そして、魔人兄妹は
音はなかった。
静寂の中で、
そして、イロハが通った後をなぞるように、一拍遅れて暴風が突き抜けた。風に巻かれて、結晶の塊が台地に打ち落とされていく。溜め込まれていた魔力は霧散し、蛍火のように旋回しながら空中に溶けて消えていった。遅れて、完全にバランスを喪失した魔人1号がクレーターの底に倒れ伏した。
それは風精ジルヴァンが使っていた技の1つを、イロハなりの解釈で再現した攻撃。ジルヴァンから受け継いだ技法の数々を複合した、文字通り一直線に空を裂く不可視の一閃。
【秘奥・裂空】。
クロでは傷1つ付けられなかった魔人1号の翼を、イロハは見事に奪って見せたのだった。
「よくやった。イロハ」
「にぃ様!」
クロが声をかけると、残心を解いたイロハはその胸に飛び込むような勢いで兄に駆け寄って行く。
しばらく見ていることしか出来ないのは歯痒かった。
まともに拳を受けた瞬間など、生きた心地がしなかった。
「にぃ様、大丈夫?怪我は!?」
「折られた……が、ヤツ相手にこの程度で済んだのはむしろ僥倖だったと言えよう」
クロはムササビの尾の余りを添え木代わりに、オニイトハキの糸で左腕に巻き付けていた。そこへ魔人1号を拘束していたイロハ型
「ともあれ、ヤツの魔力源は絶った。体勢を立て直す前にここを離れるぞ」
「わかったわ、にぃ様」
元々、兄妹は魔人1号を完全に討ち果たすことまでは考えていなかった。と言うのも、魔人1号は兄妹にとってもう1つの敵対勢力たる魔王軍への抑止力であるため、下手に仕留めてしまうと逆に自分たちの首を締めることになりかねないからだった。
そのため、兄妹は魔人1号の魔力源たる身体の結晶体……即ち翼と左腕の破壊を狙っていたのだった。それが出来れば、追撃を振り切ることも十分可能だと踏んで。
2人はクレーターの外に出ると、上階に空いた穴を見上げる。遺跡入り口には施設の部隊が目を光らせているかもしれないが、流石に魔人1号程の脅威ではないはずであり、
兄妹はそれぞれ上階に飛び上がるための魔法を使おうとして、
キィイイイイン……という、耳の奥が痛くなりそうな異音を聞いた。
弾かれたように振り返ると、左腕を失った魔人1号がゆらりとした動きで立ち上がるところだった。その目は焦点があっておらず、瞳が小刻みに振動している。
不気味な音は、魔人1号の翼と左腕の切断面から発せられていた。
「にぃ様……これは……?」
「わからない……が、とどまっていても良いことはあるまい」
兄妹は顔を見合わせると急ぎ上階へ向かおうとしたが、
その寸前で、
「ガァァァアアアアァアアァァァァアア!!!!!!」
魔人1号が喉が張り裂けんばかりの咆哮を放ち、同時に切断面からまばゆい光を湛えた結晶体が飛び出す。結晶体はそのまま新たな翼と、最早完全に人の面影を残していない豪壮な左腕に変化し、直後に四方八方へ純白の光線を撃ち出した。
反射的に地面へ伏せた兄妹の頭上を、破壊の光が掠めていく。光線は壁面を横一線に削り取り、大空洞に消えない傷を刻んでいった。
「暴走しているの……?」
「おそらくな。……誤算だった」
クロは腹這いの状態で後方の魔人1号を一瞥する。変化は腕と翼だけに留まらず、結晶状の鱗が見る間に増殖して顔の左半分を覆いかけていた。既に左眼は人ではなく、細い瞳孔が走る竜のそれだ。
「これでは上層に逃げるのは難しいか……そして最早一刻の猶予もない」
大樹の枝葉が広がるかの如く乱舞する幾本もの光の筋により、大空洞が瞬く間に切り崩されていく。仮に隠し通路へ通じる岩の柱や台地と壁の接点に致命的な損傷が入った場合、兄妹は台地ごと深淵の底へ叩きつけられてしまうだろう。
「イロハ……賭けになるが……付き合ってくれるな?」
クロは神妙な顔付きで、イロハに語りかけた。その指先が、台地の端を差している。意図を察したイロハは、一瞬の躊躇も無く、
「もちろん。にぃ様が行く所なら、何処へだって付いていくわ。例え地獄の果てだろうとね」
「……ありがとう」
力強いその言葉に意を決して、クロはポケットからとあるものを取り出した。白黒の斑模様が目を引く拳大の果実だった。
「にぃ様、それって……!」
果実の正体を悟ったイロハが目を見開くが、クロは既にその一部をかじり取って咀嚼していた。にわかにドクンッと血液が沸騰するかのような感覚が全身を走り抜け、クロは思わずうめき声を発しながら胸元を強く握り締める。
「……一口でこれとは、凄まじいな」
クロが口にしたのは、死毒の樹海で回収した果実、マダラクサビガキ。『魔術師煽り』とも言う、食した者の魔力回復機能を暴走させて過剰供給状態にする果物だった。多く摂取すれば命にさえ関わる。
「まあ、問題はあるまい……過剰に供給されるならその分消費し続ければいいだけの話だからな!」
光線の密度が薄くなった瞬間を見計らい、兄妹は一気に台地の端へ駆け出した。クロはその間、休むことなく魔法を連続で行使する。
自らが使用出来る、ありったけの水中適用系魔法を。
そして、2人が台地から身を投じたその時、光線の1本が台地と上層を繋ぐ岩の柱を切断した。自重に耐え切れなくなり、台地と壁の接点が砕ける。これまでの戦闘で蓄積されたダメージのせいもあってか、台地自体にも次々に亀裂が入って連鎖的に崩壊していった。
互いの身体に腕を回して支え合いながら落下を続ける兄妹の頭上から、巨大な岩盤が降って来る。仰向けの姿勢になっていたイロハは、咄嗟に自分たちへ向けて魔法を使った。殴りつけるような突風が、兄妹を崩落の範囲外へ一気に押し出した。
錐揉み回転の最中、兄妹の目に、砕けた台地ごと落ちて行くあの石壁が映ったが、
「――――――――」
「――――――!!」
それに対する感慨を抱く間もなく、2人は漆黒の大河に呑み込まれていった――――
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