第十五話:幻想王国と負い目

 小さなウサギのヌイグルミが耳を振りながら大きくジャンプする。

 一飛でぴょんと数メートルも飛び上がると、全身を使ってその手に持った斧を振り下ろしてきた。


 見た目が見た目なのでまるでアニメでも見ているかのような気分にさせられるが、その動きの切れは尋常ではない。


 サイレントが素早く数歩ステップを踏みそれを回避する。地面に刃が突き刺さり、まるで大木が落とされたような分厚い音が上がる。


 躱されたウサギの人形は、それを残念に思っている様子もなくその表情の見えない顔を僕達に向けた。

 血のような赤色ボタンの目が僕達を見る。


「な、なんですか、あれ!?」


 ナナシノの声には悲鳴が混じっていた。ようやく夢から覚めたのか。


「え……『死を求めるラビットドール・ソルジャー』だけど……」


「えええ!? なんですか、その物騒な!?」


 その後ろからぞろぞろついてくる魔物たちも、それぞれ性能に大小はあれど決して可愛らしい生き物ではない。


 見た目はヌイグルミだが中身は修羅だ。

 数はウサギを入れて四体。それぞれが緩慢な動作で各々違った武器をこちらに向ける。


 その一切の表情がないドールの顔に、ナナシノが一歩下がった。アイちゃんがその剣を正眼に構えている。


「このダンジョンに出てくる魔物は皆、おとぎ話から出てきたような見た目だけど、実際は童話ではなくホラーなんだ」


「あるじさ……純粋にぎもんなんだが、なんでそんなところにななしぃつれてきたのさ……」


「可愛いもの好きみたいだし、喜ぶかなって」


 僕が以前フラーに買ってやったような可愛らしいクマのヌイグルミがその手に持った包丁を口元に近づけ、その刃を舐めるような動作をする。フラーが目を丸くした。


 ナナシノが愕然とした表情を浮かべる。


「!? 悪霊でも乗り移ってるんですか!?」


「いや、ああいう生き物なんだよ。ドラゴンとかいるんだから生きるヌイグルミがいてもおかしくないだろ」


「し、師匠……来ますッ!」


 シャロの悲鳴と同時に、四体の魔物が先程までのよたよたした動きとは違った機敏な動作で飛びかかってきた。


「サイレント、『血に溺れるベアードール・マーダー』に気をつけろッ!」


「ッ!? どうしろっていうんだもー!」


 サイレントの身体からいつも通り、無数の触手が伸びる。

 槍のように、あるいは鞭のように不規則な動きで襲いかかるそれを、しかしファンシーな魔物達は焦ることなく迎え撃った。


 クマが射出された槍のような触手を二本、包丁で払う。

 ウサギがその短い手を使い触手の上で一回転する。まるで曲芸士のような動きだ。


 ネコとイヌが身を低くして回避しようとして、急に旋回した触手に叩きつけられた。布が破れるような音と共に、内部の綿をぶちまけ、地面に倒れ沈黙する。


 ここのファンシーな魔物達は防御力とHPは大したことがないが、回避率と攻撃力が非常に高い。サイレントが一瞬硬直し、更にその全身を分割し鞭にして抜けてきたウサギを迎え撃つ。

 仲間がやられたにも拘らず、ウサギの動きには欠片の躊躇いもない。まるで熟達した戦士のような仕草で全身を回転させ、斧を叩きつけてくる。サイレントの硬質化した触手と刃がぶつかり合い高い金属音が響いた。


「!? なんだこいつ!?」


 サイレントが混乱したような声をあげ、それぞれの触手を旋回させる。が、クマとウサギは武器を器用に使い、危うげなくそれを受けきった。


 やはり今まで通りにはいかない、か。


 ここの魔物は身体が小さい。身体が小さいということは的が小さいということであり、恐らくそれが回避率の高さに現れているのだろう。

 ほぼその身体と同じくらいの大きさの武器を持っているので、それをうまくすり抜けて攻撃を身体に当てるのはサイレントと言えども難しいだろう。


「え……ええええ!? なんでこんなのが――」


「最近戦った中では一番レベルが高いから……」


「!?」


 『竜神祭』のイベントダンジョンよりもちょっとだけ適正レベルが高いくらいだろうか。ただし、向こうは耐久と防御が高めだったがこちらはその分を攻撃力と敏捷に振っている。


「あッ……」


 ウサギがサイレントの鞭を回避し、激しく動く触手の上をたったかたったか駆け上がる。そのままサイレントの身体を越え、僕達の方にジャンプしてきた。どうやら僕達が頭であることを理解しているらしい。脳みその代わりに綿が入っているくせに随分と賢いようだ。


