第二十三話:必要なもの

 ナナシノとシャロを連れて宿から出る。大きくなりすぎて宿に入れず待機していたアグノスが僕を見つけて叫んだ。


「マスター、話終わったんだね! 次は僕が泊まれるような大きな部屋にしようよ!」


 君いなくなるじゃん。後一日か二日の命じゃん。


 ナナシノが駆け寄り、恐る恐るその身体を撫でていた。シャロも目を輝かせている。

 目立たないように、宿の外の片隅においておいたのだが、遠目にこちらをちらちら見ている人が何人もいた。

 進化前の小さな状態ならばともかく、このサイズとなると、光り輝く鱗を持つアグノスはとても目立つ。扱いが眷属と異なるアグノスは『送還デポート』できないのだ。


「手紙に書いてありましたけど……素敵な竜ですね。……可愛い」


 可愛くはないと思う。

 ナナシノに撫でられ、アグノスが首を上げる。子供っぽい声で自己紹介をする。


「僕の名前はアグノス、アビス討伐のためにやってきたんだ! よろしくね、変態のお姉さん!」


「!?」


 キラキラ純粋な目で見られて、ナナシノが表情をこわばらせる。目に涙を浮かべて僕を見てくるが僕には何も出来ない。

 でもアグノス、言葉選ぼう、正直に言えばいいってものじゃないんだよ。


 装備するのを止めなかったことで責任を感じているのか、シャロが強張った笑顔で明るい声をあげた。


「そ、そう言えば、青葉ちゃんの卵、孵ったんですよ!」


 ああ、すっかり忘れてたな。

 でもそうか……卵が孵った、か。石何個持ってるのか知らないけど、種類次第では促成成長レベル・ブーストでアビス・ドラゴンに対抗できるかもしれない。


「へー……飛行船で孵したの? 何出てきたの?」


「……え? ……ま、まさかあの卵って……自分で走らなくて孵るんですか?」


 どうやらナナシノは走って孵したようだ。そういう所がスタイルの維持に一役買っているのだろう。僕だったら絶対無理である。結構重かったし……卵。サイレント走らせるわ。


 ナナシノが腑に落ちなそうな表情で、竜を召喚してみせる。


 現れたのは手に乗るくらいに小さい真っ白な竜だった。進化1アグノスも白かったが色が違うし、翼の形も違う。

 白い竜はナナシノを見るとピーピー鳴いた。


「お、サボドラじゃん」


 微妙な眷属出されると反応に困るな。

 純竜なので別に弱くはないけど、期待値よりは下なので良かったねというわけにもいかない。僕ならリセマラだ。

 まぁ、おにぎりよりはマシだけど。


 竜を手の平に乗せたナナシノが首を傾げる。


「サボ……ドラ?」


「サボテンドラゴンの略ね」


「サボテンドラゴン……」


 ナナシノが目をぱちぱちさせて、不思議そうに竜を見る。


 進化していないのでサボテン成分が皆無だが、進化するとトゲが生えてくる飛べない純竜である。飛行能力を持たない分パラメータは高めだ。物理攻撃型の眷属で、ブレスも物理攻撃扱いになる。

