魔人兄は叩き付ける

「上手く……行ったか……」


 魔人1号の沈黙を確認し、クロは知らぬ間に速くなっていた呼吸を整えつつ額の汗を拭う。次いでナイフのコーティング魔法を解除すると、表面に塗られていた毒々しい色合いの液体は綺麗に消え去り、元の白い刃が姿を見せた。


 この液体の正体は、やはり死毒の樹海で採取した果実の果汁である。『ユメミヤマブドウ』という名のそれは、大の大人でさえ一瞬で昏倒させる程の強力な昏睡作用を持っていた。


自由なる旅人の装束ワンダラーズ・クロスの防御機構は魔人1号クラスの魔力による拘束魔法にも効果有り。そしてほとんどぶっつけ本番に等しかった限定短距離転移も成功、と。上々だな、安心した)


 自由なる旅人の装束ワンダラーズ・クロスに仕込まれた、第2の防御機構――それは“旅人よ、自由であれ”と定義されたその装束の在り方を体現したかのような、『着用者に対するあらゆる行動妨害の無効化』という強力無比なものだった。


 縄や枷による外的な拘束ならばその拘束具を破壊ないし無力化し、毒物による麻痺や睡眠に対しては原因物質を瞬時に体外へ弾き出す。魔法によるものであれば、術が身体を戒めた瞬間にその構造を瓦解させて無に帰す。“二度と自由を奪わせまい”というクロの執念の結晶たるこの防御機構には、自由なる旅人の装束ワンダラーズ・クロスに注ぎ込まれたリソースの実に約6割強が割かれていた。


 そして魔人1号の抜き手を避けたのは、群れ為す小竜レギオン・リザードが使う【瞬間救援ヘルパー・リープ】を参考にした転移魔法、【恐れ無き吶喊ドレッドノート】。転移の際に位置情報を参照する相手を必要とするのは元魔法と同様だが、クロは更に条件を極限まで絞ることで消費魔力を削ぎ落としていた。


 具体的には転移可能箇所が相手の前方限定で、転移限界距離も僅か2メートルしかなく、単純な移動手段としてはまるで役に立たない。だが、突撃や接近戦の際に用いれば、相手の計算を狂わす効果を期待出来た。


 魔人1号が倒れた今、最早この空洞に長居は無用である。クロはイロハを連れて上階へ移動しようとして、


「待てよ」


 たった今途絶えさせたはずの、声を、聞いた。


 駆け上がる悪寒に従い上体を反らすと、目前を銀の尾を引く流星が掠めて行った。魔人1号はその勢いのまま台地から飛び出すと、大きく弧を描いてクロ目掛けて突っ込んで来る。クロが飛び退いた地点に竜の爪が突き刺さり、激しく破片が散った。


「さっきは不出来と言ったが……撤回するぜ」


 魔人1号は攻勢を緩めない。即座に爪を引き抜くと、台地を抉る程の踏み込みで一気に被我の距離を詰め、左拳によるストレートを起点に格闘技のラッシュへ持ち込んだ。


「お前の実力は認めよう。だがだからこそ、その力が陛下の為に使われないことが腹立たしい!!」


「くっ……は!?」


 適宜【恐れ無き吶喊ドレッドノート】を織り交ぜながら攻撃をいなしていたクロの動きを左の震脚で止め、魔人1号は右拳による正拳突きを放つ。クロは咄嗟に腕を交差して胴を守ったが、そのガードごと後方へ吹き飛ばされた。クレーターの斜面に背中から叩き付けられ、肺から一気に空気が吐き出される。


 尚悪いことに、ガードの為に前へ出した左腕の感覚が激しい鈍痛と灼熱感で滅茶苦茶になっていた。恐らく骨を砕かれてしまっているのだろう、と、クロは自分でも驚く程冷静にそう考えていた。


「全く手こずらせやがって……」


 魔人1号は追撃する様子はなく、しきりに頭を左右に揺らしながら右手の開閉を繰り返していた。どうやら毒による違和感がまだ残っているらしい。


「あの毒が効かないとはな……驚いた」


「正直そいつは俺も同感だな。まあ次世代型のお前らと違って俺は身体が半分竜だからその影響かもしれないが……思わぬ収穫だった」


 宿した魔晶の影響が魔力だけでなく身体的特徴にも現れているのは、未だ魔人1号以外に例のないことであった。これは専ら、魔人1号がその他の魔人とは魔晶との融合時期や条件が異なっていたからだろうと言われていた。


 その、半ば竜のものと化した半身が、ユメミヤマブドウの強力な毒素を短時間で打ち消したらしい。


「なんにせよ、これでおしまいだ。お前も、あそこに転がってる哀れな168番もな」


「哀れ……?」


 クロの耳が、ピクリと動く。


「ああ。だってそうだろう?」


 倒れ伏すイロハを、魔人1号は指で差した。


「お前が連れ出さなきゃ、あいつは今も平穏無事に訓練をしていた。組み込まれた魔晶の強さを考えても、時間さえかければ使える“駒”になっていたはずだ。それをお前が台無しにしたんだろうが。みろ、これからお前のせいであいつも要らなかったはずの折檻を受ける羽目になるぞ。これを哀れと言わずなんと言えばいいんだ、あぁ?」


「全く……どいつもこいつも人を道具のように……!」


 そこでクロが、斜面にめり込んでいた背中を起こす。多少ふらつきはしたものの、しっかりと立つことは出来た。


「“お前が連れ出さなきゃ今も平穏無事に訓練をしてた”?そんな訳があるか。俺が出会った時のあいつは潰れる寸前だった。窮屈な施設あの場所の中に閉じ込められて、あいつは自分の魔法の本来の姿、本来の力さえ知らず、閉塞感を抱えたまま日々を過ごしていた」


 荒く息を吐きながら、クロは真っ直ぐに魔人1号の目を睨み付ける。思いの丈を、叩き付けるように。


「お前は知らないだろう。あいつが施設あそこから飛び出した時の、晴れやかな顔を。あいつはあの瞬間自由になった。“にぃ様おれの希望になりたい”というその想い1つで、追われる身になる恐怖をねじ伏せて!自分で――行きたい道を選んで見せた!!」


 未だ、クロは鮮明に思い出せる。妹が“イロハ”という名を受け取ってくれた時の、力強い声色を。


 窮地にて、楽な方向へ逃避しようとした自分を踏み留まらせた、完全に覚悟の決まったあの表情を。


「ならば俺は、あいつが全力を出せるような場を整える。あいつが輝けるように、笑えるように、持てる力の全てを尽くす!それが希望を示した者として、鳥籠を開いた者として、何よりあいつの兄として!俺が果たすべき責務だ!!」


 傷付いていない右腕を、クロは勢いよく突き上げた。唐突なその動きに、魔人1号が視線を上方へ流す。


 その瞬間――


「――ッ!?」


 何の前触れも無く全方位から宙を走った糸が、魔人1号の全身を戒めた。

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