第十五話:希望と絶望
空は昨日の大嵐が嘘のように晴れ渡っていた。路肩の凹みにたまった水たまりの上を僕のアルラウネ――フラーが楽しそうに歩いている。
「しかし、レアモンスターが出るんだったら僕達も行くんだったなぁ」
「んん? 主、妙に乗り気ではないか」
フラーが地面を歩くようになって頭の上の居場所を取り戻したサイレントが訝しげな声をあげる。
レアモンスターというのは本当に出現がレアなのだ。出ない時は百回フィールドを回ろうが出ない。
そして、大抵そういう奴らは石を代償にするのもまぁ許せる、レアなアイテムをドロップする。もっともそれは魔導石が簡単に手に入る頃の話だったし――出現した時点で倒す以外に道はないのだが。
「いつもならば、『サイレントはざこっぱだし、行かなくてよかったなー』とか言いそうなものだが?」
「湿原だったらそっちだったね」
湿原の蟹は相性が悪い。が、逆に深緑の森の木はかなり相性がいい。アルラウネの件があったとはいえ、僕が森に入る決意をしたのはそれもあったからである。
アビコルにおける育成とレアモンスターの討伐は切っても切れない関係にある。大体のレアモンスターの情報は覚えているが、いずれ討伐には向かわねばならない。
ナナシノ達は六人がかりで敗退したらしいが、サイレントならば余程下手を打たない限り負けたりしないだろう。
まぁでも、僕が行ってたら多分出てこなかったんだろうな……絶対、出現確率操作されてるわ。
サイレントが憮然としたように僕の頭の上をぺちぺち叩く。
「……我は、あのゲールを倒したのだぞ?」
「でも君、一回死んだじゃん」
「…………」
あの魔導石の消費本当に痛かった。サイレントがもう少し強かったら回避できたんだが……文句を言っても仕方のないことだ。さっさとサイレントよりも強い眷族を引けることを祈ろう。
一日ぶりにギルドに入ると、中は騒然としていた。どうしたのか、こんなに天気がいいし、時間も昼を過ぎてしばらく経っているのに、酒場にはNPCの召喚士が何人も屯している。
そちらをじろじろ眺めながら、勤勉な僕は受付のカウンターに並んだ。朝っぱらから飲んだくれるとか人間として失格である。
受付のおっさんが僕を見て鼻息を漏らす。僕は次はもっと可愛い子がやっているカウンターに並ぼうと決意した。
「ブロガー、お前は幸運だな」
開口一番にゴンズさんがわけの分からない事を言う。
「へー、なんかあったの?」
受付の言動が変化するってことは、特殊クエストかな?
ゴンズさんは僕の足元を、てこてこついてくるフラーを見て、額を押さえため息をついた
そう言えば、この世界では複数召喚しておける召喚士は少ないと言っていたか……。エレナの眷族は出すだけで十体分の召喚枠を取るはずなんですが、彼女だけ贔屓されてませんかねえ?
「深緑の森で強力な魔物が発生した。パトリック・ディエロ達――『金猫の調べ』が出会って逃げ帰ってきたらしい」
「あー、それもう知ってるよ」
「……ブロガー、お前も一日前に森に入っていただろ? 遭遇しなくて幸運だったな」
「レアアイテムをゲットするチャンスだったのに……出て欲しい時にだけ出ないもんなんだ、こういうのは」
「…………」
ゴンズさんが唇を強く結び、凄い形相で黙り込んだ。ただでさえ強面なのにこうして見てると受付には全く相応しくない人間に見える。道理で一人だけいつも暇そうにしているわけだ。
しかし、この世界ではレアモンスターが出たら騒がしくなるのか……ランダムエンカウントなんだから、どうせもう出ないって。
……出ないよな?
