第十七話:幸運を

 召喚コールされたサイレントが、いつも通り文句を言おうと口を開きかけ、目を丸くした。


「あるじ、どうしたんだ? その頬は」


「ナナシノに振られた」


 避ける暇もない、スナップの効いた良いビンタであった。

 一夜明けてもまだひりひりしている頬を擦る。さすがに手形はついていないが、鏡でみたら少し赤くなっていた。もしもプレイヤーにHPバーが実装されていたら少し減っていたかもしれない。


 この世界に来て魔物を解体できるようになったナナシノをどうやら舐めていたようだ。状況で押し切れると思ったのに。

 サイレントが驚異的な物分りの良さを見せ、呆れたように言う。


「ななしぃを襲おうとしたのか……」


「なんでもするって言ったから、同意を求めただけなんだ……クソがっ、美人局かよ」


 頬から手を離し、肩を竦める。あそこまで思わせぶりなセリフ吐いておいて、この結果とは……。ちゃんと自分の言葉の責任くらい取れ。

 サイレントが僕の足をよじ登り、頭の上に登る。


「我を送還デポートしているからだ。我がいたら……ななしぃの手足を拘束してあげたのに」


「そのたまに冥種っぽい感じだすのやめない?」


 友達じゃないんかい。


 ため息をつき、森に向かう準備をする。

 外出用のローブに腕を通し、上から外套を羽織る。ギオルギの剣と杖も一応持っていく。フラーがちょこんと机の上に座ったままつぶらな瞳で僕を見上げている。

 着替えを終え、椅子に腰を下ろすと、天井を仰いだ。


「大体、僕は……無理やりとかじゃなくて、ナナシノに自分からやらせたかったんだ」


「分をわきまえない主が悪いな」


「献身を破壊しておいて本当に良かった。うん、本当に良かったよ……」


 あの状況。手元に献身があったら絶対に使っていた。僕は余り欲望に強い方ではないのだ。

 だが、それでは余りにも情緒がない。


 サイレントが頭の上でもぞもぞしながら尋ねてくる。


「で、今日は結局、光のオーブを取りに行くのか?」


「僕はゲーマーだよ?」


 何でナナシノに振られたからってクエスト放棄するようなことがあろうか。それとこれとは話は別だ。たとえ昨日ビンタ食らっても、僕はナナシノとおててつないでクエストに行くぜ。

 ビンタ食らってレアアイテムも手に入らないとか最低じゃないか。


 サイレントがしみじみと言う。


「主は勤勉だなぁ。我はそういうところ、いいと思う」


「サイレントにそんなこと言われても全然嬉しくないわ」


 その時、ふと扉がこんこんと小さく叩かれた。いつもよりもだいぶ小さな音だ。

 さて、ナナシノがどの面下げて僕を呼びに来たのか見せてもらおうか。


 返事をすると、ナナシノが扉を細く開け、隙間から目を覗かせた。頬がいつもと比べどことなく紅潮している。

 足元には七割方HPが回復したアイちゃんが主人と同じような仕草でこちらを見ていた。


 小さな声で言いづらそうにナナシノが言う。


「あの……ブロガーさん。その……森に……」


「あー、行こう行こう」


 どうやらナナシノはなかったことにしたいようだ。この年頃の女の子が何を考えているのかなんて分からないが、それがいいなら今はそっとしておいてやろう。足手まといになられても困るし。

 立ち上がりかけると、サイレントが僕の頭から飛び降り、さっさとナナシノの方に行く。ナナシノのブーツの前で立ち止まると、小さな頭を上に傾け、ナナシノに言った。


「悪いな、ななしぃ。我は主の眷族だから、主に命令されたらななしぃを動けなくして差し出さなければならないのだ。とても申し訳ないが」


「えっ!?」


 ナナシノが強張った表情でこちらを見る。

 やめろ、そんなこと言ってないだろ。僕は!



