第十一話:孵化システム

 【竜種】

 七つの月の中では最も強い輝きを持つ黄の月。黃月が司る種族であり、七つ存在する種類の内、最も強力でそして最も育てづらい種でもある。

 アビコルでは異種を除くと、竜種を使うプレイヤーが一番少ないとされていた。


 アビス・コーリングはクソゲーだ。

 アビコル運営は何を考えたのか、竜種の育成方法に、大体インドアなゲーマーの天敵となるシステムを組み込んだ。


 それが――移動距離を利用した卵孵化のシステムだ。


 アビス・コーリングでは、卵は『召喚コール』した状態で一定距離を進むことにより孵化――進化ステージ・アップする。

 卵にも幾つか種類があり、レア度順で虹卵、金卵、銀卵、黄色卵の四種類がある。レア度が上がれば上がるほど卵が孵るのに必要な距離が増えていきレア度の高い眷属が出やすくなるが、それは必ずしも絶対ではない。

 黄色卵は卵の中ではレア度が一番下だ。孵化までに必要とされる距離は百キロ、五百キロ、千キロのうちの三択である。銀卵だと百キロは出ないし、金卵だと百キロと五百キロは出ない。

 順当にいけばナナシノの卵は百キロ卵のはずだが、後者二つが出る可能性も低くはないのでなんとも言えない。


 生まれる眷属は卵の時点では判断がつかない。純竜か古竜のどちらかが生まれるはずだが、その二種の中でもピンからキリまであり、アイリスの単騎兵よりも弱い者からサイレントより強い者まで千差万別。

 ガチャで出た結果で更にガチャをさせるというえげつないシステムだった。



 だが、竜種を操るプレイヤーが少なかったのはそのせいではない。



 卵孵化は卵を召喚した状態で移動すると孵化する。移動すると孵化するが、この移動とは何を指しているのか?




 ――そう、現実での移動距離である。


 ゲーム内での移動ではない。現実での移動距離である。

 アビコル運営は僕達インドア引きこもりゲーマー(偏見)に、竜種の卵を孵すために現実で最低百キロ移動しろと言っていたのだ。ゲームちげーだろ、死ねッ。


 だから、竜種の育成はハードルが他よりも少しだけ高い。

 更に、ゲームの時はスマホを持って移動するだけですんだが、この世界では重たい卵を抱えて移動しなくてはならないのでずっと大変だろう。


 NPCにもわかるようになるべくゲーム用語を使わないように説明をし終えると、シャロがおずおずと小さく手をあげた。


「で、でも……竜種の眷属、連れてる人……います、師匠。そのまま……出てきたって」


「竜種でも、『前竜』と『亜竜』は卵じゃなくてそのまま出て来るからね……」


 竜種は大きく四種類にわけられる。

 すなわち、蜥蜴や亀、蛇など、どう考えても竜と言うより爬虫類だろ、みたいな眷属が属する『前竜種』、ワイバーンやシー・サーペントなど竜に半歩足を踏み入れた眷属が属する『亜竜種』、そして、一般的なドラゴンである『純竜種』と、古代から存在している極めて強力なドラゴンが区分される『古竜種』だ。

 卵から現れるのは後者二つだ。稀に前者が現れる事もあるらしいが、僕がゲーム時代に試した時には一度も生まれなかったので無視していいくらいの低確率なのだろう。


「で、でも……持って歩け、なんて……」


 ナナシノが戸惑ったように卵を見る。細身のナナシノからすれば抱えてしまえば視界が塞がれるかもしれない。その前にその細腕で抱えられるかどうかも怪しいところだ。

 冷静に考えるとかなりハードルが高いかもしれない。


送還デポートしているとカウントされないからね」


「卵なら……温めるとか……時間経過で孵るとかが普通じゃ……」


「そんなの知らんよ」


 文句はアビコル運営に言え。


 しかし、問題は多い。僕が卵を引いてたらサイレントに持たせて歩かせただろう。だが、ナナシノには常時召喚枠が一体しかないのだ。卵を召喚しているとアイリスの騎士兵が召喚できない。