僕は一端その事を頭の外にやって、ゴンズさんにフランクな感じで尋ねた。
「なんかいい雑用クエスト入ってませんかね?」
「えぇええ? また雑用するのか?」
「外びちょびちょしてそうだから歩きたくないし、大嵐だったからなんか掃除クエスト来てるかなって」
「そ、掃除するの、我なんだがあ?」
頭の上で文句を言い始めるサイレントを鷲掴みにしてカウンターに叩きつける。
そのままみょんみょんその頭を伸ばしていると、それまで黙っていたゴンズさんが重々しい声を出した。
「エルダー・トレントの討伐クエストが発注された」
「やんないよ」
「何故だ?」
ゴンズさんが目を見開き、僕を凝視する。何故だって……そんなの決まってるだろ。
何も分かっていないゴンズNPCを鼻で笑う。
「出ないから、さ」
アビコルでは依頼は同時に複数受けられない。そして、レアモンスターは滅多にでない。
もちろんレアモンスターの討伐依頼でも初クリアの時は魔導石がもらえるが、クエストを受領時に対象モンスターは出現率がアップするなんて都合の良いシステム、アビコルには存在しないのだ。やたら手間がかかるのにクリア報酬が大して変わらないレアモンスター討伐クエストはまったく割に合わない。
というか、クエスト受けてると出現しにくくなるなんて話もあったりした。話にならん。そんなんやるくらいなら一個でも多く別のクエストやるわ。
「……森に強大な魔物が現れるとなると、低位の召喚士が困ることになる」
「そこのところ皆、勘違いしてるよねー」
「……勘違い?」
ゴンズさんが眉を顰め、訝しげな表情を向けてくる。
そうだ。勘違いだ。森に強大な魔物が現れる? 否。
「他のフィールドにだって強大な魔物は現れるわ。滅多に現れないから出会ってなかっただけだろ。レアモンスターと絶対戦いたくないんだったらダンジョンにでも行けや」
NPCに言っても仕方のないことだが、今まで知れ渡っていなかったことが不思議なくらいである。
眷族をロストする覚悟もなく召喚士をやるなんてちゃんちゃらおかしいぜ。
大体、レアモンスターなんて滅多に出ないから気にせず森に行け。何かあったら逃げりゃいいじゃん。逃げられるんだから。
絶句するゴンズさんの表情がおかしくて、思わず続ける。
「それに、強力な魔物が出たんならエレナにやらせろや。あいつギルドマスターなのにサボりすぎだよね」
何やってんだよ、いつも。
調子に乗って気持ちよく声をあげていると、ふと後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。
「エレナのこと、呼びましたか?」
「あ、呼んでないので帰って下さい。
ゴンズさんが冷や汗を流し、僕の後ろを見つめている。
僕はゲンナリしながら後ろを振り返った。
ふんわりとした甘い香り。気合の入ったグラフィック。清楚な佇まいからはえげつない眷族を繰り出してくるとはとても予想できない――アビコルでも屈指の害悪。エレナ・アイオライトがにこにこしながらこちらを見ていた。
滅多に現れないギルドマスターの登場にギルド内が騒然とする。
「イベントでもないのに出てこないでもらえますかね?」
「イベント……? ブロガーさんは、エレナのことを何だと思ってるんですか?」
その一人称が自分の名前なのも狙ってるかのようで凄い嫌だわ。これで良いんだろ萌えろ萌えろと言わんばかりで安直で嫌だわ。死ね。
「大体、昨日の嵐もお前のせいだろおおおおおおおおおッ! あれのせいでナナシノがずぶ濡れだったんだぞ、土下座しろッ!」
「主、キャラ変わりすぎだぞ……」
こんなのキャラも変わるわ。
ゴンズさんもこの貧乳エルフの信奉者なのか、裏返った声で僕を怒鳴りつけてくる。
「お、おい、こら。ブロガー、エレナさんになんてことを言うんだ……!」
「……い、いいんですよ。こほん……嵐はエレナのせいじゃありませんし……」
エレナはピクリと眉を動かしたが、一度小さく咳払いし、すぐに落ち着いた声で答えた。
エレナは面の皮が厚いように見えて実は繊細なキャラである。『深青への挑戦』をクリアすると固有のストーリークエストが複数出てきて可愛らしい性格などが露になるのだが、クエストは廃プレイヤーしかクリアできないので見たことのある者は少なかった。
エレナに視線が集まる。酒場に集まっていた連中がずらずらと外に出てきて、エレナを見る。身体は細く身長も高くないが、そこには確かなカリスマがあった。
無数の視線の中、エレナが凛とした声で言う。
「エルダー・トレントの出現、
予想したものとは違うその言葉に、召喚士のうちの一人がおずおずと声をあげる。
「エレナ様は――戦わないんですか?」
「エレナは……残念ながら、国から制限がかかっていまして……深緑の森は古都からも遠く、人的な被害も少ないという事で、許可が……おりませんでした……」
エレナが眉をハの字にして儚い表情で答えた。その表情にさすがに反論できなかったのか、声を上げた召喚士が黙り込む。
そりゃそうだ。大体、レアモンスターが出る度にエレナが出張ってきたら流石にまずいだろう。地形が変わってしまう。
