第九話:王都トニトルスと失敗

「でさ、主。これからどうするのだ?」


「? 何の話さ」


 出立の準備をしていると、サイレントがちらりとノルマの方を見て言う。明らかにノルマ本人に聞こえるような声だ。

 サイレントは僕の指示には従うが意地が悪い。


「いやぁ、あののるまは、強盗をはたらこうとしたわけだ。このままおいていくのもひとつの手だろ?」



 やれやれ、何を言っているんだか。


 ノルマはそれを聞いてもう膝を抱えたまま身じろぎ一つしない。起きているのは確かだが聞こえているのか聞こえていないのかすら定かではない。


 その後頭部を眺めながら、僕はただ肩を竦めて見せた。


 なんで僕がたかが襲撃を受けただけでノルマを見捨てるだろうか。その程度で見捨てるのならばそもそもグリーンウルフの群れからノルマを助けたりしない。


 いいんだ。クズでもろくでなしでもいいんだ。だってノルマはNPCなのだから。


 僕は笑顔で朝食のパンを取り出して、俯いたノルマの頭の上に置いた。



§ § §




 何がなんだかわからなかった。

 ノルマに理解できる唯一のことは、自分をすくった名も知らぬ男がとてつもない狂人であるというただ一点だけだ。


 絶体絶命の状態から目を覚ましたら服を剥がれていた。状況を把握する間もなく脅され、今のノルマにとって唯一の希望だった竜玉を奪われた。

 もちろん、殺されかけたところを助けられた。そのことはわかっている。意地は悪かったが飲み物も食べ物も持っていなかったノルマに食料を分けてくれた。


 だが、それでも礼を言う気にはなれなかった。

 ノルマの中にあったのは如何にこの男を出し抜くか、それだけだ。


 現金はもうない。王都を目指すのに使い尽くしてしまった。

 竜玉を売れば余裕ができるはずだった。竜玉を奪われてしまえば、王都に辿り着けたとしてもノルマに待っているのは破滅だけだ。王都に知り合いはなく、どこか適当な場所で働こうにもリヤン人は見た目から忌避される傾向がある。そもそも働くには真っ当な職を得るには市民権が必要だ。

 魔物を倒せる程の装備も持たないノルマにとって金を稼ぐ手段は少ない。


 だから、勝ち目の薄い勝負に出ざるを得なかった。


 大量の護衛をつけなければまず通る者などいないであろう【ミストハイランド】への進軍は無茶としか思えなかったが、名も知らぬ男は想像以上に強かった。いや、強いのは男ではなくそれに付随する『眷属』だったが、同じことだ。


 強力な眷属の召喚に成功した召喚士は並の剣士や魔導士など歯牙にもかけない強さを誇る。グリーンウルフの群れを相手に逃げることしかできなかったノルマでは到底かなわない強さだ。


 だが、召喚士には大きな弱点があった。


 召喚士の弱点は――本体だ。その眷属の強力さとは裏腹に、召喚士は魔導士の一種でありながらその魔力を召喚以外の要素に転用する術を持たない。故に、本体の強さは他職と比較して大きく劣る。

 異界から特殊な法則に従いこの世界に降り立った眷属はどれほど強力な力を持っていたとしても、召喚士なしでは身体を保てない。歴史上、名を残すような強力な召喚士の戦士はその誰もが本体を狙われ死んでいった。


 ノルマを助け嬲った男は華奢だった。戦士はおろか、魔導士と比べても遥かに脆弱で、その足運びからも戦士特有の凄みがない。もしも眷属がいなかったならばノルマでも勝てる相手。


 脅して、竜玉さえ戻ればそれでいい。見通しの取れない濃霧は逃げるのにうってつけだ。恵んでもらった食事によってノルマの体力も回復している。逃げるだけならばなんとかなるはずだ。


