魔人妹は星を観る

 ――唸りを上げて風が吹き荒ぶ真夜中の草原に、金属のぶつかり合う快音が響いていた。


 草原を横切る小川の縁にて、剣を手に対峙する影が2つ。片方はピアノの鍵盤をあしらったワンピース姿の小柄な少女、もう一方は重厚な甲冑に身を包んだ巨漢――言うまでもなくイロハと、その胸の内に住まう風精ジルヴァンだった。ジルヴァンの魔晶世界にて久しぶりに再会した2人は、言葉より先に剣を交わすことを選んでいた。


「――ッ!」


「!!」


 イロハの姿が一瞬消え、ジルヴァンの懐に再出現する。その動きを風を読んで把握していたジルヴァンが正面で構えた刀に、純白の刃が激突して衝撃音が散った。


 イロハの動きを止めたジルヴァンが渾身の力で刀を振り抜き、発生した真空波がイロハの身を吹き飛ばす。受け身を取ったイロハは空中で風駆けを使い再び姿をくらまし、直後にダーツを織り交ぜての全方位攻撃をジルヴァンの身に浴びせた。


 鎧の風精は怪物の仮面の奥で微笑しながら、その連撃を的確に打ち払う。イロハもまた不可視の笑いを浮かべながら更に攻撃の苛烈さを上げて行く。


 剛にして静。柔にして動。およそ対極の剣を扱う両者の試合戯れは1時間程続き――


「はああぁぁ!!」

「――――ッッ!!」


 イロハの放った全力の【虹割にじわかち雷轟炸華らいごうさっか】と、刀身に激しい竜巻を纏わせたジルヴァンの刀が激突。凄まじい電光と暴風が爆ぜ飛び、周辺の下草がまとめて薙ぎ払われる。


 2人は剣を打ち合わせた状態でしばらく静止していたが、やがてどちらからともなくバタリと仰向けに倒れた。


 大の字になったイロハの視界に星空が広がる。ジルヴァンの魔晶世界の空は今まで細かくちぎれながら吹き飛ばされていく雲がある青空だったが今回は夜天であり、更に視界を遮るようなものは1つもなかった。


「いやはや、まこと楽しき試合であった……」


「私も……」


 息を切らしながら、イロハはジルヴァンの呟きに応える。自分の剣の師でもあるジルヴァン相手なら遠慮なく全力で打ちかかれるので、安心感と爽快感があった。もちろん一瞬でも気を抜けば容赦なく神速の斬撃が襲って来るため緊張感も相当なものがあるが。


「しばらく会えず、すまなかった。もちろんその間もそなたの活躍は見守っていたが」


「……何か、あったの?」


「夢魔シャルロテが現れてな、退屈しのぎを所望とのことで、1戦交えた」


「え」


 想定外の名前に、イロハは思わず固まった。


「……にぃ様の魔晶から……出てきたってこと?」


「夢魔としての能力の応用……と言っていたな。まあ、しばらくこちらに来ることはあるまいが」


「勝てたってこと?」


「否、我の敗北に近い痛み分けと言ったところよ。故にしばらく傷を癒す必要があったのだ。ここにいる限り――魔晶そのものが砕けてこの世界が瓦解せぬ限り、我ら内部の魂は不滅であるらしい」


「……だとしても、あんまり無茶はして欲しくないな」


 ジルヴァンの隣に転がり直しながらイロハがそう言うと、ジルヴァンは難しい声を出した。喜怒哀楽全てを内包しているような怪物の面の奥にある素顔がどのような表情をしているのかを、伺い知ることは出来ない。


「こればかりは魔物のさがというものでな……普段は律しているのだが、刃を交える機会があればそうしている理由を失くしてしまう。強き者を前にしたならば……なおさらだ」


 広がる星空に、ジルヴァンは籠手に包まれた手を伸ばした。


「勇者……か。以前この国に来た時にはいなかった」


「ギルドで聞いたわ。あなたが賞金首だったんだって……」


「左様。強き者を求めていたら、いつの間にやら懸賞金をかけられていた。……我としては挑みかかって来る者が増えるので好都合ではあったがな」


「……やっぱり?」


「うむ」


 次々にやって来る挑戦者を嬉々として返り討ちにするジルヴァンの様子が、イロハには容易に想像出来た。


「だが……なかなか我を打ち負かすに足る強者は現れなかった。最後に挑みかかって来たゴドノフ・バルダーと言う男こそ別格の強さではあったが……それでも尚、我は満足出来なかったのだ」


「ギルドでは、そのギルドマスターがあなたを撃退したって聞いたけど……?」


「そういう話になっているようだな。まあ、英雄譚や武勇伝なぞ得てして誇張されるものよ。我にとってはどうでもよいことだ」


 ジルヴァンは掲げていた腕を下ろすと、仰向けのまま腕を組んだ。


「あやつを戦闘不能にしたところで、あやつに我が内心では満足出来ていないということを見抜かれてしまってな……図星を突かれた動揺から言葉を返せなくなっている我に向かって、あやつはこう言ったのだ。『私は最早戦うことは叶わぬだろう。だが後進に託すことは出来る!貴様を討ち果たすに足るハンターを、必ずや育て上げて見せよう!!』と。我はその言葉に希望を抱いて、この地を去ったのだ。この星空は、その晩に見た物によく似ている……」


 夜天を見つめるジルヴァンの脳裏には、傷付いた身ながらも力強く誓いを立てて見せた、武人ゴドノフの綺羅星のような瞳が浮かんでいる。


「事実、その後この国は魔王軍すら退ける程の強者を有する国となった。大変に喜ばしいが……再び戦いに赴けないのが少々寂しくもある……あやつが育てたであろうハンターたちとも、もちろん勇者ともな」


「……なんとなく、あなたは勇者様と戦いたいんだろうなとは思ってたわ」


「うむ……まあ、なんだ、我の闘争心が甦らぬ内にこの話は終わりにした方が良かろうな。今はお互いまともに動けまい。静かに、こうして星を眺めていようぞ」


「星空って……まともに見たことなかったのよね。まあ青空も夕焼け空も、見慣れてはいないんだけど」


 今度はイロハが、夜天に向けて手を伸ばした。ちりばめられた星々は一掴みに出来そうでいて、しかし決して届かない。イロハの風読みの限界点よりも、その煌めきは更に先で微笑んでいる。


「……風の便りに寄れば、あの中には『風の星』なるものがあるらしい」


「風の……?」


「左様。大陸もなく、海もなく、そこではただ風のみがひたすらに荒れ狂うという。興味は尽きぬが……まあ仮に行けたところで生きられはせぬだろうな」


「うん……絶対無理」


「他にも火の星、氷の星、光の星と、星には様々な性質のものがあるそうな。だが、我々の住まうこの星のように、命の鼓動に満ちたものはごく僅かだと言う」


「そうなんだ……」


 イロハは翳していた手を下ろし、広がった視界に無数の星が瞬くのを見た。これ程の数の星の中にさえ命の芽吹く物がほんの一握りだけだというのなら、自分がこうして生きていることはいったいどれ程の僥倖なのだろう。――どれ程の、奇跡なのだろうという想いがイロハの胸を満たす。


「だからそなたには……自由に生きて欲しいと我は思う。この星に生を受けるという幸運に恵まれ、そしてその手で自由を勝ち得たのだからな……」


 そう言いつつ、ジルヴァンはイロハの方に顔を傾ける。怪物の面は、優しい微笑みを湛えているように見えた。


「私、やりたいこと探してみるわ。……明日が楽しみ」


 それから師弟は、草原が荒ぶまで天体観測を続けたのだった。

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