第十話:ペナルティ
先導するようにアイちゃんが歩く。それに早歩きでついていきながら、サイレントに話しかけた。
「ずっと思ってたんだけどさ、ナナシノっていつもボロボロだよね」
「結構無茶するからなぁ、ななしぃも」
ナナシノはいつも眷属と共にいた。離れたことなんてほとんどないし、親愛度については話してあるので送還もほとんど使っていなかった。
アイリスの騎士兵の動きには焦りは見えたが、致命的な事態ではないだろう。例えばナナシノが襲われたとか、そういう事態にあったのならばそもそもアイちゃんだけがここに来るというのはありえない。
友達が心配なのか、青ざめた表情のシャロの手をギュッと握る。シャロの表情が少しだけ緩んだ。
どうでもいいし今更だけど、君らって不幸だよね。ギオルギにさらわれたりエルダー・トレントに遭遇したり。不幸が移るから寄ってこないでいただきたい。ランダム召喚で眷属を得るアビコル世界でその性質は致命的だ。
「青葉ちゃんに、一体何が……」
「んー、時間的には打ち上げかなんかやってる最中だと思うんだけど」
先程ナナシノと分かれてからまだ二、三時間しか経っていなかった。そんな短時間でナナシノに何が起こった……いや、起こりうるというのか。
眷属は召喚士の唯一の武器である。ナナシノはアイちゃん以外に眷属を持っていなかったはずだ。むやみにそれを自分の手元から離すような真似、さすがのナナシノもしないだろう。
考える僕にサイレントがふと聞いてくる。
「主、焦っているか?」
「いやまあ多少はね」
ナナシノは唯一のプレイヤーだし、僕は知り合いがひどい目にあっても冷静でいられるような人間ではない。後、ナナシノは僕が予約しているのだから、むやみにひどい目に合わないでいただきたい。
アイちゃんが辿り着いたのは、ついこの間まで僕も泊まっていた宿屋だった。入口付近で召喚士ではない厳つい男達が何事か会話を交わしている。
それを掻くように宿に入る。肩がぶつかりかけ舌打ちをされかけたが、アイちゃんの姿を見て口を噤んだ。相当強力な眷属に見えたのだろう。下位の単騎兵でも一般の剣士くらいは相手取れるのだから、その認識は間違いではない。
階段を駆け上がるように上り、ナナシノの部屋の扉を開ける。鍵はかかっていなかった。
部屋の中はがらんとしていた。部屋の片隅には物でぱんぱんになった大きな鞄が三つ。部屋に置いてあったナナシノの私物はなくなっている。引っ越しの支度でもしていたのか。
ナナシノはすぐに見つかった。床にぐったりした様子でうつ伏せに倒れている。床に散った艷やかな黒髪に荒い呼吸の音。熱でもあるのか、首筋が赤く染まっている。
シャロが目を見開き、悲鳴のような声で名を呼びながらナナシノに近寄った。
「あ、青葉ちゃん……ッ!」
シャロの言葉に、ナナシノが小さくうめき声で返す。意味をなしていないが、つらそうな声だ。
「シャロ、水だ」
「え……は、はい」
僕の指示に、シャロが覚束ない足取りで水を取りに部屋の外に出る。フラーとクロロンもそれを手伝うかのようについていく。
僕はナナシノの近くに膝を下ろし、ナナシノのお腹と床の間に腕を差し込んでなんとかひっくり返した。
激しい呼吸を示しているかのように胸が上下に揺れている。顔は赤く染まり、滲んだ汗で髪が張り付いていた。先程会った時も来ていたローブは汗で濡れ、ぴったりと身体に張り付いている。額に手を当てると、まるで火照っているかのように熱い。
ぐったりしているナナシノはぞくぞくするくらいに色っぽいが、さすがに手を出すのはまずいだろう。
ナナシノの半開きの目が僕を捕らえる。その唇が力なく言葉を紡ぐ。
「ぶろがー……さん……?」
意識が朦朧としているのか、胡乱な目が僕を見上げていた。目尻から垂れた雫は汗か涙なのか。
アイリスの騎士兵が心配そうにじっとナナシノを見下ろしている。
ナナシノの身体を抱き起こす。その身体はひっくり返す時は重く感じたのに、今は信じられないくらいに軽く感じた。
抵抗はなかった。抱き上げた至近から、ただ、ナナシノが謝罪するかのような声色で切れ切れに言う。
「ぶろがー……さん。わたし、やくに……たちたくて……」
「へー、初めて知った。そうなるんだね」
「……」
ナナシノは答えない。答える気力もないのか。
僕は、ナナシノのスタミナバーが九割削れて赤く点滅しているのを見ながら、床に転がっている一抱えもある大きな卵を指差して言った。
「とりあえずあれ、『
§
ナナシノが真っ赤な顔でうつむいている。先程とは違い、羞恥のためだろう。
