第十五話:温泉と悪意のある嘘
深い灰色の岩のタイル。独特の臭いがする熱された空気に湯気。宿の大浴場は日本の温泉と比べても遜色ない設備を誇っていた。
ゲーム時代は宿に泊まるなんて選択肢なかったが、見事なものである。アビコル運営がきっと詳細設定を設定するのをサボったのだろうが、こういう発展の仕方は僕にとっても都合がいい。
まだ昼間のせいか、大浴場は空いていた。食事は取らなくてもいいが、風呂は好きだ。温泉はもっと好きだ。
地面に伏せたカベオを、他の客が遠巻きにして見ている。黒鉄色の表面をゴシゴシと石鹸のついたモップでこすっていると、モップが喋った。
「あるじさ、もうちょっと人の目を気にした方がいいと思うぞ」
「常識人ぶってるんじゃない、この冥種が!」
人の目を気にして
大体、こういうゲームで温泉だったら普通混浴のはずだ。何で壁と意味不明生命体と風呂に入らにゃならんのか。運営チームはけっこうやる連中だったので、もしもこれがゲーム内で実装されていたら間違いなく湯気で色々隠れるタイプのイベントになっていたはずである。
「しかしあるじ、噂の元があるじだとばれたら、間違いなく怒られるぞ? どうするのだ?」
「いや、バレないし」
「かんぜんにでたらめだからなぁ……真実が一個しかはいってなかったし、あっさりばれるとおもう」
サイレントモップの何気ない言葉に衝撃的に受けた。
手を止め、シャワーで泡を流し落とす。ピカピカになったカベオ。手足が短すぎて一人では起き上がれないのでさっさと『
そして、サイレントの方に振り返った。
「まさか真実が入ってたのか」
「……ななしぃがいないとツッコミが追いつかないぞ」
「ななしぃがいたら温泉ももっと楽しかったのに……湯上がりのななしぃといちゃいちゃしたかった」
「……ななしぃはそんなキャラじゃないぞ。そしておいてったのはあるじだ」
だが彼女はもう死んでしまっている。残された者にできることは悲しみを背負って生きていくことだけだ。
しかし、そうなると、パーフェクトである。真実が一個でもあるのならば、剣士ギルド側も噂を否定しづらかろう。適当に話しただけなのにうまく転がるとはさすがストーリークエストだ。
温泉にざぶんと入る。独特の温泉の香りに深々とため息をつく。蓄積したストレスが消えていくかのようだ。人型に戻ったサイレントが隣に座った。
「まぁ、フィーにコンタクトを取る方法は考える必要があるけど、とりあえずはサイレントが敵を倒せば長かったストーリークエストもクリアかな」
「……敵ってだれだ?」
「知らないけど、流れからいって多分イグリートとかじゃね?」
「たたかいになる前にいろいろこじれて終わると思うぞ」
何も分かっていないサイレントの言葉。
アビコルのストーリークエストは単純だ。とりあえず敵をぶっ飛ばせば一段落つく。もしも、どうにもならなかったらとりあえずイグリートをぶっ飛ばしておこう。
「しかし、フィーへのコンタクトだけどうするかなぁ」
「どうしてもそれは必要なのか?」
「うーん……」
サイレントの言葉を無視して考える。
どうしても取り巻きが邪魔だ。奴らは過保護である。ゲーム時も口を出してきた。モブなんて興味ないし話の最中に口を出されるとイラッとするのでどうにか引き離したい。
だが、どうにも難しい。
既に部屋は分かっている。やはり男女なので部屋は別れているが、奴らはフィーの部屋を中心に両隣を確保しており、何かあったらすぐにやってくるようになっている。ちょっと物音がしただけで出て来る徹底ぶりだ。
そしてフィーは一人では絶対に部屋から出てこない。サイレントにストーカーさせたので正しい情報だろう。性格としても十分ありうる話である。
天井を見上げ、ため息をつく。
「何か起こっても絶対に離れないだろうなあ、奴ら。最低一人は護衛に残るだろう」
「ごえいのかがみだな」
心配になるのも分かるが、本当に厄介だ。護衛っていっても、フィーの方が遥かに強いってのに。
ぐるぐる首をまわして筋肉を解す。さて、どうしたものか。始末するわけにもいかないし……