 振り下ろされる斧。しかし、その前に、アイちゃんが立ちはだかった。


 戦闘用には見えない分厚い斧の刃と、アイちゃんの白銀の刃がぶつかり合う。重い一撃をアイちゃんは流麗な太刀捌きで受け止めた。


 地味にアイちゃんが戦うところを見るのは初めだった。


 振り下ろされた斧と刃が何度も何度もぶつかりあう。

 ラビットドールの動きはその可愛らしい見た目と異なりひどく暴力的だ。縦横無尽に振り下ろされるその斧を、アイちゃんはその剣と盾を使いうまく受け流していく。


 サイレントが見逃す相手に対してアイちゃんが耐えられているのは、アイちゃんが防御力と敏捷が高めのタイプだからである。それでも、きちんとレベル上げをしていなかったら受けることはできなかっただろう。


 今なんとかなっているのはナナシノがレベル上げをサボっていない証と言えた。


「が、頑張って、アイちゃん! そ、そうだ――」


 応援していたナナシノが今気づいたかのように腰から解体用の短剣を抜く。


 そうだ、って……もしかしてナナシノ、自分で戦うつもりじゃないだろうな? これそういうゲームじゃないって。


 ラビットドールは身体こそ小さいが、その動きは機敏で、まさしくホラー映画なんかで出てくる呪われた人形そのものである。

 それを前にしたらナナシノなんてただの哀れな被害者だ。


「ナナシノ、その腰から抜いた短剣、下ろそうか? 大丈夫だから」


「え…………は、はい」


 飛び出さないように肩を掴み諭すと、ナナシノは小さい声で返事をして短剣をおろした。

 もしかして、僕が側にいない時のナナシノっていつもそんなことやっているんだろうか……。


 激しい剣戟に火花が散る。無表情に攻撃を繰り出すラビットドールを前に、アイちゃんが後じさりながらそれを受ける


 だが、既に勝負は決まっていた。


 不意に攻撃を繰り出していたラビットドールの動きが止まる。その左胸を黒い触手が貫いていた。一対一で集中してベアードールを倒したサイレントが後ろから奇襲したのだ。


 ラビットドールの真っ赤な目が自分の胸に突き出した触手を見る。

 HPバーがみるみるうちに減る。しばらくもがいていたが、ゼロになると同時にその手から大きな斧が地面にどさりと落ちた。


 ラビットドールが完全に沈黙し、ただのヌイグルミになるのを待って、サイレントが触手を引き抜く。

 大きく裂けた胸から血は出ていない。ただ白くもこもこした綿が少しだけ飛び出していた。


 ナナシノが恐る恐る屈み込み、地面に倒れたラビットドールの目に触れる。続いてその耳に触れ、顔に触れ、身体に触れる。


「ただの……ヌイグルミです」


「そういうダンジョンなんだよ。面白いでしょ?」


「……あるじのかんせいをうたがうぞ。……しかもこいつらけっこうつよいし」


 サイレントでゼロ死で攻略できるかは微妙なところだろう。

 めちゃくちゃ強いボスなどが出てくるわけではないが、魔物の平均的なレベルが高いのだ。今倒したラビットドールやベアードールはこのダンジョンに現れる魔物の中では平均的な相手である。


 今回は無傷で勝てたが次はそうはいくまい。ただし、こちらにはフラーがいるし、魔導石だってある。赤字になるが攻略できないということはないだろう。


 明らかにこちらのサイズに合わせて作られている大きな門を指差す。


「中にはもっと色々なのがいるよ」


「そ、それ……大丈夫、なんですか?」


 可愛いヌイグルミに襲われてショックだったのか、ナナシノはいつになく弱気だ。シャロも不安げな目つきで僕とナナシノを見ていた。


「大丈夫だよ。でもまあ、ナナシノがもし帰りたいならそれでもいいけど……無理をさせたら本末転倒だしね」


 ここの攻略は命懸けだ。余程運が良くなければゼロ死での攻略は難しいだろう。納品や討伐クエストもなかったので、ダンジョンを最深部まで攻略して魔導石を手に入れたとしても赤字になる見込みが強い。