 思案げに黙り込んでしまったナナシノに、シャロが小さな声で言う。


「で、でも……師匠の言葉、正しいかも……知れないです」


「え……?」


「昔、召喚して何年も経って、卵が孵った人がいて……その人は、召喚士として初めての召喚で卵を引いて……召喚士の道を諦めて別の職についた人だったって……」


 前例があったのか……。


 その声は小さかったが、若干興奮したように熱がこもっていた。

 この世界で色々勉強していたナナシノもそんな噂は知らなかったのか、真剣な表情でシャロに尋ねる。


「その人は……何の職についたの?」


 シャロはじっとその視線を卵に向けたまま、答えた。


「…………行商人、だったらしいです」


 ゲーム時代はGPSで移動距離を取っていたが、どうやらGPSのないこの世界でも卵は孵るようだ。



§



 燦々と太陽が降りしきる熱い日中、古都の中央付近にある大きな公園にナナシノが立っていた。


 格好はいつもの召喚士のローブではない。丈の短いショートパンツに腕が剥き出しになった紺色の薄いシャツ。肌は日焼け防止のクリームが塗ってあるのだろう、瑞々しく艷やかに輝き、頭には日光を遮断するための白い帽子を被っている。

 その健康的な肢体に、偶然公園に来ていたらしい剣士風の男がぼーっと視線を取られている。


 僕も同じようにじっくりナナシノの全身を確認し、大きく頷いた。


「ナナシノってスタイルいいよね」


「ッ……あ、ありがとう、ございます……」


 ナナシノが一瞬表情を崩しかけ、身体を隠すように後ろを向いた。

 サイレントがポケットからこぼれ出て地面に着地し、ナナシノの後ろに回り込む。


「まぁ主のセクハラは置いておいて……ななしぃ、本当に走るのか?」


「は、はい……」


 ナナシノが自然溢れる公園を眺め、慈愛の混じった声色で言う。


「せっかく、眷属召喚で……出てきてくれたので……孵化できるなら、したいと」


「聞いたか、主。人間常に謙虚でありたいものだな」


 サイレントがのそのそ僕の足元まで来て、僕を見上げる。


「僕はいつだって謙虚だよ」


「別に主が謙虚じゃないなんて言ってないぞぉ?」


 僕は全力でサイレントを蹴飛ばしてやった。

 サイレントが蛙が潰れたような悲鳴を上げ、弧を描いて茂みの向こうに落ちる。既に慣れてしまったのか、シャロもナナシノも僅かに目を見開いただけで何も言わなかった。


 サイレントの醜態をなかった事にして、ナナシノに向き直る。


「今日、随分暑いけど大丈夫?」


 僕だったらたとえ卵を手に入れたとしても絶対走りたくない、そんな気温だ。

 ナナシノが太陽に負けない笑みを浮かべて言う。


「はい、大丈夫です。私、走るの得意なんですよ」


「まぁナナシノが僕よりもずっと体力あるのは知ってるけどね」


「それに……ダイエットにもなるかもしれませんし……」


 ちょっと冗談めかしてナナシノが言う。別に太っているわけでもなし、ダイエットなんて不要に思えるが、ナナシノがやると決めたのならば僕から言うことはない。


「眷属もいないし、攫われないように気をつけるんだよ。治安も良くないみたいだし」


 夜中の路地裏に、挙動不審げにウロウロしている人畜無害の召喚士がいたらすぐに襲われるくらいに治安が悪い。昼間だがナナシノは可愛いし格好が格好だし、ちょっとつまみ食いしてやろうなんて思う連中がいないとも限らない。僕が予約しているのを忘れないで頂きたい。

 傍らのアイちゃんもフルフェイスの甲のせいで表情がわからないが、多分心配そうにナナシノを見上げている。


「大丈夫ですって……いざとなったら、卵を送還デポートしてアイちゃんを出すので」


 まぁアイリスの騎士兵がいれば大丈夫か? でもなぁ……。


「ひゃッ!? ブ、ブロガーさん!?」


 ナナシノの頬に手を当てる。

 暑さ対策か、やたらと薄い紺色のシャツと白い首筋のコントラストが眩しい。印くらいはちゃんとつけておいた方がいいかもしれない。僕は慎重派なのだ。


 そこに唇を寄せようとしたその時、ふと僕の服の裾が引っ張られた。生じた僅かな隙にナナシノが後ろに下がって離れてしまう。

 引っ張ったのはシャロだった。顔を真っ赤にしてうつむきがちに服を掴んでいる。手を振り払うと、顔をあげた。まるで全力を振り絞ったように、大きな声で言う。


「し、師匠! わ、私が…………青葉ちゃんと、一緒に、走ります」


「え? 何で?」


 君、卵持っていないじゃん。


「わ、私と一緒だったら……一人じゃなかったら、きっと、青葉ちゃんも安全です」


 涙目で言い切るシャロ。僕からすればナナシノ一人がナナシノとシャロになったところで、味の付いた鴨がネギ背負って歩いているようにしか見えないのだが……むしろ、シャロよりもナナシノの方がずっと強いわけで。


