第十五話:クエストと報酬

 アビス・コーリングではプレイヤーは召喚士コーラーになる。だから、クエストも自然、召喚士ギルド関連の物が多い……が、剣士ギルドと魔導師ギルドの存在はアビス・コーリングというゲームを楽しむ上で避けては通れない。

 剣士ギルド関連や魔導師ギルド関連のクエストをこなさなければ手に入らないレアアイテムだって存在する。それらは、一部、剣士型や魔導師型の眷属の進化に必須なのだ。


 だから、今この瞬間に関わらなかったとしてもいずれ僕は剣士ギルドや魔導師ギルドに切り込む事になっただろう。

 恐らくギオルギのストーリークエストからの続き物であろう、このストーリークエストはある意味渡りに船である。まだサイレントは全然育てていないし、準備万端とまではいかないが、ギオルギの次のクエなのだから大して強い敵は出ないはずだ。


 そもそも、こういうストーリークエストというのは毎回ボスが出るわけではない。それどころか、戦闘すら発生せずにシナリオを読んだだけでクリアになる事すらある。時間もかからずリスクもない、最も楽なタイプのクエストだ。状況から考えると、今回のクエストもこのタイプに分類されるのではないか、僕は勝手にそう推測していた。


 何しろ、僕は善意の第三者なのだ。剣の保有権で揉めるのならばともかく、返すのだから戦闘が発生する可能性は低いだろう。


 何を考えているのか、フラーがテーブルの上でシャドーボクシングをしている。

 緩やかに繰り出される小さな手を見下ろす僕に、フラーがにっこり笑いかけてきた。

 どうやらこのアルラウネ、やる気満々らしい。


 僕は『送還』するか真剣に迷い、結局好きにさせておくことにした。


 剣士ギルドへの連絡のために部屋の外に出ていたエレナが応接室に戻ってくる。凛とした表情は僕を見た瞬間にへんにゃりと崩れた。まるで空が落ちてこないか心配で心配でしょうがないかのような、不安に満ちた表情で僕の隣に座る。


「剣士ギルドに連絡しました。間もなく回収に来るでしょう」


「へー、それは重畳重畳」


 扇子があったら広げたい気分だ。

 エレナがむっとした表情を作り聞いてくる。


「そこで、本番が来る前に、とても他人事な様子のブロガーさんに確認したいんですが……ブロガーさんはどのような話をするつもりですか?」


「え……剣拾った。返すから謝礼をくれって」


「っ!?」


 エレナが小さく息を飲み、まじまじと僕を見る。桜色の唇が微かに震えていた。


 こちとら慈善で召喚士をやっているわけではないのだ。クエストにはクエスト報酬が必須である。何も得るものがないクエストに何の意味があろうか。

 貴重品らしいし、うまいこと話せば何かしら譲歩を引き出せるだろう。いざとなれば僕の隣にはエレナがいるのだ。脳筋で『深青ディープ・ブルー』はまず破れない。


 至極もっともな理屈をかざす僕に、エレナが深々とため息をつく。


「ブロガーさん、わかっているんですか? これは、剣士ギルドと召喚士ギルドの今後にも関わる、重要な問題です」


「もちろんだよ」


 わかった上で言うが、知ったことではない。

 召喚士ギルドはアビス・コーリングでの重要な施設だ。アビス・コーリングは嫌になるくらいに課金ゲーだが決してシナリオは破綻していないしバグもほとんどない。ただの一ストーリークエストの結果で召喚士ギルドがなくなったりクエストを受けられなくなったりする可能性はほぼない。


 となれば、僕が何を言おうが何をやろうが僕の勝手である。


「ブロガーさん、なんとかするって、言ったじゃないですか」


「話は僕がするって言っただけだよ。まぁ安心しなよ。全部ギオルギと剣士ギルドのせいにするから、エレナには迷惑かけないよ」


「くっ……ぜ、全然安心できないです…………冗談ですよね?」


 媚びるように目を伏せて囁いてくるエレナ。人気キャラだけあって、そこにはその本性を知っていなければ少し揺らいでしまいそうなカリスマがあった。端的に言うとかなり可愛い。香水なのか、仄かな甘い香りがする。

 だが、僕はエレナに千回殺された過去があったので、その囁きを鼻で笑った。


 エレナの顔色が変わる。僕の腕を掴んでがくがく揺すって言う。


「な、なんか言って下さいよ!? 冗談ですよね!?」


「僕は正当な報酬を求めているだけなんだ。レアアイテムが欲しいだけなんだ。育成ゲーなんだから育成させろ」


「??? あああああああ、もうッ!」


 エレナが半ばやけになったような声を出して、自分の手の平を見下ろした。


 この世界のエルフ――森聖人は男も女も総じて華奢だ。エレナの指は透き通るくらいに白く傷一つない。まさに白魚のような手とはこのような手の事を言うのだろう。

 エレナは左手の人差し指にはめていた青い宝石のついた指輪を外すと、僕の手に握らせてきた。


「こ、これを……エレナの、お気に入りの指輪を、あげます。ですから、どうか穏便に…‥」


「あげますじゃない。貰って下さいだろ!」


「!? ……エ……エレナは、今まで生きてきて、ブロガーさんみたいな最低の人間、初めて見ました。…………も、もらって、くださ――」


 受け取ったエレナの指輪を観察する。透き通った青の宝石に細かな蔓の細工がされた銀のリング。

 伝説の召喚士が装備していたアクセサリーが安物である可能性はないだろう。何系の眷属に食べさせるアイテムだろうか? アイテム入手のダイアログが出ないので名前すらわからない。


