第二十話:召喚士

 サイレントと僕は似ている。サイレントにそれを伝えると否定してくるが、少なくとも戦闘面についてサイレントの手口は僕の求めるものにかなり近い。

 例えば、本来の形に戻らず熊の形のまま戦闘を開始したのだって僕の指示ではない。


 完全にクリティカルだった。分厚い金属を叩いたような音が響き渡り、イグリートの巨体が為す術もなく吹き飛ばされる。全く予想もしなかった場所からの攻撃――おまけに攻撃する瞬間を狙って放たれたそれには、如何に歴戦の戦士でも踏ん張ることすらできない。


「クマ!?」


 フィーが目を見開き、初めて感情の篭った可愛らしい悲鳴をあげる。

 ごめん。熊じゃないんだ。こいつ実は熊じゃないんだ。


 恐らく鎧がなかったらこれで決まっていただろう一撃。バウンドしながらも目を大きく見開くイグリートを、第三の腕を引っ込め、まだ熊のフリをしながら不定形生物が追う。大きく四肢で飛び上がり伸し掛かってくるサイレントベアーをイグリートは転がって回避した。

 完全に死角からの一撃だった。外から見れば分かるが、至近からそれを受けたイグリートにはまだ何の攻撃を受けたのか分かっていないだろう。


「くまあああああああああああああ!」


「ぐっ……」


 サイレントベアーは性格が悪かった。鳴き声で熊である事をアピールしながらサイレントベアーが更にその豪腕を振り下ろす。硬化した鉤爪をイグリートがその巨体に見合わぬ俊敏な動作で回避する。

 生身に受ければ大ダメージは免れ得ない一撃。イグリートも初撃でそれを実感しているのだろう。


 イグリートの剣は巨大だ。地面に転がった状態ではまともに剣を振ることもできない。サイレントベアーがざっくざっくと腕を振り下ろしながらごろごろと逃げるイグリートを追う。決して起き上がらせないつもりだ。

 ごめん、それは熊じゃないんだ。サイレントベアーの身体に内蔵はない。筋肉も骨も関節もない。あるフリをしているだけだ。特性に持つ物理耐性(中)はその証明である。


 全身が筋肉であり骨でもある。サイレントベアーはまさに化物だった。そして今もその正体を晒さずに虎視眈々とイグリートの油断を誘っている。


 だが、イグリートも大したものだ。一撃の不意打ちで何かを察したのだろう、隙を見せない。分厚い鎧に手甲。スタミナに力。防御に専念されるとサイレントでも一撃で貫くのは至難。

 アビコルにおいて人間のユニットは魔物や眷属と比べてHPが低い事が多い。戦闘決着までそれほど時間はかからないはずだ。


 悪あがきのように放たれたイグリートの蹴りがサイレントの脚を払う。その体勢が崩れかけたその一瞬、イグリートの全身が赤色の光を放った。

 サイレントベアーが華麗なるバク転でイグリートから距離を取る。芸としてはかなりいいが、それは悪手だ。イグリートはその隙を逃さず、立ち上がった。


 身体に深紅の光がまとわりついている。空気が揺らめき、その目が真っ赤に充血する。


 戦士のスキルの一つ、『レイジ・オーラ』。一時的に攻撃力と敏捷を大きく上昇させるスキルである。反面、被クリティカル率が上がるがデメリットと比べてメリットが高い。その手が剣を持ち上げ、蒸気機関の排気のような荒く熱い息を漏らす。

 何をされたかは分かっていなくても、どこに攻撃を受けているのかはわかっているのだろう。そのごつごつした指が凹んだ鎧――鳩尾部分を撫でた。同じ戦法は通じないだろう。イグリートの眼光はそれを確信させるに足るものだった。


 イグリートがぎろりと僕を睨みつける。だが、こちらに襲い掛かってくる事はないだろう。僕は剣士ではなく、召喚士コーラーであり、イグリートはルール無用の魔物ではなく人間なのだから。