 僕は、視線を離さず見上げてくる涙目シャロと、顔を真っ赤にしてそわそわしているナナシノ、不幸コンビを見て、一度頷いた。


「よし、サイレント」


「なんだ、あるじ?」


 サイレントがイモリのような動きで藪から僕の足元に来る。僕はサイレントを見下ろし、ナナシノを親指で指した。


「君、ナナシノの護衛やれ」


「……え?」


 ナナシノがぽかーんとした表情で僕を見ている。サイレントが何も言わずに目を丸くする。

 僕とて自分の眷属を人のために使うのは不本意ではある。だが――


「毎度毎度、倒れられたり攫われたりレアモンスターにやられたりされたら困るんだよね。僕が予約しているのを忘れないで頂きたい」


「予……約……?」


 身体に傷がついたらどうしてくれるんだ。

 シャロが訝しげな表情をする。それを打ち消すように、ナナシノが慌てて言葉を出す。だが、その顔は耳まで真っ赤になっている。


「で、でも、サイレントさんを、私につけたら……ブロガーさんは――」


「そうだぞ、主。主は、人から恨みを買いやすいんだから――」


「大丈夫大丈夫。突発的にクエストが起こってもそれを受けなきゃいいだけだろ。今日はフラーを使って雑用クエストでもやるよ」


 白い蝶々を追いかけていたフラーが僕に呼ばれたと思ったのか、近くに寄ってきて、何を考えているのかわからない笑顔を向けてくる。

 多分一個か二個くらい雑用クエストが残っているはずだ。僕以外あまり受けていないようだから、減らないのである。フラーでも必死に働かせればなんとかなるだろう。


 それでもナナシノは引かずに声を荒げる。


「そんな……受けなきゃいいって……お、襲われたら、どうするんですか」


「だから受けないって言ってるだろ」


 町中で襲われるなんて、それは間違いなくクエストである。僕はナナシノとは違うのだ。僕は勝てないクエストを受けたりはしない。

 聞き分けの悪いナナシノや、何か言いたそうだけど結局黙ってしまったシャロと違って、サイレントは小さく頷いた。


「まぁ、やるのは構わんが……あまり離れないで欲しいぞ。我は主の眷属だ、あまり離れすぎると、力がでなくなる……」


 初耳情報である。ゲーム時代はそもそも自分の側から眷属を離す事なんてできなかったが、後で詳しく聞いておこう。

 フラーを抱き上げて頭の上に乗せる。帽子にしてはちょっと重い。


「まぁ街からは出ないよ」


「ならいいが……あ、あと、何かあったら送還デポートして召喚コールすれば手元に出るはずだから……」


「わかったわかった。後は任せたよ、サイレント」


「……わかったぞ」


 サイレントがナナシノの足をよじ登り、その肩に座る。重さがないサイレントならば肩に座っていても走るのに支障はないだろう。

 そんな事を考えていると、サイレントが突如形を失った。ナナシノがぎょっとしたように目をむく。

 ドロドロに溶けたサイレントはナナシノの肩から腕、体幹、胸、腰、足元まで、まとわりつくように流れ、再び形を取り戻した。


「……君って器用だね」

 

「これなら邪魔にならない」


「え? ……わ……す、すごい……」


 サイレントが変化したの真っ黒なロングコートだった。色は完全に真っ黒だが細かい意匠も施されており、近くで見ても良く出来たコートにしか見えない。こんないい天気でそんなものを着て走っているとなるとかなりの異常者だが、逆にそれならばナナシノも安全かもしれない。肌も隠れてるし。


『形状自在』の特性はゲーム時代も強力だったが、現実になると便利なものだ。

 

