第二十四話:謝罪

 実は違和感は度々感じていた。僕とナナシノでは――大きな差異がある。


 一番初めに感じた違和感は――ナナシノの手に入れていた魔導石の数だ。

 ナナシノは安全優先で雑用クエストをやっていた僕よりも余程多岐に渡るクエストをこなしていた。

 にも拘らず、ナナシノが手に入れた石の数は僕よりもずっと少なかった。卵を召喚した時に残りの石は四個だったので、あの時点で九個しか手に入れていなかったのだ。いくらなんでも……少なすぎる。

 

 HPバーや眷属の名前が見えない点。

 ゲーム時代は選択肢自体が存在しなかった『逃げる』を成し遂げてみせた点。

 今回の眷属用装備を装備してみせたのも然り、NPCを率いて本来ナナシノのレベルでは短期間で達成困難な飛行船の修理を成し遂げて見せたのも然り、あまりにもゲームからは乖離している。


 もしもナナシノがNPCなのだったらそれくらいできても不思議ではないが、ナナシノは間違いなくプレイヤーである。スタミナバーだって表示されているし、日本の記憶だって持っている。

 完全にイレギュラーな状態だ。何より問題なのはプレイヤーは死ななくてもNPCは死ぬ可能性がある点である。

 NPCさながらの動きをしてみせるナナシノはどちらなのか、とても試してみる気にはなれない。



§



 そして、決戦の朝がやってきた。


「おはよう……ございます……」


「青葉ちゃん……大丈夫?」


 シャロと共に、ナナシノが宿の部屋から出てくる。眠れなかったのか、目の下にはっきりと隈が張り付いていた。

 宿屋の前に待機させておいたアグノスも今日に限ってはいつもの陽気さは見えなかった。自分の実力と成長に自身を持っているアグノスでもさすがに決戦の前は緊張するのか。


「マスター、今日で全てを終わらせるよ。アビスの好きにさせちゃだめだ」


「ん……ああ、そうだね」


 アグノスと会話するのも残すところ後数時間だろう。

 アグノスがきょろきょろと辺りを見回し、不思議そうに僕を見た。


「ところで、サイレントとフラーはどうしたの?」


送還デポートしてあるよ」


 アグノスは目を見開いて僕を見上げたが、特にそれ以上は何も言わなかった。


 久しぶりにギオルギからドロップした杖を出し、手持ち無沙汰にいじる。

 魔導師にとってはそれなりの武器なのかもしれないが、眷属を召喚・使役することしかできない召喚士にとってはなんの意味もない杖だ。まぁ格好をつけるのにはいいだろう。


 アグノスに乗って神殿へ向かう。神殿の周りには昨日の倍以上の兵士の姿があった。どうやら数だけは揃えたらしい。

 人払いをしたのか、周囲に一般人の姿はいない。降り立つと、勇猛な、唸り声にも似た歓声が上がった。

 今日はすぐ後ろに座っていたナナシノが、ふらふらしながら地面に下りる。


 作戦は完璧である。

 視線の中、ナナシノが小さく袖を引っ張った。


「あの……ブロガーさん」


「ん?」


 隈の張り付いた顔。恐怖なのかあるいは武者震いなのか、震える声でナナシノが言う。


「あの……その…………ぜ、絶対……倒しましょうね」


「…………そうだね」


「……」


 何か他にも言いたげだったが、結局ナナシノは何も言わずに黙ってしまった。

 杖を強く握り、待っていた巫女の前に出る。ふとその時、横から聞き覚えのある声がした。


「ブロガー」


 フィーだ。帝都の時と同様、感情の見えない目が僕に向いている。後ろの方には何時もの取り巻きABCDが眉を顰めて立っていた。


 フィーが気負いなく僕に近づいてくる。一分の隙もない白の制服に腰に帯びた剣。立ち並んでいた兵士たちがそれを見てひそひそと名を囁く。小柄だが馬鹿にするような目を向けているような者は一人としていない。


