魔人兄妹は洞窟に踏み入る

 突然現れた洞窟の入り口を前に、兄妹は顔を見合せた。


 イロハが踏み出そうとする直前までは、間違いなく雑草で覆われた単なる山の斜面でしかなかったはずだった。


「にぃ様……これは……」


「少なくとも、このような洞窟がある、などという情報は施設あの場所にはなかったな……」


 クロは洞窟の入り口を観察しながら、壁面に手で触れていく。規則的な凹凸の存在を指先が感じ取り、更に微かだが、魔力の反応もあった。


「これは……文字……か?」


 指先に感じた凹凸……洞窟の入り口に沿って掘り込まれている文字は、クロもイロハも目にしたことのないものだった。この大陸に存在する4つの国と東の島国では共通の言語が用いられている(島国と最南端のカッパーギア商業連合国では加えてそれぞれ独自の言語も使用されている)が、それとは異なる、謎の文字。


「人の手が……入ってる?」


 兄に付いて洞窟に入ったイロハが、洞窟の内部を視線でなぞる。壁面にも足元にも余計な出っ張りや凹みは見られない。まるで何かで均されたような、そんな印象を受けた。


「ああ、明らかに自然のものではないな。この文字は……おそらくは隠蔽魔法か。見てみろ」


 クロに促されたイロハが入り口に視線を戻すと、1匹のネズミが、白い腹を兄妹の方に向けた状態で空中に静止しているのが見えた。2人の目前で再び動き出したネズミはその場で穴を掘るような動作をしながら、鼻先から順に身体を消滅させていってしまう。


「他の動物にとっては、この入り口部分は何の変哲もない山の斜面でしかないらしい。俺たちだけが何故か、ここに謎の文字で彫り込まれた隠蔽魔法を破って内部に進入することが出来ている」


 今消滅してしまったように見えたネズミも、実際は斜面に穴を掘って土の中に潜って行っただけなのだろう、と、クロは推論を口にした。


「普通の隠蔽魔法……例えば【欺く像影ダミーテクスチャ】なんかとは手間の掛かり方が段違いだ。あれで欺けるのは視覚だけだが、こいつはなんらかの条件を満たさない限りは存在に気付くことも出来ないだろう」


 最も基本の隠蔽魔法【欺く像影ダミーテクスチャ】は術者のイメージを映像として出力し、実際の景色を塗り変えてしまう魔法だ。この魔法はあくまで目に映る風景のみを変えているに過ぎないため、手で触れるなどすればすぐに偽物とバレてしまう。


 だが、この洞窟を隠していた隠蔽魔法はそれとは別物だった。スイッチのオンオフの様に、この場所に近づいた存在に応じて、『ただの斜面』と『洞窟の入り口』とを切り替える。クロにはこの入り口を境界として空間そのものが操作されているとしか思えなかった。


 空間操作は系統としては最上級にあたる難度の魔法だ。イメージ、魔力操作技術、必要魔力量の全てを高レベルで求められる。クロも手術衣の外付けポケット内部を一般的な6畳間程度の容量へと拡張するために空間操作魔法を使用したが、その為に【星天へ導け、シューティングスター・解放の門リバティ・ゲート】の2割増しという膨大な魔力と3時間程度の全力集中を必要とした。おかげでしばらくは回復に専念する時間を作らなければならない程だった。


 この入り口を隠蔽するためにどの程度の空間が操作されているのかはわからないが、施した者が相当な使い手だったであろうことは容易に察せられた。


「余程隠しておきたい何かがあったのかもしれないが……まあそれはそれとして、だ」


 クロはそこで話を打ち切ると、視線を洞窟の奥へ向けながら口角を吊り上げた。


「……ここ、身を隠すには丁度良いとは思わないか?」


「確かに……」


 言われてイロハは条件を整理する。施設からの追手に存在を知られておらず、複雑な隠蔽魔法によって入り口を発見することも困難なこの場所は、隠れ潜むにはもってこいの場所に思えた。


「無論この隠蔽魔法を乗り越える為の条件がはっきりしないから楽観は出来ないが……少なくとも施設の連中がこの場所を探すことを思い付くまでの間は潜伏できるだろう。『最も暗きは灯り持つ手元なり』とも言うしな」


「どんな意味?」


「“近くにあるもの程、かえって見つけにくい”ということを例えたブロンザルトのことわざだな。炙り出しに失敗した奴らは、捜索範囲を樹海の外へ外へと広げていくだろうから、勝手に我々から離れて行ってくれるだろうさ」


 あれだけ大規模の“炙り出し”を行っても兄妹の反応がないと分かれば、施設の職員たちもいつまでも樹海に拘ることはあるまい、とクロは考えていた。


「という訳で、しばらくはここに隠れ潜んで力を蓄えようと思うが……奥の様子はどうだ?」


「すぐにでも地図が作れるよ」


「グッジョブだ」


「えへへ」


 既に洞窟の内部を【風読み】で精査していたらしいイロハの頭を撫でながら、クロはポケットからレポートを1枚取り出した。施設の警備員の夜間巡回のルートが記されたものだった。


「【完全改稿オール・リライト】」


 クロが唱えると、レポートに記された文字が一斉に崩れて元のインクに戻り、1つの球体となって紙の上に浮遊した。名称通り、文書のインクを操作して完全に書き換えるための魔法だった。


「消しちゃって良かったの?」


「もう必要ないものだからな。いつまでも死蔵するより使える形に更新した方が良い。さあ、洞窟の構造を教えてくれ」


「うん」


 球体から細い線上にインクを伸ばし、クロはイロハが言う通りに洞窟の内部構造を書き記す。5分程で、役目を終えたレポートは洞窟の地図へと生まれ変わった。


「良し、こんな感じか」


「うん。あと、何体か人型の動く何かがいたわ」


「人型の……?“人”ではなくか?」


「人にしては何だか違和感があったの。妙にツルツルしてるというか……」


 イロハがもたらした追加の情報を聞き、クロは訝しげに首を傾げる。地図を参照する限りこの洞窟には他にも入り口がいくつも存在するようだったため、自分たち以外に入り口の隠蔽を突破出来た者が居てもおかしくはないと思っていたが、イロハの説明はどうにも不明瞭だった。


「わかった。ならば実際に見てみるのが一番だろう。警戒しながら進むぞ」


「はい、にぃ様!」


 そうして、兄妹は未知なる洞窟の奥へと踏み出して行った。

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