第十二話:赤風と新たなる力

 時間の経過すらあやふやになっていた。硬いベッドの上にうずくまるように横たわり、狂気を瞳に宿した男が荒く呼吸をする。


 地下独房は古都で犯罪を起こした者の中でも一般的な牢では手に負えないと判断された者が入れられる。

 壁が白い独房は窓もなく、定期的に消灯される事を除けば一日通してほとんど変化がない。食事は一日一回。独房に入れられた犯罪者には労役も存在しない。

 精神は代わり映えのしない生活の中、徐々に消耗していく。脱獄など、復讐など、考えられない程に。


 その一室。独房の中でも特別警戒されている一室で、ギオルギがブツブツ呟いていた。

 うずくまり独り言を呟く様は傍目から見れば狂っているようにも見える。


「くそがッ……後1個、後1個だ……」


 手の平の中には虹色に輝く石があった。4個。たった4個の魔導石。

 元々ギオルギが保持していた魔導石は独房に収容された際に没収されてしまった。今その手の中にある魔導石は独房に入れられてからギオルギが出会った物だ。


 才能ある召喚士は魔導石と出会う。人生の岐路で、大きな経験をした時、強い衝動を覚えた時。

 変わり映えのしない生活を強いられて尚、4個もの魔導石と出会ったのは性格はどうあれ、紛れもなくその男が召喚士として天賦の才を有している事を示していた。


 だが、そこまでだ。

 ギオルギが開ききった瞳孔でその石を睨みつけ、吐き捨てるような声を出す。


「何故……出ないッ……!」


 ギオルギが4個目の魔導石を手に入れて既に二週間以上経過している。だが、5個目の魔導石と出会う気配はない。

 魔導石は5個集まらなければ『眷属召喚アビス・コール』は不可能だ。そして、眷属を持たなければ召喚士は何もできない。


 ギオルギが、上下の歯が砕けんばかりに歯ぎしりする。まだ諦めてはいなかった。その原動力となっているのは、腹の奥にたまった淀んだ泥のような憤怒だ。自分をロストに追い込み、ようやく手に入れた『赤風』を奪ったブロガーヘの怒り。そして、たった一体しか眷属を持たない外来の召喚士に敗北した自分への怒りだ。


 この世は弱肉強食。それはギオルギ本人が一番知っていた。独房にぶちこまれてから敗北する夢を見なかった日はない。


 唸り声のみが響きわたる独房。ふと、扉が乱暴に叩かれた。


「おい、666号、お前に客だ」


「ッ…………客ぅ?」


 独房にぶち込まれてからこの方、ギオルギに客が来たことなどない。そもそも、『赤獣の王』のメンバーは全員再起不能にされている。眷属の消失ロストという、召喚士にとって致命的な方法で。


 魔導石をとっさに口の中に隠す。ほぼ同時に、身体を強い衝撃が襲った。


 まるで荒波に揉まれたかのように身体が吹き飛ばされベッドから落下する。それが小窓から放たれた『雷衝波ライトニング・ショック』だと理解した時には、ギオルギの意識は闇に落ちていた。


§


 体を濡らす冷たい感触に、ギオルギは目覚めた。

 まるで重力が数倍になってしまったかのように全身が重い。手足には抵抗できないよう、頑丈な鉄の枷が嵌められている。

 口の中に感じるごろごろとした感触。朦朧とした意識で、ギオルギは室内を見渡した。


 そこはここ数ヶ月過ごした独房とは異なる部屋だった。金属製のテーブルと椅子の他何もない簡素な部屋だ。部屋の隅に鉄色をした頑丈そうな扉が見える。独房に入れられる前に尋問を受けた部屋だ。


