魔人兄のシルバーブレット

 何故、と、フラウローズは最早何度目かもわからぬ問いを発した。確かに、魔力源としていた人間は解放された。それに伴い展開していた魔法【いと昏きブラックドッグ・魔犬の森フォレストヘル】は規模の縮小を強いられ、数の暴力による圧殺は出来なくなった。


 しかしそれでも、自分には霊体に加えて空間防壁という隙のない防御能力がある。空間を超える勇者の聖剣は霊体には通じず、魔法攻撃や霊体を削るダーツの群れは空間防壁で阻むことが出来る。敵に有効打はなく、このまま引き延ばしていれば、島を幻想の島たらしめていた膨大な魔力が暴走して全てを吹き飛ばすだろう。その未来を暗示するかのように、今尚空の亀裂は増え続け、連動して気流は加速度的に乱れて行く。


 そのはずなのに、だ。


(何故……何故寒気など感じるのです)


 背筋を這い昇る悪寒を拭うように、フラウローズは杖を振った。地面を破って現れた太くねじくれた根がクロを四方八方から串刺しにせんと襲い掛かる。


 だが対するクロはその場から動かず、不可視の衝撃による弾幕にてそれら全てを叩き落とした。【速射クイックドロウ】。破壊力を犠牲に極限まで発動速度と弾速を高めた迎撃・牽制用のその魔法は、次いで放たれた薔薇棘の群れも悉く弾き散らした。


 淡々と、作業的に。


 クロは悪魔の攻撃を打ち払い続ける。


「無駄なあがきです……!」


 フラウローズは吐き捨てながら尚も杖を振るいイバラの鞭を呼び出す。その言葉は、まるで自分に言い聞かせているかのようだった。


「多少弱った所で私の優位は変わりません。決定打のないあなたたちは、ただ自らを追い込んだだけです!」


「決定打がない……か。確かに――」


 パチッ、と。ダーツの乱舞でイバラを裂き散らすクロの左手が青白くスパークした。その輝きは徐々に激しさを増し、周囲の風音さえ飲み込んでいく。


「――何しろのだから、そう思うのも無理はないな?」


「は……?」


 一瞬、フラウローズの思考に空白が生じた。背筋で蠢いている悪寒がにわかに存在感を増す。


 思えば、今対峙しているこの白髪灼眼の男が何者であるのか、フラウローズは知らない。元々外部から魔力を持つ物を引き寄せるための潮流に引っ掛かっただけの魔力リソースとしてしか兄妹を見ておらず、その細かい素性など完全に意識の外だった。


 実際に矛を交えても尚、その認識は変わらなかった。兄の方は自分の攻撃が効かないと見るやすぐさま勇者を救出しに向かった(実際には勇者の存在などクロは知らなかったのだが)し、妹も妹でフラウローズに直接攻撃してきたことはなかった。“勇者を頼みの綱にしている”ようにフラウローズには見えたのだ。


 結果、フラウローズは2人を無意識の内に単なる取るに足らない有象無象と決めつけてしまっていた。“実力が未知数”という、ある意味単純な強者よりも危険な相手であったにもかかわらず。


「……さて、さっきは妹が世話になった」


 不意に、フラウローズの目の前で銀色の輝きが瞬いた。舞い降りて来た魔銀のダーツだと悪魔が認識する間に、それは一瞬前まで離れた位置にいたクロの姿へと取って替わる。


 クロはそのまま電光を纏う左の拳を悪魔の胸に押し当て、


「ほんの礼だ。受け取って逝け」


 直後、爆発したような衝撃音を響かせながら、フラウローズが凄まじい勢いで後方へ吹き飛んだ。悪魔の身体はたむろしていた黒犬たちを巻き込みながら2度、3度と地面をバウンドし、幻影の薔薇の幹に激突してようやく停止する。


「ガッハァアあああ!!?」


 想像を超える衝撃に、犬頭の悪魔が絶叫する。


「攻撃が……」


「通った……!?」


 黒犬の群れを相手取っていたユウジと、回復し終えてゆっくりと立ち上がったイロハも驚愕の表情を見せた。


(いや、驚くべきはそれだけじゃない。あいつの身体は物理干渉を受け付けない霊体のはずだ。それが地面をバウンドしたってことは……身体が何らかの理由でしてるということ……!)