「先程到着した。事情は聞いている」


「……なるほど」


 そう言えば、竜神祭に呼ばれていると言っていた。何でフィーが呼ばれているのかわからなかったが、どうやらアビス対策のためだったらしい。

 確かに防御に秀でた聖騎士のスキルは役に立つことだろう。まぁ、フィーの攻撃力ではダメージカット持ちのアビスと耐久戦をやるのは厳しいと思うけど。


 ナナシノが目を見開き、フィーを見ている。手紙に書いたはずなので誰だか見当がついているはずだ。フィーの髪色はなかなか見ない。

 フィーはナナシノの方に一瞬だけ視線を向け、すぐにこちらに向き直った。光そのものを固めたような銀の目が僕を見上げ、短く言葉を出す。


「間に合ってよかった」


「残念ながらフィーの出番はないよ」


「武運を」


 スキップしていないのにスキップしたかのような速度で会話を終え、フィーが離れていく。モブNPCお前らフィーを見習えや。そしてフィーさんはもうちょっと会話してくれてもいいんだけど。


 巫女が小さく頭を下げる。


「操竜士様、お待ちしておりました。準備は全て整っております」


 もしも僕が来なかったら彼女はどうなっていたのだろうか。


 神殿の地下に向かう。巫女の言う通り、準備は万全のようだ。ゲートの前は昨日までと異なりひどく物々しかった。

 恐らく王国のお偉いさんなんだろう、立派な鎧と甲を装備した騎士に、ナナシノが連れてきた竜討伐隊のメンバー。バリスタを始めとした兵器も揃いに揃っており、酷く雑然としている。

 竜討伐隊の中心にいたパトリックがナナシノに近づき、一言二言会話を交わす。ナナシノが真剣な表情でこくこくと頷いている。


 アビス・ドラゴンとの決戦ダンジョンの構造は簡単だ。ダンジョンなどと銘打っているが、実際に初級ダンジョンなどとは異なりダンジョン探索などはなく、入ってすぐにアビス・ドラゴンとの戦闘が開始される。

 バリスタについてはあまり詳しくないが、発射までには時間がかかるだろう。ましてや罠なんて使える訳がない。ドラゴン何体狩ったのか知らないけど、飛竜とアビス・ドラゴンは全然違うって。


 パトリックが僕を見て、ガチガチに強張った表情で言う。


「ブロガー、今度こそは俺達も力になろう」


 竜討伐隊の中には見知らぬ顔もある。というか魔導師や剣士が混じっている時点で何かおかしいのだが、意志の統一は出来ているのか文句が出る気配はない。

 いくら飛竜を倒せたからって、よくもまあこんなヤバそうな竜の討伐に参加するものである。きっと何人かは――僕のように、哀れにもナナシノにいつの間にか巻き込まれたNPCなのだろう。


