魔人兄withシスターの早朝クッキング

 厨房は礼拝堂の奥、応接室などがある建物の1階にあった。一抱えほどの大鍋も火にかけられるような、大きな竈が目を引く。


「朝のメニューは基本的にサンドイッチとスープです。今日はスープ用に、アルヴァンストラウトを捌いてミートボールを作る予定です」


 シスター服の上にエプロンを身に付けて袖をまくり、ミラは隅にあった魔晶式冷凍庫の戸を開けて1メートルほどのサイズの川魚を取り出した。銀色に光る鱗を持つそれは、よく見ると先日大剣鮫シャークレイモアの餌食になっていた魚だった。


「魚を捌いたことは……?」


「ないな」


「わかりました。では一緒にやりましょう。その前に、クロ様もこちらを」


「ありがとう」


 ミラに倣い、クロも袖をまくって渡されたエプロンを付け、頭に白いバンダナを巻いて髪を押さえる。両手には洗浄魔法を施した。


「まずは頭を落とします。ヒレの棘に注意して下さい。毒はありませんがシンプルに痛いです」


「わかった」


 ミラから調理用ナイフを受け取り、クロは木のまな板に乗せられたアルヴァンストラウトの胸ビレと首の間に刃を入れる。


 瞬間、アルヴァンストラウトの頭がひとりでに離れ、次いで身が勝手に捲れ上がってヒレと背骨とワタが外れ、身の内に残る小骨が全て飛び出して背骨の傍らに積み上がる。そして、残った身の部分は皮が剥がれた上でサイコロ状に分解された。


 そのでたらめと言うほかない光景に、ミラが目を見開いたまま硬直する。


「あー……すまない、いつものクセで【食肉解体ディバイド・ミート】を……」


「い、いえ……どのみち団子にしますのでサイコロになってしまったことに問題はないのですが……」


 ミラは困惑しきった目をクロに向けた。魔法が使われる瞬間は目撃したが、魔法の構造がまるで理解出来なかったのだ。


「……この魔法があれば調理用ナイフの扱いを学ぶ必要はないのでは?」


「生憎と万能ではなくてな。この魔法ではサイコロ肉しか作れないんだ……」


 本来は狩った獲物を解体して保存しやすくするというのがメイン効果のため、調理に使うには融通が効かないのだった。そしてこれ以上改造する余裕ももうなかった。


「そうでしたか、でしたら、やはり私がお教えしま――っ?」


 その時、ミラが一瞬顔をしかめて左手を見る。どうやらアルヴァンストラウトの棘で指先を切ってしまったらしく、線上に血が滲んでいる。


「大丈夫か?」


 とっさにクロが回復魔法を使ったため、傷は幸いすぐに塞がった。痕も残っていない。


「ありがとうございます。……私も自分で治療出来れば良かったんですけどね」


 ん……?と、クロはその呟きに違和感を覚えた。


 クロの持っている情報によればミラは勇者パーティーの『回復役』として選ばれたはずだったため、この程度の傷を治すことなど造作もないと思われた。


 その内心を見透かしたか、ミラは解体された魚を脇に寄せ、まな板とナイフに洗浄魔法を使いながら苦笑する。


「勇者パーティーでの私の役割は……正確には『勇者様を死なせない』ことでした。私の回復魔法は、ちょっと異質なんです」


 その後でミラが話した魔法の詳細を聞いたクロは難しい顔をした。


「それは……なんと言うべきか、“使う機会が訪れない方が良い”類いの魔法だな……」


「全くです。普段の生活では役立たずもいいところなので、幼少期の私は困り果てていました」


 ニンジンを手際良く乱切りにしながら、ミラは昔を懐かしむようにくすりと笑った。


「ですがそんな私に、当時の筆頭シスターだったシスターグラディスがおっしゃったんです。『神様の思し召しかもしれませんね』と」


「神の……?」


「はい、『あなたにしか救えない人を救いなさい』という啓示なのではないか、と。そう告げたシスターグラディスの不安そうな瞳を、今も鮮明に覚えています」


 シスターが心配するのももっともだ、とクロは思った。話を聞く限り、ミラの特異な回復魔法が威力を最大限に発揮するのは戦場――それも最前線レベルの激戦区だったからだ。


「……それでも、孤児だった私にとってそれは生きるための道しるべに他なりませんでした。それから私はシスターグラディスに師事してハンター兼業のシスターとなり、王宮から勇者パーティーのメンバーに指名されて今に至ります」


「……その“神様の思し召し”とやらに、不安や反発はなかったのか?」


「流石に不安はありましたよ。反発はありませんでしたけど……当時の私は、道が開けたような気持ちになっていましたしね。特に抵抗もなく、運命に従う道を選びました」


「そうか……」


 その答えは、“兵器として運用される”という運命に抗ったクロにとっては衝撃的だった。


 そして、ミラはこう続ける。


「運命はあくまでも道しるべです。従うも抗うもその人の自由。大切なことは、選んだ道を突き進めるように頑張ることだと思います。私はそうして生きて来ました」


「……そうか」


 火にかけた鍋の湯にまな板の野菜が吸い込まれて行くのをぼんやりと見つめながら、クロはミラの言葉を噛み締めていた。


「あ、でも私のこれは一個人の考えですからね。教会の重鎮の方々は多分いい顔をなされないと思います。皆様口を揃えて、神の定めた運命ならば素直に従うべきと言うでしょうしね」


 だから内緒にして下さいね?と、ミラはサイコロ肉に分解された魚の身を丸めながら年相応の悪戯っぽい微笑みを見せた。


「俺も抗いたくなるタチだからな。もちろん内緒にするさ」


 クロもまた、同じくらいの悪い笑みを返した。


「……では、スープが煮えるのを待つ間に、サンドイッチを作りましょうか。野菜を切るのをお願いしてもいいですか?やり方はお教えしますので」


「わかった。やってみよう」


 調理用ナイフを受け取り、クロはまな板の上の赤い野菜をスライスしようとする。


 その時、


「あ……すみませんクロ様。王宮から魔術通信を受け取りましたので少々お待ちを……」


「通信?こんなに朝早くからか……?」


 嫌な予感がして、クロは思わず眉をひそめる。時間帯と通信の送り主が王宮であることから、可及的速やかにミラ――あるいは勇者パーティーのメンバーの耳に入れなければならない情報があったのだろうと考えられた。


 ミラは押し黙ったまま通信を聞いていたが、しばらくして深々と息を吐いた。しかし難しい表情なのは変わっていない。


「……何か、良くない知らせでも受けたのか?」


「…………ええ」


 クロの問いかけに、ミラは神妙な顔つきで答えた。


「勇者様とクロ様たちが島から救出した人々と……王都の行方不明者の数が全く合わないそうです……」

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