第一話:意志と覚悟

 アビス・コーリング。スマフォ向けソーシャルゲーム。通称、アビコル。

 ジャンルは多分RPG。眷属を召喚し、それを育成して様々なクエストをクリアしていく、オーソドックスなゲームだ。


 無駄に多彩なクエストと奥が深すぎて運営ですら把握しきれていなかった育成システム。

 得た利益の殆どをつっこんで運営されていると噂されたそのゲームはグラフィック、ゲームシステム、ストーリー共に他のゲームの追随を許さず、そして何より、魔導石を湯水の如く使う事で知られた――究極の課金ゲーだった。


「課金……ゲー?」


 ナナシノが愕然としたようにその言葉を呟く。もしかしたら聞き慣れない言葉だったのかもしれない。


 僕はさっさと石を掲げ、満点の星空を見た。


 始まりの遺跡の7つの柱と天に浮かぶ七色の月は呼び出せる眷属――七種の種族を意味する。始まりの遺跡と言うのはその名の通り、ゲームのスタート地点であり、チュートリアル終了後にプレイヤーはこの場所で初めての眷属を呼び出すのだ。


 石を天に掲げれば、自然と呼び出し方が理解できた。その脳を揺らす不思議な感覚に何故か眼から涙がこぼれ落ちる。

 ナナシノが僕の表情を見てぎょっとする。


「!? あ、あの、どうしたんですか!?」


 郷愁。

 僕の中にあったのは郷愁だった。

 アビス・コーリングはすでにサービス停止したゲームだ。常識的に考えるとひどいゲームだった。法整備でサービス終了するゲームとか他に何があるだろうか。

 それでもそのゲームは確かに僕の生きがいだった。当時僕は大学生だったが、寝る時間と食事の時間以外の全ての時間をゲームに費やしたのだ。


 楽しかった思い出があった。苦しかった思い出があった。殺意が沸いた思い出や虚脱感があった。そして――やり残した事もあった。

 ゲームそのものがプレイできるようになったわけではないとはいえ、それに似た世界にいつの間にかいるだなんて、僕が感極まるのも仕方がないだろう。


「ど、どこか怪我でもしたんですか?」


「うっせー、死ね」


「!?」


「ごめん、感動に水を差されたせいで本音が出ちゃったよ」


 僕はどうでもいいことに対しては歯に衣着せぬタイプだ。


 いきなりの暴言にナナシノがあたふたしている。今の現状を飲み込めてないのだろう。


 僕はそこで考えた。ナナシノは完全な足手まといである。ゲーム知識のない人間にアビス・コーリングは満足にプレイできない。多分、攻略サイトも見れないし、概ね詰んでる。

 だが、同時にこの世界がアビス・コーリングと同じシステムになっているのならば、他のプレイヤーがいたほうがいい事も確かだ。アビス・コーリングというゲームには膨大なコンテンツがあり、その中には他プレイヤーと協力しなければ挑むことすらできない物も存在する。いくら僕がアビコルに慣れてても一人だとできることが制限されてしまう。


 となると、足手まといでもいないよりはマシだ。


 ナナシノを見つめると、頭の上に情報が浮かんできた。

 名前、ナナシノアオバ。プレイヤーレベル1。そしてその下に緑のバーが見える。HPバーではない、スタミナバーだ。普通のRPGとは異なり、アビコルでプレイヤーは死なない。


 NPCだったらスタミナバーとか出ないはずだし、そもそもアビコルで日本語の名前を持ったNPCは少ないので十中八九プレイヤーだろう。


 一瞬でそこまで考えると、僕はナナシノに迎合することにした。どうせ大した負担があるわけでもあるまい。


 もしかしたらナナシノ以外にも同じ境遇の人間がいるのかもしれないが、もっとマシなプレイヤーがいたその時はさっさと切り捨てよう。


「まーわからない事があるかもしれないけど、二人で協力して乗り越えよう」


 笑みを浮かべ、握手でもするように手を差し出すと、ナナシノの表情が一転、胡散臭いものでも見るようなものになる。

 僕の顔をじろじろと不躾に観察し、


「……手の平返しひどくないですか?」


「なんかもう面倒だから一人で頑張ろうかな」


「あああああああああ。嘘ッ、嘘ですッ! ごめんなさい、全然何がなんだかわからなくて……」


 自覚があるのかないのか、媚びたような笑みを浮かべるナナシノ。

 そう言われてみれば、まだ何一つ説明してなかった気がする。


 僕は召喚用の魔導石を見て、ナナシノの顔を見た。続いて魔導石が握られているナナシノの手を見る。見られている事に気づいたナナシノが慌てたようにその手を身体に後ろに隠した。