 その視線が目の前に座った見知った姿を捉え、ギオルギは目を大きく見開いた。

 禿頭の大男だ。額には奇妙な入れ墨が施され、その細められた目がじっとギオルギを睨みつけている。


「目覚めたようだな」


「……てめ……え……は……」


 口に含んだ魔導石を吐き出さぬよう、切れ切れで出された言葉を聞き、大男が鼻を鳴らす。


「……ふん。我々から赤風を掠め取った狂獣が随分と大人しくなったものだ……。おい、此処から先は私が話す。出て行け」


 その指示に、気付け代わりにギオルギに水をぶっかけた看守達が揃って部屋から出る。

 だが、その光景を見てもギオルギには恨みの感情は湧いてこなかった。ぎらぎら光る目で目の前の男を睨みつける。


 召喚士ギルドが各町にあるように、剣士ギルドと魔導師ギルドも各町に存在する。

 目の前の男は【帝都フランマ】に存在する剣士ギルド。その幹部である男だった。

 【フランマ】で屈指の剣士とされる、『暴剣』のイグリート。剣士ならば誰しもが知る名だ。その背にはその二つの由来である巨大な剣はないし、鎧も装着していないが、その肉体はまるでゲールを思わせた。


 ギオルギも、もちろんその名と顔には覚えがあった。

 何故ならば、ギオルギが手に入れた『赤風』は【フランマ】の剣士ギルドで秘蔵されていた特別な剣であり、それを奪うためにはこの男と他、数人の幹部の情報は必要不可欠だったからだ。

 剣士ギルドは魔導師ギルドや召喚士ギルドと比べて構成員の数が多い。その全てを相手取るのは如何にゲールといえども不可能で、ギオルギは戦いを避けなければならない相手をピックアップしていた。

 目の前にいるイグリートはその中の一人だ。


 イグリートはギオルギに凶悪な笑みを向け、その強面に相応しい荒々しい声で言う。


「うちの者が世話になったようだな、ギオルギ。ここが古都じゃなかったらお前の手足を引きちぎっていたところだ」


「く……か……雑魚、だったぜぇ……ゲールと、比べればなぁ……剣士の聖地、だなんて……言われても、大したこと、ねえんじゃねえか」


 赤風奪取にあたり、かかってきた剣士ギルドの剣士達の姿を思い出し、ギオルギが深い笑みを浮かべる。

 ゲールを前に決死の形相で立ちふさがり木っ端のように吹き飛ばされた剣士達の姿は深くギオルギの記憶に残っている。


 イグリートはその挑発めいた言葉を受けても目を細めるのみで、特に感情を動かした様子はない。ただ淡々と述べる。


「どこのものとも知れぬ、召喚士コーラーに負けた男が、よくも言えたものだ」


「……あ?」


「残念ながら、私は負け犬に用があるわけじゃない。私がこんな陸の孤島くんだりまで来たのは……『赤風』だ。ギオルギ、貴様が姑息な手で掠め取った、あの剣だ」


 イグリートの言葉に熱が篭もる。その金の瞳が得体の知れない感情で燃えている。その声が次第に怒鳴りつけるような荒々しい声に変わっていく。


「貴様が負けなければ貴様をぶちのめすだけで取り戻せたが、貴様が無様に敗北したせいで面倒なことになった」


「知らねえ、な…‥」


「おい、ギオルギ、貴様、どこのどいつに奪われた!? あれは……至高の剣士の象徴、召喚士風情が触れていいものじゃないッ!!」


 イグリートが腕を置いたテーブルがミシミシと音を立てる。剥き出しになった腕、その上部が陽炎のように揺らめいている。

 召喚士が召喚した眷属を武器にするように、剣士が武器にするのは己が肉体だ。剣がなくてもその破壊力は眷属を失った召喚士で相手取れるようなものではない。

 剣士には剣士の才能がいる。一時剣士を志したギオルギであっても抵抗するのは不可能だ。


 だが、ギオルギは立ち上がった。手錠、足枷を受けたまま高らかに笑う。


「くく……かかかか、無様、だぜ、暴剣。たった一人の召喚士の襲撃すら防げず、象徴を奪われる。あんたら、剣士の時代は終わったッ! 剣士風情が、この俺に楯突くんじゃねえッ!」


