第八話:主人公

 僕は背中に冷たい感触を感じながら大きく欠伸をした。


「眠いから明日ね。ノルマも寝た方がいいよ」


 食事は不要になっても睡眠欲と性欲が残っているのは何故なのだろうか。

 もしかしたらもう消えているのかもしれないが……眠いものは眠い。


 腕も動くし、暴れれば拘束は解けるだろう。叫べばサイレントも起きるはずだ。もう起きているのに寝たふりをしている可能性すらある。

 でも今は眠い。何よりもプレイヤーは死なないので緊張感もない。


「ふざけ、ないでッ! 死にたくないでしょ!?」


 寝返りを打とうとするが、ノルマが僕の身体を揺らし、ぎりぎりと締め付けてくる。


 声は必死だが、苦しくない。胸が小さいせいで感触がなくて悲しい。でも引っ付かれているだけで少し気持ちがいい。熱い吐息が濃霧の中響き渡っている。随分と余裕がないようだ。

 密着した濡れた肌から体温が伝わってくる。深緑の髪の束から水滴が落ちて鎖骨を滑り落ちる。僕はため息をついた。


「サービスかよ。色仕掛けなら徹底的にやれ、徹底的に。媚び方も知らないのか」


 ナナシノを見習え。


「は……? 動くなッ! 刺す! 本当に、刺す、わよッ!」


 刺すって。アビコルってそういうゲームじゃねーから。

 そもそもどうして今なのか。明日の朝ではダメなのか。本当に意味がわからない。


 なんか一人で盛り上がっているのにかまってあげないというのも可哀想なので仕方なく寝るのを諦める。


 もしかしたらノルマを倒さずにドロップを得たのでそのしわ寄せがここにきて現れたのかもしれない。

 仕方ない、面倒だがもう一度やり直すか……いや、でもなぁ。


 ノルマの手が僕のポケットを探り当て、ごそごそ無遠慮に漁る。


「ない……何も、ない! 何度探しても――見つからないの! どうして、ないの!?」


 強盗だと言うのに、今にも泣きそうな声だ。


 よく見てみるとその辺に、僕の背負袋に入っていた着替えやらの最低限の荷物が散乱していた。

 僕が寝ている間に漁ったのか。まったく、就寝中の警戒はサイレントに一任しているのだが……これはもう楽しんでいるで決定だな。これだから冥種は。


 首をあげ、ノルマに尋ねる。


「ノルマさぁ……君ここで竜玉を取り戻せたとして……どうやってフィールドを越えるつもりなのさ?」


「……ッ……」


 【ミストハイランド】の難易度は高くないが、マップ上の魔物に負けているようじゃとても越えられるとは思えない。

 もちろん、ノルマ一人だったとしても越えられる可能性はある。こいつは名有りのNPC、この世界では特別な存在だ。

 だが、本人の余裕のなさからしてノルマはそのことを知らない。


 論理的に考えて、今行動を起こすべきではない。


 ノルマが涙目で詰ってくる。


「お前だってッ! 道! 知らない!」


「それにそもそも、遺物のない君じゃ僕のサイレントには勝てないよ。見ただろ?」


「黙れッ! 召喚士コーラーッ! お前を……殺せば、眷属は……死ぬ」


 突きつけられた短剣がぐいと首元に寄せられる。

 指先が緊張で白んでいる。握られた短剣は少し動揺しただけでも僕に突き刺さってしまいそうだ。


 なるほど……だがそれは一番初めの問いの答えにはならないし、サイレントなら僕が死ぬ前にノルマを止められる。

 ノルマの取り得る最善の選択はサイレントの監視を潜り抜け、僕が起きる前に殺すことだった。でもそうすると竜玉は戻らない。殺し損だ。殺せたとしたら、の話だけど。


「大した金にもならない竜玉のためにこんなことするなんて、本当に君はろくでなしだ」


「ッ……お、お前に、何が、わかるッ!」


 呼吸が荒い。声も震えている。暖かいものを食べさせたとはいえノルマは万全ではない。

 そんな状態で歯向かってくるなんて……。


「やれやれ、貧乏人め。僕の優しさにつけこんで……でもなんだろう、凄くほっとするよ」


 NPCはこうでなくてはならない。ろくでなしはろくでなしで、善人は徹底的に善良で、それでいいのだ。

 むしろノルマに改心されてしまったらどうしていいのかわからない。


「…………え?」


 ノルマの腕がこわばり、呆気に取られたような声をあげる。

 それと同時に、ポケットに手をつっこみ、ノルマからドロップした竜玉を取り出した。そのまま手首のスナップを効かせて、地面に転がす。


 ノルマの目がそれを追う。拘束が緩む。が、もう遅い。竜玉は濃い霧の向こうに消えていった。


「……あ……」


 唇から漏れたのは強盗とは思えない、年相応の少女の声だった。

 首につきつけられていた短剣が下りている。身体に回された腕にも力が入っておらず拘束というよりは抱きしめられているかのようだ。


 だが、そのまま拘束を解くこともなく、呆然と硬直するノルマに尋ねる。


「ほら、竜玉はなくなったけど、どうするって?」


 竜玉は確かに希少品だがノルマの持っていた『空竜の小竜玉』のレア度は数ある竜玉の中では最低ランクである。竜神祭中は竜種の素材の買取額が三倍になるが、ヨアキムのドロップがある僕からすれば今更執着するような額ではない。


