第三話:レア度の格差

「人を襲うだなんて人間的にどうかしてるよね」


 僕の言葉に、頭の上のサイレントがもぞりと動く。影のような重さのない身体なのに、何故か髪の上には確かな感触があった。まぁそのあたりを細かく言うのは野暮なんだろうと納得する。


 サイレントは若干呆れたような口調で言った。


「……まぁ、主がそれでいいなら我は構わんがな」


 目的を終え、誰かに目撃される前にギルドに戻る。

 コーラー・ギルドの扉を開けて中に一歩足を踏み入れた所で、聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「や、やめてくださいっ!」


 

 まるで蟻に集られる角砂糖のように、ナナシノが五人の男達に囲まれていた。


 アイリスの単騎兵が足元をちょこちょこ歩き回り守ろうとしているが、男たちも召喚士であり、その側に眷属を連れている。

 レア度が単騎兵よりも高い者もいる。育成していないナナシノの単騎兵ではとても敵わないだろう。

 召喚士の任務は魔物の討伐だ。ナナシノを囲んでいるのも強面の男達であり、ナナシノの声は気弱だった。


 僕はうんざりしながらつぶやいた。


「……何だ、やればできるじゃん」


 なんてベタなんだ……。


「……あれを見てそんな感想が出る主は凄い」


「もしかしたら僕の意見を聞いて金を貢いでもらうつもりかもしれない」


「そんなわけないだろう」


 そんなこと言われたって、あの年頃の女の子の考える事など僕にわかるわけがない。僕はもう二十四なのだ。

 受付カウンターの職員も見ているだけで特に割っている様子はない。他にも酒場には数人のNPCがいるが、誰も助ける気配はない。ただ強張った表情でそちらを見ているだけだ。

 そこから見てもその行為はある程度黙認されているようにも見える。


 そんなことをぐだぐだ考えていると、ナナシノがこちらを見て悲鳴のような声をあげた。


「ブ、ブロガーさんッ! た、助けてッ!」


「なんかこのまま引き取ってもらったほうがいい気がしてきた」


 視線を集めていた事は気づいていただろ、自衛しろや。


 僕の言葉に、ナナシノの表情が蒼白になる。男たちが壁になっているため、ナナシノは一歩も動けないようだ。

 男たちの眷属を眺め、ため息をつく。


「だからリセマラしたほうがいいっていったのに」


 アビコルは課金ゲーである。強い眷属を手に入れた者が当然に勝つ。

 ちゃんと強力な眷属を手に入れてたらこの程度屁でもなかったのに。


「わ、私に死ねって言うんですか!?」


「いや。死ぬんじゃなくて、アカウント削除、再登録だって」


「どどどど、どーやってやるんですかぁッ!!」


 アビコルでプレイヤーに死の概念はない。強いていうならアカウントの削除が死と言えるだろう。

 だから、この世界の死はアカウント削除に該当するのではないか、僕のその理論はまっとうなものである。


 と、僕とナナシノの仲が余り良くないのは明らかなのに、男の一人がニヤケながらこちらに近づいてきた。

 最初ギルドに来た時にじっとこちらを見ていたNPCだ。一緒にいた所は見ていたはずなのに、わざとらしく聞いてくる。


「んん? あんた、彼女の連れかぁ?」


「いや、ナナシノが僕の連れなんだけど」


「……んなのどうでもいいッ!」


 男が怒鳴りつけてくる。

 僕は細身だ。目の前にきた男は僕とは比べ物にならないくらい、召喚士という職に似つかわしくないくらい身体がでかい。やや色褪せた赤褐色のローブは歴戦の証に見える。その後ろにはライオンと同じくらいの大きさの獣種の眷属を連れていた。


 ギョロリと濁った茶色の眼が僕を見下ろす。


「わりぃが、失せてもらえねえかねえ?」


 荒々しいガラガラ声を聞き、僕は少しだけ考えて答えた。


「ロリコン」


「!?」


 男が瞠目し、後ろの獣種の眷属が唸り声をあげる。

 助けるメリットはないが助けないメリットもまたない。それにその前に確認せねばならない事がある。


「君ってプレイヤー?」


「な、てめえ! 今なんつった!?」


「何だやっぱりNPCか……」


 無駄なAI積みやがって。

 アビコルの男性キャラクターは筋骨隆々とした男が多い。僕の姿はここに来る前から変わっていないし、見上げなければいけない程の男は大体プレイヤーではないだろう。


 ってことはクエストか……


 アビコルでは何もない時にNPCの召喚士コーラーに喧嘩を売られたりしない。

 ダンジョン探索や事件の発生、依頼など、プレイヤーが取り組むべきイベントをまとめて依頼クエストと呼ぶ。こんなクエスト記憶にはないが、眷属の種類と同じくらいクエストがあるのでさすがの僕でも下々の方のクエストまで記憶してはいない。