 まぁ、つなぎに使うなら悪くないだろう。アビス・ドラゴン倒すには力不足だ。


「その……【竜ヶ峰】で取って……余った素材、食べさせたんですけど……進化しなくて」


「ああ、サボテンも食べさせないと」


 サボテンドラゴンだから。

 サボテンは砂漠系フィールドなどなどで手に入る素材だ。【カッサ砂漠】にもヒトクイサボテンが出た。


 まぁそもそも今の状態ではレベルがまだ足りないようなので、サボテン食べさせたところで進化しないだろうけど。

 期待していた種族と違ったのか、ナナシノが何も言わずじっとサボドラを見下ろしている。シャロが尊敬するような目を向けてきた。


「さすが師匠、物知りですね! 誰に聞いても知らなかったのに……」


「……まーね」


 進化前のサボドラは特徴が薄い。

 真っ白の竜なんて腐るほどいる、さすがの僕でも一瞬で名前を判断するのは難しいが、何しろゲームだった頃と同様に頭の上に表示されているので間違えようがない。


 そう。ゲーム通りの仕様である。シャロやその他のNPCが見えないのはまぁおかしくはないが――


「サボテン……サボテンってどこにあるんですか?」


「砂漠系のフィールドとかで襲ってくるから」


「襲ってくる……私の知ってるサボテンと違う……」


 ナナシノが困ったように呟いた。


 ――ナナシノに名前が見えないのはおかしい。難しい手順が発生するわけでもない、ただちょっと注意して見るだけである。

 そういえば、HPバーについても見えていないようだった。大体、そんなものが見えていたら、ゲームに詳しくないナナシノだったら確認してくるはずである。


 そもそも、狩りゲーやったり眷属用装備を自分で着ているナナシノはおかしいんだけど……。


「力を合わせて……アビス・ドラゴンを倒せればよかったんですけど……」


 枠が足りないのだろう、ナナシノがサボドラを『送還』し、ちらりと僕の方を窺う。

 ナナシノと僕が力を合わせたとしても、今の戦力でアビス・ドラゴンを倒すのは不可能だ。無理して戦う意味もない。


 唯一僕がアビスと戦うつもりがないことを知らないアグノスが目を見開き、ナナシノに笑いかける。


「!! 倒そう! 僕だけでも大丈夫だと思うけど、お姉さんの力があれば間違いなく倒せるさ!」


 やめろ。素人プレイヤーが君の言葉聞いたら、アビス・ドラゴンなんて楽勝だと勘違いするだろ。罠かよ。


 僕は首筋を叩いて黙らせると、その背に跨った。

 アグノスが伏せをして乗りやすくしてくれる。アグノスの背はすべすべしており、掴みどころがないが、【飛行】の特性があるので問題なく乗れるはずだ。


 システム的に落下死したりはないのでまぁなんとかなるだろう。ナナシノに手を差し出す。


「神殿まで案内するよ。さぁ、乗って」


「えっと…………は、はい失礼します」


 ナナシノが恥ずかしそうに手を撮り、僕の後ろにまたがる。

 掴む所を探していたが結局見つからなかったのだろう、外套の背中の当たりを握られた感触がした。


「ほら、ナナシノ。ちゃんと掴まないと落ちるよ。ちゃんとピッタリ抱きついて! 胸当てて!」


「ッ……も、もぉッ! ブ、ブロガーさん、ぜんっぜん変わってないですね!」


 ナナシノがしっかりと僕の身体に腕を回して抱きついてくる。

 残念ながら背中なので姿が見えないし、当てないように気をつけているのか胸の感触もしないが、体温だけは伝わってくる。


 あれ? これナナシノが前で僕が後ろに乗ればいいんじゃないか? 無理?


「あの! し……師匠……わたしは……どうしたら……」


 その時、地味なやつが震える声で言ってきた。忘れてたぜ。

 なんかこう、シャロはインパクトがないのだ。NPCなのにプレイヤーよりもインパクトがないのは如何なものか。

 今にも泣きそうな表情でシャロが僕の言葉を待っている。


 ……そう言えば走るの得意なんだっけ? 走れば?


「尻尾にでも掴まってぶら下がったら?」


「!? ちょ、ブロガーさん!? シャロになんてこと言うんですか!」


 優しさを足してやったのに、ナナシノが憤慨の声をあげる。友達とは言え、NPCに感情移入しすぎだろう。

 呆れていると、ナナシノがあろうことか、掴んでいた手を離して後に下がってしまった。


「ほら、シャロ、ここ空いてるから!」


「えっと……」


 シャロが上目遣いで僕を見て、おずおずと間に入ってくる。


 ほんっとうにいつも余計なことしてくれるな、シャロリア・ウェルドッ! 破門寸前とは言え、まだ弟子なんだから僕の考えを読めよ!

 何で間なんだよ、ナナシノの後ろでいいじゃん? 