 余りにも大仰なその仕草に呆れてしまう。


「盗らないよ」


「……」


「というか、盗れないってのが本当の所かな。少なくとも、アビコルにそんな機能はなかった」


 アビコルはあくまで全年齢向けの『健全』なゲームである。

 ちょっとばかりクレカが限度額までいって使えなくなったりするが、他人の魔導石を一方的に奪ったりできるシステムは存在しないし、ましてや一番初めに与えられる魔導石を奪えるようなゲームなどそもそも存在しないだろう。


 ナナシノが戸惑ったように数度瞬きして、僕を見上げた。


「あの……さっきから言っている内容が……ちょっとわからないんですが」


 これはだめだ……完全に一から説明する必要があるな。めんどくさい。

 まぁ重要な事だけ教えとくか……。


 僕は深いため息をつき、僕達が置かれた状況を推測を交えて説明した。



§



 呆然としたようにナナシノが呟く。


「ゲームの世界……信じられません」


「僕だって信じられないよ。夢かもね」


 だが、リアリティがありすぎる。

 夜空に浮かぶ月の輝き。嗅覚を刺激する夜の臭いに、肌を撫でる風の感触。そのどれもがこれが現実世界だと訴えている。が、そもそも――


「僕はその真偽について語り合うつもりはないよ」


「……え……」


 ただ、僕はこれがゲームの世界だと考えて動く。それだけの事だ。

 考えても仕方のない事は今考えない。もしもこれが夢でないのならば、情報を収集する機会もあるだろう。


 最後に大事な言葉を付け足す。


「ナナシノがどうするのかは任せるけどね」


 足手まといにも程度がある。情報を持っていないのは仕方ないとしても、現実逃避するような人間が役に立つとは思えない。


 僕の言葉を、ナナシノは目を閉じて咀嚼した。

 数秒間待つ。再び目を開いた時にはその眼に光が灯っていた。まだ戸惑いは残っているが、どうやら決めたようだ。


 かすれた声でその意志を言う。


「わかり……ました。私も、その前提で動きます」


「物分りいいね」


 僕の言葉に、ナナシノが疲れたような笑みを浮かべた。


「物分りの良さだけには……自信があるんです」


 そんな事に自信を持たれても困るぜ。


 ナナシノがそっと手を差し出してくる。改めて協力関係を結ぶことに決めた証か。


「あの……私、何も知らなくて……よろしくお願いします。えっと……」


「ブロガー」


 その手を取ってしっかり握手を交わす。それほど意味のない儀式だ。何かあったら僕はすぐさまナナシノを見捨てる気でいるのだから。

 ナナシノは目を白黒させながら、握手に応えた。


「ブロガー……さん。……本名ですか?」


「んなわけないでしょ。僕は純日本人だよ。ブロガーはゲームプレイ時に使っていたハンドルネーム」


 黒髪に黒目。身長は平均である170、体重は平均より少し軽めだが、どこからどう見ても日本人以外には見えなかろう。

 僕の言葉に、ナナシノが恐る恐る聞いてくる。


「……えっと……本名は?」


「知らない相手に本名なんて言うわけないだろ。マナー考えなよ」


「……私は、本名なんですが……」


「……そんなの知らないよ。そっちが勝手に言ったんだから」


 本名だったのか……まぁどうでもいいけど。

 ナナシノは一瞬傷ついたような表情をしたが、すぐに諦めたように遺跡に視線を向けた。


 【始まりの遺跡】は遺跡とは言うものの、荒れた様子はない。


 遺跡には七本の柱の他には何もなく周囲にはどこまでも広い草原が広がっているが、幅の広い道がちゃんとあるのでそこを通れば街まで行けるはずだ。


 しばらく周囲の光景を呆けたように見ていたが、やがて気を取り直したように僕を見上げて聞いた。


「えっと……初めはどうするんでしたっけ?」


 本来のアビコルならばプレイヤーがまず行うのはチュートリアルだ。与えられたチュートリアル用の眷属を使ってダンジョンを攻略し、その後にその報酬として最初の魔導石が手に入る。

