魔人兄妹は密会する
「あなたは……?」
やっとのことで言葉を搾り出した少女に対し、青年はベッドの端へ腰を下ろしながら答えた。
「見ての通り、お前の上の部屋の住人だ。被験体96番、と研究者共やつらからは呼ばれている。まあ長ったらしい上に縛られているようで気に食わないから自分では“クロ”と名乗ってるがな」
と、青年――クロは自分が降下してきた天井の穴を指差す。施設に穴を空けるなどという大それたことをしでかしておきながら、悪びれる様子は微塵もなかった。
それもそのはず、この被験体96番と呼ばれる青年は、座学の際には魔人として戦う上で必要のない知識や事柄への質問を繰り返して担当の研究者を困らせ、戦闘訓練では教官に度々突っ掛かって首輪の電撃を受け、という問題行動の常習犯であったのだ。本人としてはこれ以上積み重ねた所で今更、という認識だった。
「部屋から動いて大丈夫なの……?」
クロに更なる問いを投げる少女の声に、多少の怯えが混ざった。被験体たちの位置情報は逐一研究者たちに伝わっているはずであり、脱走などの異常を察知すれば即座に専門の制圧部隊が飛んで来る。こんな場面を見られれば首輪の電撃だけでは済まないはずだったが……
「それなら問題ない。首輪こいつには訓練初日に細工をさせて貰ったからな。怪しまれないようガワと電撃だけはまだ残してあるが、位置情報はダミーを送信するようになってる。今頃研究者共やつらは俺がベッドですやすやしてると思ってるはずだ」
クロは何の気なしにそう締めくくった。
首輪への細工という明確な反逆行為の告白に、少女は今度こそ完全に言葉を失う。バレれば即刻殺処分の判断が下されてもおかしくないだろう。帝国が『魔人』たちに求めるのは命令のままに魔物を駆逐する兵器としての働きのみであり、反逆の意思など存在してはならないからだ。訓練スケジュールの過酷さも、心を砕いて反骨精神を抱かせないための方策の一貫だった。
「ここにいては飼い殺しにされるだけでまともな未来はないってことに気付いたから、早めに手を打たせて貰った。俺が取り込んだ魔晶の持ち主がそういう精密動作の得意なタイプだったのか、案外あっさりと細工は済んだよ。夜間巡回のパターンも把握しているし、まず見つかることはないだろう」
悪戯に成功した子どものような笑みを浮かべる青年の顔を見て、少女は不思議な感覚を味わっていた。
(こんな顔をする人が……いるなんて)
今まで少女の周囲にいたのは、訓練によって心身共に疲弊し、次第に表情と言葉を失っていく被験体たちと、常に怒っているように見える教官や難しい顔の研究者ばかりで、このように愉悦から来る純粋な笑みを見たのは造られて産まれて初めてのことだった。
「もしかして……毎晩部屋を抜け出しているの?」
少女は起き上がると、青年の隣に座り直した。“続きが聴きたい”と顔に書いてあるような少女の様子に気を良くして、クロは口調も軽やかに話を続ける。
「ああ、夜の散歩は日課になっているな。油断している研究者共の目を盗んであちこちの部屋に忍び込むんだ。そこには、奴らが座学では絶対に話さないような情報が眠っているし、俺たちが食べられないようなものもある」
例えばこれのように、と、クロは手術衣の内側に外付けしたポケットから小さな包みを取り出して少女に渡した。少女が包みを開くと、一口大の茶色い塊がいくつか入っていた。
「これは……?」
「お菓子、と言うそうだ。栄養補給とは別に小腹を満たしたり、美味しさを味わうために食べるものらしい。まったく、我々には大して味のしない食事ばかり出しておいて、自分たちはこのようなものを貪っているというのだから度しがたい」
目の前の塊が食べ物であるらしいと聞き、少女は1つをつまんで恐る恐る口に運んでみた。
瞬間、少女は脳がスパークしたかのような圧倒的な情報の奔流に飲み込まれた。経験したことのない食感、前例のない味、口内から鼻腔へ抜ける未知の香り――
「!!!!」
一噛みごとに少女の咀嚼は加速した。口内から塊が消え去っても、暫くその小さな口は動き続けていた。
そして我に返った少女は、素早く包みの口を閉じるとそれを青年に突き返した。
「……これは……危険物……!!」
興奮と多幸感により少女は動悸が激しくなったことを自覚していた。お菓子の美味しさよりも言い知れぬ危機感を覚えたが故の返却という選択であった。あのまま食べ続けていたら味覚がおかしくなっていたかもしれない、と、息を整えながら少女は考えた。
「ははは、それは残念。まあ、明日は別の土産を持って来るさ」
青年は包みをしまい直すとベッドから立ち上がり、天井の破片に乗った。
「待って……!」
「うん?」
破片ごと再び上昇しようとしたクロに、少女が駆け寄る。
「研究者の部屋じゃなくて、今日はどうして私の部屋に来たの……?」
被験体たちの部屋の内装は全て同一である。わざわざ危険を冒してまで他の被験体の部屋を訪れても、研究者たちの部屋に忍び込む以上のメリットはないはずだと、少女は考えていた。
「ああ……それか。何のことはない。単純に“妹”の顔を見に来ただけだ」
「妹……?」
「そう、妹。基本的には、同じ親から産まれた複数の子供の内、年下の女性の方を差す言葉だ。たまたま入った研究室で、俺とお前が兄妹の関係にあるという資料を見つけてな。気になったのでここに来た」
そういうと、青年は破片から降りて、少女の頭に優しく手を置いた。
「血縁とは、不思議なものだな。俺は今日ここに来た時点で、お前に対しては他の何者に向けるものとも違う感情を抱くようになっている。間違いなく、この散歩を始めて一番の収穫だな」
■■■■■■
結局、その夜も少女はなかなか眠れなかった。しかし、今回は不安から来る不眠ではない。
明日、あの自分の兄だという青年が、どんな未知を持ってやって来るのか。それが気になって目が冴えてしまっている。
翌日の訓練への不安など、綺麗に消え去ってしまっていた。
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