第十五話:アビス・ドラゴンは死ぬ

 竜を祀る神殿は王都の中心部にあった。


 【オロ王国】は竜に守られた国だ。全ての竜の母とされ、竜種最強とされる存在でもある竜神を祀る神殿は、国の中で重要な立ち位置をしめる。

 そして、竜神に仕えることを許された『竜神の巫女』は神からの言葉を伝える司祭であり、国を守る守護者であり、あまねく民への奉仕者だった。

 【オロ王国】では、たとえ国王であろうと竜神の巫女を蔑ろにすることは許されない。


 大理石で組まれた幾本もの柱。荘厳な雰囲気漂う竜の神殿はどこか寒々しい印象を抱かせる場所だった。

 神殿は王国内に誇るその威光とは相反して小さい。竜神は数少ない巫女のみの奉仕を欲した。故に、神殿に住まい神事に関わる巫女の数は両手の指の数に満たない。

 そして、その巫女の中でも実際に神の言葉を聞くことが出来るのは一握りだけだ。


 長年、王国は平和だった。竜神がお告げを下すほどの災厄には見舞われなかった。だから、数日前、祭壇の間で巫女の一人がお告げを受けたその時、王国の誰もがその言葉に半信半疑だった。


 だが、今となってはその言葉を疑う者は誰一人いない。

 竜神の子たる存在が神殿に現れた。その事実が全ての疑惑を払拭した。


 長い間一度もなかったことだが、その存在は記録として残されていた。


 曰く、百年以上前に王国を襲った災厄、アビス・ドラゴンを撃退した竜神の剣。輝く白の翼を持ち、鋼鉄を遥かに越えた強度を持ちあらゆる魔法に対して強力な耐性を持つ竜の鱗を容易く貫くブレスを武器とする善なる竜。

 そして、神の御子と共に戦った召喚士コーラーをかつてその勇気を見届けた王国の人々は『操竜士』と呼んだ。


 『操竜士』は王国の英雄だ。【オロ王国】で生まれ育った者は皆、幼少期にその物語を聞いて育った。その名が持つ意味は如何なる英雄よりも重い。


 静まり返った祭壇の間で跪き、竜神への祈りを捧げていた巫女の背中に、赤地の分厚いコートを来た男――国防を担う王国の重鎮である貴族の男が声をかける。


「巫女よ。かの操竜士候補の状況はどうだ?」


 神の剣が降臨した以上、災厄の出現もまた必定とされる。王国では今、華やかな祭りの裏で着々とその時に備え、準備がなされていた。

 もともと竜神祭は災厄が発生したその日をきっかけとして開催されることになった祭りだ。

 竜種の住む『黃竜界』が近づく。この時、【王都トニトルス】では竜の力が活発化する。王国内ではそれがアビス・ドラゴンの復活に影響を与えているのではないかと考えられているが、解決策は見つかっていない。


 巫女が静かに立ち上がり、その汚れのない目を貴族の男に向ける。

 災厄を前にして、その目には恐怖も興奮もなかった。


 進展は何もない。操竜士の青年は神殿を一度も訪れていない。今何をしているのかもわからない。

 だがそれ以上に巫女の信仰は強かった。


 どこか苛立たしげな男に淡々と答える。


「……全ては竜神の御心のままに」


 災厄の再来まで後二週間。その目には確信があった。

 その若き召喚士は必ずやイノセント・ドラゴンと共闘し、悪魔を討ち滅ぼすだろう、と。


 竜神の予言に誤りなどあるわけがない。




§ § §




 アグノスが熱の入った声で進言してくる。

 アグノスが一時加入して二日目。サイレントが二人になった気分だった。


「マスター、忘れているかもしれないけど、神殿に門ができているはずだよ! そこから狭間の世界のダンジョンに行けるはずさ!」


「まーまて、まだその時期は来ていない。慎重に動くんだ」


「! さすがマスター、万全を期すつもりだね! 僕ならいつでも戦えるから、僕のことは気にしないでね!」


「あー、はいはい」


「なんかあるじ、どんどん対応がてきとうになってるぞ」


 ぱたぱた手を振りながら今日も召喚士ギルドに入る。


 だってしょうがない。アグノスって本当にうるさい。女の子の形してたらまだ許せるのに卵の形だからイライラするだけだった。一応言っておくがアグノスが女の姿になることはない。


 大言を吐くアグノスは弱いし、【竜王の試練場】は竜種に補正の掛かる特殊ダンジョンだ。竜種での攻略を前提としている。ゲーム時代のように潤沢に召喚してユニットが揃っていればレア度でゴリ押しすることもできるが、攻撃力の低いサイレント一体じゃ、どうあがいても効率が悪い。


