第十三話:強敵と敗北
眷族のロストは初心者にとって一つの壁だ。何時間もかけて育てた眷族が一時のミスでいとも簡単に消える。その残酷な真実に涙したプレイヤーは数知れず、特に共にいた時間が長ければ長いほどショックが大きい。
僕だって最初に眷族をロストさせてしまった時には大きなショックを受けた。まぁ、所詮データなのですぐに立ち直ったが、現実感の強いこの世界では相当なショックだろう。
ギオルギ一味の連中の眷族をロストさせた時、その面々の反応を思い出せばなんとなく想像がつく。まぁ、ログインボーナスもない、召喚すらまともにできない世界なのだ、気持ちもわからんでもない。
だが、ナナシノや僕はプレイヤーだ。プレイヤーにはリセマラという手段が残されている。
僕だってサイレントをロストしたらリセマラするつもりだし、ナナシノもすればいいだけのことだ。どうしてもアイリスの単騎兵に愛着があるってならまたそれが出るまで引き続ければいい。一週間か二週間か、相当苦労するだろうが根気さえあれば可能だろう。
こんこんと力のない音が扉の向こうから聞こえた。どうやら随分と憔悴しているらしい。
仕方ない、アビコルプレイヤーの先輩として慰めてやろう。
そんなことを考えながら扉を開けた瞬間、冷たく湿った物が体当たりしてきた。
「ぐぇっ……」
思わず変な声が口から出る。だが、それ以上の声は出せなかった。ナナシノが抱きついてきたからだ。
そして僕は、湿った女の子に抱きつかれるのが余り気分の良いものではないという事を初めて知った。
さすがに雨よけの外套もこの豪雨では効果がなかったのか、ナナシノは全身がぐっしょり川にでも飛び込んだかのように湿っていた。被ったフードの下には水を吸って張り付いた黒髪が艷やかに輝いている。
後ろに手を回し抱きつかれているので水分が乾いた僕の服にまで染み込んで気持ち悪い事この上ない。
ナナシノが嗚咽混じりの声で僕の名を呼ぶ。
「うぐッ……うぅッ……ブロガーざんッ……」
僕はそれに答えず、足元にいるサイレントにちらりと視線を向けた。
「サイレント、邪魔だからこれ引き剥がしてもらっていい?」
「えぇ!? あるじは、さいていだな」
「……冗談だよ。とてもレアな経験をさせてもらってる」
リアル経験値が増えてリアルレベルが上がってしまうかも知れない。
§
結局、ナナシノがようやくまともに言葉が喋れるくらいに落ち着いたのはたっぷり三十分程経った後だった。
着替えとシャワーを浴び、戻ってきた時には既に夜も更けていた。だが、雨は当分止みそうにない。
「……ご、ご迷惑、おかけしました」
ナナシノが震える声を出し、頭を下げる。まだ目は真っ赤だったし、髪も完全に乾いていないようだが、とりあえずさっきまでの状態よりは大分マシだ。
「まぁ、別に構わないけどね」
僕の服もぐっしょり濡れてしまったが、ナナシノと比べたらずっと軽微だ。洗濯は宿の従業員に頼めばやってくれるので面倒事もない。
でも、ナナシノはもう少し行動に気をつけたほうがいいと思う。雨に濡れてふらふらしているナナシノは格好の餌食だ。アビコルが十八禁指定のゲームだったら間違いなく襲う対象である。
健全なゲームに作ってくれたアビコル開発チームに感謝するといいよ、いや本当。
サイレントが無駄にスムーズな手際でお茶を入れ、ナナシノに手渡す。
「ななしぃ、これでも飲んで温まるといいぞ」
「あ、ありがとうございます。サイレントさん」
「主の無礼は我が雪がねばならないからな――ってじょ、あふ……ふみゃにゃいで」
余計なことを言いかけるサイレントを踏みつけて止める。そのまま踏み踏みしながらナナシノに尋ねた。
「で、何があったのさ?」
「……はい。その……六人パーティで、【深緑の森】を歩いていたんですが――最初は順調だったんです。素材も昨日程じゃなかったけど沢山集まって……昨日ブロガーさんと一緒に歩いた道を辿っていって――薬草とか、いろいろ見つけたりして――」
なんだ、誰かに襲われたわけではないのか。
ナナシノの様子から、もしかしたらロスト以外に何か凄まじいアクシデントがあったのかと思ったが、そうでもないようだ。面倒臭くなってきた。
どうせレアモンスターにエンカウントして一瞬でパーティが瓦解したのだろう。
深緑の森に稀に出るレアモンスター、『深き森の賢者 エルダー・トレント』は魔導師系の魔物だ。範囲攻撃魔法を持っている魔物は物量を揃えてもレベルやステータスが足りなかったり、相性が悪かったりするとあっさり負けたりする。
そもそもレアモンスターはそのフィールドの適正レベルでは絶対倒せないくらいに強いんだけど……ナナシノは随分と運が悪いようだ。
しかしそれにしても、六人もいるのに勝てないとか本当にNPCは雑魚ばかりだな。
「そうしたら――いきなり、空が暗くなって――」
レアエンカウントの前兆だ。
