第四話:現実との差異

「馬鹿な……ログインボーナスなしで僕はどうやって生きていったらいいんだ……」


 ナナシノにもログインボーナスが来ていない事を知り、僕は絶望した。


 ログインボーナス。それはアビス・コーリングにおける一つの救いだ。


 アビコルはひどい課金ゲーだったが、同時に頻繁に魔導石を配っていた。ログインボーナスはその中でも最たるものだ。

 アビコルでは一日に一個、ログインしただけで魔導石が配られる。僕は呼吸するように課金をする重課金プレイヤーだったので特にその石を当てにしたことはなかったが、それはなくてもいいってことではない。

 一日一個石が手に入るのならば一年で三百六十五個、基本的に五個で一回眷属召喚できるので、召喚換算で七十三回召喚できるってことになる。


「……」


 冷静に考えたら、大した数じゃないな。


「ブ、ブロガーさん!? 大丈夫ですか!?」


 事態がわかってないナナシノが心配そうな声を上げる。

 その心配そうな表情を見ていると彼女の無知が羨ましくなってくる。


「いや、それでも……ログインボーナスがないなんて信じられない」


 もしかしたらバグじゃないだろうか。ゲームだったら運営に問い合わせる案件である。

 真剣にシステム不備の可能性を考え始める僕に、ナナシノが小さくおずおずと手を上げた。


「……あのー……ログインボーナスってなんです?」


「……ナナシノってもしかして無知?」


「!?」


 いや、ゲームをやったことないならわからないものなのか?


 一体ナナシノはどういう生活をしてきたのだろうか。余りにも住む世界が違い過ぎて想像すらできない。ともあれ、懇切丁寧に説明してあげると、ナナシノは若干引いたような表情をした。


「あの……それって、ゲームの話じゃ……」


「ゲームの話だよ?」


「……一応聞くんですが、ここ、現実ですよね?」


「だからなんだよ。どちらにせよアビコルの世界なのにログインボーナスがないなんておかしいだろ!」


 僕は断じて抗議するぞ。


 必死の言葉に、また一歩ナナシノが後ろに下がった。


 その様に少しだけ落ち着きを取り戻す。いくら年下とはいえ、あまり興味ないとはいえ、女の子にあからさまに引かれるのは僕と言えど辛いものがある。

 一度深呼吸をして、言葉を選んで説明した。


「確かに……ナナシノの言うとおり、ログインボーナスなんて課金して手に入る魔導石の数と比べたら微々たるものかもしれない」


「そんなこと全然言ってませんが」


「でも塵も積もれば山となるって言葉もあるんだよ。何よりも、魔導石を持っていない状態って凄い落ち着かないじゃん? ゲームプレイ時代、僕は魔導石を最低五百個は常備しておくようにしてたんだ」