 だから寝ている最中に飛びかかった。計画失敗時は殺される覚悟で襲いかかったのだ。そして、試みは半ば成功した。


 だが、今となっては後悔しか残っていない。


 濃霧の中をもくもくと歩く。濡れた服が肌に張り付く感触が気持ち悪い。冷気と蓄積された疲労、魔物の生息域を歩くという精神的なストレスにより、身体が重かった。


 目の前を歩く男の動きにはまるで町中を歩いているかのような気軽さがあった。

 その後姿からは、寝ている最中に短剣を突きつけ脅しをかけたノルマに対する警戒は欠片も見当たらない。


 それが恐ろしい。聞こえないように身を震わせながら黙ってついていく。恐らく途中で力つき倒れ伏しても男が足を止めることはないだろう。


 その余裕は危機感の欠如によるものなのか、あるいはただの狂気によるものなのか。

 強盗はどこの都市でも重罪だ。それが仮にも助けた相手からとなれば、その怒りはどれほどのものか。

 

 だが、結果的にその男からは何も得られなかった。

 竜玉はおろか、焦りも怒りも絶望も、何もかもが得られなかった。演技ではない。演技でそのようなことができるものか。

 そのいずれかが得られたのならばノルマはもう少し平静でいられただろう。


 昨晩投げかけられたこちらの尊厳を踏みにじるような声は今もノルマの耳には張り付いていた。決して忘れることのないであろうおぞましい嘲笑。糾弾するでもなく、ただ事実だけを述べるかのような声。


 ふと男の足が止まる。その視線が足元に向かい、かがみ込み、何かをつまみ上げた。

 朦朧とした目でそれを見る。

 忘れもしない、全ての元凶。ノルマがこんな目にあうことになった全ての元凶とも言える竜玉だ。


 命を賭してでも取り戻したいと思ったそれが、どうしてだろうか。今のノルマには取るに足らないもののように思えた。


 可能ならば時間を戻したい。今更後悔するノルマに、男が振り返る。こちらに見せつけるように差し出してくる。


「おい、ノルマ。良かったね、見つかったみたいだよ」


「…………」


 もうやめて。叫びたかったが、声はでなかった。どのような返答が返ってくるのか、そして昨晩のように予想できない反応が返ってきたらどうすればいいのかわからなくて、ただ視線を背ける。


「いらないんだ。へー、じゃー僕がもらっておこっと」


「あるじはほんとうにななしぃがいないとだめだなぁ」


 その眷属が乾いた声をあげる。再び歩き始める男に、ノルマは一時も早くこの時間が終わることを願いながらついていった。



§ § §



 太陽が二度沈みまた上昇した頃、僕達は王都を視界に収めた。


 【王都トニトルス】は城塞都市である。灰色の高い壁に囲まれた町は遠くから展望するとその中心に存在する王城の尖端を垣間見ることができた。

 大きく開かれた門の周囲には安全な道を通ってきたらしい人々が集まっていた。恐らく竜神祭を目当てに各地から集まった商人や旅人だろう。

 それら大勢に習い、入都審査の列に並ぶ。


 僕のように単身(ノルマはいるが)の者は少なく、その多くは馬車持ちの者達だ。町の外だがここまで人数が集まれば魔物が近寄ってくることはない。

 周囲には規格化されたハーフプレートアーマ姿の兵士が魔物に対する警戒に努めていた。その右胸には竜を模した【オロ王国】の紋章が刻まれていた。


「おい、ノルマ。町についたよ。解散解散」


「……」


 すっかり大人しくなってしまったノルマの頬をつまみぐにゃぐにゃと揉みながら言う。ここ数日はちゃんとご飯を食べさせたせいかほっぺたにも肉がついてきていた。だがもう少し肉をつけたほうがいい。


