第五話:ギルドと悪意のない嘘

「……あの、大丈夫、ですかね」


 おずおずと掛けられた部下、グレイ・アスマンの声に、イグリートはゆっくりと瞼を開いた

 飛行船は何事もなく予定の空路を進んでいた。熱砂と出現する魔物により踏破が難しいとされる砂漠も空を行くのならば大きな問題はない。

 剣士ギルド保有の飛行船は虎の子だ。大きさは大きくないが、設備は最新鋭のものが揃っている。本来そう簡単に出せるものではないが、選定剣『赤風』を奪われたという事態はそれを出すに足る異常事態だった。


 船長室の巨大な椅子に腰を下ろしていたイグリートがどこか不安げな表情で控える部下を見上げる。


「……何がだ?」


「いや、あの召喚士が――」


「その件については、片がついたはずだ」


 まるで恫喝するかのような低い声に、グレイがビクリと身体を震わせる。その様にイグリートは強く歯を噛み締めた。

 不気味な男だった。今まで見たどの召喚士よりも狂った男だった。剣士ギルドの至宝である赤風を掠め取ったギオルギ・アルガンも大概だったが、ブロガーを名乗ったその召喚士はそれに輪を掛けて異常だった。


 召喚士ギルドで対面した時に見せた啖呵も大したものだったが、飛空船での動きはまさしく狂人そのものだ。


 立ち上がり、窓から下を見る。空を飛ぶ小型の魔物とぶつからないため、飛空船が飛ぶ高さは三千メートル近い。眼下にあるのは靄とその向こうに薄っすらと見える果てのない広大な砂漠だけだ。魔物もかなりの数棲息しているはずだが、高度が高すぎて窓からは見えない。

 もしも飛び降りたとしたら、日々の訓練で鍛え上げられた屈強な肉体を持つイグリートとて死は免れないだろう。それが細身の軽く殴っただけで死んでしまいそうな召喚士だったとしたら、考えるまでもない。


「し、しかし……あの男は躊躇いなく……」


「もう考えるな。恐怖で狂っていたのだろう」


 生贄は必定だった。剣士ギルドにも面子がある、何某かの決着をつけねばまた新たにギオルギのような男が現れる可能性だってある。唯一イグリートの想定から外れていたのは、その男がイグリートの通告を聞く前に自ら飛び降りたという一点だけだ。

 その一点のせいで、数日経った今もイグリートの部下たちはざわついている。強大な魔物や人間を相手に剣一つで立ち向かう勇敢なる戦士達が恐れている。


 剣士ギルドは縦社会だ。本来ならば片腕とはいえ、部下であるグレイが今回の赤風奪還を直接命令されたイグリートに異を唱える事などありえない。だが、部下は引き下がらなかった。灰色の目が怯えながらもイグリートを見ている。


「そうは……見えなかった。そうだ、例えばやつが……そう、オアシスなどに着水したとしたら……」


「くどいぞ、グレイ。飛行船の運転はこちらが握っている、奴にコントロールする術はない。そもそも、偶然オアシスに落ちたとしてもこの高さならば間違いなく死ぬ」


 断言する。高度数千メートルから落ちれば水とて硬い地面とほとんど変わらない。

 風の魔法を使える魔導師ならばともかく、眷属召喚しか出来ない召喚士コーラーに飛び降りて生き延びる術など無い。


 そう、不死身でもない限りはな、と、イグリートは目を細めて唸った。


「たとえ奇跡が起き、運良く助かったとしても、水も食料もない状態では長くは生きられまい。人のいない広大な砂漠をあてもなく彷徨い死するのみよ。……間違いなく奴は死んだ。我らが考えるべきは赤風を無事に届ける事だけだ。わかったな?」


「は、はい」


 自信に満ちた言葉に、グレイは少しだけ安心したように表情を緩め、敬礼した。

 イグリートとてその召喚士に不安がないわけではない。だが、部下の目の前で動揺するわけにもいかない。小さく舌打ちし、鬼のような形相でイグリートが呟いた。


「砂漠に人はいない。抵抗すらせず自ら飛び降りるとは、一体どういうつもりだったんだ、あの男め」



§ § §




 ギルド長室の机で、エレナはヘタっていた。いつでも外に出れるように格好は整っているが、その目に光がない。


「うぅ……エレナも行けばよかったです」


「わがまま言わないでください。エレナ殿、ご自分の立場を理解してますか?」


 副ギルドマスターのロックが呆れたように自覚のないギルドマスターを窘めた。


 エレナ・アイオライトは最も有名な英雄の一人である。

 『召喚コール』や『移動』が制限されている人間はほとんどいない。

 国から課された特殊な制限は、既に語る者のいないエレナの眷属を世界が今だ現実的な脅威と見ているその証でもあった。もしも彼女が何の考えもなくブロガーに同行していれば、他のギルドや国が黙ってはいないだろう。