 ちなみに魔導石はリアルマネーで一つ百円なので五万円分の魔導石という事になる。

 まとめ買いで安くなったりはしないが、たまに安く魔導石を購入できるキャンペーンをやっていたのでその際に全財産を突っ込むのがプロプレイヤーの嗜みであった。


 僕の言葉を聞いても、ナナシノは腑に落ちない表情をしていた。


「魔導石の価値がわからないのでなんとも……」


 なんだろう。何も知らない素人に説明するのはとても難しい。もともと僕は余り他人に説明するのが得意な方ではないのだ。


 僕は少しだけ考えていい例えを思いついた。


「そうだな……ナナシノは丸裸で財布も持たずに外に出たりしないだろ? そういう事だよ」


 僕の言葉に、ナナシノは一瞬戸惑い、


「まるはだッ!? へ、変態じゃないですか!」


「そうだよ。変態なんだよ」


 そう、今の僕達は変態なのだ。

 何にしても魔導石がないとアビコルでは何もできない。ゲーム攻略wikiにもまずは魔導石を貯めましょうとある。


 今後どうすべきか。迷う僕に、ナナシノが小さく手を上げた。その視線を足元のアイリスの単騎兵にちらりと向け、はっきりと言う。


「あの……すいません。ブロガーさん、もしよければ、この世界? アビコルの事、詳しく教えてもらえませんか?」


 何もできなくても一丁前に意見は言うらしい。だがしかし、プレイヤーの立ち位置を確かめるという意味でサンプルはいた方がいい。行動を共にするにせよ――しないにせよ。


 僕が持っている情報はアビス・コーリングのプレイヤーならば誰しもが知るレベルだ。アビコルには特に難しいシステムなども存在しない。

 眷属の種類やクエストの種類まですべて説明するのは難しいが、基本を教えるなら三十分もあれば十分できるだろう。


「……とりあえずご飯でも食べながら今後の方針でも話し合おうか……お金もこの分なら一ヶ月は持つ」


 僕の言葉に、ナナシノが今気づいたとでも言うかのように目を見開いた。

 訝しげな表情で尋ねてくる。


「……そういえば、ブロガーさん。どこでお金手に入れたんですか?」


「ドロップだよ。とりあえず後ろ暗いことはないから安心してよ」


 断言する僕に、ナナシノは戸惑いながらも小さく頷く。後ろでサイレントが余計な事を言った。


「……我が言うのもなんなんだが、あれはドロップと呼べるのか……?」


 魔物だろうが人だろうが落とした物なんだからドロップだろう。

 どちらにせよ、登録してみた限りではギルドのシステムはゲームと変わらなさそうだった。もう夜道を襲ってきた相手を倒して金銭を強奪するような真似、することはないだろう。




§




 宿のレストランで食事を取る。

 メニューに書かれた言語は日本語ではなかったが、何故か自動的に脳内で日本語に変換された。特に不都合はなかったので納得しておくことにする。きっとゲームの時のシステムを踏襲しているのだろう。


 僕は運ばれてきたカラッといい色に上げられた唐揚げにフォークを突き刺し、掲げてみせる。

 目の前でトーストを頬張っていたナナシノがパンくずを口元につけたまま首を傾げた。


「ゲームでは食事は必要なかった。空腹度なんて値もなかった。だから僕はこの世界でも食事はいらないと思う」


「……んぐっ……」


 ナナシノは慌てたようにオレンジジュースでトーストを流し込む。


「ずっと思ってましたが、ブロガーさんって……ゲーム脳?」


「……僕は正気のつもりだよ」


 空腹度なんてプレイヤーにはなかったし、眷属にもなかった。だからきっと僕の皿から唐揚げをかっさらっているサイレントの行動は完全に無意味である。

 憮然としながら唐揚げを口の中に入れる。匂いも味も食感も唐揚げそのものだ。間違ってもスマホでゲームをプレイしていた時には味わえなかった。


 唐揚げを丸呑みしたサイレントがちょんちょんと僕の袖をつっつく。


「主、我にも食事を注文すべきだ」


「『送還デポート』」


「!? や……いやぁああああああああああああああ……!」


 サイレントがまるで空気に溶け込むように消え去った。ナナシノがトーストを片手に硬直していた。


 眷属を使って戦闘するアビス・コーリングで召喚士コーラー本人ができることは多くない。


 『送還デポート』は数少ない召喚士本人が取れる選択肢である。チュートリアルで説明を受ける奴だ。


 最も、ゲーム内ではメニューという形ではあったが、僕達プレイヤーはその項目をわかりやすく『パーティ編成』と言う単語で呼んでいた。


 静かになった所で食事を進める。僕の理論が正しければ食事なんて取らなくても問題ないはずだが、金はいずれ有り余るわけで、とりあえず節約する必要はないだろう。


 平然と食事を再開する僕にナナシノが上ずった声を上げる。


「あの……サイレントさんは……」


「後でまた呼び戻すよ」


 『送還デポート』は眷属召喚で入手した眷属を使用パーティから外すメニューである。消え去ったが完全にいなくなったわけではない。どこに行ったかは語られていなかったので知らないが、ゲームと同じなら『召喚コール』というメニューでパーティに戻せる。