 ふと頬に風を感じた。イグリートの剣に風が集まる。初めは些細だったそれはすぐに轟々と音が聞こえる程の密度に変わった。空気が歪む。剣を中心に空間が歪曲する。


「なんだこれは……?」


 これ絶対、剣技じゃないだろ。あからさまにおかしい光景にサイレントベアーが一步退き、慄いた。


 そのエフェクトに即座に技名を看破する。すかさず声を張り上げアドバイスを入れる。


「風属性の剣技だ。『暴圧砕剣』だ。でかいのがくる、回避しろ!」


 サイレントベアーは物理耐性があるが、物理耐性は属性攻撃を軽減できない。

 『暴圧砕剣』。発動まで時間がかかるし隙が大きいが、命中範囲が広く威力が高い剣技だ。攻撃判定は対象の前方一面。『レイジ・オーラ』がかかっている状態で正面から受ければまずいことになる。


「回避……!? どこに逃げれば」


「えっと……イグリートの後ろ」


「えええええ……無理だぞ!?」


 サイレントベアーが素っ頓狂な声を上げる。卓越した剣技によって風を纏ったその剣身がサイレントを刺し貫くように向けられる。

 イグリートの表情には笑みの一つも浮かんでいない。恐らく、その剣技が暴剣の由来。


「無駄だッ! 塵と化せ!」


「回避して反撃しろッ!」


 イグリートが踏み込み、その剣を振り下ろす。サイレントベアーが自棄になって突撃をかける。

 風が奔流となってサイレントベアーを蹂躙する。サイレントベアーがぐずぐずに崩れ落ちた。


 フィーが息を飲む。ヨアキムが笑みを浮かべる。イグリートが目を見開く。


 そして勝利を確信し、意識に空白が出来たその一瞬。液状化してイグリートの背後に回ったサイレントが、その無防備な後頭部を全力で殴りつけた。



§



「は……?」


 イグリートの巨体が再びまるでゴムボールのように弾き飛ばされる。初撃の光景の焼き直し。だが、地面に崩れ落ちたイグリートが起き上がる気配はない。


 ヨアキムの表情が笑みのまま凍りついていた。無防備な状態で、装甲のない頭に受けたクリティカル攻撃。化物みたいな図体をしていても耐えきれるはずもない。

 フィーが小走りで倒れ伏すイグリートに近づき、その脈を取る。眉を顰めると、二度三度頷く。HPバーは完全にゼロになっていたが、どうやら死んではいないようだ。システムが良くわからない。


 サイレントベアーから剣士っぽい姿に変化したサイレントが流れてもいないのに額の汗を拭う動作をする。レベルが上がっているせいか、どうやら以前よりもクリティカル率や回避率が上がっていたらしい。形状変化がよりスムーズになっている気がする。


 ふらついているヨアキムに近づく。一人ついていけていないヨアキムにネタバラシする。


「実は僕の連れているクマはただのクマじゃないんだ。……未来に生きるクマさ」


「まだクマと言い張るとか、あるじはすごいなぁ」


「……まさか、あのイグリートが何もできずに……負けるとは……」


 ヨアキムが倒れ伏すイグリートを見下ろし、呆然と呟いた。

 どれだけ自信があったのか。確かに正面から戦えば面倒な相手だっただろう。初撃で引き倒せなければジリ貧になっていた可能性だってある。

 勝因は向こうの情報不足と運。ゲールより強いかどうかはちょっと戦闘が早く終わりすぎたせいでわからない。まともに剣を交えてすらいないのだから。


「これがわれのちからだ。これにこりたらあるじに服従するのだ」


 サイレントが調子に乗っている。僕のアドバイスがなければ負けていたかもしれないのに。

 ヨアキムが笑い声を上げる。乾いた笑い声が広々とした訓練場に反響する。フィーが顔を上げ、ヨアキムを見つめる。


「くくく……ははは……大した、ものだ。本当に、大したものだよ。大した、召喚士コーラーだ。僕が今まで出会った者の中でも間違いなく五指に入る」


 強い感情の篭った声。

 この世界、プレイヤーがほとんどいないからな。NPC召喚士でも今の僕より強い者は何人もいると思うが、NPCは基本プレイヤーを持ち上げるものなのでそういうものなのだろう。


