後日談

その1

「……クソッ、一体何が……」


 真夜中。魔導師が隆盛を誇る都市、【魔都アーグワ】。その中心街にある豪邸の一室で、ぶつぶつ呟きながら、一つの人影が荷物をあさっていた。


 立派な黒のローブを着た老人だ。装飾品とその仕立ての良さからその人物が貴族に匹敵する高貴な人物である事がわかる。だが、今その神経質そうな容貌は青ざめていた。


 かつて数多の新型の魔術を生み出した研究室は今、まるで盗人に入られたかのように散らかされていた。本棚に整然と並んでいた魔導書は全て床に散らかされ、滅多に手に入らない希少な触媒や高価な実験器具が絨毯の上に転がっている。


 【魔都】に住まうものならば誰もが知る大魔導師。ウィズ・アルタリアは今、混乱の極みにあった。


 ここまで焦ったことなど、百年近くの生を振り返っても記憶にない。

 最上級に区分される魔物も、派閥の違う優秀なライバルの魔導師も、その魔導の力で排除してきたのだ。


 散らばった無数の魔導具の中からほんの一握り、最も優秀なものだけを絞って鞄の中に入れておく。


 魔法の掛けられたその鞄はその見た目の十倍以上の内容量を誇るが、無限ではない。時間もない。

 せいぜい持ち出せるのはウィズが長い時間を使って集めた道具の十分の一か、あるいは百分の一か。その事実に、歯を食いしばる。


 内心に渦巻いていたのは強い怒り。

 絶対強者として生きてきた自分が逃走などという選択をしなければ行けない事実に対する怒りと、僅かな恐怖だ。


 その恐怖の元はテーブルの上に置かれた磨き上げられた水晶玉だった。

 向こうが透ける程に磨かれた水晶玉は魔法の媒体として極めて優秀だ。特に遠視の魔法と高い親和性がある。


 ウィズ・アルタリア――ロード・アルタリアと呼ばれた魔導師は、自らが召喚し契約で縛ったウォールの事を信用していなかった。

 ウィズの生み出した新たな契約魔法は対象の行動を縛れてもその感情を操作することまではできないためだ。


 故に、ロードは事ある毎にウォールを遠視の魔法で見張っていた。

 その瞬間が訪れた時も、ロードは水晶玉を通して遠くウォールと最強の召喚士コーラーとの戦いを見ていた。


 その時の光景を思い出し、ぞくりと肩を震わせる。

 最初に呼び出したウォールの力は絶大だ。だが、次に呼び出した『最強の召喚士』は別の面でロードを恐怖させた。


「ありえん……あの男……私の契約を一方的に――」


 あり得ない。少なくとも、魔導を極めたと自負している自分でも、触れただけで契約を破棄するような真似は不可能だ。

 ロード・アルタリアがウォールに課したのは限りなく呪いの類に近い契約である。そして、実際にこの世界の召喚士では持ち得ぬ極めて異質な眷属を有していたウォールにもその破棄は不可能だった。


