第十四話:覗き魔と無罪
青葉は走るのが好きだ。昔から好きだ。
学校でも走るのは早い方だったし、持久力だってそれなりにある。
背負った卵は重かったが、コートになったサイレントが紐を巻きつけて固定してくれているため、落として壊すことはない。
雲ひとつない空の下、大きな公園の外周をなぞるように走る。重い物を背負っているのでジョギングくらいの速度だが、そうやっているとどこか心が安らぐようだった。
サイレント製のコートは真っ黒だが日光を吸い込まず、ひんやりとしている。とことん目立つ格好で走っているので、何度も奇異の目で見られたが、二日目にもなるともう慣れてくる。
何よりも、これが卵を孵化させるのに必要な作業なのならば、青葉に選択肢はない。
一定の速度を保って走る青葉に、シャロリアがついて走る。気温が高いので呼吸は荒く、髪の先からは汗が落ちているが、表情には余裕があった。
並走するシャロリアの後ろに更に無表情のクロロンが続く。太陽の光を燦々とあびながら走るクロロンの姿はどこかユーモアがあった。
昨日と合わせてもう数時間も走っているが、青葉の背中の卵が孵る気配はなかった。最低100キロともなると、何日もかけて走らなくてはならないだろう。
頭の中を空っぽにして黙々と走る。ずっしりとした卵の重さにそろそろ休憩を挟もうか迷ったところで、隣に並んだシャロリアが青葉に話しかけてきた。
「あの……青葉ちゃん」
「?」
青葉が振り返る。シャロリアがどこか困ったような表情で青葉を見ていた。
シャロリアの格好は昨日とは異なり軽装だ。地味ではあるが可愛らしい容貌を見て、青葉の視線が自然と下がる。白い首筋に数日前までついていた幾つもの痣は既に消えている。
「どうしたの?」
「その……」
青葉の問いに、シャロリアが言いづらそうな表情を作ったが、すぐに意を決したように言った。
「ずっと気になってたんだけど……青葉ちゃんは、師匠……ブロガーさんと……どういう関係なの?」
「え……」
予想外の言葉に思わず立ち止まる。シャロリアの真剣な目がじっと青葉の方を見ていた。
どういう……関係?
その言葉に、青葉は思わず目をつぶった。
初めて顔をあわせたのはたった数ヶ月前だ。だが、この世界に来てから数ヶ月、色々な事があった。随分と長いこと一緒にいる気がする。
青葉はこの世界について全く知らなかった。逆にその青年はよく知っていた。青葉がブロガーについていったのは、見知らぬ青年についていったのは、同じ境遇だという事もあるが、それしか道が見えていなかったからだ。
情報がなかった。目標がなかった。力がなかった。何よりもどうしていいのかわからなかった。
そしてそのぬるま湯のような関係は今も続いている。
知人? 友人? もちろん、まだ恋人などではないが、青葉自身、互いの距離感を測りかねているところがあった。
シャロが弟子になると言い出し、一緒に住み始めた時、青葉は少なからずショックを受けた。この世界について未知の知識を持っているブロガーに伺いを立てずに『
背中に背負った卵を想う。役に立ちたかった。ブロガーに言ったその言葉は本当だが、何故そう思ったのか、今まで世話になった恩を返したいのか、それともそれ以外の感情によるものなのか。
何とも言えないふわふわした気分だった。ゆっくり目を開ける。
明確な答えはまだ青葉にはないが、シャロの目はまだ青葉に向いたままだ。
その視線に圧されるように唇を半端に開く。
「え……っと……」
その時、青葉のコートがどこか冗談めかした口調で言った。
「主はななしぃに片思いしているんだぞ。そして、襲おうとしてななしぃがビンタして振ったのだ」
「……へ?」
「え!?」
シャロリアが唖然とした表情でコートを見る。口もないのにコートの声は流れるように続いた。
「ななしぃは可愛いし人気者だし、スタイルもいいし、何よりも他人のために行動出来る奴だ。主はクズで冷徹で自分本位で他人の気持ちを慮ることなく自分のやりたい事しかやらない。多分主は自分とは正反対の人間が好きなんだな。同族嫌悪の逆だぞ」