 フィーが立ち上がる。目を輝かせるヨアキムを前にして一切萎縮した様子はない。そのあり方と容姿はどこまでも気高かった。


「この勝負、ブロガーの勝ち。以降、禍根を残さないこと」


「ああ、わかった。わかってる、フィリー・ニウェス。はははは、そんな険しい目で見つめるなよ」


「ヨアキム。フィリー様になんという口を――」


 前に出る取り巻きA。それを無視し、ヨアキムはイグリートの手から離れ床に転がっていた巨大な剣の前に立つ。

 整えられた炎のような髪に目。その手がイグリートの剣を握り――容易く持ち上げた。ヨアキムの体格はイグリートと比べて一回り以上小さい。僕と殆ど変わらないだろう痩身の男が柱のような剣を片手で持ち上げる様は冗談のようだ。


 剣身に一瞬、紫電が散る。

 『赤火』のヨアキム・アンタレス。炎だと思わせておいて雷属性の剣技を操る名有りのNPC。


 二つ名だけ聞いて炎耐性の眷属を連れて行くと雷にやられるという罠キャラである。逆にその程度の悪意しか有していないので名有りNPCの中では雑魚の代名詞であった。もちろん、課金前提での話だ。


 僕は驚いた振りをして尋ねる。


「どういうつもりだ……?」


「情けない様を見せてしまった。すぐに戦いが終わってしまって消化不良だろう? 付き合ってくれよ」


 有無を言わさない強い語気。フィーの眼差しが更に鋭くなる。


 これは……選択式のクエストだ。たまにストーリークエストの中ではこういう隠し要素つきのクエストが存在する。何分以内で倒せば隠し要素に挑戦出来る、みたいなクエストだ。

 追加要素をクリアできれば報酬が上がる。もちろん、断ればクエスト自体は終わりだが、普通よりレアなアイテムが手に入るので狙えるなら狙っていった方がいい。


 フィーがまるで僕を守ろうとするかのように側にくる。その手が『光剣レウコーン』に触れている。


「あるじ、あいつ強いぞ」


「だが万全じゃない」


 サイレントの言うとおり、ヨアキムは強い。イグリートなど目ではないだろう。

 だが、今のヨアキムは制服姿だ、鎧を着ていない。剣だって自前のものではない。本領は発揮できない。きっとイグリートのストーリークエストの追加要素なので難易度が調整されているのだろう、全力のヨアキムと比べたら弱体化されている。


「しかも、われの手口、を見られてる」


「不意打ちだけがサイレントの実力じゃあない」


 まだ見られていない札だってある。

 フラーも使っていない。出してはいるが、ぬいぐるみの中に入っているのでまだヨアキムはその存在を認識していないだろう。一度ならば不意をつけるはずだ。フラーの攻撃力ではダメージは与えられないが隙はつくれる。


 サイレントにダメージはない。ほぼ万全の状態だ。結構難易度が上がっているので報酬も見込める。


「まぁ無理する必要もないと思うけど」


「かちめはあるのか?」


「ヨアキムは雷属性の剣士だ。おまけに特性によって通常攻撃でスタンの状態異常値が蓄積する」


「ちくせき?」


「何度も攻撃を受けたらしびれて動きが止まるってこと」


 ヨアキムのそれは魔法ではないのでエルダー・トレントの時と異なりサイレントのスキルは効かない。サイレントは『一単語の系譜ザ・ワード』シリーズで、状態異常耐性は高いのでしばらくは持つ。だが、一撃一撃で蓄積していったらいずれはスタンを受けるだろう。そうなれば終わりだ。石を沢山砕かねばならない。