「し、失礼します……師匠」


 身体に腕を伸ばすと、ぴったりとシャロが密着してくる。ナナシノより胸が小さいのに柔らかさが伝わってくるあたり、遠慮のかけらもない。

 さすがNPC、恥なんて概念持っていないらしい。この淫乱め、その積極性をナナシノに分けてやってください。

 

「ん……こ、これでいいですか、師匠?」


 よくない。ため息をつき、後ろを振り向く。シャロが顔を真っ赤にして抱きついていた。


「暑苦しいから離れてもらえるかな。そんなにくっつく必要ないだろ」


「!?」



§





 空から眺める王都は圧巻だった。

 王都中心にそびえる美しい王城。町並みは竜神祭で賑わっており、まるで豆粒のようだったがその雰囲気は十分伝わってくる。


 アグノスの背はほとんど揺れなかった。翼は大きさはともかく薄く、アグノスプラス三人を運べるほど力強いようには見えなかったが、無理をしているようには見えない。


 風が強い。耳元で轟々と音が流れていく。シャロがひっついたまま興奮したように言う。


「す、凄い! 空飛べるなんて感動です! 師匠! 師匠!?」


「君、飛行船乗ってきたじゃん」


「で……でも……飛行船とは……、違うと思います……はい……」


 確かにそうかもしれない。まー僕は飛行船からはすぐに落とされたから判断しづらいが。


「まぁ、飛行眷属持ってると確かに便利かもね。街間の移動とか楽だし」


「! で、ですよね! とっても便利だと思いますッ!」


 アグノスがイベントキャラじゃなかったら足として使ったのに、非常に残念である。


 ナナシノが大人しい。頭だけ後ろを見ると、何か真剣な表情で町並みを見下ろしていた。真剣と言うよりは深刻と表現したほうがいいかもしれない。その表情には陰があった。

 この世界に来てから随分経つので、ナナシノの考えていることもなんとなくわかる。またノルマとは別方面でろくでもない――命知らずなことでも考えているのだろう。


「マスター、神殿が見えてきたよ!」


 アグノスが急降下する。いつも静かな神殿には珍しいことに、今日は兵士の数が多かった。ナナシノ達――竜討伐の専門家が来たからだろう。

 物騒な兵器が運ばれていく。バリスタで竜退治って本当になんだよ、よく退治できたね。


 アビコルでは眷属にはサイズという概念が存在する。

 全ての眷属はTiny,Small,Midle,Large,Hugeの五種類に分けられ、ステータスは同じでも相対サイズの差によってダメージ量や回避率が変化する。

 まぁ後ろにプラスやマイナスがついたりするので厳密に言うと五種類ではないのだが、アビス・ドラゴンのサイズはその区分で言う最上のサイズ――Hugeの+に区分される存在だった。


 HugeとTinyに区分される眷属は数少ない。

 Hugeは回避率が下がる代わりに同サイズ未満の眷属からの被ダメージが大きく減少する。エレナの『深青ディープ・ブルー』もそうだが、主にボス系の眷属が持つ非常に厄介な性質である。


 アグノスも三回進化して大きく成長したが、人が数人乗れる今のアグノスのサイズで『Middle』なのだ。特性により影響を無視できるサイレントならばともかく、バリスタ程度でダメージを与えられるとは思えない。つまり、パトリックは死ぬ。


