第九話:ひとやすみ

「主さぁ、ギルドは行かなくていいのか?」


「雨がやんだら行くよ」


「んー……多分当分止まないと思うけどなぁ」


 サイレントが窓を叩く雨粒を見て肩を竦めてみせた。


 カールから聞いたおすすめの宿――【黄金の鶏亭】は古都で泊まっていた宿と比べて広々としており設備も充実していた。聞いた話では、召喚士向けと言うよりは裕福な商人が好んで利用するような宿らしい。


 恐らく長期滞在に使うような宿ではないのだろう、大きなベッドにテーブル、天井には小さめなシャンデリアが下がり、シャワーやトイレなどの設備も充実している。僕が古都にとっていた宿とは異なり料理するための設備などはないが、食堂がある他ルームサービスも充実しており望めば料理を運んできてくれる。おまけに大浴場タイプの温泉までついているらしい、至れり尽くせりである。引き篭もるにはお誂え向きだ。


 おまけに商人の紹介状があれば安くなるらしく、カールから貰ったカードを見せたらちょっとだけ割引してもらえた。そんなアイテム、ゲームではなかったはずだが、そもそも宿に泊まるなどという概念もなかったので考えるだけ無駄だろう。


 サイレントが雨をじっと眺めながら間延びした声で言う。 


「ななしぃとしゃろりん、どうしてるんだろうなぁ」


「まー元気にやってるでしょ」


「あるじはどらいだなぁ。思うところはないのか?」


「おいおい、僕はナナシノ達の保護者じゃないんだぜ」


 ちょっと予約しているだけである。確かに側においておけばいざという時に癒やしになったりするかもしれないが、それだけである。僕は拘束が大嫌いだし誰かを拘束するのも好きじゃない。

 どろどろした状態から水洗いしてピカピカになったフラーがベッドの上を跳ね回っている。サイレントも少しはフラーを見習うべきだな。


 サイレントがぴょんと跳ね、肘掛け椅子に座っていた僕の前に来る。まるで様子を窺うかのように目を大きくして聞いてきた。


「主さ……イグリートに恨みとかないのか?」


「え? 何で?」


「何でって……ほら、飛行船から落とされたわけだし……落とされたんじゃなくて自分から落ちたんだけど、命を狙われたのは確かだろ?」


 いちいち面倒なクエストを受ける度にイライラしていたらきりがない。そもそもNPCに何かされたからといってどうして恨みなど抱こうか。エレナと違ってリアルマネーを吸い込まれたわけではない。

 奴らはただのデータなのだ。争いは同じレベルの者同士でしか発生しない。しかもモブだぜ奴は、いくらなんでもそれに復讐とか不毛すぎる。


 僕は何も分かっていないデータなサイレントに慈愛の眼差しを向けた。


「サイレント……世の中ラブアンドピースだよ。復讐は何も産まない。ん? 僕が恨んでるように見えたか?」


「えええええ……だって、あいつのせいであるじは砂漠をさまようハメになったのだぞ?」


「もういい思い出だよ」


 だって今の僕は空調の効いた部屋でだらだらしている。望めば食事だって運んで貰えるのだ。これ以上望むものなんて魔導石くらいだ。


「ええええええ……あるじ、おおものだな」


「今更気づいたのか」


 もちろんクエストが進行してイグリートと戦う時が来たら容赦しない。恨みとか関係なく、そういうクエストだから容赦しない。相手が善人でも悪人でも理由があってもなくてもぶちのめす。ゲームなのだ、楽しくやろうじゃないか。

 だがその時が来るのはまだ先だろう。


 僕は立ち上がり、大きく背筋を伸ばした。


「さて、温泉でも入ってこようかな」


「おんせん!! 主、我もいくぞ!」


「駄目だ。さっき部屋取る時に聞いたんだけど、ここの温泉、動物禁止みたいだよ。ルールは守らないと」


「がーん。われは……どうぶつじゃないぞ……」


 似たようなものだろ。人じゃないし動物じゃないんだったら何だと言うのだ。

 打ちひしがれるサイレント。フラーが僕の方に腕を伸ばしてきたので、それを抱き上げる。サイレントが素っ頓狂な声を上げた。


「えぇ!? あるじ、フラーはつれてくのか!?」


「え? フラーは動物じゃなくて植物だし」


「がーん……それ、へりくつだぞ」


 そしてカベオは壁だ。


§


 温泉を楽しんだ後は食堂に入る。

 温泉も豪華だったが、食堂もまた今までの宿とは一線を画していた。客層がいいのか、ギルドの酒場や前の宿の酒場と違って騒いでいる酔っぱらいもいない。

 剣や杖を傍らに置いた連中もいるが、それは世界観的に仕方がないのだろう。


 食堂はビュッフェ形式で、それぞれのテーブルには山盛りの料理が盛られている。温泉で置いてけぼりにされて不貞腐れていたサイレントがそれを見て目を見開き明るい声をあげた。