 ……装備になれるのは、ゲームではまた別の特性があったんだが……


「すごい! ブロガーさん、これ、全然暑くないです! それに、軽い……」


「我は耐熱耐刃だからな」


「サイレントがいらなくなったらサイレントを素材にして装備品を作ろう」


「ッ!?」


 コートが風もないのにびくりと震えた。


§


 ナナシノ達と別れギルドに戻る。


 フラーに出来る雑用クエストはなんだろうか……いや、ゲーム時代は雑用クエストは無条件でクリアできた。どの雑用クエストでも問題なくできるだろう。

 そんな事を考えながら、ギルドの入り口を潜ろうとしたその時、ふと肩を叩かれる。


 叩いてきたのはスマートな軽鎧を着た壮年の男だった。

 焦げ茶の髪に日に焼けて浅黒くなった肌。発達した上腕は僕の倍近くあるだろう、ただでさえ暑い日なのに非常に暑苦しい。剣士らしく、腰にはロングソードが下がっている。


「? 剣士ギルドは隣だけど?」


「んなの知ってる。あんた、召喚士コーラーか?」


「まぁ、一応は」


 僕の頭の上にいるフラーが目に入らないのか、こいつは。

 男の青の目がじっと僕を見下ろしている。一見友好的な態度に見えるが、剣士ユニットで召喚士の仲間はほとんどいない。

 アビコルでは剣士というのは大体敵なのだ。女剣士だったら話は別だけど、男だったら大体敵。


 男が、まるでさも当然のように聞いてくる。


「ならちょうどいい。聞き込みしてんだ。あんた……ブロガーだろ?」






「え? いや、違うけど?」


 ナナシノ、クエストの断り方はこうやるんだよ。


 間断なく答える。男の目が僕の動揺を読み取ろうとしているかのようにジロジロと僕の表情と髪を見ていた。

 どう考えてもクエストである。剣士ユニットなので雑魚なのだろうが、フラー一体で戦えると思うほど僕は自惚れていない。多分負けないが、万が一一回でも死んだら大損なのだ。


「おいおい、嘘つくなよ。ブロガー、黒髪黒目の優男、お前で間違いない」


「いや……黒髪黒目の優男って……そんなのいっぱいいるよ。召喚士って大体優男だし」


「……」


 僕の答えに、男の目が訝しげに細められる。どうやら顔は知らないらしい。

 そりゃそうだ、顔まで知られていたらクエストを拒否できないじゃないか。


 相手が次の言葉を出す前に続ける。


「大体、そもそもブロガーって最近、有名な召喚士じゃん。黒い人型の眷属を持っているって聞いたけど?」


「ん……むぅ……」


 男の目が僕の頭の上にいるフラーを見る。フラーがぽんぽんと僕の頭を撫で、男の表情が僅かに緩んだ。もしかしたらフラーが微笑みかけたのかもしれない。この子、誰にでも笑いかけるから。


「……他の眷属は?」


「僕が持っているのはこれ一体だけだよ」


 男の目がじっと僕の瞳を覗き込む。そこに真偽が眠っているかのように。

 僕は冷や汗一つかかずにその視線を耐えきった。クエストの受託の判断はプレイヤーに委ねられている、焦る必要はない。


 男は十数秒程黙ったまま僕の目を覗き込んでいたが、やがて小さく息を吐いた。


「……そうか。悪い、人違いだったようだ」


「いや、構わないよ。じゃー僕、忙しいから……」


 やはり所詮NPCか。さっさとボロが出る前に雑用クエスト受けて出ていこう。


 再度入り口を潜ろうとしたその時、男がしつこく止めてきた。


「あ、ちょっとまってくれ」


「まだ何か?」


 しかしこのクエスト、何のクエストなのだろうか。確かにアビコルのクエストの中には剣士ギルドが関わるものもあったが、そういったクエストは大体発生条件があるもので、前兆くらいはあるはずだ。


 僕が振り返ると、男は全くすまなさそうではない表情で言う。


「すまないが、荷物を検査させてもらえるか? 俺達は今、あるアイテムを探していてな……」


「……構わないよ」


 しまったな。そういう系のクエストか。

 アイテムの中には入手することで新たなクエストが解放されるアイテムがある。ストーリークエストの一種なのだが、レアな報酬が見込めるクエストだ。サイレントをナナシノにつけるんじゃなかった。


 僕はほとんど荷物を持っていない。男は軽く僕の荷物を調べ最後に服の上から身体検査でもするかのようにぱんぱんと身体を払った。男の手が腰の辺り触れる。


「……ん? なんか硬いものが当たったが?」


「……杖だよ」


 外套の前を軽く開き、腰に下げている杖――ギオルギからドロップした杖を示してみせた。真っ赤な宝石のついた杖だ。

 男はじっとそれを見つめ……その警戒の表情を元に戻した。


「……そうか。他には何もないな。くそっ、あの男、赤風を誰に――悪かったな。もう行っていい」


「いや……構わないよ。頑張ってね」


 薄い笑みを浮かべて心にもない事を言う。男が苛ついたように地面を蹴る音が聞こえた。


 『赤風』、『赤風』、か。聞いたことのないアイテム名だが、大体予想はつく。


 ギオルギからドロップした物は杖と剣。

 杖は持ち歩いているが、剣の方は衝動的にリセマラしないように、今は宿の傘立ての中に刺さっている。

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