 だが、すでに魔導石は手元にあるので、今はチュートリアル完了後なのだろう。


 僕はもう一度七つの月を見上げて、祈るような気持ちで声を出した。



「『眷属召喚アビス・コール』かな」



§




 アビス・コーリングでプレイヤーは例外なく召喚士コーラーと呼ばれる特殊な職についている。

 コーラーとは簡単に言うと、召喚魔導師だ。サモナーでないのはきっと運営が変なオリジナリティを出したかったからなのだろう。


 魔導石を使用して眷属を呼び出し、それを育成・使役する特殊な魔導師。当然だが眷属なしでは何もできない。


 そして、【始まりの遺跡】とはプレイヤーが一番初め、チュートリアル終了後に眷属召喚を試みる場所でもあった。いつの間にかこの場所にいたのも偶然ではないだろう。


 ナナシノがじっと自分の手の中の魔導石を見ている。

 本来の魔導石は虹色をしているが、一番初めに配られる五個の金色の魔導石は特殊な魔導石だ。そして、その五個の魔導石が召喚士としての運命を左右すると言っても過言ではない。


 五個の金色の魔導石。それの正式名称を『レア度7以上眷属確定魔導石』という。

 一般のソーシャルゲームで言う、SR確定ガチャチケットのようなものだ。


 眷属はそれぞれレア度という項目名でランク付けがなされている。

 本来の魔導石はレア度が3以上の眷属の中からランダムで召喚されるが、一番初めの召喚だけはレア度7以上の眷属が保証されるのだ。

 レア度が上であればあるほど強力で召喚確率が下がるので、これは最初にして最後の大チャンスなのである。








 ……ちなみにレア度は21まである。




「召喚……ですか……」



 僕は、遺跡の中央に立った瞬間頭の中にすべき事が浮かんできた。多分ナナシノも同じなのだろう。

 不思議そうな表情で、しかし躊躇いなくその石を天に掲げる。


 一歩後ろに下がり、その様子を見守る。初めはさっさと召喚するつもりだったが、ナナシノの方を見てからでも遅くはない。そして、ナナシノアオバは一度深呼吸をすると、その言葉を唱えた。


眷属召喚アビス・コールッ!!!」


 天を仰ぎ、七色の月を目を皿のようにして見る。

 その内の一つがきらりと輝く。白色の月――白月が輝いたのは召喚された眷属が天種に区分される証だ。

 俗に天使種とも呼ばれる存在である。光の属性を持つ個体ユニットが多い種族だ。


 そして、ナナシノが浮足だったような声を上げた。


「わ……なにこれ。かわいー!」


 視線を落とす。ナナシノの足元に小さな人型が現れていた。


 本当に召喚できるのか。驚きを味わうよりもまず先にその見た目を観察してしまう。


 体長はおよそ五十センチだろうか。頭を守る白いフルフェイスの甲、よく磨かれた白いハーフプレートアーマを着た、形だけ見れば小さな騎士だ。その背には包丁と同じくらいの大きさの剣が背負われている。