 こそこそ話し合う僕達にヨアキムが傲慢な眼差しを向けている。どうやら決断の時が迫っているらしい。


「けつろんを言ってほしいぞ」


 サイレントが肩をすくめて言う。僕は顔を上げ、断言した。


「隙をついて一撃で決める」


「……やれやれ、変なあるじをもつと苦労するな」


 勝ち目は十分ある。一度しかないチャンス、ならば挑戦しないのは馬鹿と言うものだ。

 肩を竦め再び剣士型を取るサイレントに、ヨアキムはどこか狂気的な笑みを浮かべた。


 見せてやるよ、召喚士コーラーの真の力を。



§




「ブロガー、ヨアキムは剣王。強い」


「知ってるよ」


 僕を誰だと思っている。ブロガーだ。概ね名有りNPCの戦力は頭に入っている。その弱点も。

 最悪でも今のヨアキムが全力ヨアキムを上回ることはない。僕は絶対回避しなくてはならない戦力差のクエストは受けない。今回だって相手がフィーやエレナだったら絶対に頷かなかった。


 ヨアキムがイグリートの剣を引きずり、訓練場の中央に立つ。静電気を纏っているのか、髪が逆だっている。ゲームではそんなエフェクトはなかった。だから初見で火属性と勘違いする者がいたのだ。

 剣士サイレントが剣を構え、その前に立つ。漆黒の剣の先がヨアキムに向けてぴたりと止まった。さっきまで熊の形をしてわーわーやっていたとは思えない。


「ヨアキムは数え切れないくらいの戦場を駆け抜けてきた。その力は侮れない」


「知ってる」


 小脇に抱えたフラーがぱたぱたぬいぐるみの腕を動かしている。距離の差は五メートル。単体を対象とした魔法ならば十分届く距離だ。

 フィーは諦めたように小さくため息をついた。彼女は堅物で頭は弱いけど、どこまでも公平だ。心配はしても僕の意見を否定したりはしない。


 僕はそっとその頭を撫でた。サラサラとした感触。

 取り巻きが目を剥いているが、さすがに入ってはこないらしい。

 口をペラペラ回す。それっぽい言葉を適当に言う。


「これは僕のエゴだよ。彼を倒さなければ僕は胸を張って帰れない」


「……」


 フィーは何も言わずに頷くと、後ろに下がった。

 訓練場にはピリピリとした空気が蔓延している。それが戦闘開始前の緊張感故なのか、ヨアキムが電気ビリビリ男だからなのかはわからない。


 ヨアキムがその化物のような剣を持ち上げ、サイレントに向けて言う。


「いい度胸だ。僕が剣王だと知って尚挑戦してくるとは思わなかった。天晴だよ」


「我はけんぞくだから、あるじの命令に従うのだ」


「言葉を話す眷属を見るのも久し振りだ」


「けっこういっぱいいるぞ。この世界ではしゃべれないだけだ。力がたりないと、な」


 ヨアキムの通常攻撃によるスタン蓄積値はそこそこ高い。サイレントでも十撃は耐えられないだろう。もしかしたら今回の剣は本来の武器じゃないのでもう少し耐えられるかもしれないが、余り好意的に考えない方がいい。

 

 ヨアキムの目が僕を見る。怒りはなかった。どうやら戦闘状態に入ると冷静になるのはイグリートだけではなかったらしい。レベルは70。全力ヨアキムはもっと高かったはずなので、どういう理屈かは知らないがやはり弱体化している。


 身の丈に合わない巨大な剣を持ち上げ、ヨアキムが事も無げに言う。


「初撃は譲ろう。これは――敬意だよ」


 何気ない言葉には絶対の自信が含まれていた。確かにサイレントだけでは無傷で勝つ事は難しいだろう。

 僕は自身の勝利を疑っていないヨアキムにはっきりとした口調で言い放った。


「お前は僕に負ける。勝利を僕を送ってくれたエレナへの土産としよう」


 それと同時に、サイレントがヨアキムに向かって不意打ち気味に斬撃を放った。

 振り下ろされた刃。ヨアキムが一步後ろに下がり余裕を持って回避する。挑発が効いていない。


「それがお前らの手口かッ! 傭兵向きだッ!」


 サイレントの剣は速い。だが、ヨアキムの剣は更に速い。薄い漆黒の刃がイグリートの柱のような剣にぶつかり紫電を散らす。

 サイレントが苦痛の入り混じったうめき声をあげた。


「ぐっ……びりっとしたぞ」


「ほら、ほら、ほら、ほら!」


 その斬撃は斬撃と呼ぶよりは薙ぎ払いと表現する方がしっくりくる。

 余りにも刃が大きすぎるため、一撃一撃の威圧感が並ではない。サイレントは萎縮すること無く迎え撃つが、受け止める事は既に無理だと理解したのだろう、逸らす事に全身全霊を使っていた。


