第十四話:不運

 木樹を倒しながらゆっくりと森の奥から現れた巨大な木の魔物――エルダー・トレント。

 青葉に魔物と戦い敗北した経験はない。異様な雰囲気を纏ったそれから青葉が逃亡するという選択肢を取れたのは、長い間古都付近で召喚士として活動していたパトリック達、『金猫の調べ』がいたからだ。


 突然現れこちらに敵意を持って襲い掛かってきたエルダー・トレントに攻撃を仕掛け、その魔物が放った風の魔法により眷族がたった一撃で吹き飛ばされ大ダメージを受けたのを確認した瞬間、パトリックは瞬時に声を枯らす程に叫んだ。


「勝てない、逃げるぞ! トレントは足が遅いはずだ! 眷族で牽制、足止めしながら撤退する!」


 攻撃魔法を本体である召喚士側が受けていなかったのも功を奏した。良かれ悪かれ、パトリックはフィールドを探索することに慣れており、弱点である召喚士本体が攻撃を受けないようにだけは徹底していたのだ。

 突然目の前に起こった惨状に完全に硬直する青葉の腕を、グルナラがひっぱり、全員で堰を切ったように元来た道を逃げ出したのだ。



§ § §



「トレントは追ってきたんですが……パトリックさんの言った通り足はそれほど速くなくて――」


「……君ら、凄いなぁ……」

 

 疲労の滲んだ声色、たどたどしいナナシノの説明を聞いた僕が抱いた感想はそれだけだった。


 アビス・コーリングの戦闘には逃亡というコマンドが存在しない。一度戦闘に入れば結果は、勝利か場に出ている眷族のロストかの二通りしか存在しないのだ。


 だから、僕達アビコルプレイヤーは勝ち目のない戦闘にだけは参加しない事を鉄則としていた。魔導石のストックがあれば無限に復活出来るので無限の魔導石を持ち消耗戦を挑めばいつか絶対に勝てるのだが、それは余りにもコストがかかりすぎる。

 エレナへの挑戦クエスト、『深青への挑戦』が多数のプレイヤーを地獄に叩き落とした原因の一つでもある。


 この現実はアビコルよりもクソゲーだが、どうやら一部ぬるい面もあるようだ。


「……ならどうしてあんなにぐったりしてたのさ……」


 どう見てもナナシノの表情はやっちゃった人間の表情だった。

 ダメージは受けたとはいえ、眷族がロストしなかったのであればやり直しはいくらでも効く。僕の言葉に、ナナシノは目を伏せて恥ずかしそうに言った。


「いや……その……う、後ろから攻撃魔法が飛んでくるし、転びそうになりながら必死で走り続けて――何がなんだかわからなくて……怖くて…………正直、動転してました。すいません」


「けっ、心配して損したぜ」


「…………すいません。本当にすいません」


「うそつくな、あるじ。ぜんぜんしんぱいしてなかっただろー」


 赤面して何度も何度も頭を下げるナナシノに顔を向けながら、サイレントが余計なことを言う。

 僕は何も言わずにサイレントを踏んだ。最近のサイレントは本当にもう踏まれたがっているようにしか見えない。そして踏み心地が良くて癖になってしまいそうだ。


「手に入れたアイテムとかは、全部捨ててきちゃいました……余裕がなくて……」


「なるほど……それがペナルティか……」


 ダンジョン攻略失敗で入手したアイテムを全て失うのはソシャゲーでよくある話だ。アビコルのペナルティは眷族ロストだったがそちらよりも余程マシだろう。

 ちなみにアビス・コーリングでは全滅してもアイテムを失ったりはしなかった。眷族は失うのに、仕様がちょっとおかしいね。


 サイレントはぜんぜんしんぱいしてなかっただろーとか言ったけど、無事で良かったと思っているのは本当だ。負けは少ない方がいい。


 しかし、そうか……逃げられるのか……。


「ロストしないのか……ゲームでもそうだったらよかったのに……」


「さ、最悪、死にそうになっても『送還デポート』すればなんとかなりますし……まぁ、アイちゃんの方が足が速いのでそうする機会はあまりありませんが……今回はダメージを受けたので途中で『送還デポート』して――」


 ナナシノが付け足した言葉に、再び衝撃を受ける。


 まさかこの世界……戦闘中に『送還デポート』できるのか。なにそれ、絶対死なないじゃないか。

 アビコルでは戦闘中は『召喚コール』は出来ても『送還デポート』はできなかった。だから、ゲームの時は、初挑戦のクエストに行く際はロストしても構わない眷族だけ召喚して様子を見るなどという手法が知れ渡っていたりしたのだ。


 腕を組み考える僕に、ナナシノが慌てたように言う。


「や、いや、でも、普通はやりませんけど……眷族をしまったら身を守る方法、ありませんし……」


「……うーん」


 なるほど。もしかしたらゲーム中はそういう理屈で『送還デポート』できないようになっていたのかもしれない。

 ゲームではそういうシステムだったの一言でつく話が、現実だとそれぞれ理屈がついているのだろう。獣種フェスのことをサイレントが『赤獣界の力が強くなる日』と称したように。


 どちらにせよ、やはりゲームの仕様になかった事をやるのは最低限にすべきだろう。

 何がどうなるのか検討すらつかない。いずれ検証は必要だが……勝てない戦いにいかなければとりあえずは問題ないはずだ。


 傷だらけのアイリスの単騎兵を撫で、ナナシノがぽつりと呟く。


「アイちゃんが無事で……本当によかったです」


 騎士型の眷族は耐久に秀でる。魔法にも物理にも強くHPも高い事が多い。それが功を奏したのだろう。といっても、エルダー・トレントの攻撃魔法を後一発か二発喰らえばロストしていたはずだ。

 鎧のそこかしこについた深い傷に凹み。まるで亀裂のような穴も空いているが、中身は暗く、何も見えない。

 傷を負った眷族の回復は回復アイテムか回復スキルを使う他、『送還』中に時間経過で徐々に回復していく。アイリスの単騎兵のHPはそれほど高くないので、送還デポートしておけばすぐに全快するだろう。

 ちなみに魔導石による回復は死んだ後じゃないとできない。


「まー、いい経験になったんじゃないかな。次から気をつけなよ。アビコルではいつ何が起こるのかわからないから」


「はい……びっくりしました」


 感情の篭った声を出し、ナナシノがうつむく。まだ少しだけ何時もよりも顔色が悪い。

 そんなナナシノの肩をぽんぽん叩きながらにやりと笑みを浮かべる。


「ってかナナシノって相当運悪いよね。この短期間に、ギオルギにさらわれたり、今回のエルダー・トレントだって滅多に現れないはずなのに……まさか呪われてる?」


「呪われ……!? そ、そんなことないですよ!?」


 もしかしたら一緒に行動するのはやめたほうがいいかもしれない。

 ただの確率だと言い切ってしまうのは簡単だが、運が悪い人間というのは存在するものだ。何十万課金しても出現率一%の眷族が引けなかったり……存在するものだ。


 僕を見上げ慌てたように主張するナナシノ。その足元をぺちぺち叩きながら、サイレントが小さく言った。


「我は主が全て悪いと思う」


 なんでだよ。





§ § §



 「『召喚コール』ッ!」



「ッ……『召喚コール』『召喚コール』『召喚コール』『召喚コール』『召喚コール』『召喚コール』『召喚コール』『召喚コール』ッ!」




「え……な……でない……クロロンが……でないよぅ……な……ど、どうして?」


 薄暗い部屋。雷鳴が轟く中、シャロリアが震える声で呟いた。

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