 だが、それをあの男は事も無げに破壊してみせた。指輪は粉々になり、実際に魂に繋がっていた契約の証は千切れ、ウォールの存在を感じ取れなくなっている。


 ロードの施した契約魔法は制約こそ既存のどの契約魔法よりも緩いが、根本は『献身』の魔法と同様、対象の同意が不可欠だ。

 二度目はない。ウォールはどこか胡乱な人間で口数も少なかったが、馬鹿ではない。時折ぞっとするような目でロードを見ることもあった。二度と引っかかるまい。


 整理中、ふいに手に触れた歪な形の剣に、少し手を止め、すぐに放り捨てる。


 機械仕掛けの剣だ。白い刃は既存の如何なる金属とも異なる成分で作られている。

 ウォールからの情報を元に手に入れたリヤンの遺物。強力で興味深い武器だが、まだ研究は済んでいない。現状を打破するのには使えない。


 この屋敷はウォールにバレている。早急に場所を変える必要があった。

 ロードは強力な魔導師だ。だが、準備なくして『最強の破壊能力』を持つ召喚士に勝てるとは思っていない。

 体調を万全に整え、発動に時間のかかる大規模魔法を幾つも準備して五分。確実に勝とうとするのならば仲間の助けが必要だ。


 今は――雌伏の時。口惜しいが一旦退かねばならない。

 ウォールはこの世界について基本的な情報しか知らない。伝手もない。一度姿を隠せば見つかることはあるまい。


 隙を見てもう一度縛ってくれる。

 そう心に決め、最後にデスクの上においてあった水晶玉を鞄に放り込むと、ロードは深々と息を吸った。


 ウィズ・アステリア程の魔導師になれば逃亡にも走るなど無様な行動を取る必要はない。空を飛ぶ必要もない。

 左手に真紅の宝石を取り、右手に握った一振りの杖を動かし術式を刻む。


 『転移魔法』。


 魔導の深淵を覗いた者のみに使用が許される屈指の大魔法だ。

 膨大な魔力を使うため乱発することはできないが、長い時間を掛けて宝石に貯めた魔力を使えば国の垣根を越えた長距離移動も可能になる。痕跡も残らない。追跡は絶対に不可能だ。


