第六話:雑用クエストと納品クエスト

 アビコルの世界に迷い込んで一週間。


 窓口で依頼達成の報告をして戻ってくると、何故かナナシノがどよんとした空気を纏っていた。


 ナナシノの格好は初日に買い替えた地味なローブではない。

 ここ一週間、僕は幾つもの雑用クエストをこなしたが、クエスト報酬の取り分は半分ずつにしていた。


 それで買い替えたのだろう。ナナシノの格好は若干可愛らしいデザインの召喚士のローブに変わっていた。手にも飾り気のない木の杖が握られており、格好だけならば初級召喚士として相応しい物になっている。


 一方で僕の格好は初日のままだ。杖なども持っていない。召喚士コーラーの一番の武器は眷属だから僕自身は何も持つ必要がないのだ……などと格好いいことを言っているが、単純に重い物を持ちたくないだけである。


 ナナシノは戻ってきた僕を見て暗い声をあげた。


「ブロガーさん、私達、何してるんでしょうね……」


「今日は草むしりだね。はい、これ報酬半分ね」


「ありがとうございます……ってそうじゃなーいッ!」


 しっかりと渡した三千ルフを懐にしまった後につっこみを入れてくる。どうやら随分とこの世界の生活にも慣れたらしい。

 ナナシノに注視すると、ナナシノアオバの名前の隣に鉄色の丸が見える。

 これは召喚士のランクを表しており、ナナシノが鉄ランクの召喚士である証だ。ギルドの依頼を一定数こなせばランクが上がり、ランクが上がればより難易度の高い依頼を受けられるようになる。

 登録したての頃はランクなしなので、それはナナシノのここ一週間の実績でもあった。


 ナナシノはぐるりと辺りを見渡すと、僕の方に食って掛かるように顔を近づけた。

 初日と比べ健康的に日に焼けた肌。ナナシノが早口で言う。


「ねぇ、ブロガーさん。そろそろ……外に出ません? おかしいですって、一週間ずっと町中でクエストなんてッ!」


 どうやらナナシノは雑用クエストをするのが嫌らしい。


 確かにギルド内にいる他の召喚士で僕達のようにずっと町中の雑用に従事している者はいない。

 もともと、ギルドは特殊技能を持つメンバーに仕事を斡旋するためにあるのだ。強力な眷属を召喚して操る召喚士に持ちかけられる依頼は九割が戦闘に関するものである。


 だが、僕はその依頼を避けていた。何故簡単な依頼で魔導石が手に入るのに危険な依頼を受けなくてはいけないのか。

 なんたって、一週間もたつのにまだログインボーナスが入っていないのだ。簡単な依頼が枯渇するまで町中で依頼を受けるべきである。

 まぁ、僕ばっかりクエスト受けてるせいかナナシノは全く魔導石手に入ってないみたいだけど……。


 どうやらナナシノはここ一週間でこの世界に順応しすぎて頭がぱーになってしまったらしい。物分りの良さもよりけりだな。

 アイリスの単騎兵はサイレントよりもずっと弱いのだから、少しくらい注意すべきだ。


「そうだぞ、あるじぃ。そろそろざつよういがいのこと、したいぞ」


「『送還デポート』」


「そ、それいやぁぁあああああああああぁぁぁぁッ!!」


 邪魔者も消え、落ち着いたところでナナシノの方を向く。


 誰から入れ知恵をされたのか知らないが、面倒なことを知ったものである。

 もしかしたら僕がギルドの受付さんに戦闘依頼を受けるように注意されているのに気づいたのかもしれないが、どちらにせよ僕はしばらく戦闘クエストを受けるつもりはない。


 だが、僕とナナシノは無関係である。彼女が僕についてきているのもただの流れだ。魔導石入るし、報酬割り勘なんてどうでもよかったから何も言わなかっただけで、別に僕は彼女の行動を妨害してはいない。