と、その時、ふとサイレントが声を抑えて言った。
「あるじ、あれ……」
「……前から思ってたんだけど君、けっこう周りよく見てるよね」
目立たないように静かに立ち上がる。サイレントの視線の先には、見覚えのある四人の姿があった。
§
「あるじってもしかして人間じゃなくて冥種か?」
「アホなこと言ってるんじゃない」
「あるじならいい冥種になるぞきっと……いや、本当に」
サイレントベアーとくだらない話をしながら大浴場の前で待つこと三十分程、ようやく女湯への通路の向こうからフィーが現れた。
のぼせたのか、仄かに染まった頬とまだ濡れている銀の髪。白と銀の制服を着ているが、いつもとは異なり少し乱れている。唯一腰の剣だけがいつも通りだった。
フィーはふらふらした足取りで男湯と女湯の分岐路までくると、サイレントベアーを見つけて目を見開いた。
思うに、モブとメインキャラの最も大きな違いはグラフィックの差だ。エレナ然り、名前のあるキャラクターは華があるのだ。お金をかけ、いいイラストレーターさんを使っているのだろう。
目の前に現れたフィーも、やる気のない服装でやる気のない表情をしていたが、たとえ名前を知らなかったとしてもひと目で違いがわかるくらいに輝いていた。現実の人間と比べればまぁまぁ可愛らしくてもモブNPCであるシャロとは違う。悲しい格差だった。
フィーはじろじろとこちらを見ていたが、はっと気づいたように周囲を見渡した。一応取り巻きを探しているのだろう。
だが、無駄だ。恐らく取り巻き四人はフィーが温泉から出る前に待機しているつもりだったのだろうが、奴らは当分出てこない。
服がないからな!!
ついでに身体を隠せるタオルなども全て没収したので、今頃どうしていいのか慌てふためいていることだろう。ドロップしたタオルや着替えは全て僕のポケットにある。フィーの前で真っ裸で出てくるわけにもいくまい。
穏便に済ませてやった僕に感謝するがいい。
フィーが不思議そうな表情をしている。誰も待っていないなんて初めてなのだろう。
そんな表情をしながらも、その視線はしっかりとサイレントベアーを捉えている。その指先が自然な動作で剣の柄に触れていた。
「あるじ……見てるぞ。斬られるかも。どうやってコンタクト取るのだ?」
「そんな辻斬りじゃあるまいし……」
しばらく待っていたが、フィーはちらちらこちらを見るばかりで話しかけてくる気配はない。
僕は仕方なくこっちからコンタクトを取ることにした。まぁ適当にファンシーな感じで行けばいけばいいだろう。どうせ彼女も僕と同じくらいコミュ障だ。
数歩近づくと、予想外だったのか、フィーが少し目を見開いた。
こうして至近距離から見るとさすが現実、グラフィックのクオリティはゲーム時の比ではない。
解像度が違う。睫毛の一本から何気ない瞬きに至るまで、よくぞここまで表現したものだ。エレナの時はゲーム時代の恨みがつのっていたせいで感動が薄かったが、フィーには恨みがない。
僕はその余りにクオリティの高い再現に、思わず何を話すのか忘れて、手を伸ばした。
ゆっくり伸ばした指先がその頬に触れる。湯上がりのせいか、体温が高い。フィーが目を更に大きく見開く。
「!?」
「へー、さすがよく出来たグラフィックだな。質感が凄い。全国二千万人のフィー信者が感涙するぜ」
本当にそんなにいるのかは知らないが、写真を撮って載せれば相当なアクセス数が稼げることだろう。
サイン入りブロマイドとか作って視聴者プレゼントとかすれば伝説になれる。
「ちょちょちょ、あるじ!? なにやってるのだ!?」
「まー待て待て」
肩に触れ、その場でくるくる回して前、側面、背中、足の先から頭の先まで全身を確認する。フィーは目を見開いたまま、何も言わずにくるくる回された。
所詮ゲーム内のサイレントにはわかるまい、この感動は。僕は一通り感動を味わい、大きく頷く。
やっぱり人気キャラは違うな。カメラ持ってくればよかった。もうちょっと確認したいところだが、取り巻きが素っ裸で外に出てこないとも限らない。
