。クロは石人形ゴーレムの挙動に意識を強く向け、


「これでよし。んー、このペースならというところか。どのみち最初の1、2時間は戦闘の予定はないが」


 石人形ゴーレムの操作を切らぬまま、クロは意識を目の前の迷宮に戻す。実地試験は、主に第4階層で行う予定だった。


「それでは、行こうか」と、クロはいつもの調子で踏み出そうとして、


 ふと、すっかりお決まりとなっていた応えがないことに気付く。今日は、施設を出てからいつも着いて来てくれていた妹はいない。


 彼女は、自らの意志を示し、兄とは別々に動くことを選んでいた。


「……」


 イロハのいない隣に、一抹の寂しさと嬉しさが同居したような優しい笑みを向けた後、クロは自由なる旅人の装束ワンダラーズ・クロスに魔力を通しながら歩き出した。

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