 刃がぶつかり合う度に紫電が散る。通常攻撃に対するスタンの付与。派手ではないが、剣王というのも納得の意味不明強力無比な特性だ。一瞬でも動きを止めれば真っ二つにされる。剣士を相手にするにはこれ以上の特性はないだろう。


 一撃受ける度にサイレントが呻く。動きが止まるところまではいっていないが、痛みはあるのか。受け止める度にそのHPバーがミリ単位で削れていく。


 先程までイグリートを相手にしていた時とは反対に、今のサイレントは防戦一方だった。


 足運びに目の配り。ヨアキムの動きは炎のように激しく、しかし得体の知れないサイレントを警戒している。もしも先程のように形状を変えたとしても、出来た隙を突かれるだけだ。不意打ちは不意を打っているから強いのだ。


 サイレントの胴から腕が飛び出てヨアキムの体を掴もうとする。何の前触れも無く飛び出したそれを、ヨアキムは一步下がり容易く切り裂いた。


「くっ……」


「どうした、芸は終わりか?」


 切り落とされた腕が床に落ち、サイレントのHPバーが一割削れる。サイレントの形状自在は強力だが、決して制約がないわけではない。


 予想よりも劣勢だ。クリティカルも出ていない。実力の見極めには気をつけていたつもりだが、最近サイレントは負け無しだったので高く評価しすぎていたらしい。


「ぐぅッ……なんだこいつ……つよいぞッ!」


「当然だッ! 剣王をッ! 何だと思っているッ!」


 凄まじい剣圧にサイレントの体勢が崩れかける。もはや攻撃すらままならない。

 防御に徹しているのでなんとか致命傷は受けていないが、サイレントの動きはスタンの蓄積のせいか少しずつ鈍くなっている。

 大技を使ってきてくれれば隙も生じるはずだが、ヨアキム自身もそれを理解しているのだろう。堅実に削るつもりらしい。冴えた相手だ。


 ヨアキムのHPバーは全く動いていなかった。攻撃が掠ってもいない証だ。

 HP自体はそれほど高くないはずだが、当たらなければ意味がない。それどころか、ヨアキムは体勢の一つすら崩していない。


 ゲールは強力だった。イグリートだって大したものだ。だが、それらには隙があった。ヨアキムにはそれがない。サイレントはもしかしたら今初めて自分よりも遥かに格上の相手と戦っているのかもしれない。


 サイレントの目が一瞬僕に会う。その口が初めて泣き言を言う。


「あるじッ、たすけてッ!」


「頑張れ」


「!?」


 一瞬動揺したその隙にヨアキムの剣がサイレントの剣を大きく叩き落とした。サイレントの剣が砕け、HPバーが三割削れる。バーの下に電撃のようなマークがつく。スタンした証だ。

 スタンは完全に動きが停止する状態異常。サイレントの身体がどさりと無防備に地面に転がる。


 声一つ上げられずにびくりびくりと痙攣するサイレントに、ヨアキムが剣を持ち上げ、狂ったように笑い声をあげた。


「ははははは、こんなものかッ! この程度で、剣王に勝とうなど。エレナめ。僕を……甘く見すぎだッ!」


「参ったな……一撃もいれられないとは」


 ちょっとくらいHPを減らせると思ったのだが、現実とゲームの乖離は大きいらしい。サイレントのAIが強化されていると同時にヨアキムのAIも強化されている。地力が違うとジリ貧になる。

