魔人兄の実地試験
一口に“認識阻害魔法”と言っても様々なものがある。
ある魔法は、術者の存在を完全に他人の意識から消し去り、透明人間になったも同然の状態にする。
そして、またある魔法は、術者の存在こそ他人の意識に残ってはいるが、それに対して注意を向けることが出来なくなる――すなわち、背景や道端の石ころなどの取るに足りない存在として知覚してしまうようにする。
そして実際、今クロの目の前にいるトカゲは、クロの姿を見てもなんの反応も示さなかった。当然、叫び声で仲間を呼び集めることもしない。トカゲはクロの横を小走りで駆け抜け、角を曲がって消えて行く。
「第1項目、クリア」
その背中を見送り、クロは懐から紙を取り出した。不要になった施設のレポートを【
『認識阻害 対
満足そうに頷くと、クロはレポートをしまって再び歩き出す。
実地試験開始から、既に2時間が経過していた。
クロは第4階層へ降りており、今までに5匹のトカゲ――正式名『
(遭遇頻度が……少ないな?)
イロハの【風読み】を利用して接触を避けていたこれまでならいざ知らず、生物群との遭遇前提で歩き回っていたクロにとって、5匹というのはかなりの少なさに思えた。総探索時間の、実に4分の3は費やしている第4階層については、特に。
そして気になるものは、もう1つ。
「ここも、か」
とある角を曲がった所で、クロはあるものを発見した。
何かに轢かれたかのように、千切れて辺りに散らばったアナグラニセテヅルモヅルの残骸。断面から溢れだした有毒の体液が揮発して、周囲の空気が紫がかって淀んだようになっている。
このように無残な姿になったアナグラニセテヅルモヅルを、クロはもう5、6度目撃していた。当然付近の空気も毒で侵されているため、その度にクロはルートの変更を余儀なくされていた。
(大体、原因に予想は付くがな)
来た道を引き返しながら、クロはため息を吐いた。トカゲとの遭遇率の低下も、アナグラニセテヅルモヅル惨殺事件も、同じ存在の仕業であるという見当はついている。チェックリストにはアナグラニセテヅルモヅルを利用した検証も含まれているため、最悪それが出来ないという可能性も考えられた。
急ぎ犯人を見つけて、
残骸は犯人の進行ルート上に存在しているが、それがある場所はもれなく毒の空間になってしまうため、その都度迂回路を通らなければならないのが厄介な所だった。また迂回路にしても、オニイトハキの巣が張られていたりすると更なるルート変更を強いられるため、追跡は難航していた。
クロは既に記憶してある、粘液を取りに来た際に作成していた第4階層の地図を頼りに、アナグラニセテヅルモヅルの残骸を辿っていく。
そしてついに、とある角を曲がった先の直線通路にて下手人を発見した。黒光りする、金属製の巨体。通路の高さと幅の双方をほとんど埋め尽くすそれは、足元に群がる数十匹のトカゲたちを、鉤爪の付いた腕で薙ぎ払っていた。途中で引き千切って来たのであろうアナグラニセテヅルモヅルの触手が、何本かそこから垂れ下がっている。
整備ゴーレムたちの待機場以来の遭遇となる狩人ゴーレムと、トカゲたちの戦いを、クロは壁に背を付けて通路を覗き込むようにしながら観察していた。
否、それは戦いとはとても呼べるものではなかった。
【
ほとんど一方的な蹂躙。しかし逃走という言葉を知らないトカゲたちは次々に狩人ゴーレムへ挑みかかっては返り討ちにされていく。
結局、トカゲたちが全滅するまで、数分とかからなかった。狩人ゴーレムはトカゲの死骸から器用に鉤爪で魔晶を抉り出すと、背部にある箱へ収めていく。
(そういえば……)
と、クロはそこでふと考えた。基本的に迷宮のどこに現れるかわからない狩人ゴーレムはチェックリストの対象から外れていたが、こうして出会えた以上、認識阻害が機能するかどうか検証すべきではないか、と。
そうしてクロは、魔晶の回収を終えた狩人ゴーレムの前に認識阻害を展開しつつ姿を晒した。こちらに向けられた赤い
ただ、クロはなんとなく結果の想像がついていた。狩人ゴーレムは魔晶の回収を任務としているため、魔力を感知する機能が内蔵されている。
そして、狩人ゴーレムはおもむろに、クロに向けて鉤爪を開いた。
「よし撤退!!」
魔力の蝶を置き土産に、クロは脱兎の如く通路から離脱した。
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