§



 ナナシノとの距離が遠い。いつもはすぐ隣を歩いているのに、今日の肩と肩の間にはいつもより心なしか距離がある。

 早足で歩きながらナナシノが言う。その目はさっきからこちらを見ていない。


「他の召喚士の皆さんも……今日、エルダー・トレントと戦いに行くらしいです。ギルドが多額の報酬を用意したそうで……二十人以上集まったって言ってました」


「へー」


「もしかしたら、私たちの方にはエルダー・トレントは出ないかもしれないです」


 二十人。二十人以上、か……つまり、眷族が総勢二十体。これで負けたら笑うぜ。


 まぁでも、ゲームのお約束からして向こうにレアモンスターが出たりはしないだろう。

 それに、こっちのメインターゲットは光のオーブだ。出なかったらそれはそれでクエスト受けた意味なくなるけどまぁいい経験になったと思おう。やりたいことは多いが、時間もまた腐るほどある。


「だから……えっと……そうです。いざという時は助けて貰えるので……あ、余り、気を張らなくても……」


「へー」


「!? えっと……が、頑張りましょう……?」


 ナナシノがわたわたしながら、遠い距離から窺うような目つきを見せる。

 頑張るのはもちろんだし、油断もしていない。レアモンスター討伐のためとはいえ、これ以上石を砕くわけにはいかない。


 僕はそこでため息をついて立ち止まった。ナナシノが目を見開き、ふらふらと立ち止まる。

 びくびくしているナナシノにはっきり言ってやった。


「ナナシノさ……一端昨日の事は忘れよう」


「……え!?」


「いつまでもうじうじして、男らしくないぜ」


「……そ、それ、ブロガーさんが言うんですか!? 大体……私、女ですし……」


 必死に話しかけてきていたようだが、いつもと態度が違うのは明白である。そして、僕が適当に返事をするのはいつもと一緒だ。つまり、ナナシノが悪い。

 僕にはサイレントがいるが、ナナシノにはいない。初心者のくせに、注意散漫で森に入ってもらっては困る。

 役に立たなくても足を引っ張らないならついてきてもらっても構わないが、足を引っ張るならいらない。


 腕を組んで偉そうに見る僕に、ナナシノが顔を真っ赤にして早口で言う。


「だ、大体、ブロガーさんはデリカシーがなさすぎです。い、いきなり、あんなこと、言うなんて……」


「忘れようって言ってるのに……僕はもう忘れたよ」


「ッ……ブロガーさんは、忘れずに、反省してくださいッ!」


 どうやらボルテージが上がってきたようだ。いや、恥じらいがあるのはいい事だと思うよ、僕は。

 だけど、道のど真ん中で痴話喧嘩なんてするんじゃない。しっかりしているように見えて所詮ゲーム初心者か。

 耳まで真っ赤にして叫ぶナナシノに手の平を向け、なんとか抑えようと試みる。


「わかったわかった。じゃー次はいきなりじゃなくて事前に言うことにするよ」


「え……? は、はい……? ……へ?」


 ナナシノが目をぐるぐるさせている。こんな状態で大丈夫なのか?

 アイリスの単騎兵が僕を見上げ、まるで主人を守るかのように腕を広げていた。主がこんなに頼りないようじゃ、眷族も大変だな。


 しばらくぼーっとしていたが、思考を取り戻したのかナナシノが慌てたように、詰め寄ってきた。こういう所が危ういのだ。


「ち、違います。そういう事じゃありませんッ! も、もっと、手順っていうものが――」


「だから服脱げって言っただろ。その前に手順があるならちゃんと提示しなよ。脱がして欲しいならそう言え!」


「ッ!?」


 絶句するナナシノに畳み掛けるように続ける。


「面倒なんだよね。選択肢も出ないし、なんでもしてくれるって言ったからして欲しい事言ったのに、僕にどうしろって言うんだ!」


「主は最低だなあ」


 そしてサイレントは僕の味方なのかナナシノの味方なのかはっきりしろ!