卵を送還したことで、召喚超過が解消され、ナナシノのスタミナバーは順調に回復していた。アビコルではスタミナは召喚超過していない状態で、十分に1ずつ回復していく。
まだ二時間程しか経っていないので一割くらいしか回復していないが、先程まで点滅していたスタミナバーは黄色に変化しており、ナナシノの顔色も幾分か改善している。
シャロが持ってきた水で顔を洗い、呼吸も落ち着いたようだ。
「お……お手数、おかけいたしました……」
「お礼ならアイちゃんに言ったら。アイちゃんが助けを呼びに来なかったらナナシノ、眷属をロストしてたよ」
「ッ……!?」
ナナシノが今更気づいたかのようにアイちゃんを見る。
スタミナ管理はアビコルプレイヤーの間では初歩中の初歩である。何故ならば、アビコルのスタミナ枯渇のペナルティは召喚している眷属の全ロストという極めて恐ろしいものだったからだ。
石を使えばスタミナを全回復出来るし、枯渇が近づくとアラートも出してくれるので滅多にそんな状態になるプレイヤーはなかったが、それは、一度引っかかったら夢にまで見る悪辣なシステムだった。
とりあえずペナルティは眷属ロストさせておけばいいと思ってんじゃねーぞ、こら。
もっとも、スタミナが減ったところでゲーム時はプレイヤーが体調不良になったりはしなかった。新たな仕様だと言えるだろう。今ここで知れてラッキーだ。
ナナシノが涙を浮かべ、僕の顔を見る。そして弱々しげな声……懺悔するような声で要領を得ない事を言った。
「わたし、才能がない召喚士は……二体目の召喚で眷属を失うって……知ってました。わたし、でも……わたしも、ブロガーさんと一緒に、ここに来て――ブロガーさんが、フラーちゃんを召喚して……」
「青葉ちゃん……」
シャロが痛ましそうに、ぽつぽつと言葉を続けるナナシノを見ている。
別に僕はナナシノを怒っているわけではない。ナナシノが眷属を全ロストしたってそれは彼女の自己責任だ。マルチダンジョンのパートナーとしてナナシノを想定している僕にとってはデメリットかもしれないが、それはまた別の話である。
だが、アドバイスくらいはさせてもらおう。僕は珍しくうじうじしているナナシノに言った。
「まー別に召喚するのは構わないけどさ、ちゃんと召喚枠を拡張してからじゃないとこうなるのは目に見えてるじゃん?」
「……え? 拡……張?」
うじうじしていたナナシノが顔を上げ、真っ赤に腫らした目を僕に向ける。
その表情に、僕は召喚枠拡張についてナナシノに言い忘れていていた事を思い出した。いや、話そうとは思ってたんだけど、僕にとっては常識だったし……。
今更遅いかもしれないが説明する。いやー、ナナシノがアイちゃんを失ってなくてよかった。もしそうだったら、僕が悪者みたいじゃないか。
「ちょうどさっきシャロにも言おうと思ってたんだけどさ……召喚枠って魔導石を使って拡張するんだよ」
「……え?」
「え!? な、なんですか、それ!?」
呆気に取られるナナシノ。シャロもまた素っ頓狂な声を上げて僕を見る。
ゲーム時には召喚枠枠拡張ボタンがあり、それを押すと魔導石を消費して枠を拡張しますか、とダイアログが出たのだが、この世界のUIはクソなのでボタンがない。気づかないのももしかしたら当然なのかもしれない。
「一個目の枠は5個消費で、それ以降は消費量が倍々に増えていくんだよね」
その計算で行くと、例えば十枠まで拡張するのに必要な魔導石の合計個数は5115個。魔導石は一個100円なので合計で511500円掛かるということになる。
そうだね、そんなに高くないね。でもこの世界だと無理だね。
指折り数える僕に、ナナシノが震える声で聞いてくる。
「ブ、ブロガーさんも……拡張したんですか?」
「もちろんしたよ。フラーを召喚する前にね」
才能なんてない。アビス・コーリングはソーシャルゲームだ。プレイヤーは皆平等であり、全ては課金の一言で片がつくのだ。
あっさり答える僕に、ナナシノが涙を浮かべた。
「な、何で、教えてくれなかったんですか……」
「え……教える義務なんてないし」
教え忘れただけなんだが、正直に言うことはないだろう。
僕の言葉にナナシノが唇を結び、絶句する。
シャロが僕とナナシノを交互に見て、まるでそれをフォローするかのようにあたふたと言った。
「で、でも、それが本当なら……ギルドに情報を渡せば、師匠、歴史に名を残せますよ……」
歴史に名、か。興味がないな。富も名誉もいらない。ゲーム内での富と名誉程虚しいものはない。僕が欲しいのはガチャ運だけだ。
だが……そうだな。