 門に巻き付いた鎖は既にぼろぼろだった。まだ朽ちていないのが不思議なくらいだ。

 ばちばちと黒い光が弾け、境界の向こうから身体がざわつくような禍々しい気配が漂ってくる。


 自ずと場が静まり返る。竜討伐隊のメンバーが、王国の騎士が、フィー達が、ナナシノとシャロが、皆が門に注目している。


 巫女が大きく息を吸った。頬が白んでいる。その呼吸が乱れている。

 百年振りのアビス・ドラゴンの復活。さすがの竜神の巫女も今の状態では平静を保てないのか。

 静かな、しかし不思議とよく響き渡る声で、巫女が言った。


「封印は限界です。このまま放置しておいても、間もなく効果を失うでしょう。アビス・ドラゴンがこの世界に下りてくるその前に何としてでも侵攻を食い止めねばなりません」


「ああ、わかってるよ。今更だ」


 やることはわかっている。


 傍らのアグノスを見る。アビスを討伐するために遣わされたイノセントが僕を見る。

 もうちょっと運営が手を抜いてくれたら、アグノスがアビス・ドラゴンを倒せる未来もあったのかもしれない。


 門の前に立つ。聞こえるわけがないはずなのに、黒く波打つ境界の向こうからの咆哮を錯覚する。


「封印を解いてくれ」


「…………よろしいのですね?」


 よろしくないがここまで来てしまったら仕方がない。


 巫女が震える指先を伸ばし、その鎖に触れる。その瞬間、朽ちかけていた鎖が音一つなく粉々に砕け散った。

 ゲートから強い風が吹く。覚悟していたはずの兵士に動揺が奔る。


 封印とやらは解けた。賽は投げられてしまった。


 ナナシノが僕の傍らに立つ。その隣に、青ざめたシャロが立つ。パトリックがざわめく仲間達を鼓舞する。

 今にも崩れ落ちそうなアビス・ドラゴンの討伐隊。みんながみんな、深刻そうな表情をしている。

 やれやれ、くだらない。アビコルはそういうゲームではないというのに。


「フィー」


 今この場で集まった中で、唯一眉一つ動かしていない聖騎士を呼ぶ。さすがの胆力である。


「……何?」




 そして、僕は隣でふらふらしているナナシノとシャロをフィーの方に押した。





、頼むよ」


「え……?」


 急に押されたせいか、ナナシノとシャロが小さく悲鳴をあげる。ふらつき体勢を立て直すと、慌てたように僕の方を振り返る。

 先程までの動揺が静まっていた。ナナシノが目を見開き、裏返った声をあげる。


「ど、どういうことですか?」


「どういうこともなにも……君ら、いらない。邪魔だから来なくていいよ」


「…………え!?」


 大体、万が一にもナナシノが死なないように頑張るのにナナシノが来たら意味ないじゃん。


「あ、パトリック達もいらないから」


 杖を握りしめ、とんとんと手を叩きながらため息をついた。

 アビコルは狩ゲーじゃねーんだよ。罠やバリスタなんて使うんじゃない。大体、ゲートって召喚士しかくぐれないって言ってなかったっけ? 召喚士の数、少ないみたいだけどそれだけで罠とかバリスタの準備できんの?