 しばらくいじっていたが反応がなかった。ただの屍のようだ。


「あーあ、あるじがこころ、こわしたから」


「壊してない」


 ノルマがいたせいでカベオソリを使えなかった。もしもあれを使えたらもっと早くついただろう。

 後悔はしていないが、こっちは手間をかけているのだ。どうして僕が文句を言われなければいけないのか。


 ノルマは虚ろな目で僕を見上げている。竜神祭が楽しみなのか、晴れ晴れとした表情で並んでいる他の連中と比べるとその表情の酷さが目についた。


「壊したんじゃない。勝手に壊れたんだ」


「あるじは本当にろくでなしだなぁ」


 顔色はかなり血色がいい。僕が見つけた時のノルマは死にかけだったが、その時よりも余程マシだ。

 だが、こんな表情させていたら虐待したかのように思われてしまう。


 僕はあまり威圧しないように気を使って尋ねた。


「ノルマさぁ、君、どうしたいの?」


「……」


「黙っていられてもわからないよ。僕も一応、ここまで連れてきた以上、一種の責任があるわけだ。ちゃんと意志を言ってもらわないと」


「……」


「ん? お金が欲しいのか? このろくでなしめ。指一本触れさせずに金を集ろうなんてとんでもない奴だな。美人局か? このろくでなしめ」


「あるじあきるのはやすぎ……」


 ポケットから一万ルフ札を数枚取り出し、腕を伸ばしてノルマの肩を抱く。

 首元から手を入れ、その寂しい胸元に金をねじ込むように入れた。ノルマの体温は熱かった。薄い布地の先から鼓動が伝わってくる。

 ノルマが吐息を漏らし、ピクリと震える。が、初期ノルマが相手じゃ、やってる側はあまり楽しくない。


 恋人だとでも間違われたのか、こちらを見ていた商人NPCが頬を引きつらせてこちらを睨みつけている。

 残念ながら僕はNPCと恋人になるほど偏屈ではない。どうしてももらって欲しいというのならばもらってやってもよい。


 そうこうしている内に、僕達の入都審査の順番がやってくる。


 相対したのは目つきの鋭い男NPCだった。表に立っていた警備の兵とは異なり、各重要部位のみを守るよう軽量化された鎧姿である。もしかしたら揉め事を起こすものでもいるのか、その後ろには何人も似たような格好の男が詰めているのが見えた。暴力的とまではいかないが物々しい。


 問われるままに質問に答える。

 職。目的。犯罪歴の有無。滞在期間。求められるままに七芒星のペンダント――ギルド員の証を提示すると、つまらなさそうな表情で確認して返してきた。

 帝都に入った時の審査はカールに全てやってもらった。古都では特に審査はなかった。祭りのため警戒が強いのかあるいは王都特有のものなのか。


 続いてノルマが前に出たその時、入国審査官の目がきらりと光った。

 僕を相手にした時とは比べ物にならない嘲りの目。無遠慮にその髪と目をじろじろ確認して、恫喝するように聞いてくる。


「……お前、まさかリヤン人か?」


「……ええ」


 ノルマが覇気の欠片もない声で答える。僕相手には反応しなくなったのに、審査官相手だとするのか。それも随分面倒くさそうな様子だ。

 審査官はこれみよがしと舌打ちをした。


「……チッ。ボディチェックだ。リヤンの民は何をするかわからないからな」


「何も……持ってないわ」


「それを決めるのは……俺だ。手を頭の後ろに上げ、後ろを向け。おい、荷物を調べろ」


 審査官の仲間が、ノルマの大きくもない荷物を取り上げる。


 どうやらノルマは身元を保証する物を何も持っていないらしい。シナリオにはなかったが、どうやらノルマは哀れなキャラのようだ。

 まるで犯罪者のような扱いを受けるノルマを見て、僕はため息をついた。小さく手を上げる。


 どうでもいい。調べても調べなくてもそいつ犯罪者だから。


「ちょっといいかな」


「? どうしたッ! お前は終わりだ、先へ行け」


 いらいらしたような声。

 見捨てても構わないが、ここまで付き合ったのだ。中に入るまでは付き合ってやろう。

 僕は真面目な表情で尋ねた。


「シナリオスキップしていいかな。結局、いくら払えばいいの?」


「……おい。誰かこの男を牢にぶち込め」


 しまった。スキップしすぎたか……?

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