 イグリートが立ち上がる。まるで巨人だ。ギオルギと比べて頭一つ分も高い位置から見下ろしてくるその眼光を受け、ギオルギが更に深い笑みを浮かべる。

 イグリートは遠く古都まで名前が轟く強力な剣士だ。恵まれた肉体に卓越した才覚。剣の腕を比べればギオルギなど話にならないだろう。


 だが、今は暴剣はギオルギを前に殺意を向けている。ギオルギ・アルガンを敵としてみなしている。歪だがそれがどうしようもなく心地よい。

 イグリートが鼻息荒く、吐き捨てるように言う。


「どうやら勘違いしているようだ。私が、このイグリートが、死にかけの召喚士一人も殺せない腰抜けだ、と。情報などどうとでもなる」


「……やってみろよ。できるもんならなッ!」


 脳に血がめぐる。意識が鮮明になる。

 全身に受ける殺意。ぴりぴりとした戦場の空気が、新鮮な酸素のようにギオルギの肺を満たし、久方ぶりにその脳を覚醒させた。

 まるでそれに呼応するかのように、ずっと握っていた手のひら。そこに硬い感触が生じる。


 揃った。ピースが全て揃った。イグリートが拳を握り、ギオルギを睨みつけている。

 目の前のイグリートをぶち殺し牢獄を抜け出す。ブロガーから赤風を奪い取る。


 そして、ギオルギは、栄えある未来を確信し、高らかに叫んだ。


「『眷属召喚アビス・コール』ッ!」


「ッ!?」


 イグリートが眉を歪め、警戒するように一歩後ろに下がる。

 口内の魔導石と手の中の石が消え、真紅の光が部屋中に輝いた。

 赤の光は獣種召喚の証。かつてゲールを召喚した時の光景を思い出し更に笑みを歪める。



 そして、唐突に光が消え去った。

 ギオルギが目を見開き、間の抜けた声を上げる。


「……んあ?」


 眷属がいなかった。

 『眷属召喚アビス・コール』は召喚士の数少ない能力だ。魔導石を五個消費するが、一般的な魔導師の扱う魔術と違って失敗したなどという記録はない。

 だが、目の前に現れるはずの眷属はどこにも見当たらない。


 ふと、イグリートの表情が目に入る。そこに張り付いていたのは先程まで会った敵を前にした時の表情ではない。その視線はギオルギの足元に向いていた。

 イグリートの視線を追う。それを見つけるとほぼ同時に、それが蹄をギオルギの靴に当てた。


「もけ?」


「……は?」


 それは、腕で抱えられるくらいの小さな羊だった。

 つぶらな目にふんわりもこもこした真っ赤な毛。愛らしい姿は連れ歩けば女子供に大人気だろう。

 目と目が合う。愛玩動物のような小さな羊が黒い蹄でたんたんとギオルギの靴を叩いて、可愛らしい声でもう一度鳴いた。


「もけもけ」


 ……え……この俺が、ようやく召喚した、眷属が……こいつ、だと?


「……う、うわああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!」


 頭の中が真っ白になり、ギオルギは久方ぶりに全ての怒りや恨みを忘れ、衝動的な叫びをあげた。

 声を聞きつけ、外から看守が扉を開けて駆け込んでくる。


 既にイグリートの視線は敵に向けられるものではなかった。どこか哀愁を感じる。凋落したライバルを見るような目になっていた。


「その……なんだ……色々すまなかったな、ギオルギ・アルガン。敗北した上に次の眷属が小羊とは……赤獣の王……赤獣の王、か。いや、だ、大丈夫だ、死者に鞭打つような真似はしない、赤風は私が勝手に探す。上にはギオルギは生まれ変わったと伝えておく……狼から小羊に、な」


「もけもけ……」


「うわああああああああああああああああああああ……」


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