レアエンカウントにはなんとなく予兆がある事が多い。ないこともあるんだけど、空が暗くなったりふとBGMがなくなったり突然大勢の魔物が逃げてきたりは、強力な魔物が現れる兆候である。
ナナシノが必死になって説明を続けるが、もう興味はない。
「でっかい木みたいな魔物が――」
「エルダー・トレントだ。ナナシノ、話の腰を折って悪いんだけど、ナナシノは結局――勝てたの?」
「え……?」
エルダー・トレントは強力な魔物だ。広範囲を対象とした攻撃魔法を無駄に連続で撃ってくる――が、その反面、耐久はそれほど高くない。攻撃魔法の対策さえすればカモみたいなものである。【深緑の森】は【フェッサ湿原】よりも難易度の高いフィールドだが、レアモンスターは後者に出てくる蟹の方が強い。
アイリスの単騎兵はレベルを上げれば防御を強化するスキルを取得出来る。石を砕けば進化もするだろうし、六人で連携すれば決して勝てない相手ではないはずだ。そもそも、ナナシノは僕の忠告を聞いて石を幾つかストックしていた。
僕の言葉にナナシノは唇を組み、下を向いた。押し殺すような、強い感情の篭った声で続ける。
「か……勝てるわけ――ないじゃないですか……私の、アイちゃんは、サイレントさんのように強くない、ですし」
「まぁそうだね」
どうやら負けたようだ。ならばロストしたか。
まぁ、石を砕いたとしてもうまいこと眷族を動かさなければ勝てないだろう。ナナシノは素人だし、しょうがないね。
うんうん頷きながらナナシノを見つめていると、何を思ったのか震える声で続ける。
「パ、パトリックさんのゴールドも、グルナラさんのブルモンも、みんな最初の一撃で動けなくなって――」
初撃を受けるなんて馬鹿のすることである。アビコルのゲームバランスを舐めてる。一撃大きいのを受ければHPが大きく減りパラメータにペナルティが発生する。後は死を待つしかない。
バトルがリアルタイムで進むアビコルではアイテムを使う間も殆どないから、大抵の場合は石を砕かない限りは詰むことになる。まあこのあたりは言葉で言っても無駄だし、眷族をロストさせながら覚えていくしかない。
「あんなの……どうやって勝てっていうんですか……」
「まぁ、単騎兵で勝つのは難しいかなぁ」
やりようはいろいろあるが、死なずに勝てる可能性は高くないだろう。だからアイリスの単騎兵はやめておいた方がいいと言ったのだ。
慰めてやりたいが、一応警告はしているのだ。僕のアドバイスを無視したナナシノが悪い。
憮然とした様子のナナシノの頬に手をのばす。頬に触れるとナナシノがビクリと身体を震わせたが、が、手を払いはしなかった。
手の平に吸いつくような肌の感触を確かめ、僕は柄にもなくいい事を言った。
「まぁ、気を落とさないほうがいい。誰だって眷族をロストすることくらいあるさ。なに、リセマラすればいいだけなんだから……」
「……え?」
ナナシノの目が丸くなる。ログインボーナスのないこの世界ではナナシノには選択肢はほとんど無い。
石が五個以上残っているのならばリセマラではなくその『ただの』魔導石にかける手もあるが、たった五個ならば間違いなくリセマラの方がいい。どうせまだランクも上げていないし、クエストだって大してクリアしていないのだから。
至極もっともな意見を述べる僕を、ナナシノが不思議そうな目で見て一言言った。
「『
あっけに取られる僕の目の前、ナナシノの足元に白い光が発生する。光はゆっくりと収束し、小さな騎士の形を作った。
装甲には無数の深い傷が刻まれ、HPバーも三分の一しか残っていなかったが、間違いなくアイリスの単騎兵だ。
ナナシノが困ったような表情を作り、頬に当てた僕の手の甲にゆっくり手を重ねる。
「えっと……その……
「……主、格好悪い……」
僕の足の下から抜け出したサイレントが面白そうに言う。
……あれ?
ぶわっ変な汗がでた。予想外である。ならばさっきの憔悴した様子はなんだったんだよ?
混乱しつつも、尋ねる。
「エルダー・トレントは倒せなかったんだよね?」
「……はい。全く歯が立たなくて――」
「じゃあ何で眷族が生きてるのさ? もしかして二体目の単騎兵でも引いた?」
アビコルの戦闘は苛烈だ。そこには勝利か死かの二通りしかない。だからこそ、魔導石は大量に蓄えて置かなければならなかったのだ。
エルダー・トレントに勝てなかったのならば、眷族が生きているのはおかしい。もしかしたらナナシノは歯が立たなかったが他のパーティメンバーでなんとか倒せたとか、そういう理由だろうか? エレナか? エレナがいたのか?
ぐるぐる思考が堂々巡りを始めかけたその時、ナナシノが困ったような表情を作ったまま、あっさりと答えた。
「それはもちろん……逃げたんですよ」
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