「まぁ、僕はこのまま雑用クエストを受けるけど、ナナシノは討伐クエストでも受けてみたら? 簡単なものならアイリスの単騎兵でも十分クリアできるだろうし」


「……え?」


 予想外だったのか、ナナシノが目を丸くする。

 進化前のアイリスの単騎兵は雑魚だが、もともと序盤のクエストの難易度は易しいのだ。今のナナシノでも余裕を持ってクリアできるくらいに。


「別に僕にナナシノの行動を強制する権利なんてないし、そろそろ一人で動くのもいいんじゃないかなぁ」


 幸いなことに、初日にナナシノに絡んだ連中もそれ以来見ていない。


 まるで任せろとでも言うかのように、アイリスの単騎兵がナナシノを突っつく。

 ナナシノはその様子を確認した後、僕に上目遣いで尋ねてきた。


「えっと……ついてきてもらうことって――いや、なんでもないです。はい」


「初めてならブルージェル・コアの納品あたりがいいんじゃないかなあ……」


 ブルージェル・スライムはアビコル中最弱のモンスターだ。本来ならばチュートリアルで戦う事になる相手である。そんな相手ならば逆に負ける方が難しい。

 倒した時にドロップするブルースライム・コアが薬の材料になるらしく、報酬は安いがギルドには常に納品クエストが張られている。


 僕の言葉を鼓舞と受け取ったのか、ナナシノが表情を僅かに明るくした。

 雑用ばかりやらされることにストレスでも溜まっていたのだろうか。別に僕がやれって言ったわけじゃないんだが……。


 ナナシノは少しだけ逡巡したが、すぐに今のままではダメだと思ったのだろう。唇を結び、真面目な表情で僕を見上げる。

 が、その唇の端っこがまるで笑みを我慢しているようにぴくぴく動いている。


「じゃ……じゃあちょっとだけ、行ってきます……」


「いってらっしゃーい。頑張ってねー」


 ナナシノがギルドからいなくなるまで見送ると、僕はさっさと次の雑用クエストを受けることにした。

 もともと人気がなかったため残っていた雑用クエストの数もそろそろ少なくなっている。魔導石は初回クリアのみで手に入るので同じクエストを二度やっても意味もない。


 僕も遠くないうちに戦闘クエストを受けなくてはならないことになる。それまでになるべく魔導石を集めておかなくては……。



§ § §



 この世界は広い。


 七篠青葉が唐突にアビス・コーリングの世界に迷い込んで一週間。理解したことを一言で述べるならばその一言に尽きる。


 初めはあった緊張も一週間でだいぶ溶けていた。相方のブロガーの影響で街から一歩も出なかったが、青葉もずっとその青年と行動を共にしていたわけではない。

 顔見知りの店の店員から、ギルドにいる他の召喚士から、はたまた図書館で文献を読んで、青葉は新たに現れたファンタジーな世界に思いを馳せていた。


 炎の燃え続ける大地。下から上に流れる大滝。空に浮かぶ巨大な島に、鏡の裏に存在するという無限の洞窟。街の見た目は元いた世界と変わらなくても、そのバックボーンは全く違う。


 青葉はもともと、活発な方だ。だから、それを知った時からいつ街の外に向かうのか、今か今かと待望していた。

 結局一週間ずっと雑用クエストを受け続けることになったが、そのブロガーの気持ちを青葉は全くわからなかった。


 もともと、ブロガーと名乗る青年の口数は余り多くない。聞いたことしか答えてくれないし、その言葉一つ一つもどこか皮肉げだ。だから、青葉の不満が爆発するのも時間の問題であったのだ。


 だが、今の青葉にはブロガーに対する不満など全く残っていない。


 巨大な門を潜り街から出ると、眼前にはどこまでも広がる草原があった。

 初日は何がなんだかわからず、考える暇もなかったが、その雄大な光景に感極まってしまい、青葉は息をごくり呑みこんだ。

 

