第十九話:楽しくやろうぜ

「あるじさ、ほんとうにだいじょうぶなのか?」


「何心配してるんだよ。楽しくやろうぜ」


「……あるじがへいぜんとしているおかげで落ち着いてきたぞ」


 この世界はゲームである。仕組みは現実よりも単純で、何よりも答えがたった一つしかない。

 サイレントベアーが心配する気持ちもわからんでもないが、僕自身は全く心配していなかった。なるようになるのだ。


 帝都剣士ギルドの中は空いていた。建物内にいた数少ないメンバーたちも、白銀の無意味に可愛らしい鎧を着たフィーと騎士鎧を装備した取り巻き達の姿を畏れているようで近寄ってこない。まぁフィー一人がいれば雑魚剣士なんて相手にはならないから、食堂で僕達を取り込んだ連中よりも賢いと言えるだろう。


 案内されたギルド長室。そこに佇むヨアキムの姿はまさしくゲームで見たヨアキムであった。

 フィーと同じ位解像度はよかったが、感動はなかった。感想もない。多分人に寄ると思うんだが、僕は男キャラなんて心底どうでもいいのだ。


「……何を言っている」

 

 いきなり綿の出たぬいぐるみを突き出した空気の読めないフィーに、ヨアキムは怒りと困惑の入り混じった表情をしていた。フィーの足を止めきれなかった取り巻き達がスムーズな動きで部屋に侵入し、フィーを守るかのように左右を固める。


 頭の上にヨアキム・アンタレスの名が表示される。部屋の外からそれを確認し、僕は満を持して、サイレントベアーと共にギルドマスター室に足を踏み入れた。


「ブロガーッ……!!」


 入れ墨の入った禿頭の大男。僕を捨てたイグリートが分厚い唇を歪め、まるで親の仇を前にしたような悪鬼の如き表情で僕の名を呼ぶ。一体何故、彼はそんなにも僕に敵意を向けるのか。

 思い返すが、全くわからない。まさか僕の流したデマを聞いたのだろうか、だがあれは完全なフィクションである、ちょっと考えれば馬鹿らしい噂だとはっきり分かるはずだ。エレナに連絡すれば裏だって取れるだろう。


 全くわからなかったのが、僕は空気を読んだ。


「イグリートッ! ヨアキムッ! 長かった。ナナシノ達の仇……本当に長かったけど――ようやく……会えたッ!」


「……ブロガー、冷静になって」


 冷静沈着に茶番を決行する僕を、切れ者っぽいのに口先で転がされているフィーが制止してくる。

 サイレントベアーがじっとイグリートを見ていた。恐らく彼我の戦力差を改めて考えているのだろう。


 ヨアキムがじろりと僕を見る。足先から頭の先まで確認し、眼と眼を合わせてくる。その鋭い眼光はイグリートよりも静かだったが、名有りNPCだけあって強い力を感じさせた。


「お前が……ブロガー、か。何の話だ? 何故、フィリーとお前が共にいる!?」


 答えようと口を開きかけたその時、何もしなくていいと言ったのに勝手に部屋に突入しシャロリアぬいぐるみを突きつけたフィーが静かな声で言った。


「ヨアキム・アンタレス。イグリート・セレンソン。両名には現在、クマ姦と口封じのためにブロガーを飛行船から突き落とした容疑がかかっている」


「……は……はぁ!? 何だそれはッ!?」


「クマ……?」


 ヨアキムが素っ頓狂な声をあげる。イグリートが呆然と呟く。だが、フィーの顔色は全く変わらない。右手にシャロリアぬいぐるみを、左手に剣を持ちただ淡々と続けた。


「剣士ギルド【聖都ルーメン】支部ギルドマスター、『フィリー・ニウェス』の名において真実を確認し、平等な立場で相応の処置を行うことをこの『光剣レウコーン』とあまねく神々に誓う。以降、虚偽は許さない。虚偽虚構には然るべき罰を持って対処する。気をつけるように」


 連ねられる言葉にヨアキムとイグリートの顔色が変わった。

 強張った表情でフィーと僕を見ている。この世界では技術レベルは現代日本と余り変わらないが司法だとか人の命の重さはだいぶ軽い。多分ご都合主義故だろう。


 サイレントベアーが僕の耳元にその鼻面を近づけ、ぼそぼそと言った。


「あるじ、まずいぞ。こいつ、聖騎士だ」


「いやいや、もともと聖騎士だっただろ。何がまずいのさ」


「えぇ、聖騎士だったのか、我てっきり――ってそうじゃなかった。今の、『誓約フラメント』のスキルだぞ。簡単に言うと今回の場合は嘘ついたら死ぬ。つまり、あるじは死ぬ」