「ちょ……サイレントさん!?」
「し、師匠はそんな人じゃありませんッ!」
シャロリアが涙目になり大きな声をあげる。だが、コートは楽しそうに震えるのみだ。
その時青葉は初めてサイレントがサイレントじゃない事に対して強い不満を覚えた。
「いや……同族嫌悪というよりはあるべくしてそうなっている可能性が高いな。一般的に見たら主よりななしぃの方が好かれる性格だから、主がななしぃに絆されたのもおかしな話じゃない。そしてななしぃがビンタして振ったのも別におかしな話じゃないぞ。たとえ色々世話になったとしても、理屈と感情は別問題だからな」
「そんな……な……何で振ったんですか!?」
しみじみと出されるサイレントの声。その最後の言葉だけ聞き取り、シャロリアが青葉に食ってかかってくる。
その勢いに、思わず青葉は後退る。
……振ってないもん。ちょっと驚いただけだもん。叩いちゃったのだって謝ったもん。
頭に言葉が浮かぶが、口から出ない。シャロの剣幕のせいでいつの間にか視線が集まっていた。顔が赤くなっているのを感じる。それが注目を集めてしまっているからなのか別の感情なのかはわからない。
「まぁまて、しゃろりん。ななしぃにも事情があったのだろう。大体、告白を受け入れるのに理由はあっても受け入れないのに理由はいらない。その辺りはプライバシーの問題だから聞くのはマナー違反だぞ」
今更プライバシー!? ここまで散々勝手なこと言っておいてプライバシー?
青葉が混乱していると、サイレントが今度は青葉にとって衝撃的な事を言った。
「しゃろりんだって首筋に沢山キスマークをつけられたこと、バラされたくないだろ?」
「え……!?」
「にゃ……さ、さいれんとさん!? それは――」
「あー……悪い、しゃろりん。ほら、我、口を閉じるの苦手だから……」
今度は青葉がシャロリアの方を見る番だった。
視線を受けたシャロリアがふらつきながら後退る。顔が首筋、耳の先まで仄かに染まっていた。先程、青葉に食って掛かってきた時も赤らんでいたが今回の原因はそれではないだろう。
首元を押さえながら、震える唇をぐっと結んでいるその表情に、青葉はサイレントの言葉が真実である事を確信する。
そんな……ブロガーさん、何もしていないって言ったのに……。
呆然として何も言えない青葉と、同じく固まっているシャロリアに、サイレントが悪びれる様子もなくいった。
「まぁ、今回はとりあえず痛み分けだな。大丈夫、悪いのはななしぃでもしゃろりんでもない。客観的に見て主が十割悪いしどうせろくでなしだから、主のせいにしよう。とりあえずここは日照り良すぎるから全て忘れて木陰で休んで頭を冷やした方がいいぞ。あ、今聞いたことは他言無用だぞ。皮を剥がれてスリッパにされてしまう」
§ § §
「ど、どうして言ってくれなかったんですか!?」
「え……今言ったじゃん」
エレナが涙目で拳を握り訴えかけてくる。背が低いこともあり小動物のような動作だ。こういうあざといグラフィックが人気の理由であり、同時に舐めきった態度で『深青』に挑戦するプレイヤーが大勢いた理由でもある。
まー落ち着けや。どうせ剣士ギルドなんて大体敵だ、さっさとロストさせてしまえばいい。
エレナの表情は蒼白だった。唇の端が引きつり、ぴくぴくと動いている。
「そういう事は、ギオルギを討伐した後すぐに言うべきですッ! なんでブロガーさんがギオルギの剣を持っているんですか! そもそも、どうやってポケットに入れてたんですか!」
どうやってポケットに入れている? そんなの僕が知りたいわ。
「手品だよ。まぁ落ち着いて落ち着いて」
エレナが唇をヘの字に曲げ、ソファに座りなおす。貧乳エルフが静かになったところで僕は改めて尋ねた。
「何かまずい事でもあるの?」
「ッ……ブ、ロ、ガー……さん!? 貴方、エレナの話ちゃんと聞いてました!?」
聞いていた。スキップしたいが聞いてしまった。