 パトリックが目を見開き、半ば睨みつけるかのように視線を向けてくる。

 アグノスの首筋を撫でながらはっきり言う。


「僕一人で十分だ。というか、本当に邪魔。嘘偽りなく邪魔。いてもろくに役に立たないし、無駄死にするだけだからいらない」


 言葉が見つからないのか、文句を言ってくる者はいない。

 ナナシノとシャロの青ざめた表情。動揺していないのはフィーだけだ。さすがろくでなしの一万倍以上のファンを持つフィーさんは違う。


「じゃー、行ってくるよ」


「は…………は、はい。どうか、世界に平和を」


 激しく動揺していた巫女がなんとか言葉を絞りだす。

 世界に平和、世界に平和、か。ただの一つのイベントだというのに。


 門に足を踏み入れようとした丁度その時、復活したのか、無謀なナナシノが叫ぶ。


「ま、待ってくださいッ! ブロガーさんッ! 私も――」


「フィー」


 それを無視して目を細め、フィーを見た。

 彼女はこの場にいるメンバーの中で最も強い。もしもフィーがいなかったらパトリックに頼むしかなかった。が、フィーだったら間違いなく止めてくれるだろう。

 事前に話してもナナシノは聞いてくれないだろうから、こうするしかなかった。


「そこのお嬢様を止めてくれ。いや……この門に誰一人――僕以外、絶対にいれるなよ」


 NPCが何人死のうが知ったことではないが、壁にもならないし死に急ぐことはないだろう。

 感情の見えない目が僕をじっと見る。フィーは何も言わなかったが、黙るフィーに笑いかけてやると、小さく頷いてくれた。

 これで後顧の憂いはない。


「すぐに戻ってくるよ」


 アグノスと共に門の境界に触れる。

 初級ダンジョンに入る時にも感じた魂が引っ張られるような独特の感触が全身を襲う。

 視界が切り替わるその直前に、僕はアグノスに小さく謝罪した。


「悪いね、アグノス。僕の流儀じゃないんだけど……」





§ § §




 まるで散歩でも行くかのような足どりだった。だから反応が遅れた。

 青葉が思考を取り戻したのは、ブロガーとアグノスがゲートの中に消えた後だった。


 慌てて前に出ようとする。その前に、銀髪の少女が立ちはだかった。人間味の薄い透明な目が青葉を見下ろしている。


 会うのは始めてだったが名前はブロガーの手紙に書いてあったので知っていた。

 フィリー・ニウェス。聖騎士にして剣の王。ただ立っているだけなのに、その小柄な身体から発せられる気迫に一步も動けなくなる


「ど、どいてください――行かないと、ブロガーさんがッ!」


 一縷の望みをかけた言葉にも、フィリーは表情を動かさない。表情を動かす代わりに、腰から自然な動作で剣を抜いた。


 この世界に来てから様々な武器を見てきた。

 それは、そんな青葉でも見たことがないような、光そのものを剣に閉じ込めたかのような美しい剣だった。

 神々しい輝きに兵たちが息を呑み、青葉も一瞬今の状況を忘れる。


 フィリーはそのまますたすたと門のすぐ前まで歩くと、その剣を足元に突き刺した。空気が一瞬びりびりと震え、そこを起点として門を包むように透明な壁が現れる。


 思考が復活する。

 恐る恐る近づき、壁に触れる。温度はない。質感もないが――硬い。不思議な感覚だ。


「な――!?」


 体全体を使い、今の全力を込めて、壁は動く気配がない。拳を叩きつけるがびくともしない。

 青葉の意志を汲み取り、アイリスの騎士兵――アイちゃんがその剣を抜く。そして、目にも留まらぬ速さで壁を切りつけた。


 閃光が奔るような一撃だった。飛竜が相手だったとしても真っ二つにできるかもしれない、そんな一撃だった。青葉が壁に触れ、呆然とする。


「そんな……傷一つ――」


 更にアイちゃんが流れるような斬撃を放つが、壁は揺らぐ気配すらない。

 フィリーは青葉を気にかけることなく、突き刺した剣の側に正座した。

 封印を解かれた門からは黒い光が雷光のように激しく瞬いているが、フィリーは無表情のままだ。


 フィリーが口を開く。状況を飲み込みきれず、混乱するパトリック達を、王国の兵たちを、青葉とシャロリアを見て。


「誰一人入れるつもりはない。私、フィリー・ニウェス、剣王の名にかけて」


「そんな……!? ブロガーさんが……し、死んじゃうかもしれないんですよッ!?」


 壁を叩くが、音も出なければ感触もない。

 それでも力いっぱい手応えのない叩きながら、微動だにしない少女を説得する。


「わ、私達が行けば――きっと、少しは――勝率も、上がる、はずです!」


 信じられなかった。あれほど、戦うつもりはないと言っていたブロガーが一人でダンジョンに入ろうなどとは。

 なんとかするとは聞いていたが、その前日には確かに、今のパーティでは絶対に敵わないとも言っていたのだ。


 ブロガーの策が何なのか、青葉には想像すら付かなかったが、それでも二人で戦うよりも一人で戦った方が勝率が高いということはないはずだ。


 何よりも、青葉は許せなかった。一人でも戦いに行くつもりだった自分が残され、ブロガーがたったひとりで勝ち目のない戦いに向かうという事実が。


 確かに、怖い。アビス・ドラゴンがどれほどの敵なのか、青葉は知らない。それでも、一人残されるくらいならば、戦って死んだ方がマシだ。

 助けてもらうつもりなんてなかった。昨晩頼み込んだその時、ブロガーに断られたその時青葉は――一人で行くつもりだったのだ。


「消して――これを、消してッ! 私も行くッ! お願いッ!」


 なりふり構わず怒鳴りつける青葉にフィリーは反応一つ返さない。目をつぶり、まるで彫像のように微動だにしない。

 ようやく状況を飲み込んだシャロリアが慌てて駆け寄り、壁に触れる。


「こ、これ……『聖域』のスキルです。しかも…………凄く、強力なやつ」


「無駄だ。フィリー様のそれは万の軍勢でも破れん」


 後ろから声をかけられる。フィリーの側に付き従っていた騎士の一人だ。

 青ざめたシャロリアと、ナナシノを見下ろし、目を細める。


「大人しく待つのが良かろう。ブロガー殿には余裕があったし、ここに君達を残していったのは彼の意志だ。ここまで来てしまえば我々にできるのは万一に備えて――」


「万一!? 万一って、なんですか!?」


「あ、青葉ちゃん、お、落ち着け」


「――お、お願い、行かせてッ! お願い、しますッ! もう! この壁!」


 パトリックが止めに掛かるが、青葉には全くその声が聞こえなかった。


 フィリーの張った壁は門をぐるりと囲んでおり、隙間はない。いつもの穏やかな青葉とは違い、涙を流しながら叫ぶその姿に、それまで青葉についてきた竜討伐隊の仲間も動揺して顔を見合わせている。


 門が震え、雷鳴のような音を発する。急な変化に、兵たちの表情が強張る。門の境界が揺れていた。

 巫女が青ざめて、息を呑む。青葉がびくりと身体を震わせ、門に視線を向ける


 一秒が一分にも一時間にも感じられた。永劫にも感じられる時がすぎ、しかし門には恐れていた変化は起こらない。巫女が胸をなでおろす。兵士たちが構えていた剣をゆっくりと下ろす。


 瞼を閉じていたフィリーがため息をつき、青葉を見た。


「ブロガーの言葉を信じる。待つ。すぐに戻ってくると言った。彼は――強い」


「ッ……」


 絶句する。説得できない。たった一言で、青葉はその残酷な事実を理解できてしまった。

 この少女には説得も懇願も怒りも、何も通じない。この強固な障壁と同じように。


 壁に身体を押し付けたまま、門に視線を向ける


 黒の門は何度も何度もまるでその異界での戦いの激しさを示しているかのように音を立てて震えた。まるで水面のような黒の境界からは向こうの世界の風景を見ることはできない。


