第十六話:恩返しと飛竜

 古都召喚士ギルドの酒場。

 その一角で、青葉は頑丈な魔物の皮で作られた袋から丁寧に素材を出していった。


 【彷徨いの森】で手に入れたトレントの頭の枝。【フェッグ湿原】のブルースライム液に【無人の塔】に稀に現れる白鴉の尾羽根。

 ようやく集めたそれらの素材を見て、深々とため息をつく。一緒に素材集めをしたシャロリアもまた疲れ果てた表情をしていた。


 飛行船修理に必要な素材のリストから今回入手したものに線を引く。しかし、幾つか線は引いてもまだリストのほとんどは埋まっていなかった。

 その量に目眩を感じながらも、青葉は唇を噛んだ。


「ッ……全然……足りないッ」


「後何箇所……?」


 シャロリアが掠れた声で尋ね、リストを覗き込む。


 必要な素材の数も去ることながら、一番の問題はそれぞれの素材の入手場所にあった。


 ギルドお抱えの整備師から提示された素材の入手場所は悪意を感じてしまうくらいに綺麗に散らばっていた。

 古都周辺のフィールドとダンジョン。集めるにはそれらほとんど全てに出向かなくてはならない。

 青葉のアイちゃんは進化したこともあり戦闘能力に不足はないが、その幾つかのフィールドは移動だけでかなりの時間を要する。フィールドやダンジョンに入ってからもその素材を落とす魔物を探さなくてはならない。

 店などで素材が売っていないのか確認もしたが、素材の鮮度が重要だったり、本来需要がなく取引されない素材だったり、お金が足りなかったりでほとんど手に入らない。


 一瞬気が遠くなり、青葉がふらりと崩れかけ、ぎりぎりでアイちゃんに支えられた。すぐに気を取り戻し、なんとか二本の足で立つ。


 卵の孵化作業。その後、日夜休みなく行った素材集め。

 まるで重しでもつけられたかのように身体が重かった。終わりの見えないリストは精神的な負担も大きい。


 副次的な効果として、不要な素材を食べさせたことにより、眷属のレベルは順調に上昇していたがそれを喜ぶ余裕もない。

 行ったことのあるフィールドから攻めていったが、これから集め無くてはならない素材の中には、まだ行ったことがない、青葉達だけではまだ危険だと思われるフィールドで取れるものも含まれている。


 ぼんやりとリストを見下ろす。残り素材の数からしても、とても一週間や二週間で集まるとは思えなかった。もしかしたら一般の飛行船――二ヶ月後に来るはずの定期便を待ったほうが早い可能性すらある。


 今の青葉ならば、何故ブロガーが飛行持ちの眷属を求めていたのかはっきり分かる。


 砂漠を歩いて越えるという案も考えたが、無理だ。水や食料もいるし、素人が徒歩で歩いていけるようなフィールドではない。おまけに長く眷属を出しているとロストしてしまう危険な土地らしく、もしかしたらブロガーがいれば対策を教えてくれたかもしれなかったが、今はいない。


「どうしよう……これじゃ――」


「うぅ……ししょー……」


 シャロリアが今にも泣きそうな表情で情けない声を上げる。クロロンが冷たい目でその肩をぽんぽん叩いている。


 恐らくこのまま今のペースで素材を集めようとすればシャロリアか青葉か、あるいはどちらも倒れてしまうだろう。

 テーブルに肘をつき、頭を抱える。そんなことしてもいい考えが浮かばない事は分かっていた。


 他に何かいい方法はないのか。眷属召喚で召喚した白い竜も、いくつ素材を食べさせても手に乗るサイズのままだ。進化条件もわからないし、調べてみたが種類すらわからなかった。


 最近では夜も余り眠れていなかった。眠気は感じないが、目の下には大きな隈が張りついている。


 アイちゃんがじっと青葉の命令を待つかのように控えている。が、青葉には何をすべきなのか、これからどうしたらいいのか全くわからない。


「……」


 ふとその時、後ろから軽い声がかけられた。


「青葉ちゃんにシャロ。随分深刻な表情をしてるじゃないか」


 ゆっくりと顔をあげる。青葉の目に入ってきたのは、何度も一緒にフィールド探索を行ったパトリックーの姿だった。その後ろには、連れている眷属の種類は変わったものの、見知った『金猫の調べ』のメンバーの姿が並んでいる。


 エルダートレント戦でメンバーの半分以上が眷属を失い、一時パーティ解散までいったものの、今はその面影はない。眷属を失ったメンバー達も、余剰の魔導石で召喚した新たな眷属に慣れたらしく、最盛期とまではいかないものの十分パーティとしてやっていける程に回復していた。