打倒な判断を下す国の上層部に改めて感心していると、エレナがぽんと手をたたき、花開くような笑顔を見せた。
「あ、で、でも大丈夫です。皆さんが負けたら……エレナが国の制止を振り切ってでも皆さんの敵を打ちますので。でも、エレナは皆様が『深き森の賢者』なんかに決して負けないであろうという事を確信しておりますわ」
§
「エレナは……ずっと信じているのです。
「いや、お前はもう終着点だろ」
そこで止めておけ。さもなくば同人誌とかでただでさえひどい目にあっているのに、更にやばいことになるだろう。金銭の恨みは根深いのだ。
僕の言葉には反応せず、エレナが僕を見る。
「ブロガーさんも、是非挑戦してくださいね。エレナはギオルギを倒したブロガーさんには期待しているのです」
「あ、はい」
そして、エレナは笑顔を振りまきながらカウンターの向こうに消えていった。
再びギルド内に活気が戻る。どうやらエレナの鼓舞は随分と効いたらしく、先程まであったどこか暗い雰囲気は吹き飛んでいた。
その中には、注視すると名前が出るようになったパトリックの姿もある。昨日ナナシノと一緒に負けて帰ってきたという男だ。悔しそうにテーブルを叩き、仲間に窘められている。
「くそっ、俺のゴールドが回復していればすぐさまリベンジに向かうんだが……」
「無理はしない方が良いと思うわよ、リーダー。魔法攻撃メインに近接戦闘は厳しいし……」
エレナの発言で興味を持った者も多いようで、何人もの召喚士がその周りに集まってきていた。どいつもこいつも進化前の眷族を持ってきて――自殺志願者が多いようだ。
だが、ほとんどはレベルマックスだし、中にはエルダー・トレントが操る風属性と木属性の魔法に耐性を持つ眷族を連れている者もいる。多分十人二十人で囲めばなんとかなるだろう。複数人で倒せない程難易度の高い魔物ではない。
「ブロガー、お前は行かないのか?」
「うーん。まあいいかな」
エレナの言葉に乗るのもしゃくだ。僕は利益だけを求めてゲームをやっているのではない、楽しいからやっているのだ。
ゴンズさんがため息をつく。ふと、そこで、ギルドの扉がばんと音を立てて開いた。
朝から姿を見せなかったナナシノが険しい表情でギルド内を見回す。
そして僕を見つけると、息を切らして駆け寄ってきた。
「主、ななしぃになんかしたのか?」
「いや、まだしてないよ?」
だが、ナナシノの姫プレイっぷりを見ているといつか手を出してしまいそうで怖いぜ。
ナナシノは目の前までくると、荒く乱れた呼吸を整え、僕を潤んだ目で見上げた。
「はぁ、はぁ……ぶ、ブロガーさん―あの……その……シャロが――き、来てくださいッ!」
§
ナナシノの友達の部屋は僕達が宿泊している部屋よりもずっと小さな部屋だった。
まるで嵐の後のようにごちゃごちゃ散らばった室内の中、椅子の上でシャロが膝を抱えて顔を伏せている。
ナナシノと僕が入ると、シャロが弾かれたように顔をあげた。
昨日ナナシノが帰ってきた時も酷い表情だったが、シャロの顔は更に乱れている。目は真っ赤に張れ、張り付いた大きな隈からは深い疲労が見て取れた。目の下には涙の跡がはっきりと残っている。
「シャロの……眷族が……
「へー……まぁ、順当に考えたらロストしたんじゃない?」
「ッ!!」
面倒くせーな。突然何の説明もなく連れてこられた、僕は唯一無事なベッドに腰をかけ、ひゃっくりするシャロを見る。
アルラウネは雑魚だ。パトリック達の眷族もあれはあれで雑魚だったが、それよりも一段落ちる。一回進化していてもそれは変わらない。
魔法系の眷族なので敏捷のパラメーターも一回り低いし、レベルだって低い。現実になって新たに出来た『逃げる』がどういう仕様なのかは知らないが、ロストする時はロストするだろう。
ナナシノが頬を引くつかせ、シャロを見る。
大体、ナナシノも薄々気づいていたはずだ。
一度
シャロがぽつぽつと力ない声で言う。
「……わ、わたし……ちゃんと、『
「ふーん。間に合わなかったんじゃない?」
「ブ、ブロガーさん!?」
友達として、ナナシノはシャロに残酷な真実を突きつけられなかったのだろう。だが僕に言われても困る。
僕は廃プレイヤーではあるが、さすがに神様でも開発チームでもないのでアビコルの仕様を変える事はできない。
「大体さ、その反論の弱さ、シャロも気づいてたんじゃない? 本気で気づいていなかったんだったらただの馬鹿だけど……」
「……ッ……ひっくッ……」
この手の消沈したプレイヤーはサービスが存在していた当時も腐るほどいた。だが、ロストは自己責任だ。一番悪いのはそういう仕様にしたアビコル開発チームと運営チームだが、次点でプレイヤーが悪い。
僕の言葉に、シャロがまた顔を伏せて泣き出した。女の子の涙、マジで辛いわ―。
「ひっく……くろ……くろろん、は、ひっく……ずっと、まえがら、一緒で――」
「知らないよ。まー残念だったね、人生に別れはつきもの、いいことあるさ」
アルラウネの一匹や二匹何だというのだ。なんなら僕のアルラウネを魔導石五個で売ってあげようか?