「僕は情報を伝えるつもりはないけど、ナナシノが伝えたら? 僕は気にしないから」
「……へ?」
眷属を一体しか連れずに召喚士を名乗っているNPCはあまりにも無様だ。
別に競争をやってるわけではないし、教えたければ教えてしまって構わない。功績も自分の物にしてしまっていい。今後、敵になる可能性があるNPCが強化されてしまうかもしれないが、それはそれで僕と条件が一緒になっただけであり、条件が一緒ならば僕が負けるわけがない。
「あ、この間は口止めしたけど、進化条件も伝えちゃってもいいよ。僕の名前は出さないでね」
何を食べさせるかはわからなくても、素材を食べさせる事で進化する事がわかればいずれ進化条件も周知となるだろう。
サイレントが僕の方にぐにょりと首を伸ばし、呆れているのか感心しているのかわからない声を上げる。
「主は……欲がないなあ……」
欲がないんじゃない。興味がないだけだ。欲はある。そうでなければガチャに湯水の如く金を注ぎ込んだりしない。
何か言いたげな表情をしているナナシノ。色々言われる前にさっさと話を変えてしまう事にする。
「で、ナナシノは魔導石幾つ持っているの?」
「え……えっと……3個です」
ナナシノが僕とおそろいの皮袋から魔導石を取り出してみせた。
少ないな……枠の拡張といざという時のバッファを考慮し、二体目の
シャロもそうだったが、ナナシノも魔導石の収集を怠り過ぎている。僕なんてギオルギに無駄に消費したのにもう13個も溜まってるよ。
「それじゃ枠拡張は後だね……とりあえず、アイちゃんをしまってさっきの卵を出してよ。一体までだったら平気なはずだから」
「え……は、はい」
ナナシノがある意味大金星をあげたアイちゃんに小さく頭を下げ、『
一抱えもある卵がテーブルの上に出現する。深い黄色をした巨大な卵だ。
陶器のようなツルツルとした質感を見てシャロが小さく声をあげた。
「あ……青葉ちゃん……これ……その……外れ、引いちゃったんだ……」
「……うん」
外れとは、シャロにしてはらしくない言い草だ。
ナナシノがシャロの言葉に素直に頷く。そして、僕を見上げた。
まだ体調が悪いのか、顔は若干赤いが、その目つきはしっかりしている。スタミナゲージはこうしている間も回復しており、直に元に戻るだろう。
「私……ブロガーさんの、役に立とうと思って……でも、駄目でした……」
「ナナシノも運が悪いなあ……」
面倒な物を引いたものだ。ゲームでも面倒だったが、現実だと更に面倒くさい。
卵を壊さないように細心の注意を払いながら観察する。持ち上げると十キロはあるだろうか、両手で抱えてもかなり重い。
シャロがナナシノを慰めている。
「だ、大丈夫、青葉ちゃん。今回は卵出ちゃったけど、きっと魔導石を集めてもう一回眷属召喚すれば――アイちゃんもいるんだし……」
いや、卵でもアルラウネよりはずっとマシだ。アルラウネは弱いが、卵は強くなる余地がある。
ナナシノがぐっと息を飲み、空元気のような笑顔を浮かべた。
「う、うん。そうだよね……きっと次は――」
さっさと卵をなかったことにして進もうとする二人。そこで、見るに見かねて口を挟んだ。
「いやいや、確かに面倒だけど、ちゃんと孵化させるべきで……しょ…………」
僕の言葉に、ナナシノの表情が固まっていた。シャロも目を丸くしている。
先程存在した召喚枠に対する認識の齟齬。そしてこの反応。嫌な予感がする。
アビコルには一部悪ふざけで生み出されたような眷属が存在するが、卵もまた特殊な眷属の一体だ。
孵化させるまではHPと耐久を除く全てのステータスが最低で何よりも攻撃行動ができない完全なお荷物であり、そしてある意味ゲーマーの一番の敵でもあった。
「もしかして……卵の
若干げんなりしながら尋ねる僕に、シャロがこくこくと必死に頷いた。
シャロの性格で外れだとかいい切ったのは意外だったが、道理である。孵化のさせ方知らないんだったらそりゃ卵は外れだわ。戦闘に使えないし。
この世界の召喚士って何も知らないのな……シャロが無知なだけかもしれないが、どうやって生きているんだよ。一番最初の眷属召喚で卵引いた召喚士は一体どうなるんだよ。
沈黙したまま、まるで祈るような表情で僕の言葉を待つナナシノ。卵の頭を撫でながら僕はさっさと教えてあげた。
「これは……竜種の卵――『純竜の卵』だよ。黄色卵は見分けつかないから百キロ卵か、五百キロ卵か、千キロ卵かはわからないけど、ナナシノは明日からマラソンかなぁ」
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