 青葉も一時期パーティに参加して新たな眷属のレベル上げに協力したので、どれだけ苦労してそこまで立ち直ったのかわかっていた。


「……パトリック、さん」


「ちゃんと寝ないとだめよ。健康が一番なんだから」


 青葉の表情を見て、仲間の紫髪の女召喚士、グルナラが頭に触れ、優しい声をかけた。


「い、いや……でも……」


 反論しかける青葉。それを遮るように、パトリックの仲間が一抱えもある大きな袋を持ち上げ、テーブルに置いた。

 目を丸くする青葉の前でパトリックが照れたような笑顔で頬を掻く。


「ギルドマスターから聞いたよ。飛行船を修理するために素材、集めてるんだろ? 微力だが、俺達にも手伝わせてくれよ」


「え……そん……な……」


 予想外の言葉。目を見開く青葉の前で、パトリックが袋を縛っていた紐を解いた。

 パトリックの持ってきた袋は軽く見ただけでも青葉達が集めた素材の倍以上の大きさがある。


「青葉ちゃんには色々……世話になったからな。何も言ってくれないなんて、水臭いじゃないか」


「本当はもっと早く伝えるつもりだったんだけど、青葉ちゃん達、ずっといなかったから…‥」


 パーティメンバーが素材を出していき、もう一人が青葉達のリストと照らし合わせていく。

 いつ集まるとも知れなかった大量の素材のリスト。みるみる埋まっていくそれを、青葉はただ呆然とした表情で見ていた。


 何も言えずに固まる青葉の表情にパトリックがにやりと笑う。


「って偉そうなこといっても、素材集めたのは俺達だけじゃないけどな」


「え……?」


「俺達はただの代表だ。青葉ちゃん達の手助けをしたい奴らは沢山いたってことだ」


 その言葉に、ようやく青葉は向けられた視線に気づいた。

 視線の主は酒場中にいた。こちらを窺う心配そうな眼差し。眼と眼が合い、照れくさそうな笑顔が返ってくる。青葉がこの世界に来てから知り合った召喚士達の姿だ。パーティを組んだことのある人もいれば、まだ組んだことのない人もいる。


 胸の奥から湧き上がる感情に、しかし青葉の口から出てくるのは一言だけだ。


「どう……して……」


「青葉ちゃんが何もわからないってなら、それが理由なんだろうな。ほら、終わりだ」


 パトリックから線の全て引かれたリストを受け取る。そこにぽたぽたと涙がこぼれ落ちる。そんな青葉の様子を全員が苦笑いを浮かべている。

 袋を押し付けるようにして渡される。まるで付け足すようにパトリックが言う。


「それに、なんだかんだブロガーも命の恩人だからな。困っているんだろ? 助けに行ってやりなよ」


「あ……う……ぐすっ……あり、がとう、ござい、ます。本当に、ありがとう、ございます」


「あー、ほら、泣いてる暇があったら行った行った。次からは助けが欲しい時はちゃんと言うんだぞ。まだ借りは返しきれてないんだからな」


 しっしと追い払われるように手を振られ、青葉は立ち上がった。シャロリアも潤んだ目を擦りながらそれに続く。


 周りを見回すが、皆が早く行けと手振りを返してくる。それに背を押されるようにして酒場の出口に向かう。

 酒場から出る前、最後に青葉は振り返った。ぽろぽろ溢れる涙を拭い、深々と頭を下げる。


「ぐすっ、本当に、ありがとう、ござい、ます。このお礼は……かならず、しますッ!」


 嬉しかった。泣きたいくらいに嬉しかった。だが、なんとか嗚咽を我慢し、青葉は頭をあげた。

 素材があれば飛行船が修理出来る。お礼を言っても言い足りないが、照れくさそうに笑う召喚士達はそれを望まないだろう。


「おーおー、楽しみにしてるよ。さっさといけいけ」


 投げかけられる冗談めかした言葉。照れ隠しするように青葉も冗談めかして返した。 


「あ……お礼、え、えっちなのは、駄目ですよ? では、行ってきますッ!」


「…………」


 しんとした空気に気づくことなく、青葉はさっさと修理場に向かって駆け出した。



§




「!? ど、どうしたんだ、青葉ちゃん」


 かけられた声。それに魂の抜けたような表情で青葉は答えた。


「……追加の……素材が、必要そうだって、言われました……」


 必要な物は全て揃えた。余剰だって出ていた。にもかかわらず、整備師から返ってきた言葉は想定と違っていた。

 パトリックが眉を顰め、尋ねる。


「何が必要だって?」


「……飛竜ワイバーンの……皮膜、です……」


 新たに必要になった素材は種類や数こそ少ないが、今までの物とは質が違った。青葉の答えに、パトリックが瞠目する。


「飛竜……!? 飛竜ってことは……【竜ヶ峰】、か……」


 古都周辺で竜が棲息する地は一つしかない。

 【竜ヶ峰】。古都周辺で最難関とされるフィールド。竜種のみが棲息する、飛行船ですら越えられない霊峰である。

 飛竜は竜種の中ではそれほど強くないとされているが、それでも今まで素材集めで倒してきた魔物よりはずっと強力だ。古都で数ヶ月だが、勉強しながら召喚士をやっていた青葉にはそのことが痛いほどわかっていた。青葉は【竜ヶ峰】に入ったことはないし、入っているパーティを見たこともない。


「【竜ヶ峰】……飛竜……戦ったことがある奴が果たして何人いるか……」


 パトリックが難しい表情で唸る。それに、青葉は掠れた声で言った。


「ありがとう……ございます。でも……もう大丈夫、です。一人で、大丈夫、ですから」


 確かに素材の対象は強力だ。だが、数が求められているわけではないし、運が良ければ死骸を見つけられる可能性だってある。ブロガーの言葉を思い起こし、青葉は今の精一杯の笑みを浮かべた。


「古都は……序盤、なので、強い魔物は……いない、はず。そう。いないはず、です」


「ッ……いや、馬鹿なこと言っちゃいけない。ああ、ここまできたら乗りかかった船だ。飛竜の一匹や二匹、人数を集めれば――」


「……ああ、青葉さん、シャロさん、ここにいましたか」


 唐突に差し込まれた声。聞き覚えのあるそれに、青葉が振り返る。

 そこには負けず劣らず青白い表情をしたエレナと、難しい表情をしたロックが立っていた。

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