そんな機能ないけどな!
慰める僕に、ナナシノがぐっと身を寄せ、僕を舌を伸ばせば触れるくらいの至近から見上げてくる。吐息が鼻の頭にかかる。
「ぶ、ぶろがーさん、そ、その……なんとか、ならないですか?」
「いくらナナシノの色仕掛けでもそりゃ無理だよ」
「……ッ」
一度ロストしたものは戻らない。戦闘中なら魔導石による
僕の服を掴んでいたナナシノの手が外れ、あっさりその身が離れる。
ナナシノは静かに声を殺して泣いているシャロをつらそうに見ていた。NPCに感情移入とは、ナナシノは随分感受性が強いなぁ。
「じゃあ、もういいかな。僕はクエストに行かないといけないから……」
「ッ……ブロガーさんなんて、もういいですッ! どっかにいっちゃえばいいんですッ!」
ナナシノが悲鳴のような怒鳴っているような声で叫ぶ。僕はなんとなく、嫌がるナナシノの頭をごしごし撫でてやった。
「じゃーいってきまーす」
「主は鬼だな……」
これはこれは……サイレントまで辛辣なことを言う。同情しろって言うのならするけど、同情してもなんにもならないからなあ。僕のメリットにもならないしシャロのメリットにもならないとか誰得だよ。
足を止め、ぐすぐすしているシャロを見下ろした。
「まーいい機会なんじゃない? 家業でも継いだら?」
どうせアルラウネで強い召喚士になんてなれないし。
「うぅっ……ぐすっ……ぐすっ…………」
シャロは僕の言葉に、びくりと肩を震わせる。
僕だって思うところがないわけではないが、さすがにねぇ……。
ナナシノが犯罪者でも見るような目で僕を見ている。何も出来ないくせに人にそんな目を向けるなんてナナシノは最低だなぁ。
「あー、あれするなんてどうだろう――リセマラ」
「りせ……まら?」
僕の言葉に、シャロが伏せていた頭を上げ、ぼろぼろの顔をこちらに向ける。
「リセマラさ。リセットマラソンの略だよ。やり直すんだ」
微かに見えた希望にシャロが大きく目を見開く。
「やりなお……や、やりなおせるんですか!?」
「まぁアルラウネは引けないと思うけどね」
「ッ……」
が、あっという間に決壊した。そのまま元の姿勢に戻ってしまう。
シャロってもしかして本当にアルラウネが好きなのか? 本当に世の中には色んな人がいるなぁ。
「上げて落とすなんて主は最低だな。さすがの我でもそんな真似は命令されない限りできないぞ」
「いや……そんなつもりはなかったんだけど。僕ならサイレントがロストしても別に悲しくならないけどなぁ」
「…………絶対にロストしないぞ」
サイレントと下らないやり取りをしていると、見るに見かねたのかナナシノが耳元に口を近づけコソコソと言ってくる。
「ブロガーさん……シャロは……私が慰めるので……どっかいってください。邪魔です」
「了解。力になれなくて悪かったね」
ナナシノとしては藁にもすがる思いだったのだろう。今のナナシノからは立ち入ってはならない雰囲気を感じさせた。
僕としても辛気臭い空間にはいたくもない。
扉を開け、さっさと部屋から去ろうとしたその直前、ふと一つ思いつく。
「そういえばさ、光のオーブはどうしたの?」
「え……?」
光のオーブといったら光のオーブだ。眷族ロスト時に残し、次回召喚時にその眷族の召喚確率を上げるというアイテムである。確率的には微々たる数値のようだが、運営が上がると言っているのだから多分上がるのだろう。
僕の言葉にシャロが顔をあげ、呆然と僕を見た。
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