 ナナシノの声に、その人型は大きく天を仰ぎナナシノを確認すると、優雅な動作で剣を抜き、それを横にして剣を捧げるような仕草をした。

 その仕草に、ナナシノが黄色い悲鳴を上げて身体をくねらせた。先程まで浮かべていた表情とは正反対である。


「な、なんですか、これ! かわいい! ねぇねぇ、ブロガーさん。なんですか、これ! これが、眷属?」


 僕は興奮冷めやらぬナナシノにそれの名前を教えてあげた。僕はそこそこやりこんだプレイヤーだったので大体の眷属の名前は知っている。


「アイリスの単騎兵だね」


「あいりすの? たんきへい? 名前じゃないみたいです」


 まぁ、固有名詞ではない。


 僕はため息をついて忠告してあげた。


「ナナシノ、リセマラした方がいいよ、そいつレア度低いし」



§



 アビス・コーリングは眷属の種類がやたらと豊富だ。おまけにアップデートのたびに大量に追加されていたので、ほとんどの眷属は雑魚であった。

 アビコルが前代未聞の課金ゲーとして名をはせた理由の一つである。


「リセ……マラ?」


「いやだって、そいつレア度7だし」


「レア……度?」


 愕然とした表情でナナシノが呟く。どうやらナナシノはこの手のゲームにとても疎いようだ。

 ソーシャルゲームにおいてレア度というのは非常に大切なのである。


 アイリスの単騎兵。レア度7の天種。攻撃、防御、敏捷、全てのパラメーターが平均的に伸びる物理攻撃型の眷属。


 まぁ、膨大に存在する眷属達の中ではそう悪い方ではない。僕が名前を覚えている程度には有名で、レア度7としては破格の潜在能力を持つユニットだ。

 だが、同時にそれは断じて初心者向けの眷属ではない。


 僕がナナシノだったら間違いなくリセマラを決行する案件である。


 だって、レア度ってのは21まであるのだ。アビコルでは眷属の種類が膨大で、同時に上と下の能力差がとてつもなく大きい。レア度7以上眷属確定魔導石ならば最低でもレア度15以上の眷属が欲しい。


 ナナシノはなぜだか足元でかしこまる『アイリスの単騎兵』に泣きそうな表情を向けると、顔をあげて恐る恐る尋ねてくる。


「えっと……その……外れ?」


「いや、そこそこの当たりだね」


「え……っと……弱いんですか?」


「いや、めっちゃ強いよ。そういう意味だと同じレア度7でもそれを引いたナナシノはラッキーかな」


 大体のレア度7ユニットというのは使い物にならない。序盤は戦えるが中盤以降は力不足が目立つ。アイリスの単騎兵はレア度7ユニットの中では数少ない終盤まで戦える可能性を持つ眷属だ。


 ナナシノの表情が困惑に変わる。身じろぎ一つしない自らの眷属に視線を向ける。


「じゃあ……なんで」


 すがるような目つきのナナシノ。


 大抵の初心者ユーザは何の眷属が強いのかわからないからリセマラせずにそのままゲームを続けるが、今ここで僕のアドバイスを受けることができるナナシノはきっと幸運だろう。


 僕は少しだけ考え、理由を教えてあげた。


「いや……そいつ、育てるとかなり強いんだけど、育てるのがめちゃくちゃ大変なんだよね」


 眷属はレア度以外にも様々な要素で区分されるのだが、その一つに育成タイプというものが存在する。簡単に言うと、育てやすさの指標だ。

 そして、アイリスの単騎兵は代表的な『大器晩成型』のユニットだった。


 眷属は特定条件を満たす事で進化ステージアップして新たな姿と能力を手に入れるのだが、その条件がアイリスの単騎兵の場合――他のレア度7の眷属とは比べ物にならないくらい難しい。

 中堅プレイヤーくらいじゃ手が出ないくらいに難易度が高いので、そのめちゃくちゃ強力なアイリスの単騎兵の最終進化系は滅多に見ることのないレアなキャラであった。


 序盤じゃどうあがいても作れないので、それを気長に育てるくらいならリセマラしてもっと強い眷属が出るまで粘った方がマシだ。


『アイリスの単騎兵』じゃなくて、それが守ると言う『アイリス』の方が出てたら最高だったのに。


 初めて得た眷属のためか、ナナシノが未練がましい声をだす。


「で、でも、時間をかければ……強くなるんです、よね?」


「ならないよ」


「……」


 黙り込んでしまったナナシノ。暗い表情のナナシノをまるで僕から守るかのように単騎兵が立ちはだかる。もっとも、足を上げれば跨げてしまうので壁になっていないが……。


 どうやら眷属は忠実らしい。初めて動く眷属に僕は強い興味と憧憬を覚えたが、それを抑えて続けた。


「かけなきゃいけないのは時間じゃなくて――手間だ。時間かければ強くなるだろうなんて意識でいてもそれは進化させられない」


 別に僕はナナシノをいじめたいわけじゃない。というか、そこまで興味を持っていない。


 眷属の進化には条件がある。レベルか、素材か、はたまた別の変わった条件か、アイリスの単騎兵の進化条件はレア度が最上位のユニットの持つ進化条件と同じくらいに困難だ。中堅プレイヤーが挑むには難しすぎる、そして最上位プレイヤーはもっと強いユニットを持っているのであえて進化させたりしない。