 神殿の前に着地すると、神殿の奥から巫女が駆け寄ってきた。


「操竜士様! お待ちしておりました! そちらの方々は――」


「竜討伐隊のリーダーだよ」


「ああ……既に話をされたんですね」


 巫女がナナシノとシャロを見て、眉を僅かに顰めた。もしかしたらこんな女の子がアビス・ドラゴン討伐に役に立つのか、とか不安に思っているのかもしれない。

 はい、役に立ちません。まぁ僕でも普通に無理だけどな。



§



 巫女に先導され、地下の門の前に行く。門の前には何人もの兵士が真剣な表情で門を見張っていた。中には青ざめているものもいる。

 アビス・ドラゴンとの決戦ダンジョン――黒の門には明確な変化が起こっていた。門全体に巻き付いていた鎖には無数の罅が入り、門全体からバチバチと黒い光が瞬いている。


 不吉。それはただのイベントだと思えないくらいに不吉な光景だった。フィルムがあったら写真を撮っているところだ。

 さすが湯水の如く金を使って開発・改善し続けたアビス・コーリングだ、エフェクトの凝りが半端ではない。触ったらどうなるんだろうか。


 巫女が厳かな声で言う。


「時が近づいています。アビス・ドラゴンの力はいよいよ高まりを見せています。明日には封印は破られるでしょう」


「ねぇ、ナナシノの分のイノセント・ドラゴンはいないの?」


「え……?」


 イベントはプレイヤー全員に挑戦の権利がある。条件などもない。

 巫女が困ったようにナナシノを見る。ナナシノが困ったように僕を見た。こっちみんな。


「……いや、いてももう遅いけどね」


 ゲーム時代だったらともかく、後一日ちょっとじゃ参加賞も間に合わないだろう。周回効率の上がった今でも一周三時間は掛かるし……。


 巫女はコホンと咳払いして、仕切り直した。


「……アビス・ドラゴンが完全に復活すれば封印を破りこの世界に顕現し、大きな災厄となるでしょう」


「ああ、スキップだ、その辺はわかってるよ。ゲートに入って倒して来ればいいんだろ。心配しなくていいよ」


 やる気ゼロでひらひら手を振る僕に、巫女の目に涙が溜まる。感極まったような表情。

 僕の手を取ると、ぎゅっとと握りしめて小さく頭を下げた。


 やれやれ、この世界の人間はどうも感動しやすくって良くない。


「……操竜士様……信じております……イノセントの力により、アビスをお払いください」


 何も答えずに、アグノスを見る。アグノスが大きく頷く。

 今のアグノスが千体くらいいれば勝ち目があるかもしれない。冗談だ。無理である。

 エレナ連れてこい、エレナ。アビス・ドラゴンに純粋なパラメーターだけではない、真の害悪という奴を見せつけてやるんだ。


 ナナシノがこちらを責めるような目で見ている。僕が何も答えていないことの意味を理解しているのだろう。何も答えていないし頷いてもいない。

 信じるのは勝手だが、答えは「いいえ」だ。僕のイベントは既に終わってる。


 大丈夫だって、僕が倒さなくても世界は滅んだりしないって、ソシャゲーなんだから。


 しかし、このままだとナナシノが勝手に挑戦しちゃいそうだな……どうしたものか……この世界に奇跡なんてないんだが。



§



 パトリック達、召喚士の意義を見失った召喚士達が忙しげに準備をしている。一塊もある肉に、何に使うのか見当もつかない拷問器具にも似たおぞましいトラップの類。そして肝心要のバリスタ。

 物々しい兵装にしかし、兵士達の表情はすぐれない。

 王都にとってアビス・ドラゴンとは魔王のような存在なのだろう。


 パトリックの準備の関係や兵の展開のことも考え、最終決戦は翌日に決まった。

 万が一、僕が敗れた時のことを考え、神殿の周りに兵士を展開しておくらしい。残念ながらその準備は無駄に終わるだろう。

 たとえ実際にこの王都にアビス・ドラゴンが出てきたとしても、『真竜王の系譜ノーブル・ブラッド』の特性によって高倍率ダメージカットを持つアビス・ドラゴンを相手に一般の兵では壁にもならない。


 ぼんやり見ているとナナシノに袖を引っ張られ、壁際に追い込まれる。


 綺麗な黒の目がじっと僕を見上げていた。この世界に来たばかりの頃とは違い、そこには強さと覚悟があった。

 恐らく最初と比べて自信もついたのだろう。様々なクエストをクリアした、NPCと協力することで飛竜まで討伐し飛行船を修理した。アビコル初心者なのには変わらないが、多くの経験を積んだことには間違いない。

 真剣な声で聞く。


「ブロガーさん、明日は……本当に、戦わないんですか?」


「戦う必要がないからね」


「ッ……でも、アビス・ドラゴンが復活したら――ブロガーさんでも敵わない竜がこの町に出たら――」


 一瞬で表情が崩れる。涙こそ出ていないものの今にも泣きそうな目で拳を握り、訴えかけてくる。

 王都に来たばかりの癖によくもまあそこまで心配できる。僕ならばたとえ国が滅ぶとしても戦いに行ったりしない。無駄死にだからだ。まぁ、死にはしないんだけど、比喩表現である。


