第八話:帝都フランマとやるべきこと

 飛行船がゆっくりと下降していく。急速に近づく見覚えのある町並みに、イグリートは深くため息をついた。


 赤レンガで組まれた町並みは空から見ただけで古都との違いがはっきり分かる。帝都全体を囲む巨大な壁に頑丈な門。町の中央に陣取る巨大な城はどちらかと言うと砦に近く質実剛健で、帝国そのものを象徴しているかのようだ。


 飛行船が剣士ギルド所持の発着所に向けて下降する。地上に待っていた剣士ギルドの構成員が大声を上げて誘導する。統一された赤を基調とした軽鎧、腰に下げた剣は帝都の剣士ギルド所属の者である証だ。


 無事飛行船が着陸し、タラップが下りる。


 地上でイグリートを待っていたのは、眉目秀麗な青年だった。

 黒の髪に涼やかな瞳。年齢はイグリートよりも十は下だが、金の装飾の入った赤鎧はその地位がイグリートよりも上である証である。腰に下げられた剣はロングソードと呼ばれる一般的な直剣で長さも大きさも大きな特徴はないが、その剣士の事を帝都で知らない者はいない。


 剣士ギルド帝国支部のギルドマスター。帝国最強の剣士の一人、『赤火』の名を持つ『ヨアキム・アンタレス』。

 周りに整列していた剣士達が下りてくるイグリートに頭を下げる。唯一、ヨアキムだけが親しげな足取りでイグリートに近づいてくる。


「取り戻したか、イグリート」


 挨拶もなく放たれた声は静かだったが、内心気が気ではないのだろう。そうでなければ剣王が直々に飛行船の発着所までやって来るわけがない。

 イグリートの部下が緊張した手つきで一振りの剣を運んでくる。うやうやしく掲げられるそれに、ヨアキムが初めて笑みを浮かべた。


「当然だ。次は警備を増やすんだな。野良犬なんざに盗まれるとは」


「取り戻せて良かったよ。まさか『赤風』を盗もうとする馬鹿がいるとは……前代未聞だ」


「盗もうとした? 盗まれた、だろ」


 イグリートの言葉に、赤風を受け取ったヨアキムが、刃渡りを確かめ、肩を竦めて見せる。だがその仕草とは裏腹に目つきは剣のように鋭い。

 ヨアキムが歩き始める。歩きながらイグリートに言う。


「警備は全員首にした。帝国で剣士ギルドの力が増大してしばらく経つ、メンバーのレベルが下がってるようだ。鍛え直す必要があるな。まぁひとまず、間に合って良かった。この時期に付け入る隙を与える訳にはいかないからな」


 赤風は剣士ギルドの象徴だ。それが奪われたと知られれば、ギルド全体の権威が落ちる。奪い返せたのならばまだいい。永遠に失われたとなれば、剣士ギルド帝都支部全体の責任問題である。首の一つや二つではすまないだろう。


 イグリートの表情を見て、ヨアキムが冗談めかして付け加えた。


「ただのちょっと魔法がかかった切れ味のいい剣なんだがなあ」

 