 威厳の欠片もないエレナに、ロックはため息をつく。


「確かにエレナ殿がいれば彼らも何も出来ないでしょうが……」


 暴剣とまで呼ばれるイグリートが至宝を召喚士に奪われてなお、召喚士コーラーギルドに対して暴力を振るわなかったのはエレナの影響が大きいとロックは睨んでいた。

 剣士は魔導師や召喚士と比べて人数が多いが、トップの強さは一番下だ。剣士ギルドの面々がエレナを恐れているのは公然の秘密だった。


 それを自覚しているかしていないのか、エレナがその美しいブルーの髪をがしがしと掻いて言う。


「ブロガーさんに何かあったらと思うと、エレナは責任を感じざるを得ません」


「それは、ブロガーが何かされたらと思うと、ですか? それともブロガーが奴らに何かしたらと思うと、ですかね?」


 ブロガーは傍若無人だ。既にその功績と性格は古都召喚士ギルド内で知れ渡っているが、剣士ギルドを前にしても伝説の召喚士を前にしても意にも介さない極めて強力な心臓を持っている。

 敵対する剣士ギルドに囲まれたとしても、とても大人しくしているとは思えない。


 エレナは小さく唸ると、涙目で自らの右手を開いた。いつもつけているのお気に入りの指輪を今日はつけていないことに気づき、ロックは眉を顰める。


「……どっちも、です」


 既に出来ることは全てやった。同行するのは無理だが、召喚士ギルド間で通信網は出来上がっている。ブロガーが帝都の召喚士ギルドを訪れたらすぐさま連絡が来るだろう。

 青葉やシャロリアの前では平静な態度を取っていたが、一番不安に思っているのは成り行きを詳細に知っているエレナだった。


 ロックがお茶をいれ、エレナの側に置く。気を落ち着ける作用のあるハーブティーだ。


「あまり根を詰められませんよう、エレナ殿。順調にいったとしても、ブロガーはまだ空の上でしょう。きっと空の旅を楽しんでいますよ」


 エレナはすみれ色のハーブティをじっと見つめると、まるで祈るかのように手を握りしめた。


「……で、ですよね……ああ、どうか無事で居て下さい、ブロガーさん……も、できれば剣士ギルドも」



§ § §



 僕が我に返ったのは一大スペクタクルを一通り語った後だった。


 キャンプは静寂に包まれていた。息を呑んで僕の話を聞くキャラバンの面々と、ぱちぱちという薪の燃える音だけが響いている。満点の星空と七つの月が僕達を見守っている。


 僕は誰にも気づかれないくらいに小さな声で呟いた。


「しまったな……」


 必要ないところでサイレントになっていたサイレントが僕の肩を登り、耳元で囁く。


「主、気づくの遅いぞ」


 イグリートがエレナにメロメロになって無理やり襲おうとしたロリコンの変態で人殺しになってしまった。

 今更冷静になって自分の話したことを思い起こす。

 説得力のある嘘をつくコツは真実を混ぜることだ。そのルールに則って僕も嘘と真実を七・三でカクテルするつもりだったのだがあまりに熱が入りすぎて忘れていた。僕が混ぜた唯一の真実は飛空船から突き落とされたことくらいだ。


「楽しそうにしていたから何話すかと思えば嘘ばっかりじゃないか」


 嘘じゃない、フィクションだ。……嘘か。


「赤風すら出さなかったのはまずかったかなぁ。一応キーアイテムだし」


 ギオルギが出なかったのはこの際どうでもいいが、赤風抜きだと後で剣士ギルド側にこの話が漏れた時に僕の話に信憑性がなくなる。

 皆が僕の話の続きを待っている。強張った表情、中には怒りのせいか、血が出る程に拳を握りしめている者もいる。


 僕は悲しみを堪えるかのようにうつむいて表情を隠した。自分の話を思い出すと嘘八百で笑ってしまいそうだ。

 今、サイレントだけが心の支えだった。


「イグリートに前菜代わりに犯されてボロ雑巾のように捨てられたしゃろりんが泣くぞ」


「僕でも泣くなそれは」


「主に全てを託して死んじゃうし。我も、ちょっとかわいそうでないちゃいそうだった……」


 ひどい扱いだぜ、仮にも弟子なのに。でもエロとグロはちゃんといれておかないとオーディエンスの興味が引けない。


 さて……ここからの軌道修正は無理だ。集中すると周りが見えなくなるのは僕の悪い癖である。


 僕はちょっとだけ考え、全てを投げ捨てることにした。僕を殺そうとしたのである、この際どんな扱いでも構うまい。殺人鬼が変態殺人鬼になるだけだ。


 カールが青ざめた表情で呻く。無意識の内かその手が地面に置かれた剣を握っている。イグリートが目の前にいたら切りかかっているかもしれない。


「なんて……ことだ。帝都の剣士ギルドが、まさかそんな血も涙もない冷酷無比な男を飼っているとは……」


 しかも奴らは手慣れている。今回が初めての犯罪ではないのだ。今まで何人の善良な一般市民がその毒牙にかかったか。僕はなんとしてでも無念の内に殺されたシャロのかたきを討ってその蛮行を止めねばならない。

 僕は小さく咳払いしてカールを制止した。


「あ、ちょっと待って。今黒幕を考えるから」


「え……?」


「思い出すと腸が煮えくり返りそうだ。悪いけど冷静になるのに少しだけ時間が欲しい」


 僕は目元を押さえ、帝都の剣士ギルドで唯一覚えている名有りのNPC、『ヨアキム・アンタレス』にどんな酷い立ち位置を振ってやろうか真剣に考えることにした。

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