 が、リセマラをするかどうか決めるのは僕ではない。価値観は様々だ、もっと弱いユニットを可愛いという理由で使う者だっている。一番初めの召喚は最大のチャンスだが、別に召喚できる機会はこれだけではないのだ。

 必要なのはそれが修羅道だと知って前に進むための覚悟である。


 情報は与えた、途中でくじけても僕は知らない。


 驚いたようにナナシノが目を丸くする。僕のものよりも濃い黒の眼が僕の仏頂面を映している。


「えっと……それは、頑張れば、強くできるって事、ですか?」


「リセマラするかそいつをそのまま使うのか決めるのはナナシノの自由ってことだよ」


 リセマラを強要する程僕はナナシノに価値を見出していないという事でもある。彼女が妹だったりしたら兄としてリセマラすることを強くおすすめしていただろう。だが、彼女は赤の他人だった。

 ナナシノは僅かの間も空けずに即座に応えた。


「このままこの子を使います!」


「へー、それは良かったね。頑張りなよ」


「ありがとうございます!」


 おざなりな対応に、ナナシノは花開くような笑みで言った。


 別に礼を言われるような事はしていない。決めたのはナナシノで、きっと彼女はその必要な努力の量を履き違えている。そしてその事に気づいた時は既に、アイリスの単騎兵に強い愛着を抱いてしまっているのだ。そうやってリセマラの選択を取れない人は多い。


 ともかく、ゲーム通りに眷属が召喚できることはわかった。次は僕の番だ。


 ナナシノが後ろに下がり、僕が代わりに遺跡の中央に立つ。そして、僕は何の覚悟も決意もなく、ゲームの時は数え切れないくらい実施した眷属召喚を実行した。



眷属召喚アビス・コール



§



 視線を天に彷徨わせる。だが、そんな事をしなくても目に入ってきた。

 月の一つが輝く。闇の中、より深く輝く黒色の月だ。


 そして、手に握った『レア度7以上の眷属召喚確定魔導石』が五個すべて消失し、気配が生じた。


「なななな……」


 ナナシノが口をパクパクさせて奇妙な声を上げる。

 そして僕は顔を下ろし、それに視線を向けた。


 そこにあったのは影だった。のっぺりとした人型の影だ。本来の影と異なるのは、それが二本の足で立っている事。

 目も鼻もない容貌。その表情に口が生じる。三日月型をした裂けた口がノイズ混じりの声で僕に言う。


『くっくっく――貴様が我の新たなる主か……』


「しゃ、喋った……?」


 ナナシノが呆然と呟く。


 他の月の光の中くっきり浮かぶ闇色の月――黒月が輝いたのは冥種の眷属が召喚される予兆である。悪魔種とも呼称される、ナナシノの正反対に位置する種族だ。


 そして、僕はその姿形に見覚えがあった


 個体名、『サイレント』。

 レア度17。悪魔族。高い攻撃力とHP。回避率に加え、なかなか替えの効かない固有能力スキルを持つ、ゲームの中でもまあまあ評価のよかった眷属の一体。


 それが実体を持って僕に語りかけてきていた。


『我が名は『静寂サイレント』。この世に真の静寂をもたらす者――』


 なんか偉そうに色々と言っているが、僕は一端それを聞き流し、冷静に考えた。





 サイレント。サイレント、かぁ。


 悪くはない。確かに悪くないよ? 最初の眷属としてはかなりの幸運だし、もしも普通の眷属召喚アビス・コールで召喚できたのならばちょっと嬉しい、そんな眷属だ。何回召喚してもサイレントが引けなくて困っているサイレント難民なんて言葉があるくらいにはいい眷属だ。

