第十八話:五分五分の戦い

「アレも欲しい。コレも欲しい。人の欲望は果てしない」


「え? どうしたんです? いきなり」


 パトリック達が森の奥に消えるのを待って、先へ進んでいく。

 漏らした僕の言葉に、軽い風の音にもビクビクしながら後ろをついてきていたシャロが尋ねてきた。


「いやさ……人間、本当に欲しいものは手に入らないものなんだってさ……なぁ? ナナシノ」


「え!? そ、そうですね……」


 唐突に話を振られたナナシノが目を見開き、頬を赤らめて自分の腕を掻き抱く。

 その様子に、シャロが訝しげな表情で聞いた。


「……青葉ちゃん、さっきからどうしたの?」


「な、なんでもない、から。ブ、ブロガーさんも、下らない話しをしてないで、さっさと行かないと……パトリックさん達がオーブを見つけてしまったり……する、かも」


 ナナシノの声が尻すぼみに消える。

 アビコルにそんなシステムはないし、よしんばこの世界にそんなシステムがあったとしてもアルラウネのオーブなんて誰もいらないだろう。サイレントならまだしも。


 道を耕しながら進むサイレントを顎で指し、ため息をつく。


「いやさ……やっぱり移動用の眷族がいたらなあって話さ。なぁ、ナナシノ?」


「ひぇ? あ? え? ……ああ……そ、そうですね。移動用。それ、それです」


 『騎乗』の特性を持つ眷族は、プレイヤーのフィールドでの移動速度を大きく上昇させる力がある。一体持っておくと何かと便利な眷族だ。

 『飛行』の方が優先度は高いが、『騎乗』は『飛行』程珍しくもないので適当に召喚していけばいずれ手に入るだろう。手に入るまでは移動が面倒なフィールド探索はお預けした方がいいかもしれない。


「ん? 主、我に乗るか?」


 蜘蛛のような形に変化し前方を薙ぎ払っていたサイレントがこちらに首を伸ばす。僕はぶん殴りたかったが、フィールド移動中なので自制した。

 サイレントの特性は五つとも全て戦闘向けであり、フィールドで有効な特性はない。サイレントに騎乗はできない。


 アビコルはその辺り、うまく課金させるようにできているのだ。


「し……しかし、パトリックさんたちが先行しているはずなのにけっこう魔物が出ますね」


「エンカウント面倒だよなあ……魔物避けの眷族も欲しいな」


 前後左右、地上はもちろん、空中や地面の下など、あらゆるところから現れる魔物をサイレントが発見次第ぶち殺す。トレントを破砕する音、肉の潰れる湿った音がサイレントの腕を振り払う風切音に交じる。

 今思うと、もしも最初に引いた眷族が全体攻撃持ちのサイレントじゃなかったら、ただ前に進むだけでも時間を取られていただろう。そう思うと、僕はある意味ラッキーだったのかもしれない。


 足元でちょこちょこ歩いているフラーを見下ろす。

 次に引いたのがこいつじゃなくてレア度の高い単体戦闘向けの眷族か騎乗用の眷族だったら完璧だったのに。


 そんなことを考えていると、まだ若干さっきのことを引きずってる様子のナナシノが恐る恐る尋ねてきた。


「ところで、ブロガーさん……その……エルダー・トレントが出ても……本当に、勝てるんですか?」


「ん? ななしぃは我の力を信用していないのか?」


「い、いや、そんな事……ないですけど。でも、あれは――」

 

 敗退した時の光景を思い出したのか、ナナシノが瞳を伏せる。シャロも不安そうな表情でせわしなく左右に視線を彷徨わせている。

 ごくりとその白い喉が動く。ナナシノは一拍置いて呼吸を整え、続けた。


「正直……もしかしたら……ゲールより……強いかもしれません」


「んー……強さってのは一概に比較できないからなぁ……」


 魔法型に物理型、相性もあるしフィールドエフェクトによって戦況がひっくり返ったりもする。

 ゲールは元当たりキャラで、エルダー・トレントはレアモンスター。エルダー・トレントは柔らかい方だが、双方が一対一で戦えば、まぁ――


 記憶の奥から双方の能力を引っ張り出し比較する。


「まぁゲールとエルダー・トレントだったら、エルダー・トレントが勝つかな……」


「……え?」


 漆黒の双眸が大きく見開き僕を見る。


 何も、これはおかしい事ではない。なぜならアビス・コーリングでは、プレイヤーは複数の眷族を使役して戦う事を前提としているからだ。雑魚モンスターならばともかく、レアモンスターともなれば簡単に突破できるような相手ではない。