「象徴とは……そういうものだ」


 眉を顰め窘めるような口調で言うイグリート。後ろについた部下たちが頬を強張らせて会話を聞いている。それを知ってか知らずか、剣王の言葉は飄々としていた。


「まぁもちろんそれは理解しているが……ルーメンの騎士様は気にしすぎだ。武器ってのは強くてなんぼだろう」


「おい……」


「ああ、わかっている。もう言わないさ。剣士ギルド、僕達は皆味方同士だからな。騎士様も剣の腕は大したものだ。で、それで聞き忘れていたんだけど――」


 剣王が立ち止まる。ただの一言で空気が変化する。その得体のしれない圧迫感に、部下たちが青い顔をしている。

 イグリートを見上げるその目には殺意に限りなく近い何か――剣気とでも呼ばれるべきものが宿っていた。


「ちゃんと始末したんだろうな? 盗人共は」


「……間違いなく」


 今にも剣を抜き放ちそうなヨアキムに、イグリートが眉をしかめる。剣士ギルドの序列で重視されるのは剣の腕だ。自分よりも頭ひとつ分小さなこの男は間違いなく強者である。

 空気が緩む。剣気が霧散し、圧迫感から解放され、部下たちが息をほっと吐き出した。ヨアキムが薄く微笑みを浮かべる。


「ならいい。詳細な報告は別途上げろ。後はゆっくり休め。僕は歓迎の準備をしなくちゃならない」


「御意に」


 ヨアキムが消える。イグリートが部下達を見下ろし、命令する。

 大事は去ったが、後始末はせねばならない。


「念のために召喚士ギルドを見張れ。万が一、黒い影のような眷属かアルラウネを連れている者を見つけたら知らせろ。召喚士ギルドから問い合わせがきたら俺に通せ」


 狂犬め、本当に面倒な事を。

 崩れ落ちるギオルギの姿を思い出し、イグリートは強く唇を噛んだ。


 十中八九問題ないはずだが、万全は期さねばならない。もし万が一ブロガーが生存しそれが現れれば面倒な事になる。

 しっかり自分の手でトドメを刺さなかったことを今更後悔しながら、イグリートは頭の中で報告すべきことをまとめ始めた。




§



 【帝都フランマ】の入り口――両開きの巨大な門には大勢の馬車や徒歩の人々が並んでいた。


 まだ昼間にもかかわらず空は薄暗く、しとしとと雨が降っている。今は大した事がないがどんどん雨足は強くなっていくだろう。砂漠を越えてフィールドエフェクトの枷から解き放たれたフラーがぬかるみの中、座り込んで泥遊びをしている。


 あいにくの天気だったが、カール達キャラバンの面々の表情は晴れやかだった。確かに砂と乾きよりは湿気の方がマシだろう。


「ようやくたどり着いたか……長かったな。生きて越えられるとは」


 砂漠を越えるのは十数日、砂漠を抜けた後も帝都に辿り着くまで荒野を横断しなくてはならなかったのだ。襲撃を受け死にかけていた事を考えると感動もひとしおだろう。


 コートになっていたサイレントが不思議そうな声で言う。


「主、嬉しそうじゃないな?」


「雨って余り好きじゃないんだよね。部屋の中から見るのは好きなんだけど」


 ブーツは頑丈で防水だし、中に着ている黒のローブもある程度水は通さない。その上からサイレントを羽織っているので雨くらいで何か起こるわけでもないが、そんなのは関係ないのだ。おまけに今帝都は雨季、この天気がしばらく続くらしい。


 実際に見る帝都はグラフィックの通りだった。赤みがかった建材でできた門にどこまでも続く壁。

 門の前で入都審査を行っている騎士たちは統一された赤い鎧を装備している。【古都プロフォンデゥム】も巨大だったが、どこか雑多な印象を覚える古都と比べて帝都は統一されて見えた。多分文化の違いなのだろう。


 カールのキャラバンは常連らしく、審査は荷物と人を軽く検めるだけですぐに済んだ。

 商人に混じって町に入る。当然だが帝都の中も大雨だった。道は石畳なので泥濘んでいないだけマシだが、この様子じゃしばらく雨は止みそうもない。


 ターバンからフードに切り替えたカールが近寄ってくる。


「俺はこれから商人ギルドに行かにゃならん」


「ああ、ならここでお別れかな。助かったよ」


 もしも道を知っているカールに出会わなければ帝都に辿り着くまでもっと時間がかかっただろう。気がきいたストーリークエストである。

 カールが一瞬言葉につまる。その髭面ももう散々見飽きたものだ。別に嫌っているわけではないが、女商人とチェンジしたい。


「それは……こちらの台詞だ。ブロガーは命の恩人だ。本当に……助けられた」


 ああ、その通りである。僕は命の恩人だ。で、クエスト報酬は? 魔導石は?


 顔色一つ変えずに期待する僕に、カールは一度大きく頷くと、懐から一枚の名刺のようなものを取り出した。

 受け取ったそれを確認する。何の金属でできているのか、銀色のプレートで、表面に見たこともない文字が刻まれている。


 しげしげと観察する僕にカールが自分の胸を拳で軽く叩いた。


「何かあったら力になる。商人ギルドでこれを出せば俺にとりなしてくれるはずだ」


「……うーん」


 こんなアイテム見たことないが……紹介状のようなものだろうか。この世界のストーリークエストの報酬はしょぼいなあ。で、魔導石は?