 基本的にクエストとはギルドで受けるものだが、突発的に発生するものも決して少なくない。


 クエスト名は少女を助け出せ、ってところだろうか。戦闘があるクエストはもっともポピュラーなものだ。べったべたなシチュエーションもきっとクエスト故だろう。


 顔を真っ赤にする男を置いて、男たちの眷属の方を観察する。


「報酬はなんだろう……ランク的にはそんな高くないよなぁ」


 相手の召喚士の眷属……リセマラしたプレイヤーならば開始直後でも勝てるレベルだ。クエストは難易度によって報酬が上がるので余り期待できないだろう。


 眷属を注視するとその頭の上に眷属名とレベル、HPバーが浮かんで見えてくる。男達の頭の上には何も見えない。名前もないモブキャラのようだ。


 目の前の名も無きモブが気味の悪そうな表情で言う。


「な、何言ってんだ、こいつ?」


「まー一番最初だし、とりあえず受けとくか……」


 僕の言葉から察したサイレントが僕の前に飛び降り、人型程の大きさに膨れ上がった。


 その時、小柄なもう一人の男が駆け寄り、愕然とした表情で僕の顔を凝視した。


「あ、兄貴、そいつの顔についてるの……」


 そう指摘されて、初めて頬に何か付着しているのに気づいた。指先でこすると、ヌメッとした感触が指に残る。

 痛みはない。ぬめぬめした血の雫に、僕はサイレントに文句を言った。


「おいこら、サイレント、跡は残すなって言っただろ」

 

「いや、主が前にいたのが悪いんだし」


 主人に文句を言うとはとんだ眷属である。

 僕は手の平で血を拭き取って、気を取り直して向き直った。後でちゃんと洗おう。


「さぁ、かかってきなよ」


「あ……兄貴……」


「怯えるんじゃねえ! こっちは五人いるんだぞ!?」


 怯えてる奴が言うセリフを吐き出し、兄貴と呼ばれた男が怒鳴りつける。もはやナナシノの事など忘れているようだ。

 僕は冷静に全員観察した。最後にナナシノの方を注視する。


 やはり、頭の上には名前とプレイヤーレベルとスタミナバーが表示されている。


 ナナシノアオバ。レベル1。


 ぐるりと周囲を見渡すが他に名前とレベルが出る者は見当たらない。

 ……やっぱりプレイヤーはナナシノだけか。もうちょっとおとなしいプレイヤーがいたらよかったのに。


 男たちが僕を取り囲む。解放されたナナシノが小さい鳴き声をあげる。


 僕は順番に眷属を指差した。


「荒ぶる風のアングリー・ホーク。自在鉄のストリーミング・メタル。地底で泣き叫ぶブラック・バンシー。タナトスのダークナイト。そして、獣王精鋭のブレードキマイラ」


 僕の言った通りの名がその頭の上に浮かぶ。男たちがざわめいた。

 全部腐る程見た名前だ。基本的に名前の頭に装飾がつく眷属は外れである。そこを変えて眷属の種類をかさ増ししているのだ。腹立つぜ。


 一度ため息をついて、顎でしゃくる。

 そして、兄貴が連れていたこの中では一番マシなレア度9のブレードキマイラを差して宣言した。


「僕なら間違いなく『リセマラ』だ」


§



 アビス・コーリングは札束で殴り合うゲームだった。

 勝負は一瞬だった。レア度にここまで大きな差があると勝負にもならない。男たちの眷属のレベルは上限いっぱいまで上げられていたが、それでも覆せない差があった。

 即座に複数に伸びたサイレントの腕を奴らは避けられなかった。


 すべてが終わった後、今まで黙り込んでいたナナシノが息を呑み、呟く。


「す、凄い……」


「我の力を使えばこんなものよ」


 床に串刺しにされた眷属達。まだ生きてはいるがHPは九割削られており、もう行動不能だろう。アビコルではHPの消耗具合によってステータスや行動にペナルティが発生するのだ。