 心臓が締め付けられるかのような不安と、自分が何も出来ないことへの恐怖にへたり込む。

 シャロリアも青葉と同様、いまにも倒れそうな様子で門を凝視していた。


 青葉だってブロガーのことは信じている。この世界に来てからその強さをずっと見てきた。


 だが、それでも怖かった。相手はいつも自信ありげなブロガーが戦うことを拒否する程の相手だ。

 ブロガーが死ぬことが、ちょっと冷たい、しかしずっと助けてくれた同郷の青年がいなくなってしまうことがなによりも怖かった。


『僕はナナシノのことが好きだから、なんとかしてあげてもいいかな……』


 眠れなかった。前日掛けられた言葉が今も頭の中でぐるぐる回っている。




§



 変化は唐突に訪れた。


 何時間経過したのかもわからない。

 今まで門が放っていた禍々しい黒の雷光が収束する。嵐の海のように荒ぶっていたその境界が、他の四つの門と動揺に静かなものに変化し、揺れも止まる。

 その様はまるで門が死んだかのようだった。


「…………」


 門に視線が集中する。青葉が真っ赤に腫れた目を向け、シャロリアが手をぎゅっと握りしめる。

 疲労と涙が枯れるほどに泣いたせいで、思考が纏まらない。


 そして、門から投げ出されるような勢いで大きな塊が飛び出し、音を立てて地面に転がる。

 現実感がない。初めは何なのかわからなかったが、塊はすぐに血に塗れ傷だらけの竜に変化した。


 白い光を放っていた鱗は光を失い、青葉を乗せて力強く羽ばたいてみせた翼は千切れかけている。身体のそこかしこに炭化した後があり、手足はあらぬ方向に曲がっていた。

 明らかに致命傷だった。その目は完全に閉じており、ぴくりとも動かない。巫女が短く悲鳴をあげる。


「!? え……アグ……ノス……さん?」


 シャロリアが目を見開き、絶望の表情をする。青葉の思考が現実を拒否して一瞬真っ白になる。理解できない。理解したくない。

 ブロガーが連れて行った竜。忘れるわけもない。数日だがその神々しい姿は青葉の心を掴んで離さなかったのだから。


 フィリーが眉を顰め、しかしすぐに視線を門に戻す。


 それとほぼ同時に、境界が再び揺らめいた。

 足、身体、腕、手と、順番に現れる。そして最後に現れた顔に、青葉は目を見開いた。


 現れたのは炭化しかけたぼろぼろのローブを着たブロガーだった。袖は千切れ、外套はそのほとんどが燃え尽きている。持っていた杖は杖頭部分がなくなり、ただの短い棒のようになっていた。


 見るも悲惨な姿のブロガーは自分の足で門の外に出ると、後ろを振り返り吐き捨てるように言った。




「ったく、マジクソゲーだ。散々手こずらせやがって。運営仕事しろ! 絶対クレーム入れてやるからな。拡散してやる! ブログにあることないこと書いてやるからな! あー、久しぶりに腹立つッ!」


「ブロ……ガー……さん?」


 何がなんだかわからない。格好だけは悲惨だったが、ブロガーの表情はいつもと何ら変わらなかった。

 切れ切れに名を呼ぶ青葉に、ブロガーが振り返る。そして、小さく手を上げ、軽い口調で言った。


「あ、ただいま。いや、すぐに勝負がつくと思ってたんだけどなんか予想外に――」


 駆け寄ろうとして、壁に阻まれる。もう一度駆け寄ろうとしてまた壁に阻まれる。三度駆け寄ろうとして壁に阻まれたところで、青葉はようやく壁を消してもらわなければならないことに思い当たった。


「壁! もう、壁いらないからッ!」 


 壁をばんばん叩く青葉の前で、フィリーがブロガーを見上げて言った。 


「おかえりなさい、ブロガー。……傷を」


「いや、僕は大丈夫だからアグノスの方を――」


「壁! 消してッ! もうッ! ブロガーさん!?」


 ようやく状況を理解した巫女が感極まったようにブロガーの名を呼ぶ。

 遅れて門の間が爆発するような歓声に包まれた。

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