 フラーが膝を叩いて欲しがったのでそれを渡す。満面の笑顔で自分の指にはめるが、いくらエレナが華奢でも、その指輪はフラーにとってはだいぶ大きかったらしい。三本の指にはめて喜んでいるフラーから視線を外し、顔を真っ赤にしているエレナを観察した。


 清楚な印象を抱かせる白の、どこか制服に似ているローブ。その薄い胸元には派手になりすぎない品のいいブローチがしっとり輝き、首には銀のネックレスが下がっている。腕には金のブレスレットが揺れていた。


 どれも曰く有りげな装飾品だ。エレナを倒せばドロップするであろう品々である。

 何の属性値が足されるのかは知らないが、ここで手に入るという事は今回のクエスト報酬の一つなのだろうか。


 僕は屈辱に顔を赤く染めるエレナを見下ろして言った。エレナが視線を察知し、表情を強張らせる。


「エレナ、いいブローチしてるね。いいなぁ」


 エレナがピクリと身体を震わせ、僕を涙目で見上げる。


「……だ、ダメ。これは、エレナのとっても大事な――」


「そっか。ならいいや。でも残念だなぁ……」


「……」


「とても残念だなぁ……いーなぁ。エレナ、いいなぁ」


「…………ッ……う……ぅ……」


 エレナがとても哀しそうに眉根を寄せると、震える手でブローチに触れた。



§



「この度はご協力頂き感謝する」


 一番偉そうな禿頭の剣士が偉そうな態度で述べる。ギルド職員に連れられてやってきた剣士ギルドのメンバーは傍目から見て分かるくらいにイライラしていた。


「いえいえ。こちらこそ、わざわざお越しいただいて……」


 ブローチもネックレスもブレスレットも外してだいぶ質素になったエレナが、まだ少しだけ充血している目で迎え入れる。


 剣士ギルドのメンバーは全部で十人もいた。むさ苦しい男たちが十人も入れば応接室もいっぱいになる。

 一番偉そうな男が対面に座り、他の男たちは僕とエレナを威圧するように男の後ろに立った。

 順番に顔を確認する。どいつもこいつもどうやら名無しのNPCのようだ。視線が合うと、それぞれまるで噛み殺さんばかりの目を向けてきた。

 モブNPCだが剣士だけあって体格がいいのでかなりの威圧感がある。


 僕の隣に座っている、エレナからドロップしたアクセサリーを身に着け機嫌良さそうなフラーを見て、対面に座ったリーダーらしき男が眉を顰めた。その視線が自然と僕に移る。


「……そこの彼は……」


「えっと、彼は――」


「ああ……その辺は面倒だからシナリオスキップでいいよ」


 自己紹介とか面倒くさいやり取りはうんざりである。僕は興味ないシナリオは全スキップする派なのだ。

 エレナが目を僅かに見開き、しかしそのまま澄ました表情で固定する。恐らく僕しかいなかったらギャーギャー騒いでいただろう。エレナは外面がいいようだ。


 名も知らぬ男がその強面を歪め、僕をまじまじと見る。


「む……シナリオ……スキップ……?」


 アイテムを無限に持てるようになったのならばついでにシナリオスキップもできるようにして欲しいものだ。 

 肩を竦め、僕は座ったまま、ポケットの中から鞘に収められた『赤風』を取り出した。


 リーダーが目を飛び出んばかりに見開き、震える声を上げる。


「なッ……そ、それは――」


「単刀直入に言うよ。剣は僕が取り戻した。大事な物と聞いているし、返すのは問題ないけど……報酬は何をくれる?」


「……何!?」


 リーダーがこちらを睨みつけ、ドスを効かせた声を出した。人殺しのような目である、さすが取り巻きとは格が違う。


 エレナが頬を強張らせ、仕切りに僕の膝を叩いてくる。別に報酬を求めないって約束したわけではないし。それを無視してリーダーと視線をあわせた。


「ほら、先に返すよ。大切なんだろ」


「ッ……」


 差し出した剣をリーダーが震える手つきで受け取る。どうやら相当に重要なものらしい。

 その柄を握り、ほんの少しだけ鞘から抜いて刃渡りを確かめると、表情を僅かに弛緩させた。


「確かに……『赤風』に違いない」


「いやー、ギオルギが自慢げに振ってたからさぁ。貴重品なのかなーと」


 売り飛ばさなくてよかった。いや……売り飛ばしていたほうが面倒事はなくて済んだのか?