「大丈夫、この世界はそんなにヤワじゃないよ」


 神や悪魔がガチャで出てくる世界だぞ。地球を基準に考えるなよ。


「で、でも……できることは……やるべきだと思います」


 はっきりいってやったのに、ナナシノは退かない。分かっていた、彼女は天然だが強情なところがある。

 ため息をつく。まだ分かっていないのか。ナナシノを見下ろし、諭すように返した。


「ナナシノ……できないんだよ」


「ッ!?」


 ナナシノはソシャゲーというものを知らない。アビコルを知らない。


「何もできないんだ。この世界では……奇跡は起こらない。裏技もない。勝つ時は当然に勝つし、負ける時はどうしようもなく負ける」


 だからアビコルプレイヤーは悪辣なこの世界で、何が起こっても大丈夫なように万全な準備をしていた。しかし、課金がないせいでこの世界ではそれができない。

 どれだけ知識があったって緻密な攻略方法をたてたって、リアルマネーがなければどうしようもない。

 たとえ僕がリスクを受け入れ雑用クエストの代わりに討伐クエストや納品クエストを受けて石を溜め、サイレントを鍛えることができていたとしても、アビス・ドラゴンはどうしようもなかった。


 当然だ、奴はログインボーナスや課金でユニットを並べてようやく倒せる難易度に調整されているのだから。ゲームの時は一分でぶっ殺せたがこの世界では無理だ。


 この世界に来てから出会った中ではアビス・ドラゴンは圧倒的に…………エレナの次にどうしようもない。


 ナナシノが唇を噛む。その華奢な身体がかたかた震えていた。怒りか恐怖かそれともそれ以外の感情か。


「ッ……準備は……してきました。きっと私達なら――いや、ブロガーさんが駄目でも、わ、わたしひとりで――」


「ナナシノ、よくない。それは……よくないよ」


「!?」


 君はなんだい? 勇者にでもなったつもりなのかい? 別にロールプレイするのは勝手だけど、いやはやくだらないヒロイズムだ。

 僕達はプレイヤーだ。ゲームのプレイヤーだ。楽しむことだけを考えればいい。NPCに情を抱いていたら何もできない。


「予想していたけど、マンネリだ。自己犠牲は二度も見れば十分だ。僕にくだらない物を見せるんじゃない」


 一番初め、ギオルギの配下に拐われた僕を助けに来た時。

 二回目は、クロロンを失ったシャロを助けようとした時。もう二回も見ている。一回二回ならば新鮮味もあるが三回目となると――お腹いっぱいだ。


 相応の力があるのならばまだしも、また自ら死にに行こうとしている。学習すべきだ。

 僕にとってナナシノの命は他のNPC達より余程重いのだが――。


 手を伸ばし、その頬に触れる。ナナシノの瞳は潤んでいた。涙で歪んだ僕の姿が目に映っている。


「もしかして同情を誘って助けて貰おうとしてるのかな?」


「そッ!? そんな――こと――」


 確かに、何度か助けてやった。ギオルギに拐われたナナシノを助けてやったし、シャロのクロロンを救う手伝いもした。だが、それは断じてナナシノのためやシャロのためじゃない。


 偽悪的とかではなく――僕は正真正銘――自分のためだけにやったのだ。

 だが、今回、アビス・ドラゴンと戦うのは自分のためにならない。無駄でしかない。


 でもそうだな……。


「でもそうだな……僕はナナシノのことが好きだから、なんとかしてあげてもいいかな……」


「……へ?」


 今まで泣きそうだったナナシノの表情が呆けたものに変化する。じろじろと視線で僕の顔を、首筋当たりをなぞり、その桜色の唇を小さく開く。


 しょうがない。無駄だがしかし、しょうがない。

 だって、ナナシノを見送ったら――死んでしまうかもしれないから。

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