 まだその時ではない。深々と確信を持って頷く僕を、アグノスが目を輝かせて見ていた。


「マスターの目の輝きは歴戦の戦士のものだ! マスターのような戦士と共に戦うことができて、僕は光栄だ!」


「あ、はい。そりゃどうも」


 別に僕が慎重派なわけではない。もしも僕以外のアビコルプレイヤーがここを訪れたとしても同じ方法を取るだろう。違う可能性があるのは魔導石を集める手法くらいだろうか。


「労働は美徳だ。さぁ、今日も元気に雑用クエスト行くぞッ!」


「おー!」


 アグノスとその上に騎乗したフラーが元気よく腕を振り上げる。テンションは最大だ。なんでそんなに元気なの、君達。


 唯一、テンションの低いサイレントが余計なことを呟いた。


「アグノス、一応いっておくがおまえ、だまされてるぞ。あるじはなにもしてないし……」



§




 竜神祭イベントのボス――アビス・ドラゴンは強い。

 アビス・コーリングのイベントは廃人でもある程度歯ごたえを味わえるように難易度調整されている。それはつまり、課金前提ログインボーナス前提ということだ。


 あくまである程度なので、難易度は全体から見ると高い方ではないが、今のサイレントでは天地がひっくり返っても勝てない。カベオをぶちかましても倒せない。


 それにはアビス・ドラゴンの所有する一つの特性が関係している。


 レア特性『真竜王の系譜ノーブル・ブラッド』。


 竜種以外から与えられるダメージを九割カットするというエゲツない特性である。ダメージカット系の特性は数多く存在するが、ここまで範囲が広くそして倍率の高い特性はなかなか存在しない。

 ただでさえ高いHPと防御力、それに加えて所有するこの特性により、アビス・ドラゴンは対策必須のイベントボスになっている。一応高レアと物量でゴリ押しも出来るけど、力の無駄だ。


 一番手っ取り早い対策は竜種の眷属で戦うことだ。ここで重要なのは、この場合の竜種の眷属とはイノセント・ドラゴンに限らないという点である。


 そう、アビス・ドラゴンは別にイノセント・ドラゴンを使わなくても勝てるのだ。

 というか、イベントキャラは育てるだけ無駄なので大体のプレイヤーはイノセント・ドラゴンは仕舞えないから仕方なく出してるみたいなユニットになっていた。

 イノセント・ドラゴンに与える命令は『何もするな』だ。アビス・ドラゴンは死ぬ。


 二つ目の対策は眷属に竜殺しの力を持った武器を装備させることである。

 ○○殺し系の武器はその種を相手にした時のみ、防御スキルやダメージカット系の特性を全て無効化することができる。『真竜王の系譜ノーブル・ブラッド』も対象外ではない。アビス・ドラゴンは死ぬ。


 三つ目の対策は、種族を一時的に変更するスキルを使用することだ。一部の眷属が持つレアなスキルだが、このスキルは自ユニットの種族を自由に変更できる。

 自軍のユニットの種族を全て竜種に変更すればアビス・ドラゴンにもダメージが通るようになる。アビス・ドラゴンは死ぬ。



「つまり、何をいいたいのだあるじは?」


 まるで僕の答えがわかっているかのように呆れた声でサイレントが聞いてくる。

 ベッドの上ではフラーとアグノスがごろごろしながら遊んでいる。


 僕はそちらにチラリと視線を投げかけ、一日の労働を経て全部で12個になった魔導石を袋にしまい、肩を竦めてみせた。


「魔導石が必要だってことさ」


 眷属の召喚で魔導石を使うのは言わずもがなだが、竜殺しの武器の入手方法も眷属召喚だ。

 アビコルでは眷属の装備は『そういう特性を持つ無種の眷属』という形で手に入るのだ。運営死ね。


「つまり……ぎゃんぶるってことか」


「いやいや……」


 どの手法を使うにしても魔導石は必須だ。

 僕のやることは石を手に入れて召喚を試み、レアな竜種の眷属との運命的な出会いを果たすことだ。アビス・ドラゴンは死ぬ。

 完璧な計画だ。奇跡が必要という点を除けば、だが。


 サイレントがいつもと変わらない顔で言う。


「いしょのじゅんびしとくぞ」


「そう言えばナナシノに手紙出さないとな……お土産買いに行かないと」


「……あるじはほんとうに緊張感がないなあ」


 緊張していないわけではない。

 限られた魔導石、現れないログインボーナス、運命の日は迫っている。チャンスは数えるほどしかない。


 僕はアビコルヘビープレイヤーではあっても、神ではない。僕は僕が出来ることをやるだけだ。

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