さてなんと言うつもりだったか……まぁなんでもいいか。
そう、興味が引けて可愛くてフィーの正義感を刺激出来るものだったらなんでもいい。
「フィー。僕の熊が悪いヤツに追われて困ってるんだ。フィーの助けが必要なんだ、一緒に来て欲しい。辛いものもあるよ!」
「えぇッ!?」
サイレントベアーが首をこちらに回し、まるで頭おかしいものでも見るような目で僕を見る。
フィーはぶるりと肩を震わせると、目を限界まで開け、力強く言った。
「……行く」
§ § §
理解ができない。部下からの報告はその一言につきた。
赤風の盗難。白騎士の来訪。状況は逼迫していた。象徴は取り戻したとは言え、対応を一步間違えれば剣士ギルドの権威は地に落ちるだろう。
そんな緊急事態にあがってきたその報告は、ヨアキムの理解を越えていた。
渡された報告が書かれた紙を握りしめ、震える声で問いただす。
「ど……どういうことだッ! これはッ! どこから広まっている!?」
「……元は不明だ。帝都の商人連中から聞いた話らしい。噂の出元も辿っているが、情報は複数商人から出ている。見つからない可能性が高い」
イグリートの表情もまた険しい。皺の寄った額に眉、平静を装ってはいるが、今にも爆発しそうな強い憤怒は隠しきれていない。部下たちはいない。部屋にいるのはヨアキムとイグリートだけだ。
報告書を握りつぶし、机に叩きつける。信じられなかった。
「デタラメだ……信じられないくらいにデタラメだ。どうしてこんな噂が出ている!?」
帝都の剣王、ヨアキム・アンタレスは元傭兵である。その腕っ節とカリスマでギルドマスターまで至った生粋の叩き上げだ。
剣士ギルドは舐められたら終わりだ。その権威を守るため、後ろ暗いことだって数え切れないくらいにこなしてきた。
だからヨアキムを中傷する噂の一つや二つ出るのは不思議ではないが、ここまで事実と異なる噂が、報告として上がってくるくらいに広まっているというのは尋常ではない。
それも、今は本当に時期が悪い。赤風の盗難は既に帝都剣士ギルドの全員が知る所だ。赤風は剣士ギルドの象徴、元々剣士ギルドの建物に入ってすぐのところに飾られていた。隠し通すことはできなかった。
いつもならば笑い飛ばせる噂でも、今は違う。
「ど、どうして、僕がエレナ・アイオライトにベタ惚れして、攫うためにお前を古都に送り込んだ事になってるんだッ!」
「……俺が知るかッ! 俺はアイオライトに一蹴され、腹いせに女を強姦して殺して捨てたことになってるんだぞッ!?」
全く身に覚えのない噂に、イグリートが荒く息を吐き出す。
とんでもない噂である。しかも、その相手は全く聞き覚えのない名前だ。ここ最近妙に怯えられていたことを思い出し、イグリートはぎりぎりと机を握りしめた。
ヨアキムが叫ぶ。その目がぎらぎらと殺意に濡れていた。
「くそッ! このタイミング、明らかに陰謀だッ! この僕を虚仮にしやがって……絶対に見つけ出して八つ裂きにしてやる」
「……一つ、手がかりがあるッ……」
「ッ……!? 言ってみろ」
報告書は隅から隅まで見た。似たような噂を聞いた部下を全員集め、情報を整理した。
何人もの間を経由しているせいか、噂話の内容には差異があったが、唯一変わらない部分があった。
それは、イグリートの蛮行を見かね飛行船に乗り込んできた勇敢なる召喚士の男が、砂漠横断中に飛行船から突き落とされるという点だ。そして、その一点だけが事実に掠っていた。
……どうやって生き延びたッ! クソッ、お前は自分から飛び降りたんだろッ!!
イグリートが悪鬼のように眉を歪め、押し殺すような声で答えた。
「ブロガーだ。間違いなく、奴が絡んでるッ。ふざけたマネを……ッ!」
「……探せ。どんな手段を使ってでも捕えろ。何人使っても構わんッ!」
既に広がった噂話を止めることはできない。だが、このままにしておくこともできない。
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