 僕がここまでやってきたのはナナシノを元気づけるため――アビコルプレイヤーの先輩としてこの世界の楽しさを教えるためだ。トラウマを作るためじゃない。


 ナナシノは僕の言葉にしばらくじっと僕の顔を見上げていたが、少しだけ頬を染めた。


「……せっかく来たので……もう少しだけ、頑張ります」


「ななしぃ、本当にだいじょうぶか? あるじにえんりょなんていらないぞ?」


「……はい。大丈夫、です。ちょっとびっくりしただけで」


 胸を押さえ、ナナシノが小さく深呼吸をした。

 その言葉の通り、無理をしている様子はない。そもそも、ナナシノの性格ならば、無理な時は無理と言うだろう。言わなくても、顔には出るはずだ。


 手を差し出し、きょとんとしているナナシノの左手をさっと取り上げ握りしめる。

 またナイフを抜いたりされたり、いきなり前に進んだりされたら困るのだ。僕は不死身だがナナシノがどうなのかはわからない。


「まぁ、少しずつ中を確かめよう。大丈夫、嫌になったらすぐに言ってくれれば」


 ナナシノは握られた手をじっと見ていたが、小さく頷いた。


「! …………は……はい。よろしく、お願いします。…………頼りに、してます」



§



 ナナシノがこちらに背中をむけている巨大な影を見て目を見開き、か細い悲鳴をあげる。

 ずっと握りしめている手が動揺で震えていた。


「!? な、なんですか、あれ!?」


「『全てを蹂躙するキングベアードール』」


 城の中は外と同様にファンシーな世界だった。

 滑らかな城の壁に、真紅の絨毯の敷かれた通路。壁に掛けられた絵はまるで生きているかのように動き、廊下を武器を持った多種多様なヌイグルミ達が歩いている。


 【トニトルス幻想王国】における魔物の出現率はそこまで高くない。

 また、たとえ魔物が歩いていたとしても、隠れてやり過ごす場所などにも事欠かない。


 ゲーム時代は経験値やドロップ目的だったので全て倒していたが、時間を掛けて慎重に進もうと思えばいくらでも慎重に進めることができる。

 そんなことにはならないだろうが、もしもダンジョン内で魔導石のほとんどを消費したとしても、生きて帰ることくらいはできるだろう。


 ナナシノの視線の先にあったのはずんぐりむっくりした王冠をつけたクマだった。大きさは僕よりもずっと大きい。このダンジョンではそこそこ強力な魔物である。


「あんなおっきいの……倒せるんですか? 師匠」


 後ろを慎重についてきていたシャロも不安げだ。小さく囁くように聞いてくる。


 キングとかついているがあれは王様でもなんでもないし、一対一で邪魔さえ入らなければサイレントで倒せる。


 それに、僕は既に覚悟を決めていた。


 突然だが、僕はこの世界に来てから常々、いつの間にか入ってしまったゲームがアビス・コーリングでよかった、と思っている。


 大好きなゲームだから、ではない。

 ……いや、そういう理由もないわけではないが、このゲームが眷属を使って戦うゲームだから、というのが一番の理由だ。


 アビコルで、魔物や他の敵対NPCと戦うのは全て眷属の仕事だ。プレイヤーは現実世界で仕事と戦い課金する金を稼げばいい。

 もしもこれが一般的なRPGで、プレイヤーが直接魔物と戦わなければならない類のものだったら、恐らく僕はまともにこの世界をプレイすることはできなかっただろう。


 召喚して育てて攻略する。アビス・コーリングというゲームは単純だ。

 そして、アビコルが普通のコンシューマゲームと異なる一番大きな点は、そこに課金の有無が密接に関係していることである。


 以前もいったが、アビス・コーリングでは大抵のことは魔導石で解決できるようにできている。

 眷属はサービスが経過するに連れてどんどんインフレしていき、それに従いダンジョンの難易度もインフレして行った。後半のダンジョンやフィールドの攻略は魔導石の消費を前提としており、それなくしてアビコルは語れない。


 このダンジョンで僕がナナシノに見せるのは嘘偽りないアビス・コーリングというゲームの攻略法……その初級編だ。


 それは、雑魚を屠るだけの今までとは違う。


「サイレント、奇襲するよ」


「えぇ……あんなのころがってたら、ぜったいにわれらの侵入がばれるぞ」


「え……別に隠してないし。もし気になるならポケットに入れていけばいいだろ」


「……あるじとはなしてると、常識がなんなのかわからなくなるなあ」


 サイレントが呆れたようにため息を出し、足音を立てずにキングベアーに向かって歩みを進める。


 僕は隣のナナシノの手を強く握りしめた。ナナシノの手は繊細ですべすべしていて柔らかい。こちらは命よりも大事な魔導石を賭けているのだ、これくらいの役得はあってもいいだろう。


 ナナシノがびくりと震え、唇を結んで僕を見る。耳が赤くなっていた。

 そんなナナシノに言う。


「ほら、ナナシノ。ぼーっとしてないでアイちゃんを出して」


「え!? で、でも……」


「アビコルのマルチ要素ではそれぞれ眷属を出してそれで戦うんだよ」


 ナナシノが眉を持ち上げ、目を丸くする。

 この世界に来てから今まで僕はどのクエストでもナナシノに一切手を出させなかった。邪魔だったからだ。それをいきなり一緒に戦おうなどと言われれば、そんな表情もするだろう。


「え?? ??? それは、つまり……もしかして……私も、一緒に戦うって、ことですか?」


「そうだ。アイリスの騎士兵はそんなに強くないけど、このダンジョンで一撃でやられるほど弱くない」


 ナナシノの表情が僅かに明るくなる。もしかしたら、今まで戦わせてもらえなかったことが負い目だったのかもしれない。


「!! は、はい! アイちゃん、行って」


 ナナシノの言葉を受け、アイちゃんは僕を見上げた。

 果たしてアイちゃんは僕をどんな眼差しで見ているのか、バイザーの下は窺い知れないが、アイリスの騎士兵はきっとナナシノよりもちゃんと僕の事を理解している。


 アイちゃんはしばらく僕を見上げていたが、小さく頷きサイレントの後をついていった。


 バレただろうか。僕の『負い目』を。


 僕が既に、元の世界に戻るための目処を立てている事を。


 そして――その上で帰らない選択を取っている事を。

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