「特にエルダー・トレントの魔法攻撃にはスタンを付与するものがあるからなあ……一撃受けてスタン食らってそのまま全滅とかありうるし……サイレントは耐性あるけど」


「スタン……?」


 ゲーム経験がほとんどないナナシノが首を傾げる。

 スタンなんて常識なのに……僕は懇切丁寧に教えてやった。


「ナナシノのビンタと一緒だよ。スタン気絶、だ。動きが数秒止まるんだ」


 だから、最初期のエルダー・トレントは皆から嫌われていた。僕を初めとした重課金者から見ればそれほどHPが高くなくて防御力も低いエルダー・トレントは格好の的だったが、それはまぁいい。

 ゲールとエルダー・トレントだったら後者が勝つと言ったが、石を一個か二個使って『再生コンティニュー』すれば前者が勝つ。その程度の違いだ。僕には六個の魔導石があるし、心配はいらないだろう。


 僕の言葉に、シャロがぴくりと眉を動かし、小動物のような目でナナシノを見た。


「え……ビンタ?」


「こほん……ま、まぁ、ブロガーさんが大丈夫だと言うなら……心配していませんが」


 ナナシノがこれみよがしと咳払いし、ベタな誤魔化し方をした。しばらくこのネタでいじってやろう。


 森の散歩を楽しみながら数十分程先へ進んでいくと、前方から激しい音が聞こえてきた。

 空が薄暗くなる。木樹の倒れる音。獣の悲鳴。そして人の怒鳴り声。


 シャロが僕の後ろに隠れ、小さく頭を出す。頬が何時も以上に白み、その体が震えている。


「この音は……」


「……へー。こういう所は現実準拠なのか……日記に書いておこう」


 その光景がぎりぎり見えるくらいのところで立ち止まる。サイレントもそれに合わせて人の形に戻り、僕の前に立った。

 間違いなくエルダー・トレントである。どうやらお約束を無視して向こうに出たようだ。


 ナナシノのアイちゃんが機敏な動作で剣を抜き、正眼に構える。


「行かないんですか?」


「いや。ネトゲで横殴りはマナー違反だし」


 まぁアビコルはネトゲではなかったから横殴りなんてなかったのだが。


「??? えっと……」


「獲物の横取りは良くないって事」


 向こうも報酬狙いで来ているのだ。僕が間に入って揉めたら全員ロストさせなくてはならなくなる。

 

 遠くにエルダー・トレントが見えた。からからに乾いた幹に胡乱に空いた目と口のような洞。その枝に葉は一枚もなく、今にも朽ち果てそうな見た目とは裏腹にその根による攻撃は目にも止まらない速度を保っている。

 太い根っこが鞭のようにしなり、一抱えもある木を容易く引き倒す。エルダー・トレントを中心に、十メートルも離れた位置を、召喚士コーラー達が囲んでいた。


 その前を縦横無尽にその眷族達が取り囲んでいる。十人以上もいるとなると、その光景は壮観だ。


 エルダー・トレントが風の鳴る音のような声で吠える。

 無数に放たれた真空の刃を傷だらけの金の猫が跳ねて回避する。根っこの攻撃を巨大な盾を携えた犬の騎士が弾く。

 攻撃時に発生したその隙を着くように、轟々と燃える炎の弾丸がエルダー・トレントの幹を撃った。


 エルダー・トレントが鋭利に尖った枝を揺らし、身を捩るように回転する。ぐるりと旋回した根を眷属たちが一歩下がって躱した。何撃か食らったのか、HPの減っている眷族も何体かいるが、戦況は召喚士有利で進んでいる。


「考えてるなあ……」


 どうやらパトリック達は初撃の敗退を無駄にはしなかったらしい。

 周囲を囲んでいるのは、一方向に放たれるエルダー・トレントの真空の刃を躱すため。盾を全面に出し守りに重きをおいた戦術といい、火属性の攻撃魔法である炎の弾丸による牽制といい、じわじわ少しずつ体力を削っていく戦法なのだろう。

 いかんせん眷族の力が弱いのでまだ押し切れていないが、時間さえかければ倒せるはずだ。


「まぁ、まだエルダー・トレントのHP、九割も残ってるけどね」


 エルダー・トレントの頭の上に表示されたHPバーは殆ど減っていない。炎の弾丸を牽制に選択したのはエルダー・トレントが普通のトレントと同様、火属性の攻撃に弱いだろうという判断なのだろうが、エルダー・トレントの弱点は火ではないのだ。

 炎の弾丸がぶつかった部分が微かに焦げているだけで、殆どダメージになっていないのはそのためである。


 どれくらい戦っているのか知らないが、この分だと時間がかかるだろう。また、戦況は拮抗しているように見えるが、エルダー・トレントの根っこによる物理攻撃と真空刃による魔法攻撃は奴の攻撃パターンの一つでしかない。