「ほら、ほら? ノルマが命を賭けて取り戻そうとした竜玉、なくなっちゃったけど、どうするって?」


「うわ……あるじ、すごくいじがわるいぞ……」


 やはり寝たふりしていたらしいサイレントがのっそり起き上がり言う。


「わたしの……竜、玉」


「追ったほうがいいんじゃない?」


 夜になり一層霧は濃くなっていた。既に竜玉は影も形も見えないが、野宿に選んだこの場所はそれほど急な斜面ではないので、運が良ければ見つかるだろう。

 肘でついて進言するが、ノルマは呆然と『わたしの‥…わたしの……』と、繰り返すのみで反応しない。


 余程ショックだったのか。竜玉を取り戻せたところで状況的にもう詰んでると思うのだが。


「いやぁ、覚悟を決めたのに残念だったねー。まーまた頑張って手に入れれば?」


 仕方ないので煽る方向にシフトする。言い切った瞬間、身体が軽く突き飛ばされた。


 ようやく我を取り戻したのか。

 竜玉を追うのかと思ったが、予想外なことにノルマは仰向けに倒れた僕の上に馬乗りになってきた。


 ノルマは泣いていた。下から見る大きな深緑の目からはポロポロ涙が溢れ、その唇が戦慄くように震えている。

 肩を押さえられ、短剣が首元に突きつけられるがその動きにも明らかに力がない。もしも僕がプレイヤーではなかったとしても殺せていたかどうか。


「あーあ。あるじ、ひごろのおこないがわるいからそうなるのだぞ。死んだほうがよのためひとのため……」


 サイレントが完全に物見遊山な口調で言う。


「おいおい、このくらいで泣くなよ。まるで僕が虐めてるみたいじゃないか」


 僕善人。死にかけていたノルマを魔物から守り食べ物を与え着るものを与え火を与えた。

 ノルマはろくでなしで、散々助けてあげたのに今の状況だ。どうして短剣を突きつけられた僕が平然としていて、ノルマが泣いているのか。


 僕の言葉を聞いているのかいないのか、息も絶え絶えにノルマが言う。今にも消えそうな声。


「ッ……お金……出し……て……」


「おい、聞いたかサイレント! こいつ本当にろくでなしだ。ご飯まで恵んであげた僕に今度は金を出せとか言ってる」


 そうそう。それでいいんだ。ろくでなしはそうでなくてはいけない。

 名有りNPCは善人と悪人に綺麗に別れる。グラフィックに気合の入った女キャラは大体善人だ。フィーは言わずもがなだが、エレナだって悪辣な眷属を使っているだけで根が悪人というわけではない。


 そして、プレイヤーは主人公であり、そういった善人に強い態度を取ることはできない。

 僕は自分がそこまで立派な人間ではないと知っているが、ゲームシステム的にプレイヤーは悪人ではないのだ。どこの世界に善人虐めて楽しむ主人公がいるというのか。


 だが、ノルマは生粋のろくでなしである。何をやっても心が痛まない。

 世界は霧で濡れ鬱屈していたが、僕は久々に晴れ晴れとした気分だった。嬉しくなってしまい、ポケットから一万ルフ札を取り出す。


 くしゃくしゃに握りしめると、ぐしゃぐしゃな表情で脅してくるノルマの貧相な胸元に押し付けて鼻で笑ってやった。


「ほら、とっても優しい僕が恵んでやるよ、ろくでなし。で、次は何が欲しいって?」


 ぷつんと糸が切れたかのように、ノルマの身体が崩れ落ちた。

 




§





「これからだったのに……」


「あれいじょうなにをするつもりだったのだ……あるじ」


 サイレントが引きつったような表情で言う。


 一夜が明け、霧も昨日と比べればだいぶマシになってきていた。マップが本当ならば今日中に【ミストハイランド】を抜けられるだろう。


 そりゃもちろん色々だ。アビコルは全年齢向けなので局部を出すのはNGだがそれ以外は割と寛容だ。

 局部を隠す靄はBD版では取れる。


「もう、いやぁッ……」


 目を覚ましてからずっと、ノルマは少し離れた場所で膝を抱えてすんすん鼻を啜っている。

 まだ何もやっていないのに倒れるなんて、予想以上に精神が薄弱だったようだ。完全に消化不良である。僕はモヤモヤを噛み殺し、膝の上に座ったフラーを撫でてやった。


「でも、絶対振りだと思うんだよね」


「……えええええ?」


「ノルマは絶対にこんなもんじゃない。『ろくでなし』なんだから、もっとろくでなしなはずだ」


 その程度の精神でろくでなしを名乗ろうだなんて笑えるぜ。声が聞こえたのか、ノルマがビクリと背中を震わせる。


「僕がノルマだったらフラーを人質に取ったね。弱い方から狙うのは当然だ」


「あるじ……」


「まー取られても見捨てるけどね」


「……」


 撫でられ喜んでいたフラーがきょとんとした目で僕を見上げた。

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