 小さな騎士がまるで準備運動でもするかのように剣を抜き放ち、ぶんぶん振っている。

 一見コミカルな動きだが、アイリスの単騎兵の能力が青葉本人を遥かに超えるものだという事は既にわかっていた。


 青葉が調べたのは世界に関するものだけではない。当然、召喚士についても調べている。


 召喚士コーラー


 七つの異界から呼び出した強力な眷属を使役する者。特殊な才能が必要なので絶対数は少ないが、一流の召喚士は複数体の眷属を使役しその戦闘能力は一軍に匹敵するという。


 青葉の脳裏には初日、五体もの強そうな眷属を一瞬で戦闘不能に追いやったブロガーの眷属――サイレントの力が焼き付いている。

 アイリスの単騎兵の能力はそこまで高くないようだが、それでもその剣の鋭さ、動きの素早さは知っている。……主に、雑用を介して。


 一瞬気落ちしそうになったが、首をぶんぶん振って足元のアイちゃんに笑いかけた。


「……さ、アイちゃん。いこっか」


 アイちゃんがそれに答えるように首を縦に振った。


 購入した地図を元に草原を進む。街の近くだけあって、草原にはほとんど魔物が生息していないらしく、それほど時間を掛けずに目的地にたどり着いた。


 強い湿気。どろりと粘土の高い地面。


 今回の討伐目的であるブルージェル・スライムの生息地は湿地帯だ。古都の付近では数少ない魔物の生息するフィールド――【フェッグ湿原】。

 生い茂る濃緑の植物と、そこかしこに広がる小さな水たまりに思わず目を見開く。

 空を編隊で飛ぶ黒い鳥に、はるか遠くには青葉と同じくらいの大きさの巨大な蛙が見えた。


 好戦的な魔物や強力な魔物は殆どいない。事前にそう聞いていなければ逃げ出していたであろう光景だ。

 思わず唇を結ぶが、遠くには何組か青葉と同じような格好をした人間の姿もある。いざという時は助けてもらえるだろう。


 青葉と異なり、アイちゃんは全く怯んだ様子がない。

 その様子に元気づけられ、青葉は湿原に足を踏み入れた。


§


 小さな体が滑るように近づき、一メートル近い大きさのカマキリの鎌を回避し、その身体を一刀両断にする。


 アイリスの単騎兵は青葉の想像以上に強かった。

 俊敏な動作。切れ味鋭い刃に恐れを知らず攻撃を仕掛ける様は本物の騎士を見ているようだ。

 カマキリが崩れ去ると同時にアイちゃんは青葉の元に戻る。その純白の装甲には血の一滴もついていない。


「す……すごいすごい!」


 手放しに喜ぶ青葉に、アイちゃんは剣を前にかまえて礼をした。


 アイリスの単騎兵は青葉の想像以上の働きを見せた。


 小さく軽い身体は粘性の強い地面においても足を取られることはない。

 逆に青葉の方がなれない足場にもたもたすることが多く、アイちゃんはさっさと先行して遠くに出現した魔物をすべて屍に変えていった。


 一撃たりとも受けることなくすべての魔物を一撃で屠っていく様は一騎当千の騎士に見える。


 その光景に喜びつつ、しかしふと青葉の脳裏に疑問がよぎった。


「……なんでブロガーさん他のクエスト受けようとしないんだろう?」


 リセマラ、といった。

 ブロガーの話は余りゲームに詳しくない青葉には少し難しかったが、青葉の眷属よりも強力な眷属を呼び出したというその青年ならば討伐クエストを達成するのも簡単なはずだ。


 町中でせこせこ雑用クエストを続けるブロガーの評判はだいぶ低い。当の本人はまったく気にしている様子はないが、臆病者をより口汚くした言葉で呼ばれているのを青葉は知っていた。


「……まぁ、私がクエストを達成できればきっとブロガーさんもやるよね……」


 青葉はブロガーのことが余り得意ではない。が、決して嫌いでもない。

 帰ったらこの湿原の事を話してあげよう。そう心に決め、青葉は本格的に討伐対象を探すことにした。




§ § §




 サイレントはブロガーの事を嫌っていない。


「あるじぃ、わたしも、もっとちゃんとしたクエスト、受けたいぞ?」


「まだ早いって」


 とりつくしまなしにサイレントの召喚士が答える。視線を向けることすらせずに。


 だが、どれだけ無下にされても、サイレントがその主の命令に背くことはない。


 サイレントが生まれ育った黒月の世界は冥種のみが棲む混沌の坩堝だ。


 常に闇に包まれ、一筋の光もない世界、弱肉強食のみが唯一の法となった世界で、サイレントは強者の一体だった。その名を聞いただけで弱者は震え上がったものだ。


 そこでサイレントは宮殿を建て、数多の臣下を侍らせ生きてきた。


 もっとも、その世界にはサイレント以外にも突出して強力な冥種が何体もいたので完全に好き勝手できるわけではなかったが、不意に目の前に発生した召喚門ゲートを潜って召喚士に使役されるよりはよほど自由気ままな生活ができていた。


 だが、それでもサイレントが求めに応えたのは、そこに自分の力を高めるための手段を見出したからだ。

 そして、召喚され、少しばかり頭のイカれた主を得た今もその選択が正しかったと思っている。


 ばたばた手足を動かし主張するサイレントに、その主人が呆れたように言う。


 冷たい眼、冷たい声だ。だが、その主の言葉にはサイレントが今まで何度か得たどの主人の言葉よりも自信と確信に満ちていた。


「『一単語の系譜ザ・ワード』は経験値テーブルが辛いからなあ……こんな序盤じゃレベル上げられないでしょ」

 

「……」


 サイレントは知っている。自分が何者なのかを。

 サイレントは知っている。自分の力は強力だが決して最強ではないことを。

 サイレントは知っている。少なくとも自分と同格の存在が何体も存在することを。


 ――今まで戦った経験から知っていた。


「主は……物知りだなぁ。我は……我を知る者と出会うのは……初めてだ」


「何十万もつっこんだからね」


 今までは『一単語の系譜ザ・ワード』の単語を知る者すらいなかった。

 人間の寿命はサイレント達、超越存在からすると短すぎる。


 言っている意味はわからないが、その眼はサイレントの遥か上を見通している。だから、サイレントはそこに賭ける価値を見出した。

 殴られ蹴飛ばされ、罵られる程度、力の代価だと思えばサイレントにとってなんということもないのだ。

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