作家の悪魔は帰投する
「ふむ。どうやら、無事に戻って来られたようですね?」
猛烈な吹雪とイバラに閉ざされた魔王の居城。その一角にある細く薄暗い十字路の中心に、メフィストフェレスは転移して来た。
「しかし……むむむ。わたくし確か玉座の間の手前を転移先に指定したはずなのですが……ここは何処でしょう?」
周りをゆっくりと見回しながら、作家の悪魔は首を捻る。今いる冷たい鉄色の通路に見覚えはない。絵画や調度品などの装飾類も見当たらないことから、どことなく“関係者以外立入禁止”という雰囲気があった。
とはいえ、安易に転移先の設定をミスしてしまったのだと片付けるのも早計だろう、とメフィストフェレスは考えた。というのも、魔王城は百魔将第99位【整城】のブニェウの力により度々部屋と通路がシャッフルされてしまうため、このバックヤード用としか思えない通路の先が玉座の間、という可能性も捨て切れないからだ。
(先に扉が控えているのは、わたくしの目の前の通路だけのようですね。万が一のためにノックは忘れず……)
メフィストフェレスは通路の先にある武骨な両開きの鉄扉をノックしたが、中からは何の反応もない。少なくとも玉座の間ではなさそうだと、メフィストフェレスは慎重に扉を押し開いた。その瞬間消毒薬のような匂いが鼻を突き、同時に何かの機械と思われる稼働音が聞こえて来る。
(ここは……)
きらびやかさとは対極にある灰色の床に、そこかしこに転がる工具類。透き通った緑色の液体に満たされた、高い天井付近にまで届きそうなガラスの円筒の群れ。メフィストフェレスには見覚えこそなかったものの、それだけでこの広大な空間がどのような場所かは理解出来た。
「うおぁ!?」
不意に驚愕した声が響いたため、メフィストフェレスはハッと顔を音源の方へ向ける。丁度円筒の後ろから小柄な人影が姿を見せたところだった。
それは130センチ程度という身長には不釣り合いに過ぎる巨大なスミスハンマーを軽々と担いだ、褐色肌の少女。油のようなシミが目立つオーバーオールに上半身はサラシ1枚という格好で、露出した肌や背中から生えた小さな一対のコウモリを思わせる翼の所々に黒い煤が付着していた。そして額には、右目側のレンズにひび割れの入った、重厚な遮光ゴーグルを装着している。
彼女こそ、この空間の主だった。
「……んだよメフィストフェレスじゃねぇか。脅かすなよ」
「ドリステラ嬢!ということはやはりここは『工房』でございましたか……」
工房。魔王城の北の端にある施設で、魔王軍の武具を始め様々なアイテムの作成に関わる人員が集う場所だった。そして、今メフィストフェレスの目の前にいる悪魔が工房の長、百魔将第91位【錬鉄】のドリステラだった。
その姿を認めたメフィストフェレスは、瞬時にドリステラと会話する際のマニュアルを脳内に呼び出した。“身長には触れないこと”という1点のみが、そこには記されている。生憎メフィストフェレスにはどこぞの破綻の悪魔のように、ドリステラの地雷を積極的に踏み抜きながら『かーわーいーいー!』とはしゃぎつつ抱き締め撫で回して窒息させかけるなどという芸当をして無事でいる自信はないのだ。
「“嬢”はやめろ“嬢”は……」と、呆れたように吐き捨てながら、ドリステラは担いでいたスミスハンマーを下ろす。
「ったく、こっちは今VIP様を案内してんだよ。みっともねぇ声出させやがって……」
VIP様?と、メフィストフェレスが疑問を発する間もなく、ドリステラの後ろから更なる人影が顔を出した。それは破綻の悪魔と瓜二つな美貌を持つ、夜空を織り上げたかのような優艶なドレス姿の悪魔。百魔将第3位にして魔王の妃。
「あら、メフィストフェレスじゃない。直接会うのは久しぶりね?」
「な……ん……!?」
微笑を湛えたエリザベルとの不意の遭遇に、メフィストフェレスは思わず息を詰まらせる。彼女は普段玉座の間か専用の執務室に詰めているため、工房で出会うのは想定外だった。