 ナナシノが少しだけ眉を顰め、テーブルの上にかしこまっているアイリスの単騎兵を見た。

 恐らく、自分の眷属を『送還』した時の事を考えているのだろう。


「……でも……かわいそうじゃ……」


「別に。あいつ人じゃないし」


 データである。人じゃなくてデータである。

 大体、サイレントなんて何体も持っていた。そんなに好きなキャラじゃないし、実体化したからと言って思う所などない。


 ナナシノは一瞬だけ絶句して、少しだけ責めるような目を向けてくる。


「……そうですか……」


「まぁ、すぐに出すけどね。クエストには必要だし」


 それに、アビコルには親愛度という隠しパラメーターが存在する。

 眷属をパーティに編成しておくと時間単位で値がたまり、能力に補正がかかるのだ。故に、頻繁に使う眷属は常に召喚しておくのが常道であった。

 ゲームではなくなった今、サイレントがイベントじゃなくても会話できるようになってしまったので現実的ではないだろうが。


 サイレントなのに静寂サイレントじゃないってどうよ。


 食事を終え、食後の珈琲が運ばれた所で僕は本題に入った。


「じゃあそろそろ本題に入ろうか」


 僕の言葉に、珈琲カップを覗いていたナナシノが居ずまいを正した。


 見た目からして、ナナシノはきっとまだ学生だ。その挙動からは自立というものが余り感じられない。

 もともと自分から行動するのは余り得意ではないだろう。迷子で異世界に放り出されたような現状では仕方ない事かもしれないが、それでは困る。


 もっとも、困るのは僕ではない。きっとナナシノが困る事になるだろう、という事である。


「とりあえず僕はしばらくギルドの依頼を受けてお金や魔導石を貯める事にするけど、ナナシノはどうする?」


「ど、どうするって…………どうしましょう?」


 困ったようにナナシノが上目遣いで僕を見る。もしかしたら考えていなかったのかもしれない。


 仮定しよう。日本で充実した生活をしていた女の子が突然異世界にいた。

 アビコルの文化水準は現代日本とあまり変わらない。テレビや携帯電話はないがエアコンはあるしシャワーもあった。娯楽が少しばかり少ないかもしれないがお金さえなんとかすればそれなりに快適に生活できる。

 だがそれでも家族も友人もいないこの世界で生きていこうと思うだろうか。


 僕は一口、食後のアイスコーヒーを口に含み、グラスを置いた。アビコルの世界でも珈琲や唐揚げの味は変わらないようだ。


「例えばさ、目標とかあるじゃん?」


「目標……」


「ほら。例えば日本に帰る、とかさ」


「!?」


 ナナシノが今初めて気づいたと言わんばかりに瞠目した。そのまま流れるように眷属を見る。

 この世界は現実感がありすぎる。ちょっとした外国に旅行に来ている気分だったのかもしれない。

 だが、帰れない。少なくとも僕にその方法はわからない。


 何か言われる前に返す。


「まー、残念ながら僕には帰る方法なんて見当もつかないけど。そもそも、どうして【始まりの遺跡】にいたのかもわからないし」


「そ、そうですよね……」


 ナナシノが涙ぐみ、俯いた。


 そして、僕とナナシノの間には一つ決定的な違いがある。

 帰れたとしても多分僕はその選択を取らないだろうという点だ。何故ならば僕は既にアビス・コーリングにどっぷり浸かっていた人間だからである。


 僕にとって日本の生活の方が夢のようなものだった。家族にも友達にも立場にも未練なんて全くない。


 黙ってしまったナナシノを鼓舞するように続ける。


「でも、指針がないと動けないでしょ? 僕に言う必要はないし、今すぐにじゃなくてもいいけど、何か決めておいた方がいいよ」


 面倒事はごめんだ。ナナシノに肩入れする理由もない。ナナシノは美少女だが美少女なんてこの世界には腐るほどいるのだ。なんたってゲームですから。


 僕だって帰るつもりはないがやりたいことくらいある。ゲームでやり残して、サービスが終了して後悔したことがある。

 これが例え夢だったとしても……夢が覚める前にやりたい事が。


「アビコルでプレイヤーがやることは単純だ。眷属を召喚し、それを育て、育てた眷属を使役してギルドや町中で依頼を受けそれを解決、魔導石やお金、アイテムを手に入れる。メインストーリーも一応あるけど、あってないようなものだ」


 じっと僕の言葉を聞くナナシノアオバ。何も言わないがちゃんと考えているのだろう。

 少なくとも見た目だけならナナシノアオバは優等生に見える。勉強だけだったら僕よりもよほどできそうだ。


 だがアビコルでは何の意味もない。僕はせめて彼女が僕のいいフレンドである事を密かに祈った。

 優秀なフレンドはアビコルにおいて最も大切な物の一つだ。もしかしたらそれ以外においても。


 恐らくソシャゲをやったことがないであろうナナシノに念のため説明する。このゲームはコンシューマ向けのRPGなどではないのだ。


「ナナシノ、アビコル――アビス・コーリングの本質は……育成ゲーなんだよ。コンテンツは膨大で……ゲームクリアなんて存在しない。だから社会人も学生も、多くの人が深みに嵌ったんだ」


 札束を食らって成長した眷属を使いどこまでも広い世界を切り開いていくゲーム。それが僕の知るアビス・コーリングだった。

 目的のないゲーム。終わりのないゲーム。ある意味ではこのゲームと現実との間に差異なんて殆どないのではないだろうか。


 そして、その世界がこうして実体化してしまった以上、この世界と現実の差なんてそれこそ誤差のようなものなのだろう。

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