 先程まで威勢が良かったその主達は今や化物でも見るような目で僕を見つめている。


 予行練習は済ませていたのであっさりと勝負がついてしまった。

 僕は自失してひざまずく兄貴をスルーしてきょろきょろとあちこちに視線を向ける。


「報酬はどこで受け取るんだろう?」


「何を言っているんだ、主は」


「経験値だけかな? しょっぱいクエストだぜ」


 そもそも経験値入ってるのかも怪しいし……。

 序盤のクエストとはいえ、せめてルフ(アビコルのお金の単位だ)くらいもらえてもいいと思う。


 固まっていたナナシノがフラフラと駆け寄ってくる。ちらちらと床に縫い付けられた眷属たちを見ながら。

 その側にはアイリスの単騎兵もちゃんと付随していた。どうやらバトルには発展しなかったらしく、傷一つない。


 よかったねー、死ななくて。


 ナナシノは一瞬言い淀み、しかしすぐに浅く頭を下げた。


「あの……ありがとうございます」


「面倒かけるなっていったのに……」


「す……すいません」


 まー、言ってもしょうがないか。


 遠巻きにこちらを見ている視線をいくつも感じる。それまで黙っていた受付さんも今になって目を剥いて僕を見ていた。

 とりあえず面倒な視線はすべて気にしないようにしてナナシノに言う。


「とりあえず宿を取れるだけのお金は手に入れてきたから今日は泊まろうか」


「あ……はい」


 どうせあがいても元の世界に戻る方法などわからないのだ。ゆっくり状況を確認しよう。



§ § §



 怖かった。

 強引なナンパのようなものを仕掛けてきた男たちが、ではない。いや、それも青葉にとっては今まで体験したことのない恐怖だったが、それ以上にそれに対して何ら興味を持たないブロガーという青年が恐ろしかった。


 七篠青葉は大切に育てられた。資産家の家に生まれ、小中高と同じランクの家柄の子息が通う学校にかよっていた。厳格な気質な両親は青葉を甘やかしたりはしなかったが、それでも容姿端麗、成績優秀の青葉の周りに自ずと集まってきたのは人当たりのいい人間が殆どだった。


 だから、この世界に来て初めて出会った同じ境遇の青年は今まで青葉が出会ったことのないタイプの人間だった。

 そこに情も品もデリカシーもなく、ただ自分のやりたい事をやる人間。


 青葉は人を見る目には自信がある。

 見たことのない世界に興奮する自分に向けられた視線には何の感情も篭っていなかった。まるで無機物でも見るような視線――それと比べれば劣情に近い感情を抱いて寄ってきた連中の方がまだマシだ、そんな風にすら思える。


 適当に入った宿の部屋はゲームの世界とはとても思えないくらいに現実世界の部屋に似ていた。


 青葉の見る限りこの世界と現実世界の差異は殆どない。日本語も通じるし、町並みにも違和感は覚えない。きっと細かく見れば色々異なるのだろうが、今のところは。

 ベッドにサイドテーブル。卓上のランプ。シャワーにトイレまで完備の部屋はホテルのようで、疲労した精神を少しだけ誤魔化してくれた。

 頭からお湯を浴びれば疲労まで溶けていくかのようだ。


 いつだって青葉の周りには友達や家族がいた。ここまで周りに誰も知っている人がいない状況というのは初めての経験だったが、まるで青葉を慰めるように近くにいる『眷属』のおかげで寂しくはない。


 アイリスの単騎兵。


 白い金属の鎧を纏った眷属は大きさこそ青葉の半分以下だったし甲で表情はわからなかったが、その挙動からこちらを慮っているのが分かった。

 例え異国の地でひとりぼっちでも、一人でも味方がいるというのが青葉にとってありがたかった。

 

 清潔なベッド――白いシーツの上に腰を下ろして、アイリスの単騎兵を撫でる。その小さな身体でこちらを守ろうとしてくれた、それに対する感謝を込めて。

 何も言わず、ただこくこくと頷くアイリスの単騎兵を眺め、青葉は残念そうにつぶやいた。


「アイちゃん、……早く話せるようにならないかなぁ」


 ブロガーは冷淡な人間だが、その一挙一動からは戸惑いというものが見られない。

 ゲームで得たというその知識は信じるに足る。育てれば会話できるようになるという話も恐らく本当なのだろう。

 いや、例え信憑性がなくても青葉はその情報を信じていただろう。数時間前に出会ったばかりのアイリスの単騎兵は孤独な世界でそれほどまでに心の支えになっていた。


 しばらく物憂げな瞳で自らの眷属を見下ろしていたが、青葉がぽつりと言った。


「……おやすみなさい」


 何もない。お金もなければ着替えもないし、夜中だったので食事も取っていない。

 空腹を我慢し、布団を抱きしめ枕に頭を埋める。文句を言う権利が無いことはわかっている。宿代だってブロガーがどこからともなく持ってきたもので、部屋だって分けてくれたのだから。


 だがしかし、祈る事くらいは許されるはずだ。


 目を覚ました時に――状況が少しでもよくなっていますように。



§



「ナナシノッ!! ナナシノ!?」



 そして、青葉はどんどんと扉を叩く音で目を覚ました。

 飛び起き、何が何だか思考が定まらない状態で卓上の時計を見る。短針が六の時を差していた。


 今まで聞いたことがない焦ったブロガーの声が薄い扉を通して伝わってくる。


「ふぁいッ!?」


 ただならぬ雰囲気に、眠気を振り払い急いで鍵を開けると、まるで飛び込むような姿勢でブロガーが入ってきた。

 昨日と同じ穏やかそうな容貌を焦りに歪め、鬼気迫る様子のその姿に初めて青葉は目の前の青年が同じ人間だという事を実感する。


 そして、ブロガーは青葉の肩を掴みがくがく揺さぶって叫んだ。




「ログインボーナスが来てないんだけど、ナナシノはきてるッ!?」


「え……??????」


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