メフィストフェレスはなんとか平静を取り戻すと、エリザベル用の会話マニュアルを想起しながら膝を突く。“王妃様は誉めすぎと体型――特に胸部――の話題は御法度”。何時だったかは定かでないが、『エリザベル様もシャルロテくらい胸があれば完璧なのに』『バカ野郎、お前にはあのヒップラインの素晴らしさがわからんのか』などと(あくまでも芸術的観点から)批評していて黒焦げの半殺しにされた連中の二の舞になる訳には断じていかない。
「ご機嫌麗しゅう、エリザベル様。【夢演】のメフィストフェレス、帰投致しましてございます。珍しい場所におられるのですね?」
「ちょっとドリステラに頼みごとをしててね」
「だいたい珍しい所にいんのはおめーも同じだろうがよ」
「ううん、それ、多分私の仕業。今玉座の間が空っぽだから、何か用がある人は自然とここに足を運ぶように暗示の結界を張ってたの」
メフィストフェレスの疑問は、それで氷解した。玉座の間の手前に転移したつもりが工房の前にやって来てしまったのは、エリザベルが張ったというその暗示の影響を受け、無意識の内に転移先を変えていたからに違いない。転移魔法にまで作用する暗示があるなどとは思いもしなかったメフィストフェレスは、改めてエリザベルの技量に驚嘆した。
しかし、
「空っぽ……でございますか?魔王様はいらっしゃらないので……?」
「ええ。今魔王様は百魔選抜闘技大会の真っ最中だから、諸々私が代理を務めてるの。
「はい、実はそうなのです。この度は真に申し訳…………“作戦”?」
公演が取り止めになったことを謝罪しようとしたメフィストフェレスは、王妃の言葉に違和感を抱き、途中で言葉を切った。
「失礼ですがエリザベル様。今“作戦”とおっしゃいましたか?わたくしそのようなものに参加したことなどございませんが……」
「え……?」
エリザベルが整った眉を困惑に歪める。
そう。
魔王軍における“作戦”というものは基本的に荒事ばかりであるため、メフィストフェレスが自発的に参加することはまずないし、戦闘能力など全く期待されていないため参加を打診されるということもまた、ない。故に、エリザベルから作戦の進捗報告を求められることなどあるはずがなかった。
一応、フラウローズが劇場魔法を乗っ取ったことで“勇者監禁作戦に参加した”ことにされている可能性はあったが……
「おかしいわね……
「は……!?」
メフィストフェレスは絶句した。
エリザベルの口から出たのはフラウローズではなく、別の百魔将の名。
(……どういうことですか?これは……)
「んー……ちょっと後で聞いてみましょうか。ごめんなさいねメフィストフェレス、改めてあなたの報告を聞くわ。……メフィストフェレス?」
「おーい、どうした?おーい」
しかし、メフィストフェレスの耳には最早2人の声は届いていなかった。
(もしや……)
脳裏に浮かぶのは同盟を結んでいた2人と、勇者の顔。島での1件を無事に解決し、王都に戻って行ったはずの彼らの顔。
メフィストフェレスの顔が、だんだんと青ざめていく。
(あの事件……実はまだ
◼️◼️◼️◼️◼️◼️
「……フラウローズからの定期連絡が途絶えたぁ?」
「然り。こちらからの催促にもずっと応答がない」
「っつーことは……つまり勇者が自由の身になったってことだな……それしか考えらんねぇ」
「うっそぉ……あの拘束私も手伝ったんだけどぉ?聖剣のない勇者に解除出来るはずないのにぃ……」
「あんたたちの魔法より聖剣の方が1枚上手だったってだけでしょ。でも、ちょっと予定狂っちゃったわねぇ」
「この際しゃあねぇだろ。どうする?決行早めるか?」
「いや、贄が足りぬ。残念だがまだ時期尚早と言わざるを得んな」
「ま、良いわよ――」
「――まだいくらでも、やりようはあるんだから……ね?」
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