 宝石が強い光を放ち、粉々になって消える。ふわりとその矮躯が浮き上がる。


「忌々しい召喚士コーラーめ……覚悟しておけ」


 捨て台詞のような言葉を残し、その姿が闇の中、消失した。



§



 無事転移を終え、ロードの目の前に入ってきたのは黒い壁だった。


 黒い金属質の壁だ。予想外の景色にロードが思わず眉を顰める。

 転移魔法は正常に発動した。長距離転移は場所の指定が難しい。最低限の保証として、壁や物の中に転移したり空中に転移したりする心配はないが、それ以外の保証はない。


「人里……か?」


 明らかに人工物の壁だ。魔物が跋扈するこの時代、ある程度規模のある町は全て外壁に囲まれている。


 どうやら運がよかったようだ。


 ほっと息をつき、上を見上げる。漆黒の壁はどこまでも上に続いており、果てが見えない。

 壁の規模は都市の規模に比例する。余程大規模な都市に転移したのか。


 潜伏する場所を決めなくてはならない。金はある。希少な魔道具を幾つも持ってきた。少々惜しいが、一つ二つ換金すればしばらく金銭に窮することはあるまい。


 周囲に誰も居ないことを確認し、とんと杖で地面を叩く。飛行の魔法が発動し、ロードの身体が浮き上がる。


 上空から町を見下ろせばここがどこだかわかるだろう。


 ロードの身体が凄まじい勢いで壁沿いに上昇し、地面が一気に遠ざかる。


 その間、脳内にあったのは、召喚士を、あのウォールと、そしてブロガーをいかにして下すかだった。

 正面突破は困難だ。特にブロガーは自らの術式が『最強』と判定した召喚士である。不意打ちか、あるいは人質でも取るか……。


 しばらく上昇した後、空中で停止する。

 一旦、復讐の事を頭から出し、現状を確認しようとしたその時――




 ――ロードは、まだ目の前に先程と変わらず、壁が聳えている事に気づいた。




 一瞬混乱する。慌てて上を見るが、壁はどこまでも上に続き、果てが見えない。


 足元を見る。遥か下に地面が見える。目測で百メートルくらいはあるだろうか。


 外壁の作成は一大事業だ。

 町をぐるっと囲まなくてはならないし、素材の問題もある。

 これほど高く作るなど、聞いたことがない。


 ぞっとしない何かを感じつつも、ロードは再び上昇を開始する。今度は天を仰ぎながら。


「馬鹿な……何メートルあるのだ?」


 身体に感じる風はかなりの速度が出ている事を示している。だが、壁は途切れる気配はない。

 ここまで大きな外壁を作るなど、一体どこの大都市に紛れ込んだのか。


 つなぎ目のない壁は、建築家ではないロードにはどうやって作ったのか検討もつかない。


 しばらく上昇し、呼吸が苦しくなるほど上がっても壁の上にたどり着かない事を確認し、ロードは深々とため息をついた。

 そのまま、何気なく後ろを振り向く。


 そして、今度こそロードは目を見開いた


 眼下に広がる小さな光る点。遥か下なのでほとんど豆粒のようにしか見えないが、それは確かにロードの見知った町並みだった。

 見間違えるわけがない。町の中央に輝く強い青色の光は、【魔都アーグワ】のシンボルである『青の世界樹』が帯びた魔力光だ。


「あり……えん……」


 確かに転移魔法は発動した。貴重な魔導石に込められた魔力は国を飛び越える程膨大だ。

 【魔都アーグワ】の範囲すら越えられないなどありえないし、そもそも【魔都】にこんなに巨大な壁は――。




「『惑わす迷宮の生壁ラビリンス・ストーン』、って言うんだ」



 日常会話でも交わすかのような声に、慌ててロードが後ろを向く。

 先程まで果ての見えなかったはずの壁が、目の前で途切れていた。

 滑らかな断面の上に、一人の召喚士が座っている。


 履いた粗末なブーツの踵が壁をとんとんと叩く。

 目の下に張り付いた隈。健康的ではない色の悪い肌に、無味乾燥な印象を受ける瞳。


 怒りも絶望も見えない表情に、ロードは思わず後退る。その唇が意図せずその名を呟く。


「ウォール……」


 先程までロードが逃げていた相手。絶対に出会うわけにはいかなかった相手が、今手の届くような距離にいた。


 ウォールは名を呼ばれても特に反応せず、ただ講義でもするように続ける。

 纏ったローブ。身体の前で酌み交された手には、指輪は存在しない。


「『生き石リビング・ストーン』の進化系なんだけどね……『影縫い』の特性を持っている。相手の逃亡を……防ぐ特性だよ。ふふ……壁なのに『影縫い』なんておかしいだろ? 使いまわしているんだ。変えてくれればいいのに、アビコル運営も生き石のために新特性を考えるのは嫌だったらしい。要望は……出したんだが」


「何を……言ってる?」


「設定資料によると、『生き石』の召喚元、全ての無種の故郷である【青無界】は魂の存在しない……それはそれは寂しい世界らしい。そこには、誰が築いたものでもない、使用する者のいない、文明だけが、どこまでも広大に残されている。私達、召喚士コーラーが召喚した、無種の眷属は、そんな文明の一部だ。そこに存在する全ては、魂はないが、ただ使われるだけの存在だが、生きている。鎧も、剣も、絨毯も、彫像も、そして――ただの壁さえも」


「……ッ……」


 付き合ってはいられない。


 飛行の魔法を操作し、ロードは一気に反転した。

 見つかってしまったが、まだ可能性はある。そのまま全魔力を込め、速度を最大まで上げる。魔力による障壁を張っても尚感じる凄まじい風圧に目を細める。

 ウォールも飛行能力を持つ眷属を持っていたが、その眷属だってこれほどの速度は出せないだろう。


 魔力がぎりぎりまで減ったところで停止する。この高さから地面に落ちる訳にはいかない。

 久方ぶりに全身に感じる魔力消耗の疲労に荒く呼吸する。


 一通り息を落ち着け、顔を上げる。

 そのすぐ前で、ウォールが笑っていた。体勢は先程と何一つ変わっていない。


「ッ……! な、どうやって――」


「『生き石』には……大量に、分岐があってね……多分、開発チームのジョークだったんだろうが……アビス・ドラゴンを倒したのは、竜属性と竜特攻を持つ、竜封石ドラゴン・ロックだったし、あらゆる魔物の、弱点を付けるんだ。金を注ぎ込めば、の話だけど。儚くも、強力。皆がその力を知りながら、育てようとしない。私は、そんな、マイノリティな『生き石』が、大好きでね……グッズも、大量に自作して、販売も、していたんだ。ほとんど売れなかったけどね」


 売れると思ったんだけどなぁ、と、ウォールが苦々しげな笑いを浮かべた。


 理解できない。ロードは周囲を確認する。

 星の位置。眼下に広がる光景。あれほど飛んだにも拘らず、現在位置が変わっていない。


 酸素を求める脳を叱咤し、必死に頭を回転させる。


 如何なる魔法によるものなのか……いや、転移魔法を妨げた以上、それ以上の神秘によるものだろう。飛行魔法で振り切るのは不可能だ。


 ――逃げられない。


 今更、ウォールが先程言っていた言葉を理解する。


 『影縫い』。


 今は夜だ。空高くにいることもあり、自身の影はどこにも見えない。

 だが、確かにその力はロードを捕えている。


 深く呼吸をして平静を取り戻す。理由はわからないが、ウォールが攻撃してくる気配はない。

 ただいつも通り掠れたような声で語りかけてきているだけだ。周囲に他の眷属の姿もない。


 大丈夫。まだ自分は優位にある。杖を握りしめ、くたびれたようなウォールの目を睨みつける。


「何を、しにきた。召喚士の奪還に、失敗した、無能め」


「無理だ。あれは無理だよ、ロード」


 ロード。敬称で呼ばれた事で更に落ち着きを取り戻す。


 大丈夫だ。契約は解除されたが、そもそも、ロードはウォールを虐げたりはしていなかった。衣食住も保証していたし、金銭も与えていた。罵ることこそあったが、この世界で天涯孤独のウォールには自分が必要なはずだ。