 腕のように伸びた枝を地面に激しく叩きつけられる。その時、ちまちま攻撃を受けていたエルダー・トレントの口から今までとは異なる嵐の鳴るような音が聞こえた。


 パトリックが大声で叫ぶ。


「でかいの来るぞッ!」


 眷族が、召喚士達が、体勢を立て直す。次の瞬間、エルダー・トレントが大きく回転した。

 眷族達が全力で後ろに下がる。ほぼ同時に、その巨体を中心に空気の渦が発生した。

 吹き荒れた豪風はまだ無事だった木をへし折り、上空に吹き飛ばす。


 ナナシノが指を指し、大きく叫ぶ。


「あ、アレですッ! アレにやられたんですッ!」


「エアー・ストリームだ」


 自身を中心に五メートルほどの範囲に風による属性ダメージと吹き飛ばし効果を与える攻撃魔法である。僕達は縮めて『風流』と呼んでいた。

 威力は低いが範囲がそこそこ広いため、初見では回避が困難な一撃だ。低いと言っても、レア度の低い眷族ならば大きくHPを削られるだろう。

 だが、逆に言うのならばレア度の低い眷族でも大きく削られる程度の一撃でしかない。あれにやられて逃げ出したとするのならば、ロストしたのがシャロだけだというのも理解出来る。


 うんうん頷く僕の前で、魔法が終わる。眷族達は大きく回避したため、ほぼ無傷だ。

 更に遠くから戦況を見守っていたパトリックが鋭く指示を出す。


「今だ! 畳み掛けろ!」


 その言葉を合図に、眷族達がふらつき動きが停止したエルダー・トレントに殺到した。

 エアー・ストリームにはクールタイムが存在する。一度放ったら二度目はしばらく放てない。

 殺到する眷族達に、エルダー・トレントが腕を大きく振り上げ威嚇する。


 眷族を失う羽目になった仇敵のその様子に、シャロが小さく囁いた。


「勝て……る?」


「ん? いや――」


 まだHPもあまり減っていないし。


 そう答えようとした瞬間、エルダー・トレントが大きく音を立ててゆっくりと体を回転させた。予想外の挙動に、眷族達が警戒する。

 そして――エルダーは根っこのような足を振り上げ、慌てたように走り出した。後方も眷族が囲んでいたが、急に突進してきたエルダー・トレントに一瞬退いたその隙をつかれ、包囲網を突破される。

 その更に後ろに待機していた召喚士が慌ててその進行方向から避ける。エルダー・トレントはそのまま、遮る者のいなくなった森の奥に走っていった。


「え……? ……逃げた?」


 その様子に、ナナシノが目を丸くする。

 あっさり背中を見せて去っていったエルダー・トレントに、固まっていたパトリックが我を取り戻し、叫ぶ。


「お、追えええええぇぇッ! 逃がすなッ!」


 その指示に従い、眷族と召喚士達がその背中を追う。エルダー・トレントの敏捷はそれほど高くない。

 あっという間にいなくなった召喚士達とエルダー・トレントに、ナナシノが夢でも見ているかのようなあどけない表情をした。


「レアモンスターって逃げるんですか?」


「……まー逃げる事はあるね」


 プレイヤーは逃げられないが、モンスターは逃げる。

 レアモンスターに限らず、モンスターは逃げる事がある。経験値やドロップが美味しいモンスター程逃げやすかったりする。

 逆に本当ならば追ったりはできないはずなんだが……。


 沈黙が訪れる。ナナシノが何とも言えない表情を作る。


「……どうします?」


「まずは光のオーブを探そう」


 まだサイレントが三日前に作った道は続いている。ここまで光のオーブは見つかっていない。

 エルダー・トレントはそこから逸れる形で逃げていったし、ここから先はまだパトリック達も通っていないはずだ。

 僕の目的はエルダー・トレントのドロップだが、クエストを疎かにするつもりはない。


 サイレントがエルダー・トレントと召喚士達が走り去っていった方向を見て肩を竦める動作をする。


「情けない魔物だな。我ならば絶対に逃げたりしないぞ」


「まだ余りHP減ってなかったし、何で逃げたんだろうね……」


 大抵、こういう魔物はHPが減れば減る程、逃げやすくなる。HP九割も残っていて逃げるとは、アビコルで起こったら相当なレアだ。

 

 サイレントと同じく、エルダー・トレントの逃走先を見ていたナナシノがこちらを向く。


「え……? だいぶ攻撃を受けていたように見えたんですが……」


「ちゃんとHPバー見なよ……」


「HPバー……? なんですか、それ?」


「HPバーはHPバーだよ。HPのバーだよ。……まぁ、とにかくさっさと先に進もう。すぐに見つかるといいんだけど」


 ローブに付着した土埃を払い、僕は再び道の先を向く。ナナシノは訝しげな表情をしていたが、小さく頷き、僕につづいた。


 今の戦闘の様子だと、パトリック達が勝てるかは五分五分だろう。なにせ、まだエルダー・トレントは大技を使っていない。


 急いでオーブを見つければ決着の前に合流くらいは出来るかもしれない。

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