 だが、いい勉強になった。石を砕かないとこんなものか。


 ヨアキムがサイレントを靴先で蹴っ飛ばす。イグリート戦の再現。今度はサイレントが地面を転がる。

 HPバーがまた少し削れ、色が黄色から赤に変わる。スタンの回復にはまだ少しの時間が必要だった。


 まるで焦らすかのようにサイレントに歩みを進めながらヨアキムが叫ぶ。

 フィーがハラハラしたようにこちらを見てくるが、首を横に振る、まだ戦いは終わっていない。


「さぁさぁさぁ、他にまだ手があるのか? 全ての手の内を見せてみろ、ブロガーッ!」


 スタン回復まで後数秒。先程までの冷静だった双眸は既にない。戦いに、勝利の気配にヨアキムは興奮していた。動く様子のない僕にフィーが大きく目を見開く。


 だがまだ僕は諦めてはいない。その足がサイレントに後三歩まで近づいた瞬間を狙い、僕は勝負を掛けた。


 小脇に抱えたフラーが魔法を唱える。

 回復魔法ではない。足を止める下級の補助魔法。以前エルダー・トレント戦でも使った『ルート・バインド』。


 不意をついてヨアキムの足元から小さな蔓が生える。しかし、足首を捉えようとしたそれにヨアキムは即座に反応してみせた。舌打ちをして、蹴りつけるようにして蔓を払う。

 『ルート・バインド』は対象が逃走を試みた際のみ成功確率の上がる足止め魔法。それだけで蔓が千切れ魔法が不成立になる。


 だがそれで稼いだ一秒でサイレントのスタンが取れていた。痺れが取れ、もぞりと身じろぎし、サイレントが顔だけあげてヨアキムを見上げる。ヨアキムはそれを見下ろし嘲笑した。


「ははは、これが、最後の策か。こんなものが、お前の全力か!」


 フラーの一撃。サイレントの復活。ヨアキムの注意が完全に引きつけられたその瞬間、

 一瞬の隙が生じたその瞬間、僕は最後の一手、僕自身が使える最後の魔法を唱えた。







「『召喚コール』」



 そして、世界が震えた。


 空気を震わせる凄まじい轟音が広々とした訓練場に響きわたる。

 地面が地震のように揺れ、思わずたたらを踏む。


「…………え?」


 フィーが乾いた声をあげる。


 既に状況は終わっていた。

 先程までヨアキムとサイレントがいた場所は爆心地のような有様になっていた。冷たい石製の床には無数の罅が入り、先程まで勝ち誇っていたヨアキムがうつ伏せに倒れている。

 HPバーは完全にゼロだ。生きているのか死んでいるのか身動き一つしていない。どこから出血しているのか、伏した身体の下には血溜まりが出来上がっている。やはり人間のHPが低いのはこの世界でも変わらないらしい。


 数メートル吹き飛ばされたサイレントが傷だらけの身体を起こし、呆然としたようにヨアキムだったものを見ている。サイレントのHPバーも真っ赤でもうほとんど残っていないがなんとか生きているようだ。


 僕は、周辺に巻き散らかされていた黒い礫、その一個を拾い確かめた。手に握れるくらいの大きさだったが、信じられないくらい重量感がある。兵どもの夢の跡だ。

 僕はそれをやるせない気分で見下ろし、ため息をついた。


「な、何が起こったのだ……?」


 取り巻きが混乱したように呻いている。状況は完全に劣勢だった。覆るはずのなかったはずの結果がこうも鮮やかに反転すると混乱もするだろう。


「そらが……おちてきた……ぞ」


 フラーを差し向け、死にかけのサイレントを回復させる。

 我を取り戻したフィーが、迅速な動作で死体のように横たわるヨアキムの確認をしている。


「まー倒せたし、もったいないから生き返らせるか」


 石を一個砕くのは想定通りである。いくらなんでも僕の持つ最大攻撃力をこのまま死なせるのはない。

 僕はもう一度だけため息をつくと、空から重力の力を借りてヨアキムを叩き潰し、その代償でばらばらになってしまったカベオを『再生コンティニュー』した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る