 だが、僕が使ったのは『レア度7以上眷属確定魔導石』。たった一回しか使えない特別だ。もうちょっと良いキャラを狙える気がしないでもない。


 大体、アビコルにはもっと魅力的なキャラが沢山いる。どうせ最初の眷属にするならば可愛い女の子がいいし、僕にはゲーム時代にやり残した事――是非とも召喚したかったキャラがいるのだ。


 大体、僕、サイレントのグラフィック、好きじゃないんだよね。性能良かったら別にそれでもいいんだけど、ベターではあってもベストではないし。


「ゆめゆめ忘れるな。我を失望させる事なかれ。その時貴様の――」


 そこまで一秒で考え、僕は大きく頷いた。まだ何事か語り続けているサイレントを無視し、ナナシノの方に向き治る。

 戸惑ったようにサイレントが唸る。


「む?」






「ごめん、ちょっと軽くリセマラするわ」


「……え?」


 ナナシノが呆けたような表情をする。僕はナナシノと違って理想がかなり高いのだ。ゲーマーは妥協したりしない。

 

 戸惑ったように沈黙するサイレント。不思議そうな表情のナナシノを置いて、地面に落ちている尖った石を拾う。


 全く。初回でサイレントとかラッキーなのかラッキーじゃないのか。どうせ同じレア度17の眷属だったら可愛い女の子の形してる『ブライト』とかその辺りが出てくれればよかったのに。

 ぐちぐち文句を言いつつも、すでに引いてしまったものは仕方ない。


「おい……主? 貴様、何をするつもりだ?」


「リセマラだって」


「????? リセマラ? ってどうやってやるんですか?」


 ナナシノの質問。

 アビス・コーリングのリセマラはアカウントを削除して再登録である。

 ゲームならその後にチュートリアルをやり直さねばならないのでかなり面倒なのだが、どうやらチュートリアルはスキップされるようなので今回はそんなにかからないだろう。


 鋭利な石の先を見つめる。もしも突き刺さったらすごい痛いだろう。だが、背に腹は代えられない。


 僕はその石の尖端を自分の目に向かって叩きつけようとした。ナナシノが息を呑む。


 躊躇いはなかった。だが、尖端が視界一杯に広がった瞬間、手が止まる。視界が暗くなっていたが、痛みも感じないし、いくら力を入れてもそれ以上先に進まない。


「え……ええええ……ええええええええ? なにやってるのおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!??」


 サイレントだ。サイレントが石を受け止めたのだ。

 その影のような腕が伸び、石を包み込んでいた。サイレントの身体は影のような見た目だが、その性能はどちらかと言うと近接戦闘タイプに近い。


 悲鳴のようなサイレントの声には先程まであった威厳が欠片もなかった。

 なんかキャラが早速崩壊しているサイレントに、石で何とか自分の眼球をかき回そうとしながら説明する。


「邪魔しないでよ。リセマラだって」


 リセマラ。リセットマラソンの略である。

 他のゲームでもよくあるが、いいキャラやアイテムを引けるまでゲームを初めからやり直す事を指す。これくらい常識だ。

 アビコルは確率がしょっぱいので運が悪ければ一週間くらいかかるだろう。


「何を言っているかわからないんですけどぉ!?」


 僕の懇切丁寧な説明を聞いたサイレントは悲鳴をあげ、いやいやと首を左右に振る。そりゃ、僕だって痛いのは嫌いだ。だが、リセマラはゲーマーの嗜みである。

 そもそもの原因を考えると、召喚されてきたサイレントが全て悪いのだ。


 だがサイレントを罵ったりしない。他人に責任をかぶせたりしない。僕は僕ができることをする。

 ただ僕はやり直す。納得できる眷属が出るまでやり直す。

 サイレントが首をぶんぶん振っている隙に今度は右目目掛けて石を振り下ろす。頭の中はもう次の眷属の事でいっぱいだ。


 それまで硬直していたナナシノが背中に飛びつき、僕の腕を妨害してくる。


「ブロガーさん!? 死んじゃう、死んじゃいますって!」


「いや、大丈夫だよ。すぐに戻ってくるから」


「そ、その保証あるんですかッ!?」


 ナナシノが悲鳴を上げる。だが僕は冷静だった。


「いや、アビコルならリセマラは嗜みだって」


「どんな常識ッ!?」


 むしろリセマラがないゲームなんてないだろ。

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