 声を荒げ、ウォールを怒鳴りつける。


「おめおめと、帰って、きおって。無理、だと? 何のために、その力を与えたと思っている」


 だが、まだその力は失っていない。回数制限はあるらしいが、まだまだその回数は残っているらしい。

 ならば、利用価値はある。今回は最強の召喚士を得ることはできなかったが、その力の一端を確かめることはできた。

 綿密に計画を立てれば今度こそ最強の召喚士を手に入れる事ができるだろう。魔導師として最高峰の一人である自分ならば十分な見返りを用意することもできる。


 ロードの言葉にウォールは小さく肩を竦め、そして全く意味のわからない予想外の言葉を返した。





「私には、ブロガーと戦う、理由がない。実はここだけの話なんだが…………私は、彼のファンでね。動画投稿も、ブロガーの動画を見て始めたんだ」


「……なん、だと!?」


 何を言っているのか、ロードにはウォールの言葉は半分もわからない。だが、ウォールがもうブロガーと戦うつもりがないのは理解できた。

 ロードの目的は『最強』だ。エレナを、異界の神秘を操り大きな顔をしてこの世界に君臨する召喚士達を滅ぼし魔導師の力を示す。それには、最強の召喚士の力が不可欠だった。


「な、ならば、貴様は――何故……ここに、帰ってきた?」


「帰ってきた? ああ、違う……」


 ウォールが目を細め、微笑みかけてくる。半円に歪んだ双眸がロードを映していた。



「私は……復讐に来たんだよ。ロードには……随分、世話になったからね……」



 軽い声だった。本当に軽い声だった。囁くような声には怒りも悲しみもない。

 だが、何故かロードは心臓が鷲掴みにされたかのように衝撃を覚えた。


 その無色透明な目はロードを敵として見ていない。当代最強の魔導師と謳われたこのウィズ・アステリアを。


 ウォールがゆっくりと、一言一言まるで言い聞かせるかのように続ける。


「ロードには、感謝しているんだ。なんたって、私をこの世界に呼んでくれた。眷属達と、再会する事ができた。でも、ダメだよ。ロード、とても大切な、眷属だったんだ。ロミオ、ルーカス、ザザン、ライオネル、キャスター……『五人』も、消失ロストしてしまった」


「ッ……」


 どこからともなく聞こえるかたかたという音。その音に、ロードは自分が震えているのに初めて気づいた。

 恐ろしい。つい先日まで下僕として従えていた目の前の召喚士が恐ろしい。


 その目は、およそ人間が人間に向けるような目ではなかった。

 魔導師以外の全てを見下していた、全てと敵対していたロードとて向けた事のないような、そんな目だ。


 水晶玉の中、最強の召喚士と相対していた時の人間臭かったその姿とはまるで別人。


 指一本動かせず、その目を限界まで開くロードの前で、ウォールが手の平を上に向ける。



「せめてもの礼に……とっておきを、見せてあげよう。本当は、ロードのために、眷属が傷つくのは避けたいんだが、私が引き継げたのは『生き石リビング・ストーン』だけだから、仕方ないな。大丈夫、特性があるから……相手がロード程度なら消失ロストしないだろう――」






「――さぁ、これが――『生き石リビング・ストーン』、攻めの最終型。『星々メテオ使者メッセンジャー』だよ」



 最期まで穏やかなウォールの声。

 闇夜が焼き尽くされる。世界が落ちてくる。ロードは指一本動かす事すらできず、痛みを感じる間すらなくその洗礼を受けた。




 その日、前触れなく襲来した一つの巨大な隕石により六大都市の一つ、【魔都アーグワ】の外周の一部が完全に消滅した。


 総死者数不明。

 多数の住民から目撃された空を焼き尽くすかのような巨大な隕石は衝突と同時に完全に燃え尽きたのか、その大きさに対して驚くほど被害が少なくまた、不自然な程痕跡が残っていなかったと言われている。

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