「そもそも、あいつシャルロテの忠告に具体的な情報は欠片もなかった。全てを俺が推測するしかない以上、あらゆる可能性を考慮するのは当然だろう?」


 そう考えたクロは、母数が多いと目される霊体への特効を使用頻度の高くなりそうなイロハの杖と幽冥閃針アストラル・ダーツに与え、それ以外への解答を“隠し球”として別に用意していた。それが、長さ60センチ程の全純魔銀ピュアミスリル製の


幽冥穿杭アストラル・パイル】。


 ポケット内空間に仕込まれていた専用の石人形パイルバンカーによってクロの袖口から射出されたそれが、フラウローズの胸の中心に突き立っていた。


「ば……馬鹿な……我が霊体に傷を……!?」


 息も絶え絶えとばかりに立ち上がったフラウローズは、即座に体を貫いている杭を引き抜こうとする。ところがフラウローズの手は杭をすり抜けてしまい、どうやっても触れることが出来ない。


「どう……なってるの?」


「ああ、見ての通りだよ」


 困惑の表情を浮かべたまま隣にやって来たイロハに、クロは説明し始めた。


幽冥穿杭アストラル・パイル】は、平常時からして“実体”と“非実体”の境界が曖昧という特異な性質を有している。それはつまり、“あらゆる物体に触れることができ、同時にあらゆる物体に触れることができない”、“あらゆる空間中に存在し、同時にあらゆる空間に存在しない”という矛盾の塊であるということだった。そのままでは内包する矛盾同士が競合して、武器として扱うことはおろかただ手に持つことさえままならず、クロのポケット内空間でしか安定して存在させられない。


 この武器を扱うためには常に魔力を繊細なコントロールで流し続け、その不安定な存在を実体と非実体のどちらかに一極化――スイッチを切り換えるようなものだ――させなければならなかった。


 だが、ひとたび存在を確立させることが出来れば、この杭が抱える矛盾は凶悪な武器となって相手に牙を剥く。“あらゆる空間に存在する”という性質により空間防御は意味を為さず、状態を“非実体”に傾ければ例え霊体だろうが易々と貫通する。


 更に、そうして貫いた対象が“非実体”の存在だった場合、この杭は元々の“実体と非実体の境界が曖昧”という性質に基づき対象に【この物は実体に貫かれた。すなわちこの物は実体である】という定義を押し付ける。


「――結果として、貫かれた対象は強制的に実体化。あとは杭の方を非実体のまま固定することで、引き抜かれることも無くなる。正に、今の奴が陥っている状態がこれだ」


「……頭が痛くなって来たわ」


「しかもだ。あれが刺さっている限り、『杭』という物が有している『何かを打ち抜いて固定する』という概念によって奴は俺たちがいる空間に繋ぎ止められる。これで空間防壁も封じた、丸裸も同然だ!……全く、メフィストフェレス様々だよ」


「な……に……?」


 その言葉に、フラウローズが反応した。何故ここで、あの役立たずの名前が出てくるのかと。


「その杭はな、あの劇作家に髪の毛を大量投入した代物だ。お前らにとっては役立たずだろうが、あいつは立派な上級悪魔だ。マジックアイテムの素材としてこれ以上のものはない」


 クロは【幽冥穿杭アストラル・パイル】を作るにあたり、普通のアイテムであれば1本で十分な効果が得られるメフィストフェレスの髪の毛を10本以上使用していた。作業難度は自由なる旅人の装束ワンダラーズ・クロス幽冥閃針アストラル・ダーツの比ではなかったが、その末に完成した代物が、こうして今銀の弾丸シルバー・ブレットとして機能している。


「お前が役立たずと切り捨てたあいつが、お前に対する最強の切り札だったのさ」


「お、のれぇ……!!」


 メフィストフェレスへの義理は、これで果たした。あとは、フラウローズにトドメを刺すのみ。だがクロの魔力は度重なる魔法の行使と【幽冥穿杭アストラル・パイル】の制御で底を突き、イロハも回復したとはいえまだ動きが悪い。


 だからクロは、目の前の背中に声を掛けた。


「なあ、あんたも、色々ぶつけたいものがあるんだろう?」


 彼は既に、頭上に掲げた刃へ鮮やかな彩光を束ねている。


「こっちは色々と使い果たしちまったし……あとは、任せてもいいか?」


「ああ――」


 そうして、黒虹くろにじの勇者は不敵に笑う。


「もちろん」

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