 『誓約フラメント』は一部の騎士系眷属も持っていた能力スキルだ。いくつか種類があり、ステータスが上昇したり相手にランダムダメージを与えたり多種多様な効果を持っている。物によってはかなりの威力を発揮していた。


 恐らくサイレントの言葉は本当なのだろう。ヨアキムとイグリートの様子は尋常なものではなかった。ゲーム時代、フィーは対象を即死させる力なんて持っていなかったので死ぬかどうかは怪しいが、何某かの効果があるのは間違いない。そして、それが信じられているというのも。

 まぁ僕はプレイヤーだから通じないだろうけど、恐ろしい力もあったものである。


 だが、それに付き合うつもりはない。別に僕は裁判やりにきたわけでも公平な結果を求めているわけでもない。


 息を殺し睨みつけてくるヨアキム。張り詰めた緊張感の中、僕は不安がって身を縮める情けないサイレントベアーを押しのけ、厳かな表情をしているフィーの頭に軽く手刀を落とした。


「……? 何するの」


「フィー、そこまでだ。僕は別に彼らの罪を裁きにきたわけじゃない」


 僕は戸惑いに瞳を揺らすフィーの前に立ち、険しい表情のイグリートとヨアキムに格好をつけて言った。


「僕は……彼らの罪を『許し』にきたんだよ。ヨアキム、イグリート。僕は君達の全ての罪を許す。さぁ、イグリート。刃を交えて手打ちにしようじゃないか」


 時間がもったいないし興味もないからシナリオはどうかスキップさせてくれ。



§



 剣士ギルド帝都支部地下に存在する広々とした訓練場。

 イグリートが歯をむき出しにして僕を見下ろしていた。部屋の隅にはフィーとその取り巻き達がじっと僕達の方を窺っている。


「どういうつもりだ!? ブロガーッ! 何を企んでいる!?」


「ストーリークエストの終わりは大体戦闘なんだよ。殴り合えば大体解決なのさ」


「くっ……何を言っている。さっぱりわからんッ!」


 ギロギロと輝くイグリートの瞳。だが、フィーの目があるせいか暴力に出る気配はない。興奮しているように見えて冷静なようだ。


「イグリート、黙れ」


 ヨアキムが間に入ってくる。整った容貌。冷酷そうな双眸。

 凍てつくような視線が柔軟運動をしているサイレントベアーに向けられる。クマが芸をしているかのようだ。


「ブロガー……どういうつもりか知らないが、お前の勝ちだ。ああ、僕の負けだ。クソが!」


 ヨアキムの頬は引きつっていた。まるで吐き捨てるような口調で続ける。


「白騎士の小娘を連れてきた時点でどうにもならない。ましてや、奴は皇帝の覚えもめでたいからな。殺すわけにもいかない、ギルドに入る所を見られている。ああ、今回は認めよう。馬鹿げた噂も何もかもが――最低だった」


「え……楽しんで貰えたなら何よりだよ?」


 ナナシノとシャロが人間バージョンで馬鹿げた噂だというのならば、クマバージョンを聞いたら果たしてどのような評価を抱くのだろうか。

 ヨアキムが目を大きく見開き、歯を食いしばる。押し殺すような声で恫喝してくる。


「ッ……だが、覚えておけ。今回は、お前の話に乗ってやる。だが、次はない。次に舐めた真似をしてみろ、僕の人生の全てをかけて、お前を親族もろとも全員――皆殺しにしてやる」


 その声には覚悟があった。今まで数多の戦場を生きのびた凄みがあった。これがゲームでなかったら僕も震え上がっていただろう。だがゲームだったので全く怖くない。平然と返す。