 続いて、緑のフードを被った女魔導師が駆け寄ってくる。フラーの回復魔法で完全に調子を取り戻したようで、数日前までろくに動けないくらいぐったりしていたとは思えない。


 日に焼けた肌にすっと通った目鼻立ち。色の薄い金髪が額に張り付いている。

 マスクを外した顔は可も不可もなくと言ったところである、シャロよりも少しだけ下だろうか。

 さすがモブNPCである。不細工でもない辺りがとてもゲームっぽい。僕が即座に興味を失った女魔導師は僕の前で深々と頭を下げた。


「本当に、感謝を。貴方がいなければ私達は皆砂漠で死んでいた」


「気にしなくていいよ、魔導師さん。僕の指示通り前に出なかっただけ僕が今まで護衛してきた中ではかなりマシだ。むやみに魔法をぶっ放したりしなかったしね」


 治療し得ではなかったが治療し損でもなかった。サイレントが感心したように言う。


「主は本当にてのひらをくるくる返すなぁ」


 もはやサイレントの軽口にも慣れたのか、始めはぎょっとしていたカールも魔導師ももうこの程度で表情を変えることはない。魔導師は小さく頷き、懐から小さなコインを取り出す。くすんだ金色のコインだ。


「これは…‥私からお礼です。魔術的に価値がある」


「ありがとう、カベオも喜ぶと思う」


 コイン系は土属性のアイテムである。換金しても高いし、属性値のたまりも一般素材と比べて高い。ストーリークエストの報酬としてはしょぼいけど。

 僕の答えに、魔導師は眉を顰めた。覚束ない手つきでごそごそと腰につけていた袋をあさり、水色の小粒の石を取り出す。


「……後……これもお礼です。アクア・シード、きっと役に立つと思う」


「ありがとう、フラーが喜ぶと思う」


 どうやらフラーはきらきら光るものが好きらしい。足元からフラーがじっと見上げている。で、魔導石は?


 魔導師は唇を強く結ぶと、首から掛けていた銀の十字架のペンダントを外した。まとめられていた長い金髪が揺れる。


「……こ、これも、お礼です……銀は魔除けの金属。災厄から守ってくれるはずです」


「ありがとう、カベオとフラーが喜ぶと思う」


 フラーにはサイズが合わないのでカベオの餌の線が濃厚だろうか。まぁエレナの指輪とかブローチも全然合ってなかったけどな……で、魔導石は?


 もしやこれ、はずれクエかぁ? 護衛クエストで全員生きたまま送り届けたのにくれるのがこれだけかぁ?


 僕の無言の圧力に、魔導師が頬をぴくぴく引きつらせる。数秒沈黙していたが、魔導石を差し出す様子もなく掠れた声で言った。


「……わ、私の名前は――」


 どうやら報酬はこのあたりで打ち止めらしい。もしかしたら最初の襲撃の時に助けるのが遅かったのかもしれないな。死人は出ていたわけで……。


 僕は魔導師からカールの方に視線を戻した。報酬がもらえないのならばもう彼らに用はない。


「じゃあそろそろ行くよ。悪いけど急いでいるんでね」


「あ、ああ……気をつけろよ」


 スルーされた魔導師がショックを受けたような表情をしている。カールはそちらに視線を向けないようにして続ける。


「これから……どうするつもりだ?」


 ストーリークエストはまだ続いている。アビコルのクエストは王道が多いので、剣士ギルドに乗り込んでイグリートを弾劾するのが筋だろう。何戦か戦って全てうまいこと収まるはずだ。


 だが、と、まるで天が泣いているかのように降り注ぐ雨を見上げる。雨粒が顔に当たり、目に入り思わず閉じた。


 雨だ。雨は嫌いである。雨の日に必要もないのに外を出歩くなんて馬鹿のすることである。それに、ここしばらくずっと歩き通しで疲れた(半分以上ラクダだったけど)。

 少し引き篭って休憩するのもいいだろう、観光するのもいいかもしれない。どうせストーリークエストは僕が動かない限り進まないのだ。金はエレナのアクセサリーとか余剰の素材を売ればいい。ちょっといい感じの宿に泊まってちょっといい感じの食事を取らせてやろう。


 結論を出しなんと答えるか迷うが、冷静に考えると真面目に答える必要などない。ニヒルな笑みを浮かべ、格好をつけて答えておいた。


「やるべきことをするさ」


「……ああ。俺には何も出来ないが、武運を祈ってる」


 カールが眉根を寄せ、深々と頷いた。そんな大げさな。

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