「あるじ、あるじ、これなんでもたべていいのか?」


「動物連れてはいっても大丈夫だったかな……」


「!?」


「冗談だよ」


 何も書いてなかったから多分大丈夫だろう。


 ショックを受けたのか硬直するサイレントを無視し、何も取らずに卓につく。食堂は広かったが、皆団体様なのか、卓に一人ぼっちでついているのは僕だけだ。

 見たところ召喚士は僕だけのようだ。完全に場違いである。次からは食堂ではなく部屋にご飯を持ってきてもらうことにしよう。


 サイレントがうずうず今にも飛び出していきたそうにしている。


「サイレント、せめて形だけでも人になりなよ。注意を受けても面倒くさい」


「注意なんてどうでもいいくせに……」


 まだちっぽけな姿で料理を取りに行くよりマシだろう。


 ぶつくさ言いながらサイレントがどろりと溶け、ぐにょんと伸びた。うねうね気持ち悪い動きをすると、僕の命令どおりに人の形を取る。

 自慢げに腕を前で組んでみせるサイレントに、僕は目を丸くした。


「じゃじゃーん、ななしぃだぞ」


「……君、本当に器用だね」


 ナナシノアオバがそこにいた。サイレントの特性上、全身が完全に真っ黒だが、ナナシノの表面に黒のペンキを塗りたくれば今のサイレントのようになるだろう。

 目も肌も髪も服も真っ黒なので違和感甚だしい。が、じろじろ見ても色以外、本物との違いがわからない。あぁ、声もサイレントのもの、か。だがシルエットだけだったらなかなか気づかれないだろう。


 サイレントがサイレントの声で言う。


「あるじ〜? ななしぃにそっくりだからっていやらしいことしちゃだめだぞ?」


「よし、頭出せ」


 何故僕が自分の眷属にいやらしいことをしなくてはならないのか。


 差し出された頭に全力でゲンコツを落とす。サイレントが大げさにひっくり返る。

 振り下ろした拳を持ち上げ、手の平を開閉する。返ってきた感触は硬いものではなく、サイレントを踏んだ時と同じようなクッションのような感触だ。


「うぅ……なにするんだあるじ……いたいぞ」


 平然と嘘つくなよ。

 足を組み、じっと観察する。サイレントが立ち上がりその場でくるくる回ってみせた。


「しかし本当にそっくりだなぁ……」


「ななしぃのこーとになったときにこっそり型とったからな」


「色は変えられないのか?」


「そこまでいくとそれは『まねっこおばけ』の領域だぞ……我ができるのは形だけだ」


 真似っ子お化け……『一単語の系譜ザ・ワード』の『模倣コピー』か。

 サイレントと同じようにピーキーな性能を持っているユニットである。ゲームの時は大した力を持っていなかったが、現実ではなかなか使い勝手の良さそうな能力になりそうだ。


 僕はしばらくサイレントの事を見ていたが、いったんその事を頭の外に出して、目を細めて言った。


「……何のために取ったのか知らないけど、碌なことしないね」


「あるじに、にたのかもしれないな」


 サイレントの足をぐりぐり踏みつけながら考える。使い方次第では悪巧みに使えそうだぜ。真っ黒な肌だって色のついたローブを羽織ってうまいこと隠せばいい。もちろん、サイレントを使って悪事を企むつもりはないが……。


「ペンキとか塗れば色もなんとかならないかな」


「むりだぞ。スポンジみたいに吸収しちゃうし」


 即答である。まぁサイレントの事はサイレント自身が一番知っているだろう。

 僕は興味を失った。ゲームの仕様外だぜ。


「この謎生命体め。食べたいものでも取ってこい、フラーには水ね、もしあったら栄養剤も」


「はーい、たぶん栄養剤はないぞ。あるじは?」


「いらない――っと……」


 その時、僕は視界の端にこの場にはいるはずのない顔を見つけた。思わず瞬きしてそちらを凝視する。


 厳つい顔ぶれが集まった、五人程がついたテーブルだ。大柄な男が四人に女が一人。剣士なのだろう、その近くには剣が五本立てかけられている。

 四人はモブだが、僕が見ていたのは一人の名有りのNPCだ。ラフな格好であり、いつも着ているはずの白い鎧もマントも羽織っていないが、凝視すると名前が見えてくる。


 剣士ギルドで数少ない女ユニットにしてキャラ人気ランキングの常連。


『フィリー・ニウェス』


「おいおい、【聖都ルーメン】の白騎士が何で今こんなところにいるんだ?」


 【聖都ルーメン】は六つ目の大都市だ。【帝都フランマ】からは物理的な距離もかなり開いており、偶然通りかかるようなことはないだろう。

 ましてや、まだ僕は一度も聖都を訪れていないゲーム序盤である。こんなところにでてくるはずがない。


 眉を顰め首を傾げる僕の肩を、サイレントがぺちぺちと叩く。


「あるじ、どうかしたのか?」


「いや……やっぱり僕も一緒に取りに行くよ」


 もしや新しいストーリークエストだろうか。


 悩む僕の前で、無口系美少女剣士は無表情でアイスクリームを口に運んでいた。

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