「え? 親族なんていないけど?」


 現実にはいるが、この世界にいるのは僕だけだ。強いていうのならば同じプレイヤーであるナナシノは特別な存在ではあるが、少なくとも親族ではない。

 皆殺しとか言っているが、それが成し遂げられることはない。そもそもアビコルにそんなクエストはない。


 だが、一応脅されたわけだし、意趣返しをすることにする。

 僕は胸を張って、ヨアキムを見上げ、唇の端を持ち上げた。


「後、僕も一言だけ言わせてもらおうか」


「……言ってみろ」


「これに懲りたら……エレナ・アイオライトを舐めるなよ」


 ヨアキムの、そしてイグリートの表情が固まる。サイレントベアーが呆れたような目をしていた。



§



「彼らには然るべき罰を与えるべき。それが彼らのためになる。後……クマが可哀想」


 フィーが無表情で、しかしどこか不満げに言う。どうやらフィーは奴らを断罪する気満々だったらしい。

 足元でわたわたしているシャロリアクマーを抱き上げ、脇に抱える。クマーは嬉しそうに背中の裂け目から触手を揺らした。


「男には拳でわかりあわねばならない時があるんだ。愛の鞭ってやつだ。彼らもきっと分かってくれるはずさ。僕のクマたちもそれに納得してる」


 僕のなんだか色々混ざった適当極まりない言葉に、フィーは静かに目を閉じる。

 咀嚼するかのように数秒間そのままでいたが、目を開き囁くような声で言った。


「…………わかった」


 取り巻き達はもう口をつっこむのを諦めたらしく、小さく頷くフィーを見ている。

 多分彼らにとってはフィー第一でそれ以外はどうでもいいのだろう。ただの一召喚士のために帝都剣士ギルドの争いに首をつっこむのは割に合わないと思っているに違いない。僕が彼らの立場でもそう思っていただろう。


 さぁ、ようやくストーリークエストも本番だ。

 砂漠歩いたり砂漠を歩いたり砂漠を歩いたりなかなか面倒臭いクエストだった。


「武運を」


「ああ」


 フィーの言葉を受け、部屋の中央に向かう。既に敵は待機していた。


 額に入った得体の知れない入れ墨。身の丈二メートルを越える巨漢。黒く日に焼けた屈強な肉体は纏った色褪せた鎧もあり、酷く凶悪に見える。

 だが何よりも目につくのはその手に握られた剣だ。まるでその巨体が小さく見えるかのような巨大な黒のそれはもはや剣というよりは金属の柱のようにしか見えない。そして、それを容易く持ち上げるイグリートの膂力はどれほどのものなのか。


 『暴剣』のイグリート。ゲームでは出てこなかったが、名有りNPCとして出てきてもおかしくないビジュアルである。どうやら『暴剣』の二つ名は股間の剣ではなかったようだ。


 それに応対するのはサイレントベアー。熊の形をしたサイレントである。何しろ熊なので大きさだけはイグリートよりも大きいが、場違い感が凄い。


 化物のような剣士が、僕を見下ろし、歪んだ笑みを向けてくる。


「地獄を、見せてやる」


 押し殺すような声。頭の上。戦闘状態になったせいか、HPバーとレベルが表示されている。

 レベルは55。サイレントベアーよりもずっと上だが、ユニットはベースの力が最重要なのでレベルだけ見て彼我の力の判断はできない。


 拳で語り合うと言ったが、こいつはこちらを殺す気満々らしい。僕は鼻で笑い、指をつきつけ宣戦布告した。


「僕のクマをただの愛らしいクマだと思うなよ」


「なんかちょっと、もとのすがたわすれそう……」


 アイデンティティを失いかけながら、サイレントベアーが両足で立ち上がり、鋭い爪の生えた腕を持ち上げ威嚇する。何しろ熊なので不安定な体勢だ。何しろ熊なので。

 イグリートの目は鋭かったが思っていたよりも冷静だ。今までの経緯から見ても、見かけよりもクレバーらしい。もしかしたらフィーよりクレバーかもしれない。その佇まいに油断は見えなかった。


 経験豊富なのか、戦闘が近づくにつれ、その目に冷静さが戻ってくる。怒りが消えていく。

 これは良くない。僕は苦戦とかしたくないのだ。石を砕くなんて以ての外。

 イグリートが問いかけてくる。


「ギオルギを……倒したそうだな」


 僕はそれに答えずに一メートル程距離を空けた。イグリートの目が再びサイレントベアーに向けられる。

 暴力的な衝動。むき出しになった腕に血管が浮かぶ。


「始末する、つもりだった。先を越されたと思ったが、都合がいい」


「御託はいらない、さっさと終わらせよう。かかってこい」


 僕の飾り気のない挑発に、イグリートが口端を持ち上げ、壮絶な笑みを浮かべた。

 ヨアキムが部屋の隅で険しい表情でこちらを見ている。心配はしていないようだ、余程イグリートの実力に自信があるのだろう。フィーが真剣な目で僕達を見ている。そこに感情は見えない。


 合図はいらない。


「うおおおおおおおおおおおおおおっ!」


 イグリートが咆哮する。床を踏み抜くような強烈な踏み込みと同時に、剣を振り上げる。

 サイレントベアーが大きく腕を振りかぶってそれを迎え撃つ。


 そして腕と剣が交わるその瞬間――


 サイレントベアーの胸元から生えた三本目の腕がイグリートの鳩尾を撃ち抜いた。

 今まで黙っていたけど、それ実は……熊じゃないんだ。

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