 まぁクエストなんて総じて面倒なものだ。今更である。


 男の目が改めて僕の目を、髪を確認する。


「……もしや、お前が……ブロガー、か」


 その言葉に頷いたその時、それまで後ろからこちらを威圧していた男の一人が素っ頓狂な声を上げた。

 以前ギルドの入り口で僕を捕まえて尋問じみた真似をしてくれた男だ。


「あ、あんた、人違いだって言ってたじゃねーか!」


「そりゃあんな乱暴な真似されたらね。状況もわからないし」


「ッ……こ、こいつ――イ、イグリートさんッ!」


「黙れ、ライナス」


 お、名前がついた。

 目の前の男の頭の上にイグリート、以前僕を呼び止めた男の頭の上にライナスの文字が浮かぶ。どうやらそういうシステムらしい。エレナには最初から名前が見えていたのは僕が彼女の名前を知っていたからだろうか。どちらにせよ人の名前を覚えられない僕にとっては便利なシステムである。


 イグリートが視線の先を僕からエレナに切り替える。強い視線を受けてもエレナは僕の方ばかり気にしていた。変な所で精神が図太いようだ。


「エレナ殿。どうやら事前に聞いていた話とは違うようだ。私は、ギオルギを討ち取った男も何も知らないようだと聞いていたはずだが――」


「それは――」


「それは、僕がエレナに聞かれた時にしらばっくれたからだね」


 エレナが余計な事を言う前にまくし立てるように言う。こちらに落ち度はないのだから、躊躇いなんて欠片もない。

 いくら現実になったといっても、所詮ゲームの世界なんだし適当に言っとけばいいんだよこんなの。


「何ッ?」


「え……」


 イグリートがギロリと僕を睨みつけ、エレナが目を丸くした。


「雑魚とは言え、何で僕がギオルギを倒して拾った物をわざわざ馬鹿正直報告してやらなきゃならないんだよ。この都市の法律じゃあ街の外で拾った物は拾った人の物だろ?」


「む……むぅ?」


「僕は街の外で落ちていた物を拾っただけだぜ。ダンジョンやフィールドで薬草を摘むのと何が違う! なんだ? 拾わなきゃ良かったとでも言うのか? もし僕が拾わなかったら今頃その大事な大事な剣はその辺に放置されたままだったんだよ? 感謝されても文句を言われる謂れはないね。あー、もうこの辺も面倒臭いからスキップだッ!」

 

 熱弁で前に出かけていた身体を戻し足を組んでイグリートを見下ろす。

 何で報酬を貰うだけでこんなに苦労をしなければならないんだ。


「でさ、話は元に戻すんだけど……最低の強盗から剣を取り戻した善良な男に剣士ギルドは何かしらの報酬を与えるつもりはないんですかね?」


 もうエレナからちょっとした報酬は受け取っている。もしかしたらそれが剣を届けたクエストの報酬なのかもしれないが、クエストの報酬とは必ずしも一つではない。剣士ギルドから何もないなんておかしな話ではないか。


 僕の言葉に、イグリートの背後に立っている部下たちが今にも飛びかかってきそうな形相を作る。まだ飛びかかっていないのはここが召喚士ギルドであるためと、イグリートの顔を立てるためだろう。


 イグリートは目をじっと閉じてしばらく考えていたが、やがて目を開いた。暗めの金色の瞳の奥には、後ろの連中と何ら変わらない感情が渦巻いている。


「……なるほど、事情はわかった。だが、残念ながら我々には報酬として渡せるような物がない」


「……ブロガーさん。ギオルギの問題は召喚士ギルドの問題でもあります。召喚士ギルドから渡しましょう。それではダメですか?」


 イグリートの言葉を引き取るようにしてエレナが声を上げる。まるで懇願するように付け加えられた言葉。話にならん。

 アクセサリーを全部つけたフラーの姿が目に入らないのか。

 エレナに残っているのはさすがに裸に剥くのは可哀想だったので遠慮しておいた制服くらいだ。


 エレナの言葉を鼻で笑い、返事をしようとしたその時、イグリートが荒々しい声をあげた。


「だがッ……そうだな……」


 剣士ギルドと魔導師ギルドには確執がある。剣技と魔術はこの魔物の跋扈する世界では二大勢力であり、そして更に、召喚した眷属のみを使って戦う召喚士はその双方から見下される運命にある。

 もちろん必ずしも剣士キャラクターが召喚士を見下しているわけではないが、例外を除けば奴らはプレイヤーの敵である。


 イグリートが僕を見下ろす目つきもまた、そういう目だった。


「剣士ギルドの至宝を取り戻した功績は確かだ。【フランマ】に戻ったのならば、我らが剣王も必ずや褒美を与えてくださることだろう」


 剣王。剣士ギルドのギルドマスターに対する敬称である。

 この発言をどう取るべきか。情報整理のために一瞬悩んだ僕に、イグリートが獰猛な笑みを浮かべて言った。


「そこで、どうだろうか。我々はすぐにでも『赤風』を届けねばならない、が、我々の飛行船にはまだ数人が乗れるだけの猶予がある。ブロガー殿も共に帝都に来て頂くというのは」

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