 しみじみ他人事のように呟くサイレントに呆れながら、話を切る。


「でもまぁ、今はいいや。さっさとシャロの所に行ってクエストを終わらせよう」


 光のオーブ回収には時間制限があるのだ、現実故のいざこざが出るかもしれないし、早めに動くに越したことはない。大体、往来でやるやり取りじゃないよ、これ。

 さっさと歩き出すと、ナナシノが慌てたように早足で隣に並ぶ。モヤモヤは晴れたのか、先程よりも僅かに距離が縮まっていた。変な爆弾抱えて進むよりも余程いい。


 遠く、馬車乗り場でそわそわしていたシャロがこちらを見つけ、手を振ってくる。

 ナナシノがシャロの姿を見て、一度唇を強く結び、言った。耳元が赤くなっている。


「……ブロガーさん。昨日の……それ叩いちゃって……ごめんなさい」


「いい腕してる。痛かったなぁ……」


 時間たったせいかもう大分マシだけど、変な受け方したせいか一瞬意識が飛んだ。通常攻撃がスタンつきとか、ナナシノがもしも眷族だったらそこそこの使い勝手だ。


 まるでシャロと合流前に全て終わらせようとしているかのように、ナナシノが続ける。墓穴をほっている事を気づいていない。

 どうやらナナシノは瞬発力はあっても持続力が足りないようだ。


「で、でも……その……わ、私、そういうこと……今まで、したことないので……驚いてしまって」


「……まぁ、大体予想していたけどね。失敗は誰にでもあるさ。驚いただけなら、次は大丈夫だろ?」


「あ……ありがとうございます! そうですね。次は是非……って……ええ!?」


 なんか極端に拒絶されているわけでもなさそうだし、後ひと押しかふた押しすればいけそうだな。


 また混乱し始めるナナシノを追い越し、僕は早足でシャロの方に向かっていった。

 さっさとクエストを終わらせることにしよう。


§


 シャロが、胸を押さえ頬を紅潮させているナナシノを見て、首を傾げる。


「? どうかしたんですか?」


「なんでもないから……気にしないで……」


 なんだかよくわからない生き物の引く馬車に乗り、森に向かう。すぐ側では他のパーティが乗っている馬車が幾つか並走していた。中にはすし詰めのように召喚士が積まれている。

 森は広いし、どこからでも入れるが、目指す方向は同じようだ。パトリックたち、初日敗北組からの情報提供があったのだろう。


 ゲームでは魔物の出現率はランダムだったが、これだけ人数がいれば魔物も現れないのではないか。そんな下らない考えが浮かんでしまいそうなほどだ。

 森の入り口が見えてくる。既に幾つかの馬車が止まっているのが見えた。


「晴れて……良かったですね」


 空を見上げていたシャロが乾いた声で言う。

 まだ疲労は残っているようだったが、昨日と比べれば随分と体調も改善したようだ。


「雨だとエルダー・トレントが強化されるからね」


「え、そうなんですか?」


 シャロが僕の言葉に、目をぱちぱちさせた。


 エルダー・トレントやアルラウネなど植物系の魔物は雨天時に能力に補正がかかる。フィールドエフェクトは重要な要素の一つだ。効果は様々だが、単純なパラメータアップから持続的にHPが回復していくようなものなど、無視できないような影響が出ることも多い。

 逆にエルダー・トレントは『炎天』時に弱化されるはずだが、炎天は自然に掛かるようなエフェクトではないので期待できないだろう。


 感嘆したようにシャロが小さく吐息を漏らす。


「詳しいんですね……」


「いや、こんなの基本だし……ちゃんとHPバーの下にバフアイコン出るし」


 アビコルでは状態異常や能力の弱化・強化は全てHPバーの下にアイコンの形で表示される。表示されるのはアイコンだけなのでそれが何を示すかはwikiなり公式サイトなりで調べて暗記しなくちゃならないが、そんなに難しいことではない。