あざといジト目が僕を睨みつけている。エレナが一言一言、力を込めて言う。
「この、剣は、剣士ギルドの、宝なんですよ!? 召喚士ギルドのメンバーがそれを奪った時点で問題なのに――」
「しまったな……クエスト回避は返すことじゃなくてしらばっくれる事だったのか」
僕は選択肢を誤ったことを今更ながらに理解した。
僕がエレナに剣を見せなければ全てが万事何事もなかったかのように進んだだろう。その場合、剣士ギルドは剣を取り返せないだろうが、そんな事知ったことではない。
クソめんどくせえクエストだぜ。
「ブロガーさん!? な、何言ってるんですか! しらばっくれるなんて――」
エレナが僕の言葉に過剰に反応してくる。既に賽は投げられた、クエストを進めざるを得ないか。
その宝石のような透き通った蒼の虹彩が涙できらきら輝いている。僕はひとまずぐすぐすしている情けない貧乳エルフを落ち着かせることにした。
「落ち着け、エレナ。悪いのは全部ギオルギだ」
「……え?」
「次点でギオルギに盗まれた剣士ギルドの間抜け共が悪い」
「!?」
机に置いた剣を手に取る。
『赤風』。明らかに高価そうな品だ。イベントアイテムだから気合の入ったグラフィックを用意したのだろう。それでばんばん机を叩きながら続ける。フラーがそれに合わせるようにタイミングよく跳ねていた。
「ちょ……剣、そんなにしないで……」
「まず前提条件として、僕は悪くない」
「え……いや――」
「僕は善意の第三者だ。裏で指名手配されていたギオルギを倒して奪われていた剣を取り返した。そんな僕のどこが悪い?」
エレナがきっぱりと言った。
「……取得物を横領したことです」
「おいおい、僕は街の外で落ちていた物を拾っただけだぜ。ダンジョンやフィールドで薬草を摘むのと何が違う!」
魔物を倒して得たドロップは魔物を倒した人のものだ。それと何が違うだろうか。いや、違わない。僕はギオルギを倒し、ドロップした剣を正当な権利を持って得たのだ。
熱心に説得する僕にエレナは冷ややかな目を向けてきた。
「それ、血眼で剣を探している剣士ギルドの人たちの目の前で言えますか?」
「もちろんだ。僕に落ち度はない」
「エレナはたまにブロガーさんの心臓が羨ましくなります」
ぎゅっと胸を押さえる動作をしてエレナが言う。てめーの胸は押さえる程ねーだろ!
ジロジロ見ていると、エレナが本当にあざといジト目で僕を見上げ、こほんと一度咳払いした。
「剣士ギルド側からしたら、下手をすればエレナ達が剣を盗んで隠蔽していたように映ります」
「それはろくに調査もせずに返答したエレナが悪い」
「うっ……」
まぁ過失としてはギオルギが八、剣士ギルドが一、エレナが一といったところか。
僕は公平だ。エレナ死ねとかいつも言っているが、こういう場では色眼鏡で見たりはしない。エレナ死ね。
硬直しているエレナに、更に力を込めて剣をばんばん机に叩きつけながらアドバイスする。まったく、エレナは頼りにならないんだからしょうがないなあ。
「とりあえず、これを探しているという剣士ギルドの連中を呼んで返却するのが先決じゃないかなあ」
「そ、そうですね……しかしなんと伝えればいいか……あ、あと、剣、置いて下さい」
まだ情けない事を言っているエレナに、僕は剣を置き、両手をぱんと叩いた。フラーも僕の真似をして両手を叩く。
これはクエストだ。僕が剣をしらばっくれる選択を取らなかったために始まってしまったクエストだ。始まってしまったクエストは残さず頂くのがアビコルプレイヤーの流儀だ。
「エレナ……安心してくれ。剣士ギルドの間抜け共とは僕が話をしよう。ギオルギから剣を取り戻したこの善良な召喚士の僕が、ね」
「え……いや…………それはちょっと……」
僕の善意に、最強の召喚士の一人、エレナ・アイオライトは少し怯えたような表情をした。
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