「ばふあいこん?? えいちぴーばー?」


 復唱するシャロをスルーしてさっさと森の入り口に立った。


 僕が三日前に刻みつけた道は踏み固められ、森の奥につづいている。入り口の脇では十人以上の召喚士が何やら話し合っていた。中には傷だらけの眷族を連れたパトリックたちの姿もある。

 人混みの中心にいたパトリックがナナシノを見つけ、声をかけてきた。


「青葉ちゃんじゃないか。これから光のオーブを探しに入るのか?」


 既に話はしてあるのだろう、パトリックがシャロと僕を見て言う。傷だらけのゴールド・リンクスが草の臭いを嗅いで、尻尾を振っていた。


「はい。パトリックさんは……これから森に?」

 

「ああ。総勢十五人で森狩り――エルダー・トレント狩りだ。既に一グループ先に向かったのがいるようだが……」


 進化前の眷族でもこれだけ集めれば錚々たる様だ。

 やはり一人一体しか召喚していないようだが、けっこうバランスがいい。獣種に霊種、天種に無種。攻撃、補助、回復と、役割もわけられるだろう。冥種と竜種、それに扱いが特別な異種はいないようだが、大体がレベルを最大まで上げてあるし、十分な戦力と言える。

 パトリックがナナシノから僕に視線を変える。

  

「ブロガーさんも一緒に来ないか? ギオルギを倒したブロガーさんが来てくれたら安心なんだが……」


「悪いけど、僕はシャロの手伝いだから」


 大体、こんなに人数がいたら報酬も分割されてしまうし、レアドロップも誰の手に入るのかわかったものではない。ゲーム中ではNPC召喚士と組んでも報酬は減らなかったが、僕は――コミュ障なんだよ。


 金髪イケメンNPCは僕の答えに残念そうに眉を顰め、しかし直ぐに爽やかな笑顔を浮かべた。


「そうか……見つかるといいな」


「戦闘はごめんだし、君たちの後をゆっくりついていくことにするよ」


 シャロは逃げ帰る時、僕の作った道を真っ直ぐ引き返したらしい。だから、道を進んでいけばオーブも見つかるはずだが、後ろからパトリックたちにこられるのは急かされているかのようでよろしくない。


 雑魚には用はないし、こうすることでなんとなく現実とゲーム間の差異がわかるはずだ。現実の法則の方が強ければ魔物とのエンカウント率は低下するだろう。


 僕の言葉に、パトリックは小さく頷く。数を揃えたので気が大きくなっているのだろう。

 

 だが、それもやむをえまい。


幸運をグッドラック


 数は力、数さえ増やせばどうにかなる。アビコルの後半のダンジョンは無数の眷族を連れて行かねば太刀打ち出来ない難易度になるのだ。


 僕は、頼りになる、しかし全体攻撃持ちのサイレントを使えば一瞬でロストに追い込めるNPCたちを眺め、親指を立てた。



§ § §



 気配がした。森の中、縄張りに入ろうとする人間の気配。二日前に撃退した者たちと比べて遥かに多い気配だ。


 風もないのに天を向いた枝がざわめき、地に突き刺さった根がハリガネムシのように動く。

 動き出した森の主の気配に、周囲の木、枝葉の上で休んでいた鳥たちが飛び去る。近くにいた魔物が、下位トレント種が、タイガー・ラビットが、動物たちが走り去る。


 愚かな人間が縄張りに入ってきている。その数と力量を測る。

 少数ならば無視してもいい。だが、大量の人間が縄張りを踏み荒らすとなれば話は別だ。 


 すぐに力量差はわかった。皆が皆、魔物に似た気配を連れているが、そのどれもが森で長きに渡り力を蓄えたエルダー・トレントと比べれば遥かに格下。たやすく撃退出来た二日前の者たちと殆ど変わらない。


 だが、数が多い。前回はそのほとんどを取り逃がしてしまった。

 真正面から相対すればまた何匹も取り逃すことになるだろう。


 エルダー・トレントの根が持ち上がり、大地を踏みしめる。その幹が大きく揺れる